2017年11月25日
大和朝廷の謎(18)継体天皇
前回の武烈天皇の稿では、日頃の鬱憤が出て、多少お見苦しい
コメントがあったことを陳謝いたします。
さて、今回は、第26代継体天皇です。
武烈天皇の後、その後継者選びは非常に混迷いたしました。
簡単に言うと、誰もなり手がいなかったのです。
そこで、最終的に頼み込んで、無理やりなって頂いたのが
継体天皇です。
大伴金村がその立役者であると云われています。
大伴氏は、葛城氏滅亡の後急速に勢力を伸ばした一族で、日向
系の豪族です。
天皇家の系譜をたどり第15代応神天皇まで遡って、やっと
越前・福井で、応神天皇の子孫である継体天皇を探し当てたの
です。
継体天皇は、再三固辞しましたが、説得に負け、ついに天皇に
なることを承諾します。
なかなか奈良に入ることが出来ず、やっと入れたのは即位後
20年近く経ってのことでした。
それほど、大和朝廷は混乱していたのでしょう。
その後すぐに、新羅と戦闘状態にあった百済に救援の軍を差し
向けようとしますが、新羅と内通していた磐井氏を討伐するの
に苦心しています(磐井の乱)。
国内、国外共に不穏な状況の中、立派に職責を全うされた極め
て有能な方であったと推測されます。
この後、政権はやっと安定を取り戻していきます。
コメントがあったことを陳謝いたします。
さて、今回は、第26代継体天皇です。
武烈天皇の後、その後継者選びは非常に混迷いたしました。
簡単に言うと、誰もなり手がいなかったのです。
そこで、最終的に頼み込んで、無理やりなって頂いたのが
継体天皇です。
大伴金村がその立役者であると云われています。
大伴氏は、葛城氏滅亡の後急速に勢力を伸ばした一族で、日向
系の豪族です。
天皇家の系譜をたどり第15代応神天皇まで遡って、やっと
越前・福井で、応神天皇の子孫である継体天皇を探し当てたの
です。
継体天皇は、再三固辞しましたが、説得に負け、ついに天皇に
なることを承諾します。
なかなか奈良に入ることが出来ず、やっと入れたのは即位後
20年近く経ってのことでした。
それほど、大和朝廷は混乱していたのでしょう。
その後すぐに、新羅と戦闘状態にあった百済に救援の軍を差し
向けようとしますが、新羅と内通していた磐井氏を討伐するの
に苦心しています(磐井の乱)。
国内、国外共に不穏な状況の中、立派に職責を全うされた極め
て有能な方であったと推測されます。
この後、政権はやっと安定を取り戻していきます。
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