アフィリエイト広告を利用しています
< オススメの本 >

日本国紀 [ 百田尚樹 ]

価格:1,944円
(2019/5/6 08:54時点)
感想(228件)

GHQ焚書図書開封1 米占領軍に消された戦前の日本【電子書籍】[ 西尾幹二 ]

価格:972円
(2019/5/6 09:37時点)
感想(1件)

最新記事
プロフィール
いいとこどりさんの画像
いいとこどり
年金オヤジの悠々自適 
part,2 を、
タイトル変更しました。
これまで同様、
よろしくお願いします。
子供たちの未来を思うと、
危険がいっぱいな世の中。
少しでも良くしたい。
子供たちの為に・・・。
日々起きる問題を、検証することで、
子供たちに輝く未来を。
プロフィール
参考リンク集
<< 2021年08月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
写真ギャラリー
カテゴリーアーカイブ

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2019年04月20日

これでは先生方が疲弊してしまう   〜働き方改革 先生版を〜

良かれと思って作った法律も、趣旨を履き違えると
とんでもない結果を招くことになる。

教育界にはびこる、法律運用の間違いを考えてみた。

【先生の明日】教員は「定額働かせ放題」?長時間労働が違法にならない現実、変わらない意識
4/17(水) 16:00配信 カナロコ by 神奈川新聞

【先生の明日】教員は「定額働かせ放題」?長時間労働が違法にならない現実、変わらない意識

 2016年に文部科学省が発表した日本の公立中学校における勤務実態調査によると、中学校の約6割、小学校の約3割の先生が、「過労死ライン」と言われる月80時間以上の時間外労働を日常的にこなしている。なぜ、先生はこんなにも働き過ぎるのか。その法的根拠となっているのが、労働基準法の中で先生のみに適用される「給特法」と呼ばれる条項だ。多すぎる業務量も、出退勤管理に対する意識の低さも、いくら残業しようと違法にならない「定額働かせ放題」の法が、下支えしている。(神奈川新聞・佐藤将人)


「給特法」という教師のみに適用されている法律があった。
こんな法律知ってましたか?
正式名称は「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」

本来は、教師は「聖職」で、一般の労働者とは違う。という
教師の尊厳を守ろうとした法律でしたが、運用面で大きな
間違いを犯してしまっています。

朝7時に来て、夜9時に帰る日常

 仮にあなたが毎日、朝7時に会社に着いて、夜9時までいるとしよう。休日出勤も当たり前で、完全オフは月に3日あればいい方だ。残業は月80時間超はざらで、100時間を超えることもままある。


 本当は、どれだけ働いているかすら知らない。だってタイムカードはないし、いくら残業しても、上司から注意されることもないからだ。そもそもそんなことを意識して仕事をしない。こんな生活が10年、20年と続いている。

 これは、会社にいる「めちゃくちゃ働く人」の例ではない。公立の小中学校に「うじゃうじゃいる」、先生たちの姿だ

労働基準法では、8時間の勤務で1時間の休憩が義務づけられている。昼食を生徒ととる先生にそんな時間はない。別に自分が特別なわけではない。尊敬する先輩や意欲のある先生は、みんなそうだ。

 「もちろん早く帰る先生もいる。若い子が『働き方改革』と言って、すぐに切り上げたりもする。でもそれで、生徒の人生に『お前』という爪痕を残せるのかと思う。そういう先生には任せられないから、結局仕事が回ってくるのは同じ先生たちになる。でも特に若い頃は苦労してでも経験をした方が良いから、頑張っています


これでは、意欲がある先生ほど過重労働になってしまいます。

定額働かせ放題という現実

 だが、この教員の給与に振り込まれる「残業代」は基本給の4%、時間にして8時間相当しかない。後は全てがサービス残業となり、法的には「自発的、自主的な勤務」とされる。

 根拠となっているのが、給特法と呼ばれる公立の教員のみに適用される労基法だ。正式名称は「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」。1971年に制定され72年から施行された。教師は「聖職」であるため、一般の労働者とは性質が違うという考えが成立の論拠となった。4%という「固定残業代」の算出は、先生の平均の時間外労働が月8時間程度だった、66年の調査が元になっている。半世紀以上前の働き方が基準となっているのだ。


サービス残業が当たり前の現場になっている。

子供に教育を施す場である学校が、こと労務管理に関しては、ほとんど無法状態なのだ


非正規の教職員の自殺問題が、先日報道されていましたが
これを学校現場はどう捉えているのでしょう。

非正規・正規関係なく、教師の労働環境は最悪の状態のようです。

 「先生たちはブラック企業の社員のように、会社の奴隷ではないんですよね。むしろ誇りを持ち、自らの意志で過酷な仕事をやっている。そうして頑張れてこそ、教師だと。そういう人にいくら働き方を変えた方がいい、意識を変えた方がいい、と言ったところで、その渦の中心にいる人ほど聞く耳を持たない。僕が教員の働き方改革の本丸は職員室だと言っているのは、そのためです」


過重労働に慣れきってしまって、これらを問題視していない。
その意識の無さが、自分たちの首を絞めていることに
気が付いていないのではないだろうか?

これでは、子供たちが被害者のなりかねません。
もっと教師にゆとりが必要なようです。

法改正で半強制的な改革を

 現状に危機感を抱く有志の現職教員が立ち上がり、2017年に「現職審議会(現職審)」を組織した。先生たちの働き方を主導する中央教育審議会(中教審)に対抗する行動だ。記者会見では、以下の五つを問題提起した。(1)授業準備の時間がない(2)休憩時間がない(3)額にして1兆円の不払い残業(4)部活の顧問の強制(5)労務管理の欠如、だ。

 こうしたうねりにも応える形で、同年12月には文科省が「学校における働き方改革に関する緊急対策」を発表。今年1月に同省が示したガイドラインでは、「時間外労働の限度」を月45時間、年間360時間に設定した。

 どだい、無理な話だ。

 「時間外を減らせというなら、明確にこの業務とこの業務はやめますということをセットにして現場に下ろさないと意味がない。それをせずに、時間外が80時間超の人に今より40時間早く帰れと言うのは、無責任。現場から反発が来るのが当然です」(内田准教授)


とかく政治は「数値目標」を重要視して、そこだけ決めれば
上手くいくと勘違いしている。

しかし、具体的な方向性を示さなければ、学校現場は何も変われない。

先生としての幸せと、大人としての幸せ

 現在の学校現場が、そうした「残業なんて関係なく働く」先生によって支えられているのは、厳然たる事実だ。中には教員が天職で早く帰れと言われる方がストレスになる人もいるだろうし、長時間労働の主因とされる部活にしても、それが生きがいだという先生も多い。だが、これだけワークライフバランスが叫ばれる現代において、「良い教師」や「頼れる教師」の必要条件として長時間労働があり続けるとしたら、次代の担い手は確保できるだろうか。

男性教員はきっと、友人や仲間に信頼される「良い奴」で、仕事に誇りと使命感を持ち、いつも誰かのためにと頑張れる「良い先生」だ。彼のような教員が、先生としての充実した姿だけではなく、一人の大人としての幸福や人生の楽しさを当たり前に伝えていける教職現場であってこそ、本当の意味で「生徒のため」になるのではないだろうか。


「よい先生」を潰さないようにしなければなりません・

教員の志望者数は、6年連続で減少している。要因は複数あるとしても、先生という仕事に人としての幸せを見いだせない若者が増えているのは、事実だろう。そしてそれは、確実に教育の質の低下につながっていく



そりゃあそうでしょう。
これだけ過酷な環境に飛び込もうとする意欲のある先生が
どれだけ集まるのか、疑問です。

普通の神経の持ち主では、性格が歪んでしまうかもしれません。

子供達に「まともな授業」を受けさせるためには、
「まともな先生」が必要です。

その為には、教師職を大切に育てなければなりません。

誰もが「誇り高い」教師という職業を目指せるような環境が
教育界には必要です。

早い段階での「法改正」が望まれます。




       BY いいとこどり









2019年04月15日

ベビーベッド「ロックンプレイスリーパー」は危険  〜リコール製品〜

Fisher-Price Newborn Rock 'n Play Sleeper ロックンプレイスリーパー新生児バウンサー

価格:22,032円
(2019/4/14 11:05時点)
感想(0件)




この製品は「楽天」でも販売されています。
死亡事故が多発していますので、使用には要注意です。

出来ればリコール品ですので、返品なりの手続きを
早急にする事をお勧めします。

米でベビーベッド大規模リコール 幼児30人以上死亡と当局
4/13(土) 23:54配信 共同通信
 【ニューヨーク共同】米ベビー製品大手フィッシャープライスは13日までに、ベビーベッド「ロックンプレイスリーパー」で死亡事故が相次いでいるとして、リコール(回収)すると発表した。米消費者製品安全委員会(CPSC)によると、2009年以降、寝返りした際の事故で30人以上の幼児が死亡した。対象は約470万台。

