2016年02月05日
刑法 平成15年度第1問
1 甲の罪責
(1)殺意をもってAを殴打した行為(第1行為)は殺人未遂罪(203条、199条)の構成要件に該当し、Aを山中に埋めて殺した行為(第2行為)には過失致死罪(210条)の構成要件に該当する。しかし、甲は第1行為の時点で乙が死亡したと認識しているため、殺人罪(199条)に問えないか検討する。
(2)第1行為の実行行為(殴打行為)と死亡結果との間に因果関係があるか。
因果関係は法的評価だから、自然的な条件関係のみを判断する条件説は妥当でない。相当因果関係説のうち、折衷説は行為者の認識を相当性の判断基底に取り込む点で妥当でない。客観説は因果関係に主観的契機を持ち込まない点では妥当であるが、客観的に判断して因果経過の通常性が否定される事例は想定できない。そこで、因果関係は客観的に行為の危険が結果に現実化したかを基準に判断すべきと解する。そして介在事情が結果の主因である場合には行為後に介在事情が生じる蓋然性が要件に加わると解する。
本件では殺意を持った殴打行為の後、倒れた被害者を死んだものと認識して死体を処理するという介在行為が加わる蓋然性はあると言え、したがって、第2行為による死亡結果は第1行為の危険が現実化したものと評価できる。
したがって因果関係はある。
(3)もっとも、行為者は第1行為で結果が発生したとして死体遺棄(190条)の故意で第2行為を行っている。このような因果関係の錯誤が故意(38条、犯罪事実の認識・予見)を阻却するかが問題となる。
ア 因果関係は故意の対象か否か
故意責任の本質は犯罪事実を認識し反対動機を形成せずにあえて実行行為に及んだことに対する非難であり、犯罪事実は構成要件として示されている。そうすると認識・予見の対象は構成要件該当事実のすべてであるから、因果関係も故意の対象と解する。
イ 因果関係の錯誤が故意を阻却するか
ある説(修正具体的付合説)によると、行為者の認識を前提に、現実に生じた因果経過と行為者の認識した因果経過が結果発生態様のバリエーションの問題に過ぎないのであれば、発生した因果関係についての故意を認めてよいという。この説を前提とすると、本件のような場合に因果経過が結果発生態様のバリエーションの問題に過ぎないと言えるのは、甲が当初からAを埋める行為を予定していた場合に限られる。本件では第1行為の時点で第2行為は予定されていなかったから、因果関係の錯誤が故意を阻却する。
また、通説的なのは行為者の認識した因果経過と実際の因果経過が相当因果関係の範囲内にあれば故意を阻却しないという見解である。
しかし、そもそも構成要件的に重要なのは因果関係はあるかないかであるから、具体的因果経過の誤りが故意を阻却することはないと解すべきである。
本件でも、甲は第1行為によってAが死亡するという因果関係の認識がある以上、故意が阻却されることはない。
(4)以上より、甲に殺人罪が成立する。
2 乙の罪責
殺意をもってAを埋めた行為に殺人罪(199条)が成立する。
3 共犯関係
(1)共同正犯の意義
60条以下の規定は、複数の行為者が犯罪に関与する場合に一部の者にしか構成要件該当性が認められないことの不都合を解消するための処罰拡張事由である。60条の共同正犯も、「共同して」犯罪を実行した者に処罰を拡張するものである。
(2)「共同して」の意義
行為共同説は、各人が行為を共同することによって各人の犯罪を実現することと解する。しかし、構成要件を離れて行為を考察するのは妥当でない。特定の犯罪を共同すると解する犯罪共同説が妥当である。もっとも、行為者相互が異なる犯罪を実現したとしても構成要件が重なり合う範囲では共同正犯の成立を肯定する部分的共同正犯説が妥当である。
したがって、共同正犯の要件である「共同して」とは、各自の犯罪について@共同する意思とA共同した事実と考える。
本件では、甲も乙も客観的には殺人罪という同じ犯罪を共同しているから、Aを満たす。
(3)本件の特殊性
しかし、本件は甲と乙は死体遺棄の謀議をしているのみである。そして、甲は前述のように殺人罪が成立するものの、乙との謀議以降は死体遺棄の認識しかない。殺人罪と死体遺棄罪では保護法益が異なるので構成要件的な重なり合いがない。
したがって、本件では客観的には殺人罪を共同しているにもかかわらず同罪を@共同する意思が認められず、共犯関係はないというべきである。
(4)したがって、甲と乙はそれぞれ殺人罪の単独犯となる。 以上
