人を幸せにする人が一番幸せ?「ほめる生き方」
・・・久しぶりに本を読んで何度も泣いてしまいました。
いや、別に、泣けるお話じゃないはずなんですが(−−;
著者の本気のメッセージが伝わってきて
身体が勝手に共感してしまった、という感じ。
普通それを「感動」って言うんでしょうけど
共鳴、という表現が一番近いかも。。。
ほめる達人=「ほめ達」が一人でも増えることで。
周りの人を、自分を、幸せにすることで。
自殺者3万という日本の『心の内戦』を終わらせたい。
「人を幸せにする人がもっとも幸せになる」というのは
著者のブログのタイトル。(ほめ達!西村貴好オフィシャルブログ)
まだ全然消化できてませんが、ご紹介させて下さい。
C’s(シーズ)という覆面調査(ミステリーショッピング)の会社があります。
私も何度か評価仕事をお受けしたことがあるのですが
通常、実際の店舗状況の報告や改善点の提案が一般的なのに
ここはコンセプトが他社と大きく異なりまして。
「ほめるところ探し」がメインなんです。
それで、とっても成果があがるので、テレビや新聞、雑誌で取り上げられ。
(「クローズアップ現代」「エチカの鏡」「深イイ話」など出てらしたそうです)
大阪府の橋下元知事も、ここの調査を2年連続で利用して
行政サービスを改善されたとのこと。
そんな会社の社長さんが書かれた本です。
今回、本を知るきっかけとなったのもC'sの調査で
そのお題は
「近所で一番大きな書店で『ほめる生き方』を買って
陳列状況やスタッフの対応を調べる」 というもの。
調査報酬から本の代金を引いたら、手元に残るのはわずかですが
珍しくて面白そうー♪と思って、調査に参加しました。
ところがところが。
購入した本、良く知ってる話だろうと、期待してなかったんですが
とっても良かったんです。
・・・私、人やモノを褒めたり、褒められたりするのに
かなり苦手意識がありまして。
いえ、子供相手なら話は別なんですよ。
小さい間に十分な承認を他者から貰うことで、自信がつくのは自明なので。
子:「すごいでしょ?!」
私:「すごいね〜!^ ^ えらい!」 みたいな会話は普通。
前に、参観日で「ほめほめ大会」やった時も、子供達嬉しそうでしたもの。
ただ確かに、年齢が大きくなればなるほど、色んなことが「当たり前」になってしまい
褒める回数が減ったような気がしますが。。
でも、大人相手に
営業トークとか社交辞令とか、お世辞言うのも言われるのもホントは苦手。
(天然気味なので、お世辞かそうじゃないかの判断もつきにくい(−−;)
自分が素直に感じたことはなんぼでも言えるけど。
出来たら人にお世辞なんて言いたくない。
なんかね、相手をコントロールしたいみたいで
自分で自分が気持ち悪くって・・・(>_<)
恣意的、作為的な褒め言葉に対する
かなりの拒否反応が自分の中にあって
・・・・なんだろう。なんでこんなに
褒めるの嫌なんだろう???と思ったら
思い出しました。
遠い昔、小学生の頃、
親やクラスメイトに褒められて素直に喜んでたのに
後でそれはウソだった事を知り愕然とする、という経験が幾つか重なって
「褒める人を無闇に信用するな」
「褒める裏には相手を作為的に操ろうという意思がある」
・・・という観念があったみたいです。
今思えば
子供の頃の私がそんな風に傷ついたからといって、
今の周囲の人間も
同じように私を操作しようなんて思ってる訳ないのにね。
そして、目の前にいる人が「褒められたい」と願っていても
それを「私が嫌な人になるから、嫌だ」って思って、結果的に拒否していたんです。
それを覆したのがこの言葉。
この本に出てくるプロのカメラマン曰く
「誰かをほめている人の表情が最高に素敵」なんだそうです。
”常に誰かのことを褒めている人は、最高の表情を回りに見せている人です”
”ほめられたい人の需要が大きいのに対して
供給元であるほめる人がぜんぜん足りない状況”
”人は単にほめられたいわけではなく、自分が周りの人に
いい影響を与えているという実感を得たいもの”
・・・etc.
