2015年10月17日
「唐画もん」展 千葉市美術館
千葉市美術館で開催中の開館20周年記念「唐画もん−武禅にろう苑、若冲も」展に行って来ました。
江戸時代、江戸や京都とともに三都といわれた大坂には大坂画壇があり、町人に支えられ、形式にとらわれない自由な発想の作品が誕生しました。今回の「唐画もん展」は、大坂画壇が生んだ2人の知られざる絵師の作品を中心に紹介する展覧会です。
墨江武禅(1734〜1806)は、初期の頃は月岡雪鼎(つきおか・せってい)風の肉筆美人画を得意としますが、山水画を描くようになります。大坂の土佐堀川の近くで暮らし、一説には船頭をしていたともいわれているそうで、中国の港湾都市をモチーフにした「明州図」など、舟が浮かぶ穏やかな海辺を描いた作品があり、水辺の風景が好きだったようです。
当時、人気があったという一種の盆栽、鉢に石や植物を配した占景盤を描いた作品なども目を引きました。
また金工作品も遺しているので器用な人だったのですね。
雪舟風の「水墨山水図」や「蓬莱山図」と続きます。ちなみにこの蓬莱山のモチーフ、いわゆる長寿の吉祥主題だったことから需要が多く、武禅もたくさん作品を残しているそうです。「蓬莱山図」は、山から滝が流れ落ち、蓬莱山を象徴する鶴や亀を配し、いかにも中国風。3幅並んでいました。
武禅は、光の陰影表現にも関心を持っていました。「山水図」の楼閣の中より明かりが滲み出しています。光線画のはしりかも。手前に楼閣、中程に水辺、そして背後に山と構成は厳格、また筆も緻密ではありますが、このぼんやりと灯る明かりは穏やか。心も落ち着きます。武禅の山水画に情緒的な味わいがあるのも、繊細な光の感覚があるからなのかもしれません。
「花鳥図」も興味深い。花鳥とあるだけに鳥が描かれていますが、フラミンゴや七面鳥。日本には生息しません。しかも輪郭線を用いず、色の陰影で動物を描いています。まるで西洋画です。
一方、林閬苑は生没年不詳で1766〜80年頃に活躍していたようで、南画家の福原五岳に就いたといいます。中国の明・清時代の絵画や日本の古画を熱心に研究し、華麗な花鳥図のほか、中国の宮廷世界を主題にした風俗画を数多く残したそうです。
展示の中でとりわけ印象的なのが閬苑の「芭蕉九官鳥図」です。中国原産の芭蕉の大きな緑の葉と岩の上に止まる九官鳥を描写。地面では福寿草が咲き、芭蕉の花の赤が鮮やかで際立つ。大胆な構図とセンスのいい色彩は、モダンで現代絵画のようだ。こんな絵師がまだいたのかと、驚かされました。
鉢植えの蘭を題材にした「寒蘭図」も目を引きます。蘭の白い花としなやかに伸びた葉が繊細なタッチで描出。鉢植えの蘭図は、17世紀の朝鮮絵画に作例があることから、そうした絵を参考に描かれたと推測されているそうです。
2人はほぼ同時代に活動。現地に行ったわけではないでしょうが、中国に由来する画題を好んだことから「唐画師(からえし)」と呼ばれたそうです。
最後に多種多様の動植物を題材にした「動植綵絵」で知られる江戸時代中期の絵師、伊藤若冲(1716〜1800年)。 京都の商家に生まれ、30歳を過ぎてから本格的に絵を学び、狩野派の絵師に師事。しかし、自らの画法を築けなかったことから、画塾を辞め独学で腕を磨き、中国画を所蔵する寺に足しげく通い模写に明け暮れ、その数は1000枚にも及んだといわれているから、かなりの「唐画もん」ですね。
松本奉時と耳鳥斎の作品もあります。奉時は表具師。蛙が好きだったそうです。「蝦蟇図」などの絵を残しています。また「象鯨図」も興味深い。一目見て若冲の「象鯨図屏風」を思い出しました。というのも軸画という形式は異なりますが、モチーフが例の象と鯨に極めて良く似ています。若冲作との関連が指摘されているそうです。
なお本展と同時開催中の「田中一村と東山魁夷」展も見応えがありました。二人は意外にも東京美術学校日本画科の同期生。(ただし一村はすぐに退学してします。)一村は30代から50代にかけ、美術館からもほど近い千葉寺町に20年ほど過ごしました。また言うまでもなく魁夷は戦後、市川に自邸を構えた千葉ゆかりの画家でもあります。
一村24点、魁夷15点ほど。さらに魁夷に関連して、同じく同期生の加藤栄三や橋本明治の作品もあわせて展示しています。 一村ではかつて同館の回顧展でも鮮烈な印象を与えた「アダンの海辺」が素晴らしかった。
見どころの多い展覧会でした。
「唐画もん―武禅に閬苑、若冲も」
会期:2015年10月18日(日)まで
*会期中展示替えあり(前期:〜9月27日、後期:9月29日〜10月18日)