 日本でもインターネット通販業者などを経由して販売されていた可能性がある。CPSCは消費者に対し、製品の使用をすぐに停止し、フィッシャープライスに返金などの手続きをするよう呼び掛けた。

 ロックンプレイスリーパーは、スタンドに布製の寝台が付き、揺れる構造。


使用中止を” 米製ベビーベッド 死亡事故相次ぎリコール
2019年4月14日 7時48分

アメリカの大手ベビー用品メーカーが販売し日本でも流通するベビーベッドで、乳幼児の死亡事故が多発していたことが分かり、メーカーはおよそ470万台をリコールし、直ちに使用をやめるよう呼びかけています。

これはアメリカの大手ベビー用品メーカーの「フィッシャープライス」が販売する「ロックン・プレイ・スリーパー」という製品で、日本でもインターネット通販などで流通しています。

この製品についてアメリカの消費者製品安全委員会は12日、乳幼児が寝返りを打って死亡する事故が起きていると明らかにし、死亡者数は2009年の販売開始以降、これまでに30人を超えているということです。

このベッドはゆりかご状の布製の寝台が、スタンドで支えられてゆらゆら揺れる構造になっていて、メーカーでは使用の際には乳児をベルトで固定し、使用できる時期は「寝返りを打つようになる前まで」としています。

しかし、死亡したケースではベルトで固定せずに寝かせていたために、乳幼児が寝返りを打っていたということで、消費者団体は死因は窒息死などだったと指摘しています。

これを受けてメーカーは12日、声明で「安全性を最優先に考えてきたが、この数日、製品に疑義が生じた」としてリコールを発表しました。

リコールの対象はおよそ470万台で、メーカーではリコールと返金の手続きを急ぐとともに、ベッドを持っている場合は直ちに使用をやめるよう呼びかけています。



            BY いいとこどり

2019年04月12日

ウランなんて、一体どこから入手したのか?    〜オークション出品ウラン〜


高校生が「爆弾製造」だけで驚いていたが、それどころか
ウラン」まで売買していたらしいとは、卒倒しそうだ。

オークションで売られていたらしいが、出品した人は
一体どこから入手したのだろうか?

恐ろしい時代になったものだ。

ウラン売買にも関与か 爆薬製造容疑の高校生
社会
2019/4/10 11:23  日本経済新聞より

高性能爆薬「四硝酸エリスリトール(ETN)」を製造したとして警視庁が火薬類取締法違反容疑で書類送検した東京都の男子高校生(16)が、インターネットのオークションサイトで放射性物質「ウラン」の売買に関与した疑いがあることが10日、捜査関係者への取材で分かった。同庁は高校生を含む数人について、原子炉等規制法違反容疑で捜査している。

捜査関係者などによると2017年11月、ヤフーのオークションサイトにウランとみられる物質が出品されたのが確認された。通報を受けて警視庁が捜査したところ、ウランと確認され、男子高校生を含む数人が落札したとみられることが分かった。同庁は売買されたウランを全て押収し、関係者から任意で事情を聴いている。

原子炉等規制法はウランを無許可で譲渡したり、譲り受けたりすることを禁じており、違反した場合の罰則は1年以下の懲役または100万円以下の罰金と定めている。

高校生は8日、自宅でETNを製造、所持したとして書類送検された。爆薬などを製造し爆発物取締罰則違反などの罪で実刑判決を受けた名古屋市の元大学生と交流サイト(SNS)を通じて18年に知り合い、爆薬の製造法について情報交換していたことが分かっている。


そのウランで「被ばく」はしなかったのだろうか?
放射線を浴びてはいないのだろうか?

次々と疑問が湧いてくる。

>爆薬製造容疑の高校生、ウランも売買か 自宅で精製疑い

 高性能爆薬を製造、所持したとして火薬類取締法違反容疑で書類送検された東京都内の男子高校生(16)が、インターネットのオークションサイトでウランを無許可で売買していた疑いがあることが捜査関係者への取材でわかった。自宅で精製作業をしていたとみられ、警視庁は原子炉等規制法違反の疑いでも調べている。

 捜査関係者によると、2017年11月、「ウラン99・9%」などと称する物質がオークションサイトに出品されていることを原子力規制庁が確認し、昨年1月に警視庁に通報した。警視庁が出品した男性や落札した購入者数人を特定し、物質を押収して鑑定したところ、天然ウランと劣化ウランだったことが判明した。


 男子高校生は数人いる落札者の一人で、自宅の家宅捜索で「ウラン精鉱(イエローケーキ)」が押収された。高校生はウラン鉱石からイエローケーキを精製。ネットオークションに出品し、無許可で販売していた疑いが持たれている。

(朝日新聞デジタル 2019年04月10日 11時36分)


自宅で精製した疑いがあるらしいが、放射線の遮断はできるのだろうか?
量が判らないので、何とも言えないが、危険極まりない。

しかしこれだけの知識を収集して、自宅で精製まで出来るようになるには
それなりに勉強しなければならないわけで、頭がいいんだろうなあ・・・。

それなら、その道の研究機関で働くことを考えてくれると嬉しいのだが・・・。

販売目的でやっていたのなら、がっかりだ。

でも、こういう若者は、ただ「ダメ」ではなくて、社会に役立つように
指導することが必要に思う。
「仲間になりたい」という本来持つ「本能」を、役立ててほしい。

親御さんは、このことをどう思って見ているのかが、気になるところです。
ただ「犯罪者」として見るのではなく、正しい道へと誘導してほしい。

この子、たぶん、「そんなに悪い事」だとは思ってないんじゃあないかなあ・・・。
好奇心は、若者の特権だし、興味を持つのはいい事。
その使い方は、親が教えてあげなければね。

この少年が、更生することを祈ります。



      BY いいとこどり



Z会プログラミング講座 with LEGO(R) Education/資料請求はこちら





インターネットがあっても、田舎者は知る機会が少ない  〜地域間格差問題〜

現代は、テレビもあれば、新聞、ネットと、情報媒体は
全国津々浦々まで普及しているから、情報に関して、地域間格差は無い?

本当にそうなのだろうか?

ここに「東大卒の田舎者」がいる。
その人が感じた「都会者と田舎者」の話である。

「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由

知られざる「文化と教育の地域格差」

阿部 幸大文学研究者   2018.4.25

名門校出身者たちを目の当たりにして

教育と格差の問題といえば、しばしば話題にのぼるのが東大生の親の年収である。2014年の調査によれば、東大生の育った家庭の半数強が、年収950万円以上の比較的裕福な家庭だという。

ここで問題視されているのは、階級の固定化である。つまり、裕福な家庭は多額の教育費を支払うことができるので、子供は高学歴化する傾向にある。学歴と収入は比例することが多い。結果的に、金持ちの家系はいつまでも金持ちだし、逆に貧乏人はいつまでも貧乏から抜け出せない――という問題だ。

だが、こうした問題提起に出くわすたび、いつも「ある視点」が欠けていると私は感じる。それは都市と地方の格差、地域格差である。

田舎者は、田舎に住んでいるというだけで、想像以上のハンディを背負わされている。(後略)


具体的な話に入って行こう。
以下は記事の抜粋です。

問題は「貧富の差」ではない

私が主張したいのは、「貧富の差よりも地域格差のほうが深刻だ」ということではない。そうではなく、地方には、都市生活者には想像できないであろう、別の大きな障害があるということである。

田舎では貧富にかかわらず、人びとは教育や文化に触れることはできない。

たとえば、書店には本も揃っていないし、大学や美術館も近くにない。田舎者は「金がないから諦める」のではなく、教育や文化に金を使うという発想そのものが不在なのだ。見たことがないから知らないのである。


この著者は、記事にもあるが「北海道の釧路」の田舎者である。
学力が優秀だったために、東大まで進学できた。
ご両親は中卒以下だったらしい。(詳細は記事原文を)

知る機会そのものが、都会に比べると圧倒的に少ない。

もちろん、文化と教育に無縁の田舎で幸福に暮らすのはいい。問題なのは、大学レベルの教育を受け、文化的にも豊かな人生を送れたかもしれない田舎の子供たちの多くが、その選択肢さえ与えられないまま生涯を過ごすことを強いられている、ということだ。

「文化的」とは、おそらく、いまあなたが思い浮かべている次元の話ではない。たとえば私が想定しているのは、わからないことがあればひとまず「ググる」という知恵があり、余暇の過ごし方として読書や映画鑑賞などの選択肢を持ち、中卒や高卒よりも大卒という学歴を普通だと感じる、そういったレベルの話である。