途中、脳科学の観点からの解説もあって
とても分かりやすかったです。
自己肯定感の低い人間にとって
第三者に認めてもらうという経験は大事だけど
それ以前に、自分を認めるというベースが必須です。
人をほめることを決意したが最後、脳はほめる所を探し始めます。
そして、人称を理解することが出来ない脳は
人をほめたその言葉を、自分にも掛けてしまうんですね。
そうなんですよ。
だから、もし、人の悪口ばっか言ってると
自分の悪口を延々脳が繰り返してくれるから
下手したら人格崩壊するかも笑
というのは余談ですが
要はね。
自分の至らない点はなんぼでも気づけるけど
自分の良いところに気づき、認めるってのは
一般的な日本人には難しいようで。
ここ、私もかなり大きな課題だったんですが
(ブログを書くことでリハビリ中)
「人を褒める」って決意するだけで
本当に、モノの見方が変わるんですよ。
今まで当たり前に思っていた存在の価値。有難さ。
見えているようで見えていなかった部分。
著者はそれを「未視野」と呼びます。
「集団的未視野の解決に
真の豊かな社会の実現のヒントがある」とも。
ある朝、子供を一人一人、とことん褒めてみました。
別に褒めるとこないやん?と思えるような場合でも
一応通る理屈をつけて、ほめてみたんです。
子供たちは、小さいほど、素直に喜びます。
大きくなった小学生の長男も、表情は変えませんが、まんざらでも無い様子。
それまでちょっと不調を訴え気味だった態度が、軟化しました。
そして学校へ送った帰り道。一人でぼーっと運転していると
子供たちの良いところがクローズアップされてきて
「なんていい子供たちなんだろう!!!」と
・・・泣いてしまいまして(T-T)
別に。普段、褒めてない訳じゃないんですよ?^ ^;
逆に、親バカな方でもないと思いますが。
ただ、意識的に動かすことで、脳は
想像以上の働きをするというのを今回とても感じたのです。
脳科学バリバリの自己啓発本でもなく
子育てのお悩みや経営ビジネスの視点でもくくられず
でもゆるーくそれらを繋いでいて
とても具体的でありながら、将来に哲学的展開をも感じられる
久しぶりに個人的にちょっと黎明?を感じた本でした。
さいごに。
「周りの人の可能性を見出していくたびに
その可能性の種は自分の中にも蒔かれていくことになる」(P190)
いや、別に、泣けるお話じゃないはずなんですが(−−;
著者の本気のメッセージが伝わってきて
身体が勝手に共感してしまった、という感じ。
普通それを「感動」って言うんでしょうけど
共鳴、という表現が一番近いかも。。。
ほめる達人=「ほめ達」が一人でも増えることで。
周りの人を、自分を、幸せにすることで。
自殺者3万という日本の『心の内戦』を終わらせたい。
「人を幸せにする人がもっとも幸せになる」というのは
著者のブログのタイトル。(ほめ達!西村貴好オフィシャルブログ)
まだ全然消化できてませんが、ご紹介させて下さい。
一風変わった「ほめる」覆面調査の会社C’s
C’s(シーズ)という覆面調査(ミステリーショッピング)の会社があります。
私も何度か評価仕事をお受けしたことがあるのですが
通常、実際の店舗状況の報告や改善点の提案が一般的なのに
ここはコンセプトが他社と大きく異なりまして。
「ほめるところ探し」がメインなんです。
それで、とっても成果があがるので、テレビや新聞、雑誌で取り上げられ。
(「クローズアップ現代」「エチカの鏡」「深イイ話」など出てらしたそうです)
大阪府の橋下元知事も、ここの調査を2年連続で利用して
行政サービスを改善されたとのこと。
そんな会社の社長さんが書かれた本です。
書店への営業代わり?!書籍購入調査
今回、本を知るきっかけとなったのもC'sの調査で
そのお題は
「近所で一番大きな書店で『ほめる生き方』を買って
陳列状況やスタッフの対応を調べる」 というもの。
調査報酬から本の代金を引いたら、手元に残るのはわずかですが
珍しくて面白そうー♪と思って、調査に参加しました。
ところがところが。
購入した本、良く知ってる話だろうと、期待してなかったんですが
とっても良かったんです。
ほめるのが苦手。褒めを強要されるのが嫌い。
・・・私、人やモノを褒めたり、褒められたりするのに
かなり苦手意識がありまして。
いえ、子供相手なら話は別なんですよ。
小さい間に十分な承認を他者から貰うことで、自信がつくのは自明なので。
子:「すごいでしょ?!」
私:「すごいね〜!^ ^ えらい!」 みたいな会話は普通。
前に、参観日で「ほめほめ大会」やった時も、子供達嬉しそうでしたもの。
ただ確かに、年齢が大きくなればなるほど、色んなことが「当たり前」になってしまい
褒める回数が減ったような気がしますが。。
ほめる人=相手をコントロールしたい人?
