2016年01月20日
色々思ったけど
1月も20日を過ぎようとしてる。
なんだか、とにかく、毎日を『頑張って』過ごしてたように思う。
とにかく、1日1日が気持ちが重かった。
情けない。
あんなに、仕事を始める頃に『一定な気持ちで適度に頑張りたい』『頑張り過ぎない』とか
言ってたのに、なんだか重いのだ。
急激な寒さも手伝い、毎日、起きて用意して仕事に行って、過ごすことが(読んでる人に怒られ
そうだが)ただ憂鬱で、『頑張って』た。
原因はわかってる。
色んなことが重なったのだ。
それが、自分の気持ちを重くした。
このブログには何でも書いてるようで、こんな風に抽象的にしか書けないけど・・。
平等なようで、ふんわりと漂う不平等さ。
自分は必要なんだろうか・・見てもらえてるのかと思ってしまうようなシステム。
なんとなく自分を抑えて過ごしている感じ。
最初の頃のような自分らしくやれてない閉塞感。
でも、今は耐えて踏ん張るときなんだと、SMAPの解散報道に揺れる中居くんが言っていた言葉を
噛み締めて過ごす(立場が全然違うけど)。
国民的なスーパースターでも、自分の置かれた環境に揺れてどうしようもなく悩むことがあるのだと
考えながら過ごす。
テレビの『あさイチ』で特集してたことを思い出す。
運のいい人と悪い人についての特集だった。
運がいいと思えるか、悪いと思ってしまうかは、結局は自分の考え方次第だという話だった。
わたしの今までの人生は、何度も書いてるが、運は悪くなかったと思える。
ただ、考え方が後ろ向きなのだ。
『わたしだけ?』とか思ってしまう性格なのだ。
不平等、理不尽なことが、世の中で一番嫌いなわたしは、そういう所に敏感なのだ。
それでもそれでも、また『あさイチ』の話になってしまうが、松尾スズキがゲストで出演してて
『言われたことを素直にハイハイって聞いて仕事するの。その方が絶対監督だってやりやすいと
思うし、早く帰れるから』というようなことを言ってるのを聞いて、その柔軟さに感銘を受けたりして
『そうなんだよなあ。今は置かれた状況を毎日きちんと頑張っていればいいんだよな。』と
思い直して、今はこの状況をいい意味で捉えて、この状況をしっかりやっていこうと思ったり。
気持ちが沈んだりして色々思ったけど、結局のところ人に助けられてるここ最近の
自分だ。
テレビだったり、ドラマだったりで勇気や元気をもらったりした。
職場の同僚で気の合う人とパソコンメール交換して、気持ちを話せて温かい気持ちをもらえたり。
昨日はたまたま会社の帰り際に一緒に帰った同僚数人でラーメンを食べる事になり、2時間以上も
話が止まらず、皆色んな思いを抱えていることを知って、共感や元気をもらえた。
今日は、いつも気にかけてくれる別の同僚が(わたしはいつも落ち込みが顔に出やすいから)
『1杯飲もうか』と誘ってくれて、飲んで話して同じような気持ちを抱えてるんだと共感したし
勇気をもらえた。
なんだか、重かった気持ちが少しずつ軽くなってきている。
そういう出来事があるだけ、わたしは幸せで、運のいい人間なのだと思う。
一度落ち込むと、なかなか気持ちを浮上させられなくて情けない。
だいたい、皆、わたしが唸って険しい顔をしてると悩んでると思ってるようだ。
それならまだいいが、本日は、管理者さんの顔をただ見ただけなのに
『どうしたの、憂鬱な顔して』と言われたので『わたし、憂鬱顔なんですよ』なんて言ったが
そうか、わたしはこんなにも人にわかりやすい憂鬱さを出していたんだなと気づいた。
最初の頃、管理者さんに言われたのだ。
『hanogonnさんはいつも楽しそうな顔してて、いいですねえ、いい事だと思いますよ』と。
最近は、そんなこと言われなくなったなあと思っていたら、憂鬱顔になっていたとは。
なんだか、今日の記事はまったく意味のわからない文章になってしまった。
が、細かいことにこだわらず、鈍感力を持ちながら居られるようになりたい。