海外では優秀で向学心の強い子供たちが、「売春宿」に
騙されて売られている実態がある。
世間を知らないから、騙されるのである。

田舎者が都会でよく騙されやすい。ということだ。
テレビやネットが普及してても変わらない。
「東京は怖い所だ」は定着しているが、好奇心は抑えられない。

その好奇心は、情報が豊富にあるほど刺激される。
存在そのものを知らなければ、好奇心だって起こらないのだ。

大学生を見たことがなかった

私の育った釧路市のような田舎に住む子供の多くは、おかしな話に聞こえるかもしれないが、まず「大学」というものを教育機関として認識することからして難しい。

言い換えれば、大学を「高校の次に進む学校」として捉える機会がないのだ。

高校生の頃の私が「大学」と聞いたとき思い浮かべることができたのは、「白衣を着たハカセが実験室で顕微鏡をのぞいたり、謎の液体が入ったフラスコを振ったりしている場所」という貧しいイメージのみであった。仮に当時の私が「大学には18歳の若者が通ってるんだよ」と教わっても、驚くどころか、意味がよくわからなかっただろう。


情報が無いから、想像することすらできない、ということだ。


たとえば釧路市民にとっての「都会」といえば札幌だが、釧路と札幌は300km、つまり東京―名古屋間と同じくらい離れている。市内には2つの大学があるが、いずれも単科大学である(当時は知らなかったが)。

日本の各都道府県にはそれぞれ総合大学(ユニバーシティ)が設置されているので、最寄りの総合大学からこれほど地理的に離れている地区というのは、全国を見渡しても、離島と北海道の端っこくらいのものであろう。

都市部にも「大学と無縁の環境で育った」という人はいる。だが、この点において田舎と都会で根本的に異なると思われるのは、「文化」や「大学」といった存在が視界に入るかどうか、という差である。

釧路にも大学は存在すると書いたが、しかし子供たちにとってそこは病院などと区別されない「建物」にすぎず、「大学生」という存在にじかに出会ったことは、すくなくとも私は一度もなかったし、また私の場合は親族にも大学卒業者が皆無だったため、高校卒業後の選択肢として「大学進学」をイメージすることは、きわめて困難であった。


これは私の世代でもあったことで、大学に行くということを
考えたこともなかった。
当時、私は札幌の高校生であったが、早々と工業高校に決めていたのだった。

それに対して都市部では、たとえば電車に乗れば「〜大学前」といった駅名を耳にすることになるし、そこで乗ってくる大量の若者が「大学生」であることも、なんとなく理解するチャンスはかなり大きくなるだろう。上京して、じっさい私は「世の中にはこんなに大学があったのか」と驚いた。

さらに言えば、私が東大に入学し、なかば憤慨したのは、東大と同じ駒場東大前駅を最寄り駅とする中高一貫校が存在し、その東大進学率が抜群に高いということだった。なんという特権階級だろう! しかも彼らには、自らがその地理的アドバンテージを享受しているという自覚はない。まさに文化的な貴族である。


多くの人たちは「自分は普通」だと思っている。

田舎者(私)の無知と貧弱な想像力の例をいくつか挙げたが、まさに問題は、この「想像力が奪われている」ということにある。こうした田舎では、とにかく文化と教育への距離が絶望的に遠いがゆえに、それらを想像することじたいから疎外されているのだ。

あまりに遠すぎて想像すらできないこと、これが田舎者の本質的な困難なのである。

努力ではなく、偶然にすぎない


田舎から抜け出すには大学入試がおそらく最大のチャンスだが、しかし、その可否は中学時代にすでに決まっている。

なぜなら、「都会には『大学』なる組織が存在し、自分も努力次第でそこへ入学するチャンスがある」という事実を教わることができるのは、中学で教師の言われるままに学区トップの高校に進学した者だけだからだ。

高校で初めて「大学進学」という選択肢の存在を知った私の場合は、この事実を驚愕と、いくぶんかの後ろめたさをもって受け止めた。なぜなら自分の学力が高くて大学に行けるのだとしても、それは「努力の成果ではなく、偶然の結果にすぎない」としか感じられなかったからである。

田舎から都市圏の大学に進学するということは、たまたま容姿に恵まれて街角でスカウトされるのにも似た、きわめて確率的な事象である。

それをプライドに転化することもできるだろうが、いわゆる「底辺」と形容される中学に通っていた私には、高い学力を持ちながらも、その価値を知らず道を誤ってしまった親しい友人を多く持っていたため、むしろ自らが手にした幸運の偶然性に寒気がしたものであった。


優秀な頭脳を持った若者が、道を誤ってしまうようなことになっては
日本の損失なのです。
文化や教育に触れる機会を、学校は考えるべきです。
「カタリバ」の活動のように・・・。

田舎者は、教育の重要性はもちろん、インターネットの使い方もろくに知らない人がほとんどである。そのような情報弱者に、みずからの社会的地位の向上のためにインターネット教育を利用することを期待するという発想は、都会人の想像力の貧困を示していると言わざるをえないだろう。


知らなければ想像することなんて、当然できませんし
存在そのものを知らないわけですね。

偶然に翻弄される地方の子供たち

地域格差が存在することは理解してもらえたとしよう。ではどうすればいいのか?

教育における地域格差の帰結をあらためて言い換えれば、それは「同じ学力の子供が、田舎に住んでいるという理由だけで、都市に住んでいれば受けられたはずの教育の機会を奪われている」ということである。そして、「知っていたら大学に行っていた」人口は、間違いなく、かなりの数にのぼる。

先にも述べたように、私自身が偶然によって東京の大学に進んだ。ということはつまり、別の偶然によって田舎に留まることも大いにありえたのである。


「運」次第では、あまりにも悲しい。

インターネットは有効なのか

前回の記事で強調したにもかかわらず、「いまはインターネットがあるから事情は違う」という意見も多数見られた。

たしかにインターネットは田舎を救いうるかもしれない。だがインターネットがすでに田舎の問題を解決したかといえば、それは間違いなく否であり、近い将来に解決するかというと、それも否であると思われる。

この項目は「田舎者」というより「情報弱者」の問題になるが、再三述べているとおり問題は重層的であり、また田舎者は基本的には情報弱者であることを強いられているので(それが前回の趣旨だった)、共通の問題として話を進める。

前回の繰り返しになってしまうが、インターネットで自分に必要な情報を収集するというリテラシーは、かなり高度なものである。

私は前回の冒頭で、「ググる」習慣があること、余暇を文化活動に費やすこと、大卒という学歴を普通と感じること、この3つを文化と教育の指標として並列した。日本の全人口における大学進学者の割合は半数ほどだが――記憶してほしいが、大学に「進学」するだけで半分より上なのである――その大学進学者内の最上位層においてさえ、たとえググったところでウィキペディア以上の情報に辿り着く人は、そう多くないのである。

そして私は、必要な情報からさらに遠く隔てられた田舎の話をしている。田舎では地域格差を自覚すること自体が困難であるのに、その格差を自力で解消するためにインターネットを活用することができる人など、まれであるというか、ほとんど矛盾している。格差に気づくこと自体に高度なリテラシーが必要なのだから。


自分の体験からの意見なので、説得力があると思います。

私が恥をしのんで個人情報まで晒しながらこうして「プロパガンダ」している理由は、格差を告発するためなのであって、格差とは、とりもなおさず、不満以外の何物でもないではないか。私は格差に怒っているのである。

そして、十代の頃は田舎に向けるしかなかった私の不満と怒りは、いま、田舎に対してではなく、地域格差という現実、そして田舎の実情を無視しようとする態度、それらへと向けられている。


田舎がどんな環境か?
実際に田舎で暮らしてみなければわからない。
旅行で見る程度では、絶対にわからない面があるのだ。

この「地域格差」は「機会格差」とも言えるのではないか?

高度な文化に触れる機会
高度な教育に触れる機会

田舎は、圧倒的にこの「機会」が少ない。



      by いいとこどり


2019年04月11日

「世界最高の子育て」で、娘が全米優勝   〜ポークさん〜

「幸せは遺伝する」
このタイトルを見て、すぐに読みだした。

これに会う前に「親の不幸は、子供も不幸にする」という
不幸の連鎖「貧困の連鎖」をテーマに、調べていたからだ。

読んでみて「なるほどな」と、納得し、忘れていたことを
思いださせてくれた記事でした。

幸せは遺伝する。「世界最高の子育て」をするために知るべきこと

「世界最高の子育て」著者・ボーク重子さんにインタビュー


FNN.jp編集部
カテゴリ:暮らし
2018年3月15日 木曜 午前6:00

日本人の母を持つ高校生が「全米最優秀女子高生」で優勝
幸せな子どもに育てたかったら、まずは親が自分を幸せにすること
子育てで1番大切なのは「子どもをあるがまま認めること」

複数のアメリカのメディアで、日本人の母を持つ女子高生が話題になったのをご存じだろうか?

