2001年にKICK THE CAN CREWとしてメジャーデビューしたことで一躍有名になったKREVAだが、シーンに登場したのは97年。BY PHAR THE DOPESTのMCとしてアナログデビューした。
「当時、そのラップスキルの卓越さに舌を巻いた関係者は多かったようです。HIPHOPの大ネタである『Sucker MC’s』をトラックにした『伝道師(Bonusver)』はクラシックの出来栄えでしたし、他の日本語ラッ プグループと比べても、決して遜色なかった。ラッパーが頭の回転とボギャブラリーで勝負する、フリースタイルの最高峰の大会だった『B-BOY PARK MC BATTLE』で三連覇という快挙を成し遂げましたし、シーンを牽引する若手の一人という扱いでした。当時はKREVAさんに対する批判は見当たらなかった」(hiphopjournal編集部)
確かに、KREVAに対する批判が聞こえてくるようになったのは、KICK THE CAN CREWを結成してからである。
「04年くらいから、日本語ラップ人気に陰りが見え始め、ライブの集客は減り、ギャラは下降気味になりました。
当時は3ケタ近いギャラで呼んでいたラッパーたちが、2ケタ弱で呼べるようになった。
CDも売れなくなり、07年には完全に日本語ラップバブルが崩壊しました。
そんな中で、日本人に合った音と日本語ラップの世界観をミックスしたKREVAさんは生き残った。ただ、いわゆる今までの日本語ラップの音や歌詞とは違うわけです。
それに嫌悪感を持ったラッパーが批判したというのが、ご質問にあった「なぜKREVAはDISられるのか?」ではないでしょうか。」
音楽は宗教に近いところがあり、盲目的な部分もある。
“KREVAの〇〇が嫌い!こうあるべき”といったオルタナティヴな批判であれば、議論として成り立つのだろうが、KREVA批判は“ポップだ”といったアバウトな部分がある。そのアバウトが悪いというわけではなく、音楽だから是々非々あるのが普通。
「好き嫌いの話だと思います。それくらいに受け止めれば、問題ないのではないでしょうか」
一方で、テーマ性のある批判も出ている。その最たる例が、「KREVAはシーンを引っ張らない」というものだ。 しかし、hiphopjournal編集部は、本当にそうなのかと議論を投げかける。
確かに、調べてみるとKREVAは、LB、KLOOZなど若手をフックアップしているし、DABO、ANARCHY、SEEDA、KEN THE 390、サイプレス上野などとも仕事をしている。07年には、今シーンで注目を浴びているSHINGO☆西成をいち早くツアーに呼んでもいる。また、過去を忘れず、CUEZEROとBY PHAR THE DOPESTを再結成し、アルバムもリリースしている。
「そもそもでシーンの捉え方が人によって違うと思うんですよね。最後にまとまったように見えたのは、09年のB-BOY PARKですけど、でもさんぴんCAMPほどではないじゃないですか。私は、KREVAがいて、THA BLUE HERBがいて、5lackがいて、AK-69がいて、スチャダラパーがいて、それがまとまればシーンとかってなるのかなって思うんですけど。逆に定義を教えて欲しいですね(笑)」
誰もがシーン全体を引っ張っているとは言い難いのが現状で、「KREVAはシーンを引っ張らない」というのは、議論として成立しないのかもしれない。
このように考察すると、KREVA批判の多くの理由は、「●●が『▲▲』って言っている」という伝聞に始まる先入観や、そこから派生するアバウトな好き嫌いに過ぎないのかもしれない。
とはいえ、看過すれば、批判の声は大きくなっていく。それでは、KREVAに不利ではないか?ということで、そのカウンターとなる意見で締めくくりたい。
KREVAが『908FES』で集める観客。その半分を呼べるラッパーが日本に何人いるだろうか?
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