「15〜6歳からとび職と音楽やっていて、寝なくて倒れたりとかいっぱいあった」DJ TSUBASAも有名になり、さらにはラッパーとしての活動もスタート。そして、 “t-Ace”になってからは、「(地元の水戸には)レコーディングするスタジオが、Rockはあったけど、HIPHOPとかREGGAEとか(をレコーディング出来るスタジオが)地元になくて。23くらいで自分で簡単なスタジオ作った」。
サイプレス上野が「23歳や24歳でスタジオ作るって、あの当時なんかあり得ないから、みんなやり方なんか知らないでしょう」と返したように、今よりも情報が少ない中での行動力には目を見張る。
「メチャクチャ凄まじい貧乏で。給食が払えないくらい。おんなじ服着てて臭いって言われるくらい。学校でいじめられるくらい。今もそれがトラウマで。たとえば、MIX CD売って100万稼いだ。でも、とび職やっているから。とび職で生活回しているから。100万プールしておいて、100万円のうち、次の製作費いくらみたいな。で、次は(売上が)120万で。でまた、それをプールして。
で、それを頭金に銀行からお金借りてスタジオ作るとかいう算段は、昔貧乏だったから、金がないのがとにかく嫌だったから貧乏がこわいっていう。そうならない様にずっとやってきたんですよ、それのお陰でここで会社辞めて、ここのちっちゃい信用金庫でちょっとお金借りてこうやって回していこうみたいな。そういうことは分かった自動的に。」
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