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2017年11月22日

大和朝廷の謎(7)卑弥呼 その5

天津神と国津神の区別化(差別化?)は、いよいよ
激しさを増し、第11代垂仁天皇の時代、娘の倭姫
命(ヤマトヒメノミコト)は、豊鍬入姫(トヨスキ
イリヒメ)の後を継ぎ斎宮となりました。

おそらく、この頃より、巫女が政治に口出しをしな
いような体制(政治と神道の分離)が作られ始めた
のではないかと思われます。

倭姫命は、天照大神の安住の地を探すべく、諸国を
放浪されます。

三輪山を出発し、近江、美濃、桑名を経て、ついに
安住の地伊勢にたどり着きます。

奈良からは、鈴鹿山脈を越えた裏側の地であり、そ
れほど遠くもなく、近くもなく、遠く富士山も望める
風光明媚な土地であります。

実は、伊勢湾をはさんで対岸の東海地方は饒速日命
(天照大神)の関係の深い場所で、海人(あま)族
(後に出て来ますが、壬申の乱の時の立役者でもあ
ります)の本拠地であり、須佐之男命の総本社「津
島神社」の存在する地でもあります。

話は変わりますが、皆さんは「猿田彦」のことをご
存じですか?

天孫降臨の際に天の八衢(あまのやちまた)でニニ
ギノミコトを出迎え、道案内をした人物です。

この人は、須佐之男命の長男で、出雲の「佐太神社」
(さだじんじゃ)に祀られています。

道案内というのは、大和国と日向・奴国の合併を推
進した立役者であろうと思います。

猿田彦も、「猿田彦神社」で伊勢神宮の近くに祀ら
れています。伊勢神宮の土地を提供したのも、猿田
彦なのでしょう。

猿田彦の最後は、二見ヶ浦でヒラフ貝に挟まれて溺
死してしまうというものですが、これは、対抗勢力
(日向系?)の暗殺なのかもしれませんね。

posted by mydears at 09:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 大和朝廷
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