2015年09月08日
久しぶりの自由な生活B
わたしは偉そうな人間だ・・と、この前の日記を読み返してあらためて思った。
自分の考えや思いが受け入れられないとカッとして、解ってもらえるまで言い続ける。
しまいには、本当は思ってないのにひどい暴言を放ってしまう。
あとで激しく後悔するが『喉元過ぎれば熱さを忘れる』同じことの繰り返しだ。
恐ろしい。
今まで両親には、ただただ助けられて支えられてきたのに、どの口が言うか・・という感じだが
自分の思いを理解してもらえないと感情が止まらなくなってしまうのだ。
悪いクセだ。
わたしの人生、この12年ほどで色んなことが変わったけれど、変わらないのはこの気性・・。
さて、あっという間に9月が始まり、きっとあっという間に9月も終わるのだろう。
この自由な生活(失業保険をもらってる身、あまり大きな声では言えないが)も
終盤にきているんだとお盆の後あたりから、ヒューっと心に風が吹くような妙な寂しさを感じる
いや、この上ないほど寂しさだらけだ。
いや、正直、このまま鍵をかけて引きこもってしまうのではないかというぐらいだ。
「社会に出るのが怖い〜いやだあ〜〜」とじたばたと床で駄々をこねてる子供のような気持ちに
なっている。
わたしはメンタルが本当に弱いなあ。
失業中の身、情報としてちょっとだけ掘り下げてこの失業給付について書くと・・。
5月の末の説明会から始まった、わたしの失業給付生活。
派遣任期満了での退職は、3ヶ月待機せずに給付を受けることが出来るのかがとても不安だった。
失業保険に関してネットで色々調べたが、本当に沢山の情報が錯綜していたためはっきりと
したことがわからなくて、なんだか不安で落ち着かず、気持ちも不安定気味だったが・・。
わたしのようなケースは、7日間の待機期間を過ぎれば、認定・給付を受けることが出来て
ほっとした。
手当てについても、給料の6割ぐらいを想定していたが、実際は7.5割ぐらいの給付ということで
本当にありがたく、皆の税金をもらってるのだから大事に活用して過ごさなければ・・と思う。
(その人の収入によって6〜8割とのこと)
仕事探しは定期的に行っている。
ハローワーク経由と、求人サイトからの応募で履歴書を送ったが落ちてしまったけど。
過去(15年ほど前)には、新卒の会社を自己都合で退職して、3ヶ月待機した上で90日の給付を
受けたことがあるが、その頃からはずいぶん制度も変わったようだ。
若い頃はあまり国のことに関心がなく、ニュースも気にして観ていなかったからわからなかったが
本当にどんどん制度の見直し・改革が行われてきたんだなあと思う。
国の制度は融通の利かない事も多々あるけれど、この失業保険の制度に関しては
わりあいというか、かなり失業者に優しいかも知れない。
決められたことをきちんとしていれば認定を受けられるという、淡々と役所的な側面もありつつ
28日ごとの認定日には、認定後に2階の職業相談コーナーに案内されるという流れなのだが
相談員さんは、とても親身で温かだなあと思う人が多い。
さらにこれが、認定のための活動の1回としてカウントされる。
過去、こうだったかなあ(15年前の記憶が消えつつある)。
たぶん、こういう流れじゃなかったはず。
失業認定における求職活動とは、住んでいる市によっても基準が違うようだがわたしの住む札幌では
履歴書の応募や、ネットでの応募(ネットでの単なるエントリーが含まれるかはグレー)。
ハローワークや、各区にある関連施設での求人検索(家でネットを見るだけはだめ)や職業相談。
そして、職安主催のセミナーへの参加など。
28日のうちに2回、求職活動の実績が必要になる。
わたしは7月にセミナーに参加してみた。
大きな書店の入ってるビルで、履歴書の書き方について学ぶセミナーに申し込んだのだが
お世辞抜き(?)に、とても参考になった。
全4回のシリーズものなのだが、どれに参加してもいい。
(シリーズ全部申し込むのが本当は一番いいのだが。)
全部参加したかったのだが、都合が合わなくて申し込めなかった。
残り1ヶ月ほどの給付日数なので、もう参加できないかも知れないが「自分自身を知る」といった
自己PRの部分を掘り下げた回があって、それに参加してみたかったなと思う。
