2016年04月17日
第94回 筆談
文●ツルシカズヒコ
辻が白紙に鉛筆で細かく書いたものには、こう記してあった。
私は今非常に苦しんでゐる。
もう落ちついて仕事なんぞしてゐられなくなる。
私は実際昨晩位おまへに対して深い憎悪を抱いた事は恐らくあるまい。
私は幾度も自分の心に湧き上つてくるあさましい嫉妬を消さうと試みた。
然しそれは無駄であつた。
私はそれに木村と云ふ人に対する第一印象があまりよくなかつた。
私は成るべく外形に囚はれたくないと思ひ又自分の愛を奪はうとした男だと云ふ様な偏見から脱却して落ちついた公平な心持を抱きたいと努めた。
しかし私にはあの人のなんとなくなまめかしい容子(具体的に云へば金縁の眼鏡をかけたり髪をきれいに別けたりしてゐる様子)に少なからず反感を持つた。
しかし私は木村氏が帰つてからまた手紙を出して読んで見た。
そうして私は務めて氏に対する悪感をのぞき去らうとした。
私は少なくともおまへが夕方(母の処へ行く事になつてゐる。そうして妹はなんべんもそれを云つてゐた。)までには帰るだらうと思つたけれどもとう/\帰つて来ない。
すると私は木村氏の云つた言葉を思ひ出した「野枝さんが是非お目に懸り度いと仰云つたのでーー」と云ふ様な事を聞かされたことを。
私は……おれにだまつて書いてゐる手紙があるのだらうといふ考が起ると私は耐らない憤りを覚えずにはゐられなかつた。
それに電報をかけるといふ程至急におまへに会ひたいと云ふ木村氏の態度にも了解出来ない処がある。
私の頭はメチヤクチヤになつた。
もう公平な判断なぞ出来なくなつてきた。
そのうちに日は全く暮れる。
妹は私に一緒に行つてくれと云う。
一人で行けとどなつた。
しかし妹はしきりに行きたがつてゐる。
それにまた今夜行かなかつたら母はさぞ情なく心細く思ふであらうと考へると俺は傍にピストルでもあれば頭を打貫きたい位に考へた。
私はWの家へ行つて母から色々な泣事をきかされても俺の方はそれよりもつと痛切なことで一杯になつてゐるという腹があるので黙つてきいてゐた。
母がかあいさうだと思ふ他なんの気持ちも起らなかつた。
俺等はかへつて来た。
而してもう多分おまへが帰つてゐるだらうとそればかりを考へてゐた。
そうしておまへは帰つてゐない。
私は絶望のドン底に沈んでしまつた。
おまえが帰つて来たときおまへのあの眼鏡をかけた姿を見た時俺は「女の浅薄」をまざまざと見せつけられた様に感じた。
そうしておまへが見え透いたやうな弁解をした時俺は愈々(いよいよ)腹が立つた。
そうして情なくなつた。
私は今夜のこの心持ちをあいまいに葬り去りたくなかつた。
私はおまへの心が……動揺してゐることを感ぜずにはゐられなかつた。
私はおまへの心がはつきり知り度かつた。
私とおまへの間は絶対でなければならない。
私は正直におまへの心持を知り度いと思つた。
おまへは俺と生活するより以上によい生き方が出来ると信ずる男があれば俺はその時おまへを止める資格はないと思ふ。
私は私自からのために私を愛してくれる女を要求したのである。
そうして今迄は汝が確かに俺を愛し俺と一緒によく苦しんでくれたことは私にはよくわかつてゐる。
僕等の関係は常に進まなければならないと思ふ。
出来得る丈相互に深く触れ合はなければならないと思つてゐる。
出来得る丈け真実の生活を営まなければならないと思つてゐる。
そして私は又考へる。
若し私等三人の理解がたとへ明らかになり得た処で私等は今その様な(即ち友人を新しく作つて往来するといふやうなこと)余裕があるだらうか。
それをよく考へてみたい。
若し私等二人限(き)りの生活とした時に私は果たしておまへを自由に手放して昨夜の様におそく迄おまへの外出をゆるしてすましてゐることが出来るであらうかといふ事をつく/″\考へて見た。
それは今の私には到底出来さうもない。(私がもつと進んだら或は出来るかも知れないないけれど、あるひは又出来ないのがほんとうなのかも知れない。)
で、私はまたおまへの事を考へて見る。
おまへは家事の些細な仕事は到底自分の進んで行く道の大なる邪魔になると思ふなら、而して又子供を養育すると云ふやうな煩雑に耐え得ないと信ずるなら、又そんな事をする為めに自分の欲してゐる生き方をさまたげられるといふ様な念を絶えず頭に持つてゐるなら私はどうしたらよいだらう。
幸ひにして母でも健康である間は家事のことはまかして置かれるけれど一端病気にでもなつた時はおまへはどうしても家事のために自分を犠牲にしなければならない。
そのときおまへは何の苦痛も矛盾もなくそれをやつて行かれるであらうか私はそんな事まで考へ初めたのだ。
(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』p246~250/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p71~73)
