2015年06月28日
速水御舟とその周辺 @世田谷美術館
世田谷美術館で開催中の「速水御舟とその周辺ー大正期日本画の俊英たち」を見てきました。
今年没後80年を迎えた日本画家、速水御舟(1894〜1935)。キーワードはタイトルにもあるように「その周辺」です。つまり御舟と関わりのあった作家もあわせて紹介しています。御舟単独の回顧展ではありません。
御舟作は全体の4割強ほど。ほかは師の松本楓湖、兄弟子の今村紫紅、同輩の小茂田青樹、さらには仲間の牛田けい村や黒田古郷に、御舟一門の高橋周桑と吉田善彦らといった作家の作品が加わります。御舟の画業を師弟や門人との関わりから追っていました。
第1章安雅堂画塾−師・松本楓湖と兄弟子・今村紫紅との出会い:御舟は14歳で、歴史画の大家だった松本楓湖(ふうこ)(1840〜1923年)の安雅堂画塾に入門した。くしくも同日に入門したのが、終生のライバルといわれた小茂田(おもだ)青樹(せいじゅ)(1891〜1933年)でした。
第2章赤曜会−今村紫紅と院展目黒派: 印象派の点描に似た表現を用いた「新南画」と呼ばれる画風に取り組み、日本画の革新をめざした今村紫紅は、安雅堂画塾の若手メンバーを集め、1914年に「赤曜会」を立ち上げます。
南画を研究した自在な筆致で独自の様式を確立する一方、インド旅行を契機に明るい色彩の洋画のような作品を手がけ、従来の枠にとらわれない自由な表現で日本画の革新を目指し、安雅堂画塾の御舟ら若手画家を率いて研究・発表の会である「赤曜会」を結成。東京・目黒の大地主の邸内にテントを張った会場で展覧会を開き、「目黒派」と呼ばれ注目されました。 しかし紫紅が35歳で突然亡くなったため、赤曜会はわずか1年で解散となります。
会は惜しくも途絶えたますが、死後、御舟らとともに参加した牛田雞村(けいそん)(1890〜1976年)や小山大月(たいげつ)(1891〜1946年)らが頭角を現しました。
雞村の農家を描いた「滋賀の里」や「富士」は、静謐(せいひつ)な雰囲気を持った秀作。
また大月の風景画や静物画も素晴らしい。初めて知りましたが、なかなかの実力者ですね。
第3章良きライバル−
安雅堂画塾に御舟と同日に入門した小茂田青樹は、御舟より3歳年上で、御舟も一目置く存在でした。会場には、互いに切磋琢磨し合った二人の作品がいくつも出ていました。
御舟が「炎舞」を描けば、青樹も灯に集まる昆虫などを細密描写した代表作「虫魚画巻」を世に出した。御舟が猫を描けば青樹も描いたように、同じ題材をしばしば制作。昭和8年、青樹が41歳で世を去ると、御舟は青樹の絵画研究会を引き継ぎ指導に当たりますが、青樹の後を追うように2年後に御舟も40歳で死去。
展示では2人の同じ題材の作品を並置して影響関係を探っています。御舟の「山茶花に猫」と青樹の「猫にオシロイ花」は猫のモチーフです。御舟の猫が鋭い眼差しで山茶花を見上げているのに対し、青樹は中国風。
同様に似た雰囲気の御舟「仲秋名月」西丸山和楽庵と青樹の月も並んで展示されていました。青樹の作品の方が中国絵画の影響を受けているように見えました。
確かな描写力を持ち豊かな表現力を発揮した青樹は、御舟のように有名ではないが、もっと高く評価されていいと思います。
お気に入りの作品は、
小茂田青樹《秋意》は月の明るさとぶどうの立体感が見事。
小茂田青樹《双鳩図》は羽や足の表現がとてもリアルな作品。
第4章御舟一門−速水御舟はほとんど弟子をとらなかったのですが、吉田善彦(1912〜2001年)は高橋周桑(しゅうそう)(1900〜64年)とともに、数少ないまな弟子でした。
「洛北修学院村」の評に感激して、愛媛から上京し最初の弟子となった高橋周桑。
御舟と姻戚関係にあり、御舟の教えや作画方法について多数の記述を残し、世田谷美術館とも因縁のあった吉田善彦。
善彦は姻戚関係にあった御舟に17歳で師事。昭和12年の院展に初入選して以来、院展を中心に発表を続け、東京芸術大学教授として後進を育てました。穏やかな性格を反映するようにやさしく品格があり、幻想的でもあります。四季折々の日本の風景を描き続け、一度彩色した上に金箔(きんぱく)をかぶせ、その上にもう一度色を置いた淡い色調の独自の作品は「吉田様式」と呼ばれたそうです。
吉田善彦《伊吹浅春》
御舟を中心とした主に大正から昭和初期の日本画家の表現。単に画業を時系列に縦の軸で追うだけではなく、周辺の画家を参照するといった横軸を組み合せています。そうすることで御舟の個性が改めて浮き上がってくる構成でした。
7月5日まで開催されています。
「速水御舟とその周辺ー大正期日本画の俊英たち」 世田谷美術館
会期:5月2日(土)〜7月5日(日)
休館:毎週月曜日。但し祝休日の場合は開館し、翌日休館。5/4(月)〜6(水)は開館、5/7(木)は休館。
