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2015年06月20日

千葉市美術館「ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画」

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現代経営学、いわゆるマネジメントの泰斗として知られる経営学者、ピーター・ドラッカー(1909〜2005)。日本の古美術品のコレクターでもあったそうです。美術館で飾るような大きなものはなく、小さめの掛け軸が中心で、自ら「山荘コレクション」と名付けた、日本美術のコレクションは約200点。決して多くはないが極めて質が高い作品が揃っています。

そのドラッカーの有する日本美術を紹介する展覧会です。出品は111点。表題にもある室町期の水墨画をはじめ、江戸の花鳥画、さらにはコレクションの3割を占める文人画までを網羅します。ほぼ全てが掛軸です。なお水墨とありますが、彩色の作品もあります。収集品には、極めて作品が少ない室町時代の知有、鑑貞、柴庵(さいあん)、孤月周林らが含まれ、「希有(けう)なコレクション」といわれています。

 水墨山水画といえば、中国に渡って学んだ雪舟が知られているように、中国が本場。ではなぜドラッカーは元祖ではなく、日本の山水画に興味を持ったのか。「中国の山水画は、人が入り込めない大自然ですが、日本のものは人がいる自然が描かれ、見る者を招き入れる。ドラッカー自身、せわしない現実から山水画の静かな世界に入り込んでいた」と、企画担当の松尾知子学芸係長は解説しています。

 ドラッカーと日本美術との最初の出合いは34年、ロンドンの銀行員時代。雨宿りのために偶然入った展覧会場で日本美術を見て、感銘を受けたといいます。後に「展覧会から出てきたとき、太陽は輝き、雲もなく晴れており、そして私は完全に日本美術の“とりこ”になっていた」と述べています。

 「正気を取り戻し、世界への視野を正すために、私は日本画を見る」。そう語っていたドラッカー。

絵はときに心を静め、ときに鼓舞したといいます。
多くの著書の誕生の背景には日本美術が重要な役割を果たしていたのかもしれません。

展覧会はまず、ドラッカーが使用していたタイプライターや帽子などの私物から、日本との関わりを紹介。
 
 そして序章を「日本美術との出会い」、第1章を「1960年代、初期の収集」と題し、ドラッカーの初期のコレクターとしての“眼”と作品を紹介します。
初めのテーマは「日本美術の出会い」です。つまりドラッカーがいかに日本美術に出会い、魅せられたのかということについて触れています。 そこで並んでいたのが2点の小品、式部輝忠の「渓流飛鴨図」と清原雪信の「芙蓉図」でした。1909年にウィーンで生まれたドラッカー、24歳の時にロンドンで偶然見た展覧会で日本美術に触れます。1939年にアメリカへ移住。フリア美術館へ通って日本美術に関心を抱きました。初来日は1959年のことです。そしてその時、初めて京都で購入したのが、この2点の作品というわけなのです。花鳥画にも優品がありました。精庵の「雪中雀図」です。文字通り岩場の枝葉の雀たちが遊ぶ様子を描いた一枚。どこか楽し気です。ちなみに精庵も伝記の不明な画家の一人でもあります。

再び来日した1962年には東京で如水宗淵の「柳堤山水図」を購入。室町水墨画です。如水宗淵は雪舟の弟子の一人。師の元を離れる際、雪舟がかの名作「破墨山水図」(東京国立博物館蔵)を与えたとされる人物でもあります。

ゆきのぶどら5yjimage.jpg前嶋宗祐「山水図」 室町時代

 第2章では、ドラッカー珠玉の「室町水墨画」コレクションを展示。
 日本国内でも遺品の極めて少ない室町水墨画家や、式部輝忠のように伝記が詳らかでない逸伝の画家たちの作品がドラッカー・コレクションの中には数多く存在していますが、その中から選りすぐりの作品がここでは並びます。
 それらを見ることができるのはこれからもそうあることではありません。
 コレクションのどれもが、作品としても質の高く、希少価値の高い優れた作品ばかり。
 コレクション自体が希有な存在であることを示します。

8どら0519_04.jpg柴庵 《柳燕・鶺鴒図》 双幅 

第3章は「水墨と花と鳥 動物画の魅力」。
 「日本人は動物画にかけて、おそらく世界一ではないかという気がする。鳥獣画には日本人的特色の一端がもっともはっきりと表れているように思う。それは純粋に喜ぶ能力である」。評論『日本画の中の日本人』で、ドラッカーはこう書いていますが、山水画のほかに花鳥画や動物画も好んで集めていました。精庵(せいあん)の「雪中雀図」もその一つ。雀がめまぐるしく動き戯れ、楽しそうだ。現代の雀とは違い、たくましく野性的で生命力がある。木の枝の直線的な線に対し、鳥の曲線が柔らかい。淡いピンクのバラの花がアクセントを添えています。

 ほかにも松の枝にとまった目が鋭い鷹を横から描いた芸愛(げいあい)の「松鷹図」といった作品も所蔵。16世紀に描かれた鷹図の中で特に優れているといわれています。

 日本のほとんどすべての画家が動植物を描いていることに驚嘆していたドラッカーは、動植物画も数多くコレクションに入れました。
 上記の柴庵の作品や、雪村などの鳥の作品を見たドラッカーは、これ以上に“鳥らしい鳥”を知らないと言うほどです。
 
 第4章は「聖なる者のイメージ」と題され、1970年代後半から1980年代という比較的後期に収集された宗教画や人物画作品が並びます。
 
 第5章は「禅画 江戸のカウンターカルチャー」。
 3度目の来日の際に、強烈な衝撃を受けたという“禅画”。
第6章では、コレクションの三分の一を占める文人画を特集した「文人画の威力」を。

 精庵や芸愛の作品は少なく、その生涯や画歴はほとんどわかっていません。
ドラッカーは「家の中で共に暮らしたいと感じたものを基本」に選んでいたそうで、有名、無名に関係なく好きなものを集めた結果として優れた作品が手元に残ったのですね。

どら5かのうひで20150525234106.jpg
狩野秀頼 「山水図」(団扇形)室町時代

武士が力をつけた鎌倉時代、入宋僧によってもたらされた禅宗とあいまって、武家文化が形成されていきます。足利義満が洛中に花の御所をつくると、文化はふたたび京都にもどりました。中国を手本にした文化から、この頃に、日本独自の精神性が芽生えはじめたのだとドラッカーは言います。

米国在住時代にフリーア美術館へ通う日々で、日本美術への思いにじっくり向き合った結果、とくに心ひかれるのが室町時代の水墨だと気付いたのだそう。来日の際には初めての古美術店で、室町水墨の山水画を見たいと、的確な好みを告げることができたのでした。

初めて名前を聞く画家も多かったのですが、水墨画、文人画とも質の高さに驚きました。またドラッカーは久隅守景の作品が好きで、今回も複数展示されていましたが、どれも優品でした。

★特にお気に入りの作品として
秋月等観 育王山図
雲渓永怡 平沙落雁図
4どらyjimage.jpg狩野之信 秋冬山水図
どら6yjimage8G2QBWOT.jpg海北友松 翎毛禽獣図
久隅守景 山水図
鶴亭/佚山賛 富士山図
貫名海屋 山水図
日根対山 山水図
菅井梅関 廬山観瀑図
「ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画 『マネジメントの父』が愛した日本の美」 千葉市美術館
会期:5月19日(火)〜 6月28日(日)


posted by はまやん at 08:56| アート
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