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2015年04月12日

特別展覧会「桃山時代の狩野派-永徳の後継者たち」


桃山時代の天才絵師、狩野永徳亡き後も続く狩野派の活躍ぶりに焦点を当てた、特別展「桃山時代の狩野派−永徳の後継者たち」が京都国立博物館(京都市東山区)で開催中です。 
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2015年は、天下の情勢が豊臣から徳川へと移ることを決定付けた「大阪の陣」から400年目にあたります。
この出来事の前後、武士だけではなく絵師も、生き残りを掛けた熾烈な戦いを繰り広げていました。
天下の趨勢が豊臣から徳川に移らんとする激動の桃山後期、御用絵師として権力者と密接に関わってきた狩野派は、いかにして生き残りを図ったか。狩野永徳亡き後、流派の命運をかけて活躍した後継者たちの作品69件で、その経緯をたどります。2007年に開催された特別展「狩野永徳」の続編となる今回の展覧会では、そんな狩野派の一大転機となった慶長年間前後、桃山後期の時代に着目。永徳の没後、それまでの「豪壮」から「華麗」へ、そして新時代の為政者となった徳川家に対応すべく「瀟洒端麗」へと、画風を変化させていくその過程を、永徳の後継を担った絵師たちの作品を一堂にしてたどります。

さらには今回初出展の作品が3点も! 特に狩野山楽の「槇に白鷺図屏風」は展覧会に出展されたことがないばかりか、写真が世に出たこともないというお宝作品。また、狩野孝信の「北野社頭遊楽図屏風」も、弊社の『日本美術全集 第12巻 狩野派と遊楽図』に掲載された以外、一切世に出ていない作品。
ともに個人蔵の作品ということで、この機会を逃すと、二度と見られない可能性も。
新発見された「北野社頭遊楽図」(狩野孝信筆)と「槇に白鷺図屏風」(狩野山楽筆)、および全面修復が行われた「源氏物語図屏風」は、今回展覧会初公開。
また、これまで文書でしか存在が知られていなかった幻の作品「八尾狐図」(狩野探幽筆)も特別出品・初公開されています。
国宝1件、重要文化財23件、重要美術品1件、初公開作品3点を含む見応えのある展覧会です。

主な登場人物は以下のとおり。
・永徳の長男の「光信」
・永徳より8歳年下の弟で、永徳が信長の安土城障壁画制作の命の時には、家屋敷と一時的ながら
 宗家の地位を譲られたが「宗秀(そうしゅう)」
・永徳の高弟で京狩野の祖の「山楽」
・豊臣家の御用絵師で、岩佐又兵衛の師とも伝えられる「内膳」
・永徳の次男で宮廷絵所預で光信急死の後の大黒柱の「孝信」
・永徳より34歳も年下の弟で早、江戸の先兵として早くから徳川幕府の御用絵師となった「長信」
・光信の長男。父の急逝、27歳の若さで急逝してしまう悲運の宗家「貞信」
・永徳の弟・宗秀の息子で狩野派ナンバー2の位置を占めたが、若き探幽の後塵を拝することになった
 影の実力者「甚之丞」
・「永徳の再来」と評され江戸幕府御用絵師となった「探幽」
孝信、光信の作品をこれだけまとまって見たのは初めて。こんなに作品が残されていたんだ、というのは新たな発見でした。

第一章 永徳の残映 金碧大画 では、会場へ入ると狩野山楽の進出作品momo5yjimage.jpg『槇に白鷺図屏風』がまず目に飛び込んできます。金碧大画の永徳の豪放な画風の中にも山楽は装飾性を加えたりと、それぞれの画家たちの画風の個性も見比べられるのが、この展覧会の面白さでもあります。