(1)殺意をもってAを殴打した行為(第1行為)は殺人未遂罪(203条、199条)の構成要件に該当し、Aを山中に埋めて殺した行為(第2行為)には過失致死罪(210条)の構成要件に該当する。しかし、甲は第1行為の時点で乙が死亡したと認識しているため、殺人罪(199条)に問えないか検討する。
(2)第1行為の実行行為(殴打行為)と死亡結果との間に因果関係があるか。
因果関係は法的評価だから、自然的な条件関係のみを判断する条件説は妥当でない。相当因果関係説のうち、折衷説は行為者の認識を相当性の判断基底に取り込む点で妥当でない。客観説は因果関係に主観的契機を持ち込まない点では妥当であるが、客観的に判断して因果経過の通常性が否定される事例は想定できない。そこで、因果関係は客観的に行為の危険が結果に現実化したかを基準に判断すべきと解する。そして介在事情が結果の主因である場合には行為後に介在事情が生じる蓋然性が要件に加わると解する。
本件では殺意を持った殴打行為の後、倒れた被害者を死んだものと認識して死体を処理するという介在行為が加わる蓋然性はあると言え、したがって、第2行為による死亡結果は第1行為の危険が現実化したものと評価できる。
したがって因果関係はある。
(3)もっとも、行為者は第1行為で結果が発生したとして死体遺棄(190条)の故意で第2行為を行っている。このような因果関係の錯誤が故意(38条、犯罪事実の認識・予見)を阻却するかが問題となる。
ア 因果関係は故意の対象か否か
故意責任の本質は犯罪事実を認識し反対動機を形成せずにあえて実行行為に及んだことに対する非難であり、犯罪事実は構成要件として示されている。そうすると認識・予見の対象は構成要件該当事実のすべてであるから、因果関係も故意の対象と解する。
イ 因果関係の錯誤が故意を阻却するか
ある説(修正具体的付合説)によると、行為者の認識を前提に、現実に生じた因果経過と行為者の認識した因果経過が結果発生態様のバリエーションの問題に過ぎないのであれば、発生した因果関係についての故意を認めてよいという。この説を前提とすると、本件のような場合に因果経過が結果発生態様のバリエーションの問題に過ぎないと言えるのは、甲が当初からAを埋める行為を予定していた場合に限られる。本件では第1行為の時点で第2行為は予定されていなかったから、因果関係の錯誤が故意を阻却する。
また、通説的なのは行為者の認識した因果経過と実際の因果経過が相当因果関係の範囲内にあれば故意を阻却しないという見解である。
しかし、そもそも構成要件的に重要なのは因果関係はあるかないかであるから、具体的因果経過の誤りが故意を阻却することはないと解すべきである。
本件でも、甲は第1行為によってAが死亡するという因果関係の認識がある以上、故意が阻却されることはない。
(4)以上より、甲に殺人罪が成立する。
2 乙の罪責
殺意をもってAを埋めた行為に殺人罪(199条)が成立する。
3 共犯関係
(1)共同正犯の意義
60条以下の規定は、複数の行為者が犯罪に関与する場合に一部の者にしか構成要件該当性が認められないことの不都合を解消するための処罰拡張事由である。60条の共同正犯も、「共同して」犯罪を実行した者に処罰を拡張するものである。
(2)「共同して」の意義
行為共同説は、各人が行為を共同することによって各人の犯罪を実現することと解する。しかし、構成要件を離れて行為を考察するのは妥当でない。特定の犯罪を共同すると解する犯罪共同説が妥当である。もっとも、行為者相互が異なる犯罪を実現したとしても構成要件が重なり合う範囲では共同正犯の成立を肯定する部分的共同正犯説が妥当である。
したがって、共同正犯の要件である「共同して」とは、各自の犯罪について@共同する意思とA共同した事実と考える。
本件では、甲も乙も客観的には殺人罪という同じ犯罪を共同しているから、Aを満たす。
(3)本件の特殊性
しかし、本件は甲と乙は死体遺棄の謀議をしているのみである。そして、甲は前述のように殺人罪が成立するものの、乙との謀議以降は死体遺棄の認識しかない。殺人罪と死体遺棄罪では保護法益が異なるので構成要件的な重なり合いがない。
したがって、本件では客観的には殺人罪を共同しているにもかかわらず同罪を@共同する意思が認められず、共犯関係はないというべきである。
(4)したがって、甲と乙はそれぞれ殺人罪の単独犯となる。 以上
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