2012年01月18日
1つのことを続けていくこと
こんにちは。
最近よく書いてますが、何かを頑張りたいと思う今日この頃。
昨日、ふと自分の人生を振り返ってみました。
わたしは、今までとにかく必死に頑張った事があったろうか。
もちろん、何かする時は自分なりに頑張ってるけど。
『ヤマハ』のピアノのCMを観て兄と2人で『習いたい!』と言ったのは4歳になる頃。
それからピアノを習った。
最初のうちは楽しくやっていたけど、だんだんと自分の中で義務になっていった。
ピアノの先生が怖くて、ピアノ教室の2日前ぐらいから慌てて練習する日々。
いつしか、自分がやりたいわけではないけど、何事も続けるべきという母の言葉に従い
ピアノの先生に怒られるから・・という理由で弾き続けていた。
ピアノまで買って貰って『実はやりたくなかったんだ』と言ったら、母はガッカリして
いた。
高校2年生の秋に、部活が忙しくて通えなくなり、ようやく辞めれた。
高校時代は演劇一筋だったから、そっちの方がよっぽど面白かったのだ。
勉強は中学時代はそこそこ頑張ってたと思う。
でも、必死だったかと言えば違う。
基礎をしっかりと勉強すれば、必死じゃなくても点数は取れた。
高校になったら、さっぱり勉強しなくなりチンプンカンプンになってしまった。
赤点ギリギリの点数を取ってしまったこともある。
本当に、平平凡凡、中の中。
そこそこ平均ぐらいで、2.5流ぐらいの大学に推薦で合格。
大学に入った4年間はとにかく遊び呆けてしまった。
毎日友達と遊んで、お茶して、お泊りして、買い物行って、授業は毎日寝てしまった。
試験前だけは、慌てて図書館で友達と勉強。
気づいたら4年生になっちゃった。
わたしは、何社か受けたうちの1社に内定をもらい、早々に就職活