「牡丹図襖」狩野孝信京都・仁和寺。大覚寺の山楽の牡丹図に良く似ています。
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第二章 華麗美の極致 後継者・光信 では、光信の代表作のひとつ園城寺の『四季花木図襖』と『四季花鳥図屏風』がいかにも光信らしい六曲一双です。画面全体が穏やかで細やか。園城寺の襖絵には画面の奥へと視線を誘う木立もまた繊細。下手右京と評された光信の再評価の結果がここで発揮されていますし、光信という画家を認識できる場となっています。
「四季花鳥図屏風」州信印 白鷺、孔雀などさまざまな鳥と牡丹ばどの花が美しく配置され、保存状態もとても良好です。金雲のすきまの遠景の山々の表現も見事。光信の若書きともいわれいるとか。
「四季花木図襖」狩野光信筆滋賀・三井寺 以前に予約して勧学院客殿で真近で拝見しました。雨の日、私たち二人だけでお寺の方にご案内いただき拝見できたのは至福の時間でした。お寺の方が説明してくださるのですが、正直いって絵を見たいので視線は襖の方に・・・。今は宝物館に保管されたようですが、もう一度勧学院で拝見したかったという思いがあります。
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本当に名作です!
「源氏物語図屏風」京都・檀王法林寺光信様の作品。源氏物語の桐壺〜澪標、蓬生〜野分までのさまざまな場面がやまと絵風に描かれています。中にちょんまげ風の男もいたりしてちゃめっけもあり。
第四章 にぎわいを描く 百花繚乱の風俗画 では、『吉野花見図屏風』『洛中洛外図』『調馬・厩馬図屏風』『犬追物図屏風』など、画題も面白く、どれも優品をそろえているので興味がつきません。
特に内膳の『南蛮屏風』は面白いです。秀吉の大陸制覇の夢を描いたとも。
新出の孝信の『北野社頭遊楽図屏風』は の高さの小さな屏風のなかに緻密で華麗な北野社や経堂の前で繰り広げられる遊楽の景色が3つ描かれています。作品の状態の良好。
第五章 狩野派の底力 影武者たちの活躍 では、絵師の名前がわかならい作品が揃っていますが、作品自体が良く、目を引く作品が並びます。「唐美人製茶・唐子図屏風』左右で作者が異なり絵師が特定できないそうですが、光信の四季花木図襖のような作品。『文王霊台・鞨鼓催花図屏風』の光信風。右が周の文王、左が玄宗皇帝。
第六章 光信没後の大黒柱 宮廷絵所預・孝信 では、光信が江戸の帰りに客死してしまいます。永徳に続き光信も急死とは、狩野派は大いに動揺したでしょう。光信の子の長信を狩野派宗家の惣領にし、後見に孝信が付きます。宮廷絵所預でもあり、探幽三兄弟の父でもある孝信の作品が後半のメインとなっています。
孝信の『芒燕図屏風』に武蔵野図屏風のよう。繊細優美、ほのかな季節の移ろいを前面にあしらったすすきで表現しています。題名にあるように燕の組み合わせが一層魅力的な作品にさせています。
『賢聖障子絵』中央に魔よけの獅子、32名の賢君名臣。
「羅漢図」後洋成天皇の命により東福寺の明兆の失われた作品の補作として孝信の描いたもの。
七章 女御御所に描く 狩野派新世代、貞信が妥当ではないかとしています。大画面のなかに繊細優美な表現が父・光信の影響がみてとれます。何分、若くして亡くなっているので残存作品数が少なく基準作という決めてもなく判断が難しい絵師となっています。「楼閣山水図戸襖」も貞信作。瀟洒で華やか。
第八章 江戸絵画の扉を開く 早熟の天才・探幽 では、新出の『尾狐図』が特別出品されています。尻尾が1本多いか少ないかで妖狐になるか、神狐になるかなどと思いながら見ました。制作経緯が明らかな点、歴史的意義もある資料としても大切な作品です。また江戸城内紅葉山東照宮に収められていた神宝だったので目に触れる機会も少なかったでしょう。momo3yjimage.jpg

探幽25歳の作『松に孔雀図壁貼付・襖』、名古屋城御殿の『柳鷺図戸襖』など代表作となる作品がまとめて見られます。
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永徳没の1590年から家光上洛の1634年の約80年の狩野派の生き残りと盤石な体制を敷いた、7人の絵師の物語を作品を通して見るのは初めてで、とても見応えがありました。

特別展とあわせ、平成知新館・名品ギャラリーでも関連展示として「狩野永徳と長谷川等伯」(4月14日〜5月10日/近世絵画展示室)が開催されています。
重文, 瀟湘八景図 相阿弥筆, 4幅も展示されていました。
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また、5月3日放送の日曜美術館は「狩野派 400年に及ぶ美の系譜」です。こちらも参考にいかがでしょうか?


posted by はまやん at 15:05| アート
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