なんだか、とにかく、毎日を『頑張って』過ごしてたように思う。
とにかく、1日1日が気持ちが重かった。
情けない。
あんなに、仕事を始める頃に『一定な気持ちで適度に頑張りたい』『頑張り過ぎない』とか
言ってたのに、なんだか重いのだ。
急激な寒さも手伝い、毎日、起きて用意して仕事に行って、過ごすことが(読んでる人に怒られ
そうだが)ただ憂鬱で、『頑張って』た。
原因はわかってる。
色んなことが重なったのだ。
それが、自分の気持ちを重くした。
このブログには何でも書いてるようで、こんな風に抽象的にしか書けないけど・・。
平等なようで、ふんわりと漂う不平等さ。
自分は必要なんだろうか・・見てもらえてるのかと思ってしまうようなシステム。
なんとなく自分を抑えて過ごしている感じ。
最初の頃のような自分らしくやれてない閉塞感。
でも、今は耐えて踏ん張るときなんだと、SMAPの解散報道に揺れる中居くんが言っていた言葉を
噛み締めて過ごす(立場が全然違うけど)。
国民的なスーパースターでも、自分の置かれた環境に揺れてどうしようもなく悩むことがあるのだと
考えながら過ごす。
テレビの『あさイチ』で特集してたことを思い出す。
運のいい人と悪い人についての特集だった。
運がいいと思えるか、悪いと思ってしまうかは、結局は自分の考え方次第だという話だった。
わたしの今までの人生は、何度も書いてるが、運は悪くなかったと思える。
ただ、考え方が後ろ向きなのだ。
『わたしだけ?』とか思ってしまう性格なのだ。
不平等、理不尽なことが、世の中で一番嫌いなわたしは、そういう所に敏感なのだ。
それでもそれでも、また『あさイチ』の話になってしまうが、松尾スズキがゲストで出演してて
『言われたことを素直にハイハイって聞いて仕事するの。その方が絶対監督だってやりやすいと
思うし、早く帰れるから』というようなことを言ってるのを聞いて、その柔軟さに感銘を受けたりして
『そうなんだよなあ。今は置かれた状況を毎日きちんと頑張っていればいいんだよな。』と
思い直して、今はこの状況をいい意味で捉えて、この状況をしっかりやっていこうと思ったり。
気持ちが沈んだりして色々思ったけど、結局のところ人に助けられてるここ最近の
自分だ。
テレビだったり、ドラマだったりで勇気や元気をもらったりした。
職場の同僚で気の合う人とパソコンメール交換して、気持ちを話せて温かい気持ちをもらえたり。
昨日はたまたま会社の帰り際に一緒に帰った同僚数人でラーメンを食べる事になり、2時間以上も
話が止まらず、皆色んな思いを抱えていることを知って、共感や元気をもらえた。
今日は、いつも気にかけてくれる別の同僚が(わたしはいつも落ち込みが顔に出やすいから)
『1杯飲もうか』と誘ってくれて、飲んで話して同じような気持ちを抱えてるんだと共感したし
勇気をもらえた。
なんだか、重かった気持ちが少しずつ軽くなってきている。
そういう出来事があるだけ、わたしは幸せで、運のいい人間なのだと思う。
一度落ち込むと、なかなか気持ちを浮上させられなくて情けない。
だいたい、皆、わたしが唸って険しい顔をしてると悩んでると思ってるようだ。
それならまだいいが、本日は、管理者さんの顔をただ見ただけなのに
『どうしたの、憂鬱な顔して』と言われたので『わたし、憂鬱顔なんですよ』なんて言ったが
そうか、わたしはこんなにも人にわかりやすい憂鬱さを出していたんだなと気づいた。
最初の頃、管理者さんに言われたのだ。
『hanogonnさんはいつも楽しそうな顔してて、いいですねえ、いい事だと思いますよ』と。
最近は、そんなこと言われなくなったなあと思っていたら、憂鬱顔になっていたとは。
なんだか、今日の記事はまったく意味のわからない文章になってしまった。
が、細かいことにこだわらず、鈍感力を持ちながら居られるようになりたい。
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