でも、大人相手に
営業トークとか社交辞令とか、お世辞言うのも言われるのもホントは苦手。
(天然気味なので、お世辞かそうじゃないかの判断もつきにくい(−−;)
自分が素直に感じたことはなんぼでも言えるけど。
出来たら人にお世辞なんて言いたくない。
なんかね、相手をコントロールしたいみたいで
自分で自分が気持ち悪くって・・・(>_<)
恣意的、作為的な褒め言葉に対する
かなりの拒否反応が自分の中にあって
・・・・なんだろう。なんでこんなに
褒めるの嫌なんだろう???と思ったら
思い出しました。
勝手な思い込み
遠い昔、小学生の頃、
親やクラスメイトに褒められて素直に喜んでたのに
後でそれはウソだった事を知り愕然とする、という経験が幾つか重なって
「褒める人を無闇に信用するな」
「褒める裏には相手を作為的に操ろうという意思がある」
・・・という観念があったみたいです。
今思えば
子供の頃の私がそんな風に傷ついたからといって、
今の周囲の人間も
同じように私を操作しようなんて思ってる訳ないのにね。
そして、目の前にいる人が「褒められたい」と願っていても
それを「私が嫌な人になるから、嫌だ」って思って、結果的に拒否していたんです。
「ほめる人が、一番良い顔をしている」
それを覆したのがこの言葉。
この本に出てくるプロのカメラマン曰く
「誰かをほめている人の表情が最高に素敵」なんだそうです。
”常に誰かのことを褒めている人は、最高の表情を回りに見せている人です”
”ほめられたい人の需要が大きいのに対して
供給元であるほめる人がぜんぜん足りない状況”
”人は単にほめられたいわけではなく、自分が周りの人に
いい影響を与えているという実感を得たいもの”
・・・etc.
途中、脳科学の観点からの解説もあって
とても分かりやすかったです。
脳は自分と他者の区別が付かない
自己肯定感の低い人間にとって
第三者に認めてもらうという経験は大事だけど
それ以前に、自分を認めるというベースが必須です。
人をほめることを決意したが最後、脳はほめる所を探し始めます。
そして、人称を理解することが出来ない脳は
人をほめたその言葉を、自分にも掛けてしまうんですね。
そうなんですよ。
だから、もし、人の悪口ばっか言ってると
自分の悪口を延々脳が繰り返してくれるから
下手したら人格崩壊するかも笑
というのは余談ですが
要はね。
自分の至らない点はなんぼでも気づけるけど
自分の良いところに気づき、認めるってのは
一般的な日本人には難しいようで。
ここ、私もかなり大きな課題だったんですが
(ブログを書くことでリハビリ中)
「人を褒める」って決意するだけで
本当に、モノの見方が変わるんですよ。
今まで当たり前に思っていた存在の価値。有難さ。
見えているようで見えていなかった部分。
著者はそれを「未視野」と呼びます。
「集団的未視野の解決に
真の豊かな社会の実現のヒントがある」とも。
きのみい家の実際
ある朝、子供を一人一人、とことん褒めてみました。
別に褒めるとこないやん?と思えるような場合でも
一応通る理屈をつけて、ほめてみたんです。
子供たちは、小さいほど、素直に喜びます。
大きくなった小学生の長男も、表情は変えませんが、まんざらでも無い様子。
それまでちょっと不調を訴え気味だった態度が、軟化しました。
そして学校へ送った帰り道。一人でぼーっと運転していると
子供たちの良いところがクローズアップされてきて
「なんていい子供たちなんだろう!!!」と
・・・泣いてしまいまして(T-T)
別に。普段、褒めてない訳じゃないんですよ?^ ^;
逆に、親バカな方でもないと思いますが。
ただ、意識的に動かすことで、脳は
想像以上の働きをするというのを今回とても感じたのです。
伝わるかなー??
脳科学バリバリの自己啓発本でもなく
子育てのお悩みや経営ビジネスの視点でもくくられず
でもゆるーくそれらを繋いでいて
とても具体的でありながら、将来に哲学的展開をも感じられる
久しぶりに個人的にちょっと黎明?を感じた本でした。
さいごに。
「周りの人の可能性を見出していくたびに
その可能性の種は自分の中にも蒔かれていくことになる」(P190)
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