女子高生の名前はボーク・スカイさん。彼女は全米の女子高校生が知性や才能、リーダーシップを競う大学奨学金コンクール「全米最優秀女子高生」で優勝したことから一躍注目の的となった。

このコンクールでアジア系の学生が優勝したのは、過去60年の歴史でたった3回だけだ。

一体、なぜスカイさんは優勝できたのか?スカイさんの母親で、『世界最高の子育て』(ダイヤモンド社)の著者・ボーク重子さんに、“子育ての秘訣”を聞いた。

子どもが自由に考えられる環境を作る

福島県出身のボークさん。結婚を機にアメリカに移住し、娘・スカイさんを出産した。

日本の教育を受けて育ったボークさんは、当初、アメリカの教育とのギャップに驚いたそうだ。

「日本では、学校=勉強。九九を呪文のように唱えたり、宿題も出ます。『今からこれをやりなさい』と、言われたことをやる。言われたようにやる=いい子。そういうものだと思って娘の幼稚園に行ったら、全然違ったんです」

確かに日本の学校では、先生が言った通りのことをやることが多い。それに慣れた大人は、先輩や上司が決めたことに意見もせず、従うことが当たり前になっていくわけだ。

一方、アメリカで最も重要視されているのは学力ではなく、子どもたちが世界で生きていく上で必要とされる力(知力・コミュニケーション力・特技・体力・自己表現力)なのだという。

アメリカでは子どもに対してどのように接しているのだろうか?

「アメリカでは子どもに『やりなさい』『こうしなさい』と言うのではなく、『私はこうしたけど、あなたはどうしたい?』と聞くのが普通です。先生や大人が絶対ではなく、子どもが自由に考えられる環境が作られています」

日本では意見をすると「反抗」「口ごたえ」と言われるが、アメリカでは意見することが評価に繋がるという。


これ昔の先生は、生徒の特性を認めて「これをしなさい」と
指示を出したんです。
今みたいに、一律に「こうしなさい」とは。言ってませんでしたよ。

これは戦後にGHQからの指示で、教育方法を限定されてから
の話だと思います。

それが証拠に、江戸や明治の若者たちは、自由に意見が言えた。
だから、外国人が日本を認めたのです。

一律になったのは、戦後の話です。

これをきっかけに、ボークさんは家庭でも「一方通行の教育はやめよう」と決意したそうだ。具体的にどんなことを実践したのだろうか?

「うちではあんまりアドバイスっていうことをしませんでした。親がアドバイスをすると、子どもの『自由に考える力』が育たないと思うんです。あとは、『ダメ』と言うのはやめて、『どうしたい?』と聞くようにしました。

でも、どうしてもダメな時もあります。そんな時は、ダメな理由をしっかり説明します。子どもを子ども扱いせず、きちんとした1人の個性ある人間として扱います。きちんと説明すれば子どもだってわかるんです。でも、言わなければわからないのは大人でも同じだと思います」

ボークさん自身は日本の教育に慣れていたため、最初の2、3年は意識的に気をつけていたそうだ。

20分間の空想で心をポジティブにする
アメリカでは、学校の宿題がないことに違和感を覚え、先生に尋ねたこともあった。

すると、先生からは「子どもは子どもらしく遊んで、自分の好きなことを見つけていく。それが子どもの仕事です。でも、そんなに宿題が欲しいのであれば、20分間空想をさせてあげてください」と返ってきたという。

20分間の空想?日本人の私たちは疑問に思うかもしれない。ボークさん自身も、理由がわからないままスカイさんに20分間の空想の時間を与えた。

「実は、ボーっと考えるのって、いいことしか考えないんですよ。自分は地獄に落ちるなんて空想してる子どもはいないんです。空想してるうちに笑顔になる。心がポジティブになるって、すごく素敵ですよね。空想している時は、空も飛べるし、限界がない。想像力が豊かになる。そういう力が自然に伸ばせるんです

さらに、20分という時間にも理由があるようだ。

子どもは空想しているうちに飽きちゃうんですけど、この飽きるっていうのも大事。娘の場合は、飽きたら部屋にいろんなものを持ち込んで、バレエをやり始めました。こうやって、自分の好きなことをみつける時間にもなるわけです


宿題の代わりに「空想」の時間を作るって、新鮮です。
元々宿題は「復習」をすることで、知識を整理するためなんですが
そんなこと、授業中にすればいい事です。

「空想」ってのは「発想力」「想像力」を働かせるので
いいのでしょうね。

子どもにやらせる前に、親がやる

「日本の学校が『勉強』だとしたら、アメリカの学校は『パッション』なんです」

パッション=好きなこと。著書の中でもその重要性を強調しているが、なぜ、それほどパッションが大事なのか?

子どもっていうのは、好きなことのためには頑張ります。好きだからこそやり遂げられ、道徳心や強い心が身につきます。これがなかったら、ただの点数が取れるロボットしか育ちません」

しかし、最初から自分で“好きなこと”を見つけられる子どもはいない。見つけられるようにサポートするのが親の役目だという。

「“好きなこと”も年齢とともに移り変わります。娘のパッションはずっとバレエでした。ですが、大人になるにつれ、バレエというパッションがなくなったらどうしようと不安になっている姿も見ました」

我が子が落ち込んでいる時も、ボークさんは信じて見守っていたという。

「ずっと好きなことをやってきた子っていうのは、必ず何かしらのパッションを見つける手立てを知っているんです。だから、きっとこの子は自分の生きる道が変わったとしても、それに準じる道を見つけて、自分らしく生きていけるんだろうなって思ったんです。パッションは、全ての入り口になっているんです


大人だって、好きなことはいつまででも出来ますよね。
ましてや、子供は、「好きな事しか続かない」と思います。

パッションの大切さは理解できたが、好きなことだけをやれば良いわけではない。家庭での決まりごとやルールなど、子どもにやって欲しいことがある時はどのようにすれば良いのだろうか?

ボークさんの家庭で行っていたのは、「今日の成功ノート」と「夕食時の対話」。もちろんこれも強制するのではなく、子どもが自ら実行できるようにしていた。

いいなと思ったら、まず私がやるんです。『今日はママこんないいことがあったの〜』って言いながら書いて、さりげなく娘のノートも置いておくんです(笑)夕食の時間は、『今日はこんなにいいことがあったんだ』と、私が喋る。それから、『スカイちゃんは今日どんなことがあったの?誰にありがとうって思ったの?』って聞いていました。

親がやってることって、子どもは真似するんです。逆を言えば、親がやらなきゃ子どもはやらないんです。子どもにやらせたかったら、まずは親が徹底してやりましょう。やりなさいと言うだけでは、子どもはやらないと思います」


これは誠にこの通り。
「子供は親の鏡」という所以ですね。

親の幸せは子に“遺伝”する

不幸せな親に育てられている子どもは不幸せに育つと言う研究データがあるんです」と、ボークさんは続けた。

その研究結果は、「幸せな子どもに育てたかったら、まずは親が自分を幸せにするように」と締めくくられているそうだ。

ボークさんは自分を幸せにするためにどんなことをしていたのだろうか?

「毎朝6時半〜7時半まで自分の時間を作っていました。その時間は空想をして、大好きなケーキを食べています(笑)」

ボークさんの家庭は共働きをしているため、子どもが起きる前に自分の時間を作って自由に過ごしてるそうだ。

旦那さんとの子育ての連携についても聞いてみた。

共働きなので、2人で協力しています。娘は学校が終わったあと、バレエをしに行きます。そのお迎えに行かなかった方が夕飯を作ります。だから、夕飯を作りたくない時は『今日は私が迎えに行く』と連絡をしていました(笑)」

なるほど。分担と言っても、やりたくない時もあるだろう。そういう時は役割分担をチェンジすれば良いのだ。

とは言え、共働きの家庭が増えていく現代、なかなか自分の時間を持てない親もいるだろう。ボークさんも、最初から自分の時間があったわけではない。

どうやって自分の時間を増やせばいいかを尋ねると、「自分からやる子」に育ってもらえばいいという答えが返ってきた。その方法は、どの家庭でも実践できることだった。


いちいち親が手をかけなくてもいいような子供に育てる。
そうすると自然と親の時間が増える。

共働きが多い日本でも、こういう点は見習いたいですね。

「料理」は子どもの実行機能を育てるのに最適

自分からやる子に育てたかったら、料理を一緒にやってみてください。ご飯は毎日食べるもの。毎日やっていればどんな子どもだってできるようになるんです

ハーバードでは、子どもの実行機能(自分からやる子)を育てるのは社会の責任と言われるほど、重要視されているそうだ。その実行機能の全てが入っているのが「料理」だと言う。

@献立を考えるA冷蔵庫の中を確認して、足りないものを考えるB買い物に行く時間と作る時間を決めるC買い物に行くD料理をするE片付ける

時間や予算も限られている中で、計画を立てて実行する。もちろん、やり方がわからなければできないが、ここで注意すべきは、教えるのではなく、手本を見せながら言葉で伝えること。

また、料理の最中に次のように呟いてみる。

「ママは疲れてるから、本当はやりたくないの。でもママがやらないとみんなご飯食べられないでしょ?」

すると、子どもは、ママがやらないと食べられないんだ、やらなきゃいけないんだと気付き、責任感や自制心も育まれる。このように、日々の何気ない会話でも子どもの考える力は育っていくそうだ


こういう会話は、日本では多分少ないんでしょうね。
一方的に「やりなさい」で終わっているような・・・。

でも、子供だって、いろいろ「知りたい」のですね。
子供にとって「見ること、聞くこと」すべてが「初めて」
なんですから・・・。

過保護な親はもったいない!