読みながら耐らなくなった野枝は、すぐに鉛筆を持って書いた。
……私の最後のーー私が木村さんに書いた手紙ついてはあなたに何にも云ひませんでした。
それがあつたので私は私の明かな返事を木村さんに与へるに就いてもぜひあなたの前でなければならないと思つて何にも云はずにだまつてゐました。
木村さんに私が書いた最後の手紙には私の方からお目に懸り度いと云ふ事も申しました。
そうして私はかなりあの木村さんの心待に動かされたのです。
それは本当です。
木村さんの激した心にそれがどんな心持を与へるかと静かに考へたとき、私は恐ろしくなつたのです。
たゞ頭一ぱいになるのはあなたに対して何と云つていゝかと云ふ事ばかしです。
私はあなたのお留守の間机の前にすはつてその事ばかし毎日泣いてゐました。
その返事が来しだいにあなたにそれを見て頂いて私の書いた手紙の内容もはなしておわびしやうと思つたのです。
とうとう返事が来ないので私は木村さんに別に何の激動も与へずにすんだ事と安神しました。
そのうちに昨日電報が来ましたのでどうしやうかと思ひましたけれどもあなたのおかへりまでに帰つておはなしすればよいと思つて出掛けたのです。
けれども小母さんのうちでねてゐたりしたのでおそくなつてしまつたのです。
七時頃木村さんが帰つて来ました。
そして私ははじめて私の最後の手紙の為めに木村さんに大変感ちがいをされた事を覚りました。
木村さんは私のその手紙を見ると直ぐに返事を出したのださうです。
それに来てくれと書いておいたのに来ないので電報をうつたのだとの事です。
その返事はとう/\私の手にはいらずじまひです。
昨夜はかなりいろ/\な事を云つて迫られました。
けれども私は手紙で稍々(やや)感動したのとはまるで反対に相対してゐましても私の心はさう騒ぎはしませんでした。
たゞ私はそれが何も彼も皆あなたと私との間の固い結合に対する試みじやないかといふやうな気ばかり致しました。
それで木村さんのいふことをだまつて聞いてゐました。
そして何に対しても返事は致しませんでした。
唯あなたと私との愛に就いて聞かれたときそれは真実で深い愛着があるといふ事を明言いたしました。
帰つて来るまで別に大して違つた気持ちは持つてゐませんでしたけれどもたヾあなたが非常に私に憎悪の感を抱いて怒つてらつしやるとわかつたとき私の心は一斉に動き出したのです。
そして何だか自分の気持ちが分らなくなつてしまひました。
私の木村さんに対する苦しい気持ちはまつたく自分でいけないのだから仕方がありません。
たヾ私はあなたにどうしていゝかわかりません本当にどうしていゝか分らないのです。
私はいまあなたからはなれて行く位なら生きてゐない方がましです。
生きられません。
木村さんの処へは今夜行つてもかまひませんけれど私はまだ激してゐますから少ししづかになつて行きませう。
(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_250~254/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p73~75)
さらにふたりは、こんな筆談を続けた。
「おまへの態度はよく分かった。
しかしおまへが俺に対して与えた傷は容易に癒されさうもない。
又私の木村氏に対する感情も余程変つたものになつて来た。
しかし私はなるべく落ち付いて出来る丈理解したいと思ふ。
然し私は若しも木村氏が友人として交際することを許してもらいたいと云ふとき私はそれを拒みたい。
強いて自分をごまかして又後になつてつまらない結果をもたらしたくない。
おまへはそれをハツキリ拒絶する事が出来るか」
「無論そうでなければなりません。」
「それでわかつた。出来れば今夜、しかし留守だといけないから明朝早く行かう。」
「明日午前に来てくれと云つて来ましたからあなたがさしつかえなければ行きます。」
「おまへは会つて木村氏が何と云つてもハツキリ拒絶する勇気があるか」
「きつとあります」
(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』p254~255/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p75)
鉛筆を置いて辻と顔を見合わせた野枝の顔に、思わず軽い微笑が浮かんだ。
筆談中には張り詰めていたふたりの心が、緩みほぐれながら絡み合った。
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
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