そんな堀江さん。松本人志さんを面白いと思ったことがないのだという。本音だと思うし、理由も何となく分かる。
それは、アメリカ人の笑いに近い。
アメリカが日本よりも進んでいるというのは、よく言われていることだ。
では、多くの芸人がパロディをするように、アメリカ人の笑いは日本人には届かない。
だが、これは日本人の笑いがアメリカ人より遅れているということにはならない。
というのも、むしろアメリカ人含む、海外の方が松本人志の作ったプラットフォームを使っているからだ。
その最たる例が、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』の「サイレント図書館」だろう。
「サイレント図書館」は各国で真似されている。一方で松本は「サイレント図書館」を同番組の「固まり王グランプリ」に枝分かれさせ、そこから進化させたのが『HITOSHI MATSUMOTO Presents FREEZE』(amazon prime)である。
お笑いに関しては、日本が先をいっていると史実からは読み取れる。
では、なぜ堀江さんは、Youtubeで“したり顔”で、この件に入ってしまうのか。
それは、本当に松本さんを面白いと思っていないから。さらにTwitterを見ると、「安くて出来るから金稼げない頭悪いやつが頭悪い批評をしたがるのも似てるな。笑いのツボと呼ばれるものも結局知能指数によると思うんだよねぇ。」という“知能指数が高い俺が面白いと思っていないのだから”という理論も持ち出してしまっている。もしかすると、学生時代に、偏差値が低い松本さん信者たちが人気を博していて、当時に対するアレルギーもあるかもしれない。そういう意味で、近場にいる箕輪さんは賢い。こういった論争には入ってこない。それは、箕輪さんが“天然”ではないから。
松本さんが作った“悪い笑い”についての提言ならば頷けた。ルッキズム全開のイジりは、松本さんが根付かせてしまったし、松本さんは未だに風俗系の下ネタも言っている。そこに対する意見なら堀江さんに同調できるのだが、論点が“お笑い論”になっており、そうなると厳しい。
さらにいえば、“ボケ”“カス”を堀江さんはTwitterで連発しており、そこはダウンタウンの悪影響を受けているようにも感じてしまう。
なのに、参戦してしまう。普通ならば、入る必要のない、無関係すぎる論争に。これが、“天然”なのだと思う。
堀江さんは自分が面白くないから、本当に松本さんは面白くないはずと確信して、中田敦彦さんを推している。でも、それ自体が、堀江さんが言っている「アホくさ。面白いか、面白くないかだろよ。お笑いって。」とダブルスタンダードになっている。
松本さんは、皆に面白いと思われたから、今の位置にいる。
その位置にいるのがおかしいというのであれば、それは起用しているテレビ局に政治的背景があると糾弾すれば良い。
堀江さんがひろゆきの“餃子論争”によって悪者になってしまったのも、この“天然”ゆえにだと思っている。
得意分野では才能を発揮できるから“天然”でも問題はない。でも、たとえばアインシュタインでも苦手な運動について、したり顔で語っても響かない。まぁアインシュタインは、そんな事を文字に残していなかったのだが、“天然”は苦手分野が分からずに口を出してしまう。一方のひろゆきは“天然”さも才能もないが、流れを読んでいる。芯がない風見鶏のひろゆきは、ある意味では今のSNS時代で最も敵を作り辛いのかもしれない。
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