ここまで読んで、アメリカだからできるんじゃないの?と思う人もいるかもしれない。しかし、私たちが暮らす日本に、アメリカにはない素晴らしさがあった。

ボークさんは日本の素晴らしさを伝えるため、スカイさんが中学2年生の時に1年間日本で暮らしていた。その時、「日本の暮らしは、どう?」と尋ねると、面白い返事が返ってきたという。

「日本ってすごい自由!」

この言葉にボークさんは驚いたそう。自由の国アメリカで暮らしていたのに、日本が自由?

アメリカは車がなければどこへ行くのも不便で、危険なことも多いため13歳までは保護者がいないと行動できない決まりもある。精神的な自由はあっても、肉体的自由は日本に劣るという。

アメリカに比べて日本は安全なので、子どもが何かしたいと思ったら自分で行動できる自由があるんですね。だから、主体性を伸ばすにはアメリカよりも日本の方が理想的な環境なんだなって思いました。

日本に住んでいると考えもしなかったけど、実は日本はそう言う意味でとても恵まれていると思います。日本には、アメリカにない素晴らしさがあるので、もし、親御さんが過保護になっていたら勿体無いです!」

日本だけで生活をしていると、日本の良いところを見失いがちだ。


日本に居ると「近頃。物騒になった」と警戒しますが、アメリカに比べれば
「安全」なのは確かですね。
夜遅くでも「女同士」で飲み歩ける国なんて、日本位でしょう?
ボディガードも無しで・・・。    WWW

でもアメリカでは、殺されるもんね。
「そんな夜遅くに、出かける方が悪い」となりますね。

物騒になったと言っても、まだまだ、日本は安全なんですね。
そう言えば、自動販売機が無造作に外にあるのは、日本くらいですもんね。
海外では、設置したその日の内に、壊されるから・・・。

ーー子育てで一番大切なことは何だと思いますか?

子どもをあるがまま認めることですね。その子の存在自体を認めてあげる。それを一番大事にしてきました。

他人と比較するのではなく、その子の基準を見つけて見守る。子どもにとって、1番の安心できる場所が“家族”になりますように。


これがなかなか出来ない。
つい「OOちゃんは、こうするでしょ?」と、比較してしまいます。
でも、子供は一人一人みんな違います。大人だって違うんだから。

子供がいる事の幸せは、忘れがちですもんね。   WWW

【プロフィール】
ボーク重子(ぼーくしげこ)/起業家。ロンドンの大学院で現代美術史の修士号を取得後、南仏で出会った夫との結婚を機に1998年ワシントンDCに移住。2004年ワシントンDC初のアジア現代アート専門ギャラリーをオープン。2年後には米副大統領夫人、美術館や有名コレクターなどVIPが顧客のトップギャラリーに。2006年アートを通じての社会貢献を評価され、ワシントニアン誌によってオバマ大統領(当時上院議員)やワシントンポスト紙副社長らとともに「ワシントンの美しい25人」に選ばれる。現在は、アートコンサルティング業とともに、ライフコーチとして全米、日本各地で子育てやキャリア構築、ワークライフバランスについて講演、ワークショップを展開中。


世界最高の子育て 「全米最優秀女子高生」を育てた教育法 [ ボーク重子 ]

価格:1,620円
(2019/4/7 18:06時点)
感想(2件)






   BY いいとこどり



2019年04月10日

世界へ飛び出すための“見えない教養    〜若者よ!世界へ飛び出せ〜

ただ英語が出来るだけでは、世界に通用しない。
世界と付き合いたいなら「教養を磨け」ということですね。

新指導要領で2020年度から「英語」が始まりますが
ただ英語が話せるだけではダメで、世界の常識を
身につけなければならないようです。

教養と言うと漠然としていて、具体的なことがわかりません。
そこを解説している記事です。

子どもの頃から身につけさせたい!世界へ飛び出すための“見えない教養”
4/7(日) 11:30配信 FNN.jpプライムオンライン

海外で仕事をしたり、学んだりすることで、自分もグローバル社会へと飛び出していきたいと思っている人も多いだろう。

だが、どんなに英語ができたとしても、グローバル社会には日本の常識が通じない時がある。それを知らないで飛び出していくのと、しっかりと身に着けて飛び出していくのとでは大違い。

(中略)

「グローバル化が進む日本においてもこれからますます日常生活や仕事でグローバル社会の常識を知っていることがアドバンテージとなっていくことと思います。その常識の第一はグローバル社会は招かれて入るものではなく、自分から『入れて!』と参加するもの」だというボークさん。

そのために特に大切なのは「考える力」だと語った。

(中略)

「娘が2歳の時に、“プレイグループ”という近所のお母さんたちと、先生を雇い交代でお世話をするというグループがあり、そこに行きました。お母さんたちも国籍は違い、いろいろな国の人がいました。でも、私だけ浮いていたんです。それは、娘にも影響していました。私が他のお母さんたちの輪に入れずにいたから、プレイグループの後、遊びに誘ってもらえず、娘も一人ぼっちだったんです。

他のお母さんたちと私の英語力に差はないのに、何が違うのだろう…と観察したんです。観察して、考えた末に、このお母さんたち、そして夫の関係で出会うグローバル社会で活躍する人たちの“6つの共通点”を見つけました。そして、それが私にないということも知りました。それを身につけないと、娘も私にようになってしまうと思い、行動を起こしたんです」

この6つの共通点をボークさんは物事の考え方や会話術などの“目に見えない教養”と礼儀作法やマナーなど“目に見える教養”とに分け、それぞれ経験談と共に紹介している。

【6つの共通点】
1. リベラルアーツを学び自分の意見を持つ
2.Causeという自分らしい社会との関わり方を持つ
3.教養あふれる会話と会話術を身につける
4.グローバル教養に欠かせない「外からみた印象」
5.グローバル教養あふれる食事の仕方
6. グローバル社会でネットワークを築くための社交ルール


誰かに誘われるのを待っていては、いつまでも馴染めません。
自分から積極的に入り込まないと、海外の社会では孤立する。

その為に必要な常識が「教養」だと言っています。

大切なのは「自分の意見」

まず、物事の考え方や会話術など目に見えない教養について、「リベラルアーツ的思考力」をボークさんは挙げた。リベラルアーツとは、“自分を知り、自分の意見を構築する教育”だといい、その過程で「自分ならどうしたいのか」や「自分はどう生きていきたいのか」と自問することで、自分らしい自分にとっての最適な生き方も見つけることができるという。

特に驚いたのは、意見の交換をしていても、否定や批判されることを怖がっていないことです。間違っていたら大変、こんなことも知らないと思われたら…と思うじゃないですか。でも、グローバル社会では意見を言わない人=存在しない人になってしまうので、意見を言わない人はみんなの輪の中に入れないんです。私がそうでした。

リベラルアーツは、日本では一般教養と訳され、プラトンなどの書籍を読むことが大切だと思われるかもしれませんが、読んで知識を集積するというよりも読んだことを『自分にとっての正義、コミュニティーとは?』や『幸せとは?』『働くとは?』といったことを考えることに生かすことが重要です
自分に対して問いを立てて、答えを発見し、自分というものを探していく、これがリベラルアーツです」


「自分は何がしたいのか?」を明確に持つ。
「自分はこう思うけど、みんなはどう思う?」と言う姿勢です。

子どもにとって家庭は一番影響を受けやすい場所です。『学校で何したの?』と問いかけるだけで、子どもは何をしたか振り返り、考え始めます。
私も含め質問や議論という教育を受けてきていない親世代は質問するのが苦手かと思いますが、リベラルアーツ的思考力を鍛えるためには質問し意見を引き出すことが重要です」

意見を構築するためには、人に質問をしてもらうことが必要で、ボークさんは娘と対話をしながら、徐々に自分も意見を持つということを始めた。大人になってからこれまでの習慣を変えることは難しいが、意識をすることで徐々に自分を変えていったという。