会場:千葉市美術館
ウェブサイト:http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2015/0908/0908.html
墨江武禅(1734〜1806)は、初期の頃は月岡雪鼎(つきおか・せってい)風の肉筆美人画を得意としますが、山水画を描くようになります。大坂の土佐堀川の近くで暮らし、一説には船頭をしていたともいわれているそうで、中国の港湾都市をモチーフにした「明州図」など、舟が浮かぶ穏やかな海辺を描いた作品があり、水辺の風景が好きだったようです。
当時、人気があったという一種の盆栽、鉢に石や植物を配した占景盤を描いた作品なども目を引きました。
また金工作品も遺しているので器用な人だったのですね。
雪舟風の「水墨山水図」や「蓬莱山図」と続きます。ちなみにこの蓬莱山のモチーフ、いわゆる長寿の吉祥主題だったことから需要が多く、武禅もたくさん作品を残しているそうです。「蓬莱山図」は、山から滝が流れ落ち、蓬莱山を象徴する鶴や亀を配し、いかにも中国風。3幅並んでいました。
武禅は、光の陰影表現にも関心を持っていました。「山水図」の楼閣の中より明かりが滲み出しています。光線画のはしりかも。手前に楼閣、中程に水辺、そして背後に山と構成は厳格、また筆も緻密ではありますが、このぼんやりと灯る明かりは穏やか。心も落ち着きます。武禅の山水画に情緒的な味わいがあるのも、繊細な光の感覚があるからなのかもしれません。
「花鳥図」も興味深い。花鳥とあるだけに鳥が描かれていますが、フラミンゴや七面鳥。日本には生息しません。しかも輪郭線を用いず、色の陰影で動物を描いています。まるで西洋画です。
一方、林閬苑は生没年不詳で1766〜80年頃に活躍していたようで、南画家の福原五岳に就いたといいます。中国の明・清時代の絵画や日本の古画を熱心に研究し、華麗な花鳥図のほか、中国の宮廷世界を主題にした風俗画を数多く残したそうです。
展示の中でとりわけ印象的なのが閬苑の「芭蕉九官鳥図」です。中国原産の芭蕉の大きな緑の葉と岩の上に止まる九官鳥を描写。地面では福寿草が咲き、芭蕉の花の赤が鮮やかで際立つ。大胆な構図とセンスのいい色彩は、モダンで現代絵画のようだ。こんな絵師がまだいたのかと、驚かされました。
鉢植えの蘭を題材にした「寒蘭図」も目を引きます。蘭の白い花としなやかに伸びた葉が繊細なタッチで描出。鉢植えの蘭図は、17世紀の朝鮮絵画に作例があることから、そうした絵を参考に描かれたと推測されているそうです。
2人はほぼ同時代に活動。現地に行ったわけではないでしょうが、中国に由来する画題を好んだことから「唐画師(からえし)」と呼ばれたそうです。
最後に多種多様の動植物を題材にした「動植綵絵」で知られる江戸時代中期の絵師、伊藤若冲(1716〜1800年)。 京都の商家に生まれ、30歳を過ぎてから本格的に絵を学び、狩野派の絵師に師事。しかし、自らの画法を築けなかったことから、画塾を辞め独学で腕を磨き、中国画を所蔵する寺に足しげく通い模写に明け暮れ、その数は1000枚にも及んだといわれているから、かなりの「唐画もん」ですね。
松本奉時と耳鳥斎の作品もあります。奉時は表具師。蛙が好きだったそうです。「蝦蟇図」などの絵を残しています。また「象鯨図」も興味深い。一目見て若冲の「象鯨図屏風」を思い出しました。というのも軸画という形式は異なりますが、モチーフが例の象と鯨に極めて良く似ています。若冲作との関連が指摘されているそうです。
なお本展と同時開催中の「田中一村と東山魁夷」展も見応えがありました。二人は意外にも東京美術学校日本画科の同期生。(ただし一村はすぐに退学してします。)一村は30代から50代にかけ、美術館からもほど近い千葉寺町に20年ほど過ごしました。また言うまでもなく魁夷は戦後、市川に自邸を構えた千葉ゆかりの画家でもあります。
一村24点、魁夷15点ほど。さらに魁夷に関連して、同じく同期生の加藤栄三や橋本明治の作品もあわせて展示しています。 一村ではかつて同館の回顧展でも鮮烈な印象を与えた「アダンの海辺」が素晴らしかった。
見どころの多い展覧会でした。
「唐画もん―武禅に閬苑、若冲も」
会期:2015年10月18日(日)まで
*会期中展示替えあり(前期:〜9月27日、後期:9月29日〜10月18日)
会場:千葉市美術館
ウェブサイト:http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2015/0908/0908.html