時間:10:00〜18:00 *最終入場は17:30
今年没後80年を迎えた日本画家、速水御舟(1894〜1935)。キーワードはタイトルにもあるように「その周辺」です。つまり御舟と関わりのあった作家もあわせて紹介しています。御舟単独の回顧展ではありません。
御舟作は全体の4割強ほど。ほかは師の松本楓湖、兄弟子の今村紫紅、同輩の小茂田青樹、さらには仲間の牛田けい村や黒田古郷に、御舟一門の高橋周桑と吉田善彦らといった作家の作品が加わります。御舟の画業を師弟や門人との関わりから追っていました。
第1章安雅堂画塾−師・松本楓湖と兄弟子・今村紫紅との出会い:御舟は14歳で、歴史画の大家だった松本楓湖(ふうこ)(1840〜1923年)の安雅堂画塾に入門した。くしくも同日に入門したのが、終生のライバルといわれた小茂田(おもだ)青樹(せいじゅ)(1891〜1933年)でした。
第2章赤曜会−今村紫紅と院展目黒派: 印象派の点描に似た表現を用いた「新南画」と呼ばれる画風に取り組み、日本画の革新をめざした今村紫紅は、安雅堂画塾の若手メンバーを集め、1914年に「赤曜会」を立ち上げます。
南画を研究した自在な筆致で独自の様式を確立する一方、インド旅行を契機に明るい色彩の洋画のような作品を手がけ、従来の枠にとらわれない自由な表現で日本画の革新を目指し、安雅堂画塾の御舟ら若手画家を率いて研究・発表の会である「赤曜会」を結成。東京・目黒の大地主の邸内にテントを張った会場で展覧会を開き、「目黒派」と呼ばれ注目されました。 しかし紫紅が35歳で突然亡くなったため、赤曜会はわずか1年で解散となります。
会は惜しくも途絶えたますが、死後、御舟らとともに参加した牛田雞村(けいそん)(1890〜1976年)や小山大月(たいげつ)(1891〜1946年)らが頭角を現しました。
雞村の農家を描いた「滋賀の里」や「富士」は、静謐(せいひつ)な雰囲気を持った秀作。
また大月の風景画や静物画も素晴らしい。初めて知りましたが、なかなかの実力者ですね。
第3章良きライバル−
安雅堂画塾に御舟と同日に入門した小茂田青樹は、御舟より3歳年上で、御舟も一目置く存在でした。会場には、互いに切磋琢磨し合った二人の作品がいくつも出ていました。
御舟が「炎舞」を描けば、青樹も灯に集まる昆虫などを細密描写した代表作「虫魚画巻」を世に出した。御舟が猫を描けば青樹も描いたように、同じ題材をしばしば制作。昭和8年、青樹が41歳で世を去ると、御舟は青樹の絵画研究会を引き継ぎ指導に当たりますが、青樹の後を追うように2年後に御舟も40歳で死去。
展示では2人の同じ題材の作品を並置して影響関係を探っています。御舟の「山茶花に猫」と青樹の「猫にオシロイ花」は猫のモチーフです。御舟の猫が鋭い眼差しで山茶花を見上げているのに対し、青樹は中国風。
同様に似た雰囲気の御舟「仲秋名月」西丸山和楽庵と青樹の月も並んで展示されていました。青樹の作品の方が中国絵画の影響を受けているように見えました。
確かな描写力を持ち豊かな表現力を発揮した青樹は、御舟のように有名ではないが、もっと高く評価されていいと思います。
お気に入りの作品は、
小茂田青樹《秋意》は月の明るさとぶどうの立体感が見事。
小茂田青樹《双鳩図》は羽や足の表現がとてもリアルな作品。
第4章御舟一門−速水御舟はほとんど弟子をとらなかったのですが、吉田善彦(1912〜2001年)は高橋周桑(しゅうそう)(1900〜64年)とともに、数少ないまな弟子でした。
「洛北修学院村」の評に感激して、愛媛から上京し最初の弟子となった高橋周桑。
御舟と姻戚関係にあり、御舟の教えや作画方法について多数の記述を残し、世田谷美術館とも因縁のあった吉田善彦。
善彦は姻戚関係にあった御舟に17歳で師事。昭和12年の院展に初入選して以来、院展を中心に発表を続け、東京芸術大学教授として後進を育てました。穏やかな性格を反映するようにやさしく品格があり、幻想的でもあります。四季折々の日本の風景を描き続け、一度彩色した上に金箔(きんぱく)をかぶせ、その上にもう一度色を置いた淡い色調の独自の作品は「吉田様式」と呼ばれたそうです。
吉田善彦《伊吹浅春》
御舟を中心とした主に大正から昭和初期の日本画家の表現。単に画業を時系列に縦の軸で追うだけではなく、周辺の画家を参照するといった横軸を組み合せています。そうすることで御舟の個性が改めて浮き上がってくる構成でした。
7月5日まで開催されています。
「速水御舟とその周辺ー大正期日本画の俊英たち」 世田谷美術館
会期:5月2日(土)〜7月5日(日)
休館:毎週月曜日。但し祝休日の場合は開館し、翌日休館。5/4(月)〜6(水)は開館、5/7(木)は休館。
時間:10:00〜18:00 *最終入場は17:30