日本人に決定的に足りない経験です。
学校でもこういう教育の機会は、世界に比べて圧倒的に
足りていません。

私の経験で「青少年国際交流登山」というのがありました。
世界の高校生を集めて「登山」を通して、交流させるイベントですが
隔年で、日本と海外で開催しました。

この最後の段階で、高校生同士が発表をして質疑応答をするのですが
日本の高校生の発言が全くありませんでした。

海外からの高校生たちの意見に太刀打ちできなかったのです。

この時の経験から、子供との会話が変わりました。
子供に質問して、その答えに又質問する。
そうして、子供に自分の意見を構築させるようにしました。

要は、議論に慣れさせる。と言うことをしたのです。

それからは、片言の英語でも、自分の意見を言えるように
徐々になって行ったのでした。

社会に無関心でいてはいけない

続いて、グローバル社会を生きる上で、大切なものとして「Cause(コーズ)」を挙げている。これは「自分はどう社会とかかわっていきたいか」と自問をし、「自分一人ではなく、社会の役立つ一員となる大きなビジョンを持つ」という生き方で、今やビジネスでも取り入れられているものだという。そして、アメリカでは「エリート大学への入学でもCauseは求められている」とボークさんは言う。

「いわゆる“エリート大学”は、自分の大学で教育することで、どんな社会に役立つ人材に育ってくれるのかということを考えます。もう、テストの点数が良いという判断だけで決めていません。
例えば、『歯科医になりたい』という夢を持っていたとして、Causeがあると『口腔崩壊した子どもたちのために月に1回無料で治療できるクリニックを開きたい』といった世の中がもっと良くなることを考えたビジョンを抱くようになるかもしれません。そんな共感力あるビッグビジョンを持っている人がこれからの世の中には必要なのです


私個人の考えでは「英語教育」の前に、日本語の教育をしっかりと
やるべきなのではないか?
と言う考えがあります。

言葉の使い方を知らないままに「英語」を覚えても
自分の考えを相手に伝えることが出来ない。と思っています。

日本語でのコミュニケーション力が無いのに、英語が話せるだけでは
外国人とのコミュニケーションだってとれません。

ここで質問!あなたが海外で生活してるとして、近所の友人から「19時からのホームパーティー」の招待を受けたら、あなたは何時に友人宅へ行きますか?

その答えをボークさんは「スタート時間より前に着くのはダメです!」と厳しく指摘した。

「時間ちょうどもダメです。5分から15分程度、遅れていくことが礼儀です。これは特に、家に招待されている場合ですが、主催者は19時まで準備しているんです。
準備中に着くことになるのは大変失礼です。もちろん、ビジネスミーティングやレストランの場合は時間通りに行くことが大切ですが、これも早めに到着することはありません」


日本では「約束の時間の10分前に行く」のが常識でしょうが
海外では、それはダメということらしいですね。

「郷に入れば郷に従え」と言うことわざが日本にはありますから
それで行けば、「遅れて行け」ということになります。

日本での常識で海外を見ると、海外では「非常識」と言うことは
多々あると思われます。

これが「教養」というものなんですね。

結局、小手先の会話力ではなく、「人間力」を高めることが必要だ。
そうでなければ、世界には通用しない。ということです。

英語教育も、そういう観点で親は考えなければなりませんね。



  BY いいとこどり





「毒親」にならない為には・・・    〜子供の自由を考える〜

ついつい「過干渉」になってしまう親心。
そんな親心に潜む「毒親」予備軍にならないための
方法が書いてあります。

非常に参考になると思います。

まさか自分が…多くの親に潜む「毒親」の兆候
従順な優等生がストレスで豹変することも

親野 智可等 : 教育評論家
2017/05/23 6:00
東洋経済オンラインより

(前略)

みなさんはこのような微妙な過干渉をしていませんか?子どもの人生は子どものものですから、親が奪ってはいけません。子どもを親のコピーにしたり、親の自己実現のために利用したりしてはいけないのです。子ども自身がやりたがることを応援してあげましょう。そして、自分がやりたいことを自分で見つけて、どんどんやっていける人生にしてあげてください。


記事が長いので、いつも長文のコピーになるので、
原文はリンクから読んで下さい。

で、子供の人生を応援する立場で、子育てをしましょう。
と言う内容なんですが、ついつい「過干渉」になるのも
親心ですよね。

でもそこをグッと我慢して、子供を第一に考えなければいけないと
大いに反省しております。       WWW

親が子供の時にできなかったから、子供にはやらせたい。
これが危ないということです。
子供も本当に同じことが好きなら、それでいいですが
親に合わせている可能性があるらしいのです。

ここを見極めないと、子供は、非常に不幸になります。


子供が本当にやりたいことは何か?

これを探るのが、親の一番大事な仕事なんですね。
それ以外はどうでもいい…、とは言いませんが     WWW

これを見つけて、子供に自由にさせて挙げられれば
それで子育ては成功。
親は応援するのみ、です。

子供の人生は、子供の物です。
親が奪うようなことは出来ません。


好きで子供を作ったのであって、子供は勝手に生まれた
訳ではありませんから、子供を責めるのはお門違いです。
しかも、子供には親を選ぶことが出来ません。
子供は親が大好きなんです。

そういう子供を不幸にしてはいけませんよね。

頑張りましょう!


  BY いいとこどり



参観日は、子供を褒める絶好の機会です。  〜決して、叱らないで〜

参観日のシーズンです。
親としての参観日への心構えで、いい事が書いてありました。

4月授業参観に「行くだけの親」が見落とす本質
4/9(火) 6:10配信 東洋経済オンライン

4月授業参観に「行くだけの親」が見落とす本質

 4月は入学や進学のシーズン。子どもたちを取り巻く環境は大きく変わります。学校が変わる子も多いでしょうし、そうでない子も学年とクラスは変わります。もちろん友だちも変わり、先生も変わります。

 そんな新しい環境の中、多くの学校で授業参観が行われます。長年、小学校の教師として子どもたちを見てきた私としては、ぜひ、この初めての授業参観を有効活用してほしいと思います。そして、そのためにはちょっとしたコツがあります。

■「授業参観」最優先で見るべきは…

 まず、強調したいのは、「授業参観」という名前になってはいますが、実は親が見るべきいちばん大事なものは授業ではないということです。いちばん大事なのはズバリ“休み時間”です。

 子どもが休み時間をどのように過ごしているか、ぜひ見てください。そうすれば、新しい環境に適応できているか否かがよくわかります。授業では、子どもたちはそれぞれの席に座って、先生の指導のもとみんな同じように行動しています。言ってみれば、よそ行きの行動ばかりです。でも、休み時間は違います。子どもたちの本当の姿が見られるのです。

 多くの場合、授業参観は5時間目なので、可能な場合はちょっと早めに行って、その前の昼休みの時間から見るようにするといいでしょう。理想を言えば、親が自分を見ているということに、子どもが気づいていない状態で見られればいちばんいいでしょう。子どもが親の目を意識すると、普段と違う行動をする可能性が出てくるからです。


そうですね。休み時間は子供の本来の姿が見られるかも・・・

休み時間に楽しく幸せそうなら適応できていると言えます。中でも大事なのは友だち関係です。子どもの悩みでいちばん多いのが友だち関係のことだからです。

 もちろん、休み時間には読書をしたり絵を描いたり、1人で過ごしたいという子もいます。そうした姿を見ると、親としては心配になるでしょう。でも、本人がそれでいいならよしとしましょう。過度に心配して「みんなと遊ばなきゃダメでしょ」と強制する必要はありません。

 これは私がいつも言っていることなのですが、友だちと遊ばない子には次の4つのタイプがあります。今言った子は3番に当たります。

1. 友だちと遊びたいのになかなか遊べない。とくに避けられてはいないようだ
2. 友だちが遊びたいのになかなか遊べない。どうも避けられているようだ
3. もともと友だちといるより1人でいるほうが好きなので1人で過ごしている。でも、必要に応じて友だちと遊んだり協力したりすることもできる
4. そもそも友だちをまったく欲しがらない。一緒に遊んだり協力したりする気もない


 休み時間の様子を見て、1、2、4に当てはまる場合は、配慮が必要になります。


社会への適応の第一歩ですからね。
「友達百人出来るかな」ですね。

1のタイプなら、先生に頼んで休み時間に一緒に遊ぶ子をあっせんしてもらうといいでしょう。学年始めの4月や5月においては、このタイプはけっこう多いと思います。小学校の3年生以下なら、先生がその子と馬が合いそうな子や遊びのリーダー的な子に「○○ちゃんも遊びに入れてあげて」と言ってあっせんしてあげるだけで、あっさり解決することもあります。