なんだか、もらうための求職活動というのも変な話なのだが、実際、キレイ事を抜きにすると
もらうために活動していることになる。
が、このような参考になるセミナーというのがあるのは、いいなとすごく思った。
6月は、失業給付生活が始まったばかりで不安やわからないことだらけでわりあい慎重に過ごす。
7月は、職探しをしたり、セミナーを受けながらも、現実逃避したような、でもすごく心が
開放された自由気ままな生活を送っていた。
久しぶりに、自分の心も、体も、ものすごく自由になれた気がして調子が良かった。
悩んでた便秘が治り、変な食欲も起きず、冬の間に太ったのが一気にやせた。
大きな声では言えないが、ノンストレスとはこのことだな、体にもそれが現れるのだと
つくづく思った。
まだ、どうにかなると気楽に考えれた期間。
7月末に母が実家に戻り、1人になった。
8月の始めは開放的な生活をしていたが、お盆が終わったと同時に(しかし祖母の初盆なのに
実家にも帰らないとは・・)わたしの心の開放は終わってしまった気がする。
今は、これから向き合っていかないとないといけない現実と将来を思い、ただただ不安と恐怖で
夜眠れない日がある。
本当に、7月から8月始めの開放感はどこへやらだ。
わかりやすく、また便秘になってしまったし、体調も不安定。
情けない。
もう1つ、前の日記について書いた実家のことだが、驚くほどの展開で事が進んだ。
わたしと母が札幌に戻ってしばらくして父が動き出し、なんと即日で運よく祖母の家が売れたのだ。
ほんと、ビックリするようなタイミングでの売れ方だった。
(長くなったので、またつづく)
本来は90日間の失業給付期間であったが、数回の応募をしても就職が決まらなかった場合
『個別延長給付』という給付がされることになる。
これは60日間の延長が付くので、わたしの場合は計150日間であった。
条件が色々あり、その人の状況によっても変わってくるので、ハローワークに聞いてみた方が
いいと思う。
わたしの場合は最初から該当していたため、初回の認定の際に『個別延長給付』のお話を
受けていた。
自分の考えや思いが受け入れられないとカッとして、解ってもらえるまで言い続ける。
しまいには、本当は思ってないのにひどい暴言を放ってしまう。
あとで激しく後悔するが『喉元過ぎれば熱さを忘れる』同じことの繰り返しだ。
恐ろしい。
今まで両親には、ただただ助けられて支えられてきたのに、どの口が言うか・・という感じだが
自分の思いを理解してもらえないと感情が止まらなくなってしまうのだ。
悪いクセだ。
わたしの人生、この12年ほどで色んなことが変わったけれど、変わらないのはこの気性・・。
さて、あっという間に9月が始まり、きっとあっという間に9月も終わるのだろう。
この自由な生活(失業保険をもらってる身、あまり大きな声では言えないが)も
終盤にきているんだとお盆の後あたりから、ヒューっと心に風が吹くような妙な寂しさを感じる
いや、この上ないほど寂しさだらけだ。
いや、正直、このまま鍵をかけて引きこもってしまうのではないかというぐらいだ。
「社会に出るのが怖い〜いやだあ〜〜」とじたばたと床で駄々をこねてる子供のような気持ちに
なっている。
わたしはメンタルが本当に弱いなあ。
失業中の身、情報としてちょっとだけ掘り下げてこの失業給付について書くと・・。
5月の末の説明会から始まった、わたしの失業給付生活。
派遣任期満了での退職は、3ヶ月待機せずに給付を受けることが出来るのかがとても不安だった。
失業保険に関してネットで色々調べたが、本当に沢山の情報が錯綜していたためはっきりと
したことがわからなくて、なんだか不安で落ち着かず、気持ちも不安定気味だったが・・。
わたしのようなケースは、7日間の待機期間を過ぎれば、認定・給付を受けることが出来て
ほっとした。
手当てについても、給料の6割ぐらいを想定していたが、実際は7.5割ぐらいの給付ということで
本当にありがたく、皆の税金をもらってるのだから大事に活用して過ごさなければ・・と思う。
(その人の収入によって6〜8割とのこと)
仕事探しは定期的に行っている。
ハローワーク経由と、求人サイトからの応募で履歴書を送ったが落ちてしまったけど。
