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2016年04月21日

第106回 ウォーレン夫人






文●ツルシカズヒコ



『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』によれば、らいてうが実家を出たのは、一九一四(大正三)年一月十三日であった。

 らいてうはこの日、女中に手伝ってもらい、円窓の部屋にあった机、本箱、書棚、書物、衣類や手まわりのものを入れた行李一個、ふとん包みなどを、出入りの俥屋(くるまや)に運ばせた。

 らいてうと奥村の新居は、青鞜社の事務所に近い、北豊島郡巣鴨町一一六三番地、とげぬき地蔵前の裏通り、廃兵院の近くの小さな二階家だった。

 植木屋の広い庭の中にぽつんと建つ離れ家で、ふたりはその閑静さが気に入った。

 一階が八畳、二階が六畳で、一階を奥村のアトリエにして二階をらいてうの仕事部屋にした。

 家賃は六、七円。

 奥村が板に刻んで彩色した表札を出すと、醇風美俗に反する共同生活への嫌がらせのためかすぐに盗まれ、その後も表札の盗難は後を絶たなかった。

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 実家を出るに際し、らいてうはあふれる涙を拭いながら長い長い手紙をしたため、「御両親様」と宛名を記した封筒に入れて母に手渡した。

 
 ……特に御両親に申上げて置かねればならないことがあります。

 ……御両親ももう御承知の昨年初夏から始終私のところへ訪ねて参りました、そして私が若い燕だの、弟だのと呼んで居りましたHといふ私よりは五つも年下のあの若い画をかく男とふたりで、出来る丈自由なそして簡易な共同の生活を始めやうとしてゐることなのでございます。

 一体私は妹や弟を有たないといふやうなことも多少関係してゐるのか自分より年下のものーーそれが男でも女でもーーに対して優しくしてやりたいやうな、可愛がつてやりたいやうな心持を有つて居りましたが……いつも愛の対象として現はれてくるものはずつとの年下の者ばかりでした。

 そして私はそれらの人に対して姉らしい又は母らしい時には恋人らしい接吻を与へて参りました。

 ……その人達の中で……私の心を動かしたのは静かな、内気なHでした。

 私は五分の子供と三分の女と二分の男を有つてゐるHがだん/\たまらなく可愛いゝものになつて参りました。

 そして姉や母の接吻はいつか恋人のそれらしく変つて行きました。

 私によつて始めて恋を知つた彼はほんとうに純な心で私を愛してくれます。

 私はもう何時迄も解決をつけずにずる/\べつたりに二人が不安な状態を継続し、静かな落付いた心から遠ざかり、訪問したり、されたりする為めに多くの時間を奪はれ、自分達が何より尊重してゐる仕事の邪魔になるといふことにこれ以上堪へられなくなつて参りました。

 ……私が現行の結婚制度に不満足な以上、そんな制度に従ひ、そんな法律によつて是認して貰ふやうな結婚はしたくないのです。

 私は夫だの妻だのといふ名だけにでもたまらない程の反感を有つて居ります。

 それに恋愛のない男女が同棲してゐるのならおかしいかも知れませんけれど……恋愛のある男女が一つ家に住むといふことほど当前のことはなく、ふたりの間にさへ極められてあれば形式的な結婚などはどうでもかまふまいと思ひます。

 ましてその結婚が女にとつて極めて不利な権利義務の規定である以上尚更です。

 それのみか今日の社会に行はれる因習道徳は夫の親を自分の親として、不自然な義務や犠牲を当前のことゝして強いるなどいろんな不條理な束縛を加へるやうな不都合なことも沢山あるのですから、私は自から好んでそんな境地に身を置くやうなことはいたしたくありません。

 それから子供のことですが、私共は今の場合(先へ行つてどうなるものかそれは今の私にはまだ分りません)子供を造らうとは思つて居ません。

 実際のところ私には今のところ子供が欲しいとか、母になりたいとかいふやうな欲望は殆どありませんし、Hもまだ独立もしてゐませんから世間一般の考から云つても子供を造る資格がありません。

 どうぞ其辺の御心配も御捨て下さることを御願ひいたします。

 尤もお母さんの仰有るやうな意味で形式的に結婚しない男女の間に子供の出来るといふことは只不都合なことである、恥づべきことであるといふやうな考を有つものでないこと丈は申添へておきます。


 私は決心した以上は出来る丈早く実行いたしたいと思ひますし、もう総の準備も整つて居りますから、この上は御両親の御快諾下さる日を只管に御待ちして居るばかりでございます。

(大正三、一、一〇)


(「独立するに就いて両親に」_p110~116/『青鞜』1914年2月号・第4巻第2号/『現代思想大系17 ヒューマニズム』_p148~152)





『青鞜』一月号の附録は「ウォーレン夫人の職業合評」だった。

 らいてう、西崎花世、KI(岩野清子)、野枝が書いている。

 売春婦を扱ったバーナード・ショウの問題作だったが、坪内逍遥訳の戯曲『ウォーレン夫人とその娘』を四人が読んで書いたようだ。

 しかし、冒頭で野枝はこう書いている。


 脚本を読んで見て私は殆ど手の出しやうのないのに驚いてしまつた。

 とても自分の貧弱な頭ではそれ/″\に立派な解釈をつけて批評して行くことは六ケ(むずか)しい……。


(「ウォーレン夫人とその娘」/『青鞜』1914年1月号・第4巻第1号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p47)

 
 悪戦苦闘したようだ。



★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

★『現代思想大系17 ヒューマニズム』(筑摩書房・1964年3月15日)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 20:58| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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