"人間が丸くなる"ということを、そう分析する方は多いが、DABOを見ているとそんな言葉がぴったりに思える。MICROPHONE PAGER、特にTWIGYに憧れて17歳でラップをはじめたDABOは、20台半ばでSHAKKAZOMBIE【共に行こう -version pure-】にfeatringで参加を果たし、シーンの注目を受ける。そして、主にSUIKENと共にクラブ営業の日々を過ごし、スキルを重ね、99年には【Mr.Fudatzkee】でソロデビュー。その後、一躍脚光を浴びることになったのが、2000年にクルーでドロップした【NITRO MICROPHONE UNDERGROUND】。この作品がリスナー、そしてシーンからも大絶賛を受け、メジャーなTVや雑誌からの取材も増え、曲名通り【レクサスグッチ】を掴んだのだ。
この頃のDABOの発言は、サクセスストーリーの持ち主らしく、真意は別としてとにかく尖っていた。
TV番組FACTORYに出た時には「ニトロはいい意味でみんなポジティブ・自己中なんで。あんまりシーン全体の事とか考えないんだけどね。俺は自然にやっていても、そんな僕たちが結構もてはやされちゃっているっていうか」とタカビーな所をみせ、TVブロスでは「(リスナーの)俺への尊敬はまだ、足りてない。3年後ぐらいにみんなが理解できると思う」などと発言し、その態度はBLASTなどでも変わらなかった。
クラブでも、握手を求められてもどこか嫌々な雰囲気を漂わせ、アルバムのなかでその一ページをおちょくったりもしている。失礼な奴等が多すぎるという牽制もこめたのだろうが、とにかく生き様で悪カッコイイB-BOYを演じていた。
当時のことをDABOは後にBLASTでこう語っている。
「たとえばさ、普段USのHIPHOPの話ばっかりしている人たちと触れ合う機会ってないじゃない。実際、'アイツラの服装、変じゃねぇ?'って所から趣味が違う。けど、いまはその接点が近づいている気がする。俺らは混ざるのを拒否してきた。俺らは喧嘩が強い系で、そうじゃない奴等を淘汰してきたわけ。たとえば、わかりやすくいえばダースレイダーがイベントにきてたけど、拒絶してたからね(笑)。最近、解禁したけど(笑)。」
スウィングしないラップから、音にしっかりとオンで乗せるラップなど、声量と口回りの速さを活かしたスキルフルなラップができる日本屈指の才能。媚びることなく、ラップのスキルで勝ち上がり、【NITRO】の成功で、何十万も稼ぐようになり、バイトもしなくてよくなった。さらにDef Jam Japan第一号アーティストとなり、ドロップした【PLATINUM TONGUE】はオリコン15位に入る大ヒット(絶対にチェックすべし。これぞDef Jam)。【拍手喝采Remix】はクラブでヘビープレーされ、かつLiveをすれば大入り(Youtubeでご覧あれ)と、「キングの仲間入り」となった。DABOがいきりたつのも無理はないのだが、その一方で矛盾も感じはじめていたという。
「"悪いことがカッコイイ"と思い過ぎてるガキにも言いたかったし、おっさんも巻きこんで"ちょっと色々考えない?"っていう時じゃないのっていうさ。世の中全体でアメリカごっこをするのって果たしてどうなのかな?自分もそこに加担した1人だけど、そこに透けてくるなにかは感じられないじゃん。温故知新がヒップホップの美しいところであったはずだと俺は思うんだけど、今は闇雲に前しか見ずに耳新しいことしか探してない気がするし、すごく安直だよね。」
DABOの心配は杞憂で終わらなかった。
日本語ラップは不良が粋がる音楽のように捉われ、時に嘲笑もされ、喧嘩強い系は見る見る出番が減っていった。You the Rock★を始めとする大麻事件がその最たる例だろう。
反面、喧嘩弱い系から派生したPopをとりいれた日本語ラップがシーンで幅を利かせ始め、いつしか哲学なきラヴソングや、おちゃらけラップがJ-Popに増えていった。ラップなら簡単だと言わんばかりに。そして、それを快く思わないアーティストは喧嘩弱い系全てをDISの対象とした。
なにがリアルでフェイクなのか。それが、DABOのいうように腕力や服装で判断されるようにもなってしまった。
そんな混沌としたなか、2007年。DABOは「ユニティ」という単語を前面に出した【B.M.W. -BABY MARIO WORLD】をドロップする。
このアルバムの特徴はなんといっても客演にある。MURO、ZEEBRA、Kreva、Hunger、SEEDA、Papa-B、Mr.OZなどシーン内の様々なポジションから集めている。
「喧嘩弱いチームはユニティっていうと鼻で笑われるから言えない。喧嘩強いチームはシャバイのと仲良くしたくないっていう。それはもったいない。隣人が気に入らなくてイライラするくらいなら、逆に腹くくって皆でやろうぜって。皆がCD売れて、車三台持てるような状況なら別だけど、いまはそうじゃない。ラップは99%がビジネスでスキルは1%ってレッドマンが言っていた。言い過ぎだと思うけど、ビジネスはね、金儲けって日本語に訳すんじゃなくて、リンクだと思う。それは、繋がりを生む交流とかがそうでさ。その気になればリンクできるんだから、リンクすべきだと思う。俺は若い頃はそんなのにそっぽ向いてたけど、皆の力をかりてシフトチェンジしなきゃって思った。」
もちろん、全てのアーティストが"ユニティ"に協力する必要はない。コラムニストがいうように社会には反対勢力は必要だ。ただ、それはマイノリティじゃなければいけないのだが、日本語ラップという社会のなかで、反対勢力はマイノリティではない。
あえてBLASTで言いたいんだけど、と前置きしたDABOの話がそれを物語っている。
「Krevaのオリコン1位は本当に感謝している。"鬼だまり"とかでマイクを待っていた同世代だからさ。Krevaは洋楽ヘッズのハードコアじゃなくても、J-Pop音楽からしたらハードコアよ。Krevaは若いアーティストをプロップスしたり説得力もあるし、なによりB-BOY PARKのMCバトルで3連覇している。ドープでしょ。」
当然のように聞こえるが、これは日本語ラップにおいてマイノリティな意見である。このように、とにかく皆がそっぽを向いており、リンクしようとしないのが現状だ。たとえば、以前、日本語ラップを盛り上げるために、重要アーティストをブッキングしたはずのイベントが急遽キャンセルになってしまったことがあったが、それはFUJI ROCKや紅白歌合戦をぽしゃらせるような行為だ。そんな常識では考えられないことが横行しているのが日本語ラップの現状なのだ。
DABOは、それに気づき、シフトチェンジしようとしている。尖り続けてきたからこそ生まれた新しい皮膚のように丸くなって。
30歳代半ばになりシーンの重要性を感じた。だからこそ、You tubeで【Tokyo shit】や【state of mind】を配信し、皆でシーンを盛り上げようとした。この試みにはKrevaをはじめ何人かのアーティストが乗っかったが、それでもシーン全体のムーヴメントにはなっていない。
日本語ラップという小さい縄張りで争うのではなく、まずは小さい縄張りを大きくして、そこから争えばいいじゃないかとシーンに投げかけるアーティストが現れ始めている。ZEEBRAやDABOなどスキルあるラッパーが気付きはじめているのだ。B-BOY PARK2009はその現われで、多くの人たちが新たなアプローチを試みた。
古き仲間だけで固まるのは止めようとする姿勢が少しだけ感じられた、のだが・・・どんどん廃れていくB-BOY PARK。DABOの目にはどのようにうつっているのだろうか。
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