過去(15年ほど前)には、新卒の会社を自己都合で退職して、3ヶ月待機した上で90日の給付を
受けたことがあるが、その頃からはずいぶん制度も変わったようだ。
若い頃はあまり国のことに関心がなく、ニュースも気にして観ていなかったからわからなかったが
本当にどんどん制度の見直し・改革が行われてきたんだなあと思う。
国の制度は融通の利かない事も多々あるけれど、この失業保険の制度に関しては
わりあいというか、かなり失業者に優しいかも知れない。
決められたことをきちんとしていれば認定を受けられるという、淡々と役所的な側面もありつつ
28日ごとの認定日には、認定後に2階の職業相談コーナーに案内されるという流れなのだが
相談員さんは、とても親身で温かだなあと思う人が多い。
さらにこれが、認定のための活動の1回としてカウントされる。
過去、こうだったかなあ(15年前の記憶が消えつつある)。
たぶん、こういう流れじゃなかったはず。
失業認定における求職活動とは、住んでいる市によっても基準が違うようだがわたしの住む札幌では
履歴書の応募や、ネットでの応募(ネットでの単なるエントリーが含まれるかはグレー)。
ハローワークや、各区にある関連施設での求人検索(家でネットを見るだけはだめ)や職業相談。
そして、職安主催のセミナーへの参加など。
28日のうちに2回、求職活動の実績が必要になる。
わたしは7月にセミナーに参加してみた。
大きな書店の入ってるビルで、履歴書の書き方について学ぶセミナーに申し込んだのだが
お世辞抜き(?)に、とても参考になった。
全4回のシリーズものなのだが、どれに参加してもいい。
(シリーズ全部申し込むのが本当は一番いいのだが。)
全部参加したかったのだが、都合が合わなくて申し込めなかった。
残り1ヶ月ほどの給付日数なので、もう参加できないかも知れないが「自分自身を知る」といった
自己PRの部分を掘り下げた回があって、それに参加してみたかったなと思う。
なんだか、もらうための求職活動というのも変な話なのだが、実際、キレイ事を抜きにすると
もらうために活動していることになる。
が、このような参考になるセミナーというのがあるのは、いいなとすごく思った。
6月は、失業給付生活が始まったばかりで不安やわからないことだらけでわりあい慎重に過ごす。
7月は、職探しをしたり、セミナーを受けながらも、現実逃避したような、でもすごく心が
開放された自由気ままな生活を送っていた。
久しぶりに、自分の心も、体も、ものすごく自由になれた気がして調子が良かった。
悩んでた便秘が治り、変な食欲も起きず、冬の間に太ったのが一気にやせた。
大きな声では言えないが、ノンストレスとはこのことだな、体にもそれが現れるのだと
つくづく思った。
まだ、どうにかなると気楽に考えれた期間。
7月末に母が実家に戻り、1人になった。
8月の始めは開放的な生活をしていたが、お盆が終わったと同時に(しかし祖母の初盆なのに
実家にも帰らないとは・・)わたしの心の開放は終わってしまった気がする。
今は、これから向き合っていかないとないといけない現実と将来を思い、ただただ不安と恐怖で
夜眠れない日がある。
本当に、7月から8月始めの開放感はどこへやらだ。
わかりやすく、また便秘になってしまったし、体調も不安定。
情けない。
もう1つ、前の日記について書いた実家のことだが、驚くほどの展開で事が進んだ。
わたしと母が札幌に戻ってしばらくして父が動き出し、なんと即日で運よく祖母の家が売れたのだ。
ほんと、ビックリするようなタイミングでの売れ方だった。
(長くなったので、またつづく)
本来は90日間の失業給付期間であったが、数回の応募をしても就職が決まらなかった場合
『個別延長給付』という給付がされることになる。
これは60日間の延長が付くので、わたしの場合は計150日間であった。
条件が色々あり、その人の状況によっても変わってくるので、ハローワークに聞いてみた方が
いいと思う。
わたしの場合は最初から該当していたため、初回の認定の際に『個別延長給付』のお話を
受けていた。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く