 2のタイプの場合は、避けられている原因を探して対処する必要があります。

 4のタイプの場合、もしかしたら発達障害と診断されるものかもしれませんので、早めに専門家に看てもらうとよいでしょう。もし発達障害だとわかれば、それに応じた対応方法をアドバイスしてもらうことができます。そうでないとわかれば、それはそれで、その子の個性に応じた対応方法をアドバイスしてもらうことができます。

 専門家は、日々いろいろな子どもたちを見ていて経験豊富です。専門家に見てもらわないまま、素人の親があれこれ悩み続けても、展望が開けないまま苦しい時間が過ぎるだけです。子どものためにもなりません。

 なお、昼休みの後に掃除時間を設けている学校も多いと思います。掃除時間も昼休みと同じく子どもたちの本当の姿が見られる時間帯ですので、見ておくといいでしょう。


来週、参観日がありますので、大いに参考にさせてもらいます。

参観日は、子どもの話に出てくる友だちを見ておくいい機会です。前日に友だちの名前をもう一度聞いて、その子たちの席のだいたいの場所も聞いておくといいでしょう。できたら、その子たちとあいさつや会話ができればいいですね。そうすれば、それ以降、子どもが友だちの話をしたときに、より鮮明にイメージしながら聞けるようになります。

 さらには、その子たちの親御さんともあいさつや会話をするなど、顔なじみになっておければ最高です。そうすれば、その後いろいろな情報交換をしたりお互いの交流を深めたりすることもできます。

 また、万一子ども同士の間でトラブルが起こったときも、フランクな話し合いができるので問題解決につながりやすくなります。顔も見たことのない状態のままトラブルが起こったりすると、「相手の親はどんな人なんだろう」とお互い疑心暗鬼になり、問題解決がしにくくなります。


そうなんです。これは、私にも経験があることなので
良く重要性がわかります。

親同士が仲がいいと、子供も仲良くなる。

■参観日を「叱るきっかけ」にしない

 最後に改めて強調したいのは、先ほども触れたように、参観日を叱るきっかけにしないでほしいということです。家に帰って、つい「もっとしっかり○○しなきゃダメでしょ」と叱ってしまった経験がある人は多いと思いますが、これは子どもには切ないことです。

 子どもは、「自分は親にダメな子だと思われているんだ」と感じてしまいますし、自己肯定感も下がってしまいます。それに、口で叱っても、それで改善することはまずありません。

 それよりも、家に帰ったら何でもいいのでとにかく褒めてあげましょう。まずは、「がんばってたね」とか「今日は学校での様子を見られてうれしかった」と言ってあげてほしいです。同時に、より具体的に「□□がよかった」とピンポイントで褒めてあげることも大切です。

 そのためには、学校で子どもの様子を見るときに、「褒めるネタはないかな」という意識を持ちながらプラス思考で見るといいでしょう。褒められれば子どもはうれしいですし、さらに頑張るエネルギーも湧いてきます。そして褒めてくれる親のことが、ますます大好きになります。

親野 智可等 :教育評論家



耳の痛い話ですが、この点を心がけて参観日に臨みましょう。

大変勉強になる記事でした。


  BY いいとこどり


2019年04月09日

子供のトラブル どうたいしょする?

昔は「子供のケンカに親は口出すな」と言うのがありましたが
今どきの子供は、「意図的に相手を傷つける」と言うことがあるようです。
大体、家庭に問題がある子に多いようなのですが、こういう家庭の親は
「モンスターペアレンツ」である場合が多いように感じます。


「子ども同士のトラブルでしょ」ケガさせられたのに謝罪なし、相手の親を訴えられる?
4/7(日) 9:57配信 弁護士ドットコム

「子ども同士のトラブルでしょ」ケガさせられたのに謝罪なし、相手の親を訴えられる

「子どもが怪我をさせられたのに加害者の親から謝罪がありません」「加害者の親に子ども同士のトラブルでしょ、と逆ギレされました」ーー。ネット上では、トラブルを起こした子どもの親が謝罪しないことに対し、怒りの声があがっています。

小学1年生の息子がいるというアカリさん(神奈川県在住・30代・仮名)もその1人です。

「入学して間もないころから、息子は同じクラスのヤマトくん(仮名)に殴られたり、目に指を入れられたり、引っかかれたりということが複数回ありました。病院にかかったこともあり、顔についた傷は半年経っても残っています。担任の先生からは謝罪の電話がかかってきますが、親からの謝罪はありません」(アカリさん)


このケースは、執拗に複数回、特定の相手を攻撃していますから
「子供のケンカ」では済まされない事例だと思います。

ある日、アカリさんの息子はヤマトくんに筆箱で力いっぱい後頭部を殴られ、学校がこわいと言うようになったそうです。

「さすがに我慢の限界です」というアカリさん。加害者の親を訴えることはできるのでしょうか。宮島繁成弁護士に聞きました。

●子どもが高校生でも、「親」が賠償責任を負うことも

ーー加害者のヤマトくんは小学1年生です。慰謝料や治療費を親に請求することはできるのでしょうか

「民法の不法行為(709条)が成立すれば、加害者は被害者に損害を賠償しなければなりません。ただし、加害者に責任能力があることが条件です。

責任能力とは、自分の行為が違法なものであって、法律上非難されるものであることを認識しうる能力を意味します。

本来、人によってばらつきがあるものですが、過去の裁判例や学説によると、小学校を卒業するころ(12歳程度)が境目とされています。このため、未成年であっても責任能力が認められることがあり、その場合は本人が賠償する責任を負います。

ヤマトくんは小学1年生なので、責任能力はなく、不法行為は成立しません。したがって、ヤマトくん本人には賠償義務はありません。

ただし、こういった場合、民法は親が監督者として賠償義務を負うよう定めています(民法714条)。そのため、ヤマトくんが責任を負わなくても、ヤマトくんの親が賠償義務を負うことになります。


そりゃあ、当然ですね。

賠償の対象には、治療費などの実費だけでなく、慰謝料も含まれています」

ーーヤマトくんは小学1年生ですが、加害者が高校生の場合はどうなるのでしょうか

「高校生であれば本人が責任を負うことになるが、お金がない。その一方、お金を持っている親は責任を負わない。そうすると、被害者は泣き寝入りになってしまいます。

最高裁は、親の監督上の不注意と損害の間に因果関係があるときは、親自身が不法行為をおこなったものとして、親が賠償する義務があるとしています。実際にこの考え方に沿って、親に賠償を命じた裁判例はたくさんあります」

●子どもの親に謝罪を強制させることはできない

ーー学校側に責任を問うことはできるのでしょうか

「教師がヤマトくんの暴力を煽った、見て見ぬふりをした、いじめを認識しつつ放置していたなどの特別な事情があれば別ですが、一般に学校が責任を負うことはありません。

ただ、学校の管理下で発生した事故・事件は学校や相手児童の責任の有無を問わず、災害共済給付(日本スポーツ振興センターが運営)から治療費などを受け取ることができます」

ーー子どもの親が謝罪しないことに対しても、怒りの声があがっているようです。内容証明を出すなどして、謝罪を要求することはできますか

内容証明を送り、謝罪してくれるならいいのですが、謝罪は法的な行為ではありませんから、強制させることはできません。

そのため、謝罪しないと言われたらそれで終わりになってしまいます。いやいや謝ってもらっても、被害者としてはすっきりしないかもしれません」

【取材協力弁護士】
宮島 繁成(みやじま・しげなり)弁護士
日弁連子どもの権利委員会、いじめ問題対策プロジェクトチーム、教育法制改正問題対策ワーキンググループ。いじめや体罰など学校問題のほか、法教育、スポーツ問題などに取り組んでいる。中学校及び高校の教員免許を有している。
事務所名:ひまわり総合法律事務所
事務所URL:http://www.himawarilaw.com

弁護士ドットコムニュース編集部



問題は「子供が意図的に相手を攻撃した」と言う場合で
苛めにもつながることですから、放置はできないでしょう。

「何故、攻撃するのか?」を、親は見極めなければなりません。
子供がこういう行動に出る場合、裏に必ず「理由」があるはずです。
子供の言い分をよく聞いて、判断する必要があります。

私の子供(8歳の長男)ですが、小学校一年生の時に
顔を殴られて「アオタン」が出来るほどでした。
先生に聞いても「知らなかった」で済まされたので、相手の親に
直接電話して、状況を説明して、相手の子供に謝るように言いました。

親が家まで来て、謝りましたが、私は、相手の子供に
「何が原因?」と聞きました。
そうすると「僕の体に、給食のお盆が当たった」と言ったのです。
だから怒って殴ったと言いました。

でもそれは、意図的にお盆を当てたわけではありませんでした。
そこを説明して、相手を殴るのはいけない事、家の息子にも
当たったら「ごめんね」と言うことを説明して、双方が
納得したので、握手をさせて終わりにしました。

ただこの時、相手の親が、子供が何か言おうとしているのに
横から庇う様に「お盆が当たったから・・・。」と口を出してきました。
私は「それじゃあ、街のチンピラと同じです。」と言い返しました。

街中で「体が当たった」と言って、いきなり殴りかかってくる様子を
よく見かけていたのです。
「意図的にやったわけではなく、不注意で当たった」訳ですので
謝ればお終いのケースでした。

ここは親が口を出すべき時ではありません。
子供の言い分をきちんと聞いてあげなければいけない時です。
こういうことを繰り返すと、子供は「親が片付けてくれる」と
反省をしなくなります。

この時は、これでおしまいにしましたが、再度こういうことがあれば
その時ははっきりと言おうと思っていました。
がしかし、それ以後は、この子とは「お友達」として付き合っていましたので
間違った対応ではなかったと、安心しました。

ただ、この子は、他の子ともトラブルを起こしていることが
後で「ママ友」から聞きました。
短期間ですが「不登校」になった子供が居たようなんです。

こういう子供は、きっと、どこの学校にも少なからずいると思います。
でも、子供にもその理由があるはずなんです。
そこを親は、見極めてやることが必要だと思います。

親同士が相談できれば、一番いいです。
どうしたら子供たちが幸せな学校生活を送れるか?
そういう話し合いは必要だと思われます。

子供は地域で育てる。

これが一番いい方法だと、私は思っています。



 BY いいとこどり


PTAをやらない理由を言わない。と言う選択肢   〜小学校PTA〜

PTAへの参加は、本来、任意参加です。
しかしながら、現状では中々そうなってはいません。

参加は「義務」とまでいうPTAもあります。
言わんとしていることはわかります。「子供の為に・・・」
ですよね。

しかし色んな家庭がありますから、参加できない家庭も
少なくはありません。

強制的に参加させても、実際に活動してくれなければ
意味がありません。

ここに一つの意見があります。

今年のPTA委員決めは「できない理由を言わない」ことで辛い人を守ろう
大塚玲子 | ライター、編集者、PTAジャーナリスト
4/7(日) 10:00   Yahooニュースより

「みんなが言うから言う」をやめませんか? 委員決めにお父さんが出たっていいのです(ペイレスイメージズ/アフロ)

 今週は多くの学校でPTA委員決めが行われますが、この春こそは、辛い思いをする母親が出ないようにしたいものです。

 そのためには、先日の記事*でもお伝えしたように「委員を必ず何人出す」という仕組みをまず見直す必要がありますが、残念ながらもし変わらないまま当日を迎えた場合は、どうしたらいいでしょう。

*参考)PTA委員決め「必ず何人」は不要 もう、泣くお母さんを出さないために(大塚玲子)
 みなさんにお願いしたいのが、せめて「できない理由を言わない」という試みです。

 PTAでは、ほかの人たちの前で「できない理由」を言うことが当たり前になっていますが、冷静に考えれば異常なことです。PTAは本来(法律上、と言い換えてもよい)義務でなく「やりたい人がやるもの」ですから、「できるけれど、やらない」という選択もアリです。ということは、「できない理由」という個人的な事情を明かす必要はないのです。

 買い物をしたドラッグストアで「会員にならない理由を言え」などと言われたら、「はい?(なに言ってんだ)」と思うでしょう。PTAだって本当はこれと同じです。

 みなさんもお子さんが小学校に入る前、初めて「PTAでは、できない理由を言わされる」と聞いたときは、ドン引きしなかったでしょうか。もう見慣れ過ぎて頭が麻痺しているかもしれませんが、その最初の感覚はまっとうでした。

 やるならやるで引き受ける。やらないならやらないで引き受けない。それだけでいいのです。できない理由を言わなくても、本当は済むはずです。



正論ではありますが、学校行事が成り立たなくなるケースも
あるかもしれませんよ?

なかには当然、ほかの人に「できない理由」を言いたくない人だっています。たとえば最近もツイッターで、こんな発言を見かけました。

○役員決めの手紙が配られた。病気で免除を希望する場合には、病名を記入する欄がある。私は難病だが、周囲に言っていない。言わなければいけないのか? PTAにそんなことを聞く権限があるのか?

○PTAの役員免除を受けるには、みんなの前で理由を発表しなければいけない、という話を聞いて、子どもを持つことをあきらめようと思った。私は大勢の前で喋ることに恐怖を感じる心の病気です。

 みんなが「できない理由」を言えば、こういう人たちも言わざるを得なくなります。「理由を言わない」ことを、スタンダードにしていく必要があります。(*1)

*無言で、深々と、頭を下げた

 筆者もかれこれ9年前、子どもが小学校に入った最初の年、学級代表の委員がなかなか決まらず、母親たちが順繰りに「できない理由」を言う場に居合わせました。

 でも、どうしても「言えない、言いたくない」と思いました。

 だって、できなくはないのです。フリーランスですから、時間の都合はつけられます。睡眠時間か仕事時間を削れば、参加はできる。

 ただその分、体調を壊しやすくなったり、収入が減ったりするわけで、それでも「できる」=「PTA活動をやらなければいけない」ことになるのか?

 それに、仕事をしているから子どもを学童に預けているのに、平日日中に学校で行われるPTA活動に出られたら、おかしいのではないか? 子どもを学童から帰されても文句を言えなくなるのでは?

 等々のもやもやした疑問がかけ巡り、頭が爆発しそうでした。

 母親たちが端から順に「できない理由」を言っていくなか(保育園のとき大勢いた父親たちはどこへ消えた!?という疑問もありました)、最後に私の番がまわってきました。

 何も言えず、無言で深く、頭を下げました。理由を言う気がないことは、誰が見ても明らかだったのでしょう。問いただされることはありませんでした。

 こんなふうに無言で流すのが気まずければ、「すみません、理由は申し上げられませんが、お引き受けできません」と言うのでも、なんでも構いません(*2)。「理由を言わない」を、ちょっとずつでも、当たり前にしていけないでしょうか。 


周りがそれで察してくれれば、問題はないです。
でも、そんなケースは「稀」ではないでしょうか?

 なおこのとき、理由を言わせる役回りの役員さんや先生を、責めないでもらえたらと思います。他人のことを言う前に、まずは自分の行動から。「毎年言わせるから言わせる」人も、「みんなが言うから言う」人も、さして違いはありません。

 もちろん進行役の役員さんや先生たちにも、本当は考えてほしいです。「言わせることになっているから、言わせる」のは、果たして、正しいことなのか。

 もしやむを得ず「できない理由」を言う・言わせるなら、せめて来年度は同じことが起きないように、“委員を必ず何人出す”という仕組みを変えるよう、あとで役員さんや校長に働きかけてもらえないでしょうか。

 お父さんたちも、妻がもしPTAのことで溜息をついていたら知らんぷりをせず、話を聞くなり、代わりに委員決めの保護者会に出席して引き受けるなり断るなりしてもらえればと思います(役割が逆の場合は、妻も同様に)。

 念のため付け加えておくと、筆者はその後委員や部長を何度もやり、想像していたほど恐ろしいものではなく、面白い面もあることを知りましたが、「だからやるべきだ」とは思いません。PTAは決して、義務ではないのです。

*1 病名(病歴)は、個人情報のなかでも最も取り扱いに注意が必要な“要配慮個人情報”に当たります。PTAにそういった情報を集める権限はもちろんありません
*2 書面であれば「一身上の都合により」というデリカシーある表現を使えますが、稀に「“一身上の都合”は認められない」とするPTAもあります。その場合「理由はお伝えできません」と言い直す必要があります

大塚玲子
ライター、編集者、PTAジャーナリスト
主なテーマは「PTAや学校」と「いろんな形の家族」。取材執筆、講演、出演等。著書 『PTAをけっこうラクにたのしくする本』『オトナ婚です、わたしたち』『PTAがやっぱりコワイ人のための本』(全て太郎次郎社エディタス)、共著『子どもの人権をまもるために』(晶文社)、『ブラック校則』(東洋館出版社)。ひとり親。定形外かぞく(家族のダイバーシティ)代表。連絡先:ohj@ニフティドットコム


難しい問題で、一概には結論できませんが、「相手の意見を尊重する」という
観点で、無理な押し付けは止めたいですね。

人間「得手不得手」がありますから、・・・

でもね?  子供たちが生きた学習をする為なら
親は、頑張れませんか?

親のエゴで、子供たちが嫌な思いをしないように
して上げたいではないですか。



      BY いいとこどり


検索
読者登録
< 支 援 広 告 > 高校生の心に、火を灯す授業|キャリア学習プログラム「カタリ場」 東日本大震災後、一人ひとりの寄付/募金でできた放課後学校 / コラボ・スクール
応援し隊 リンク集
QRコード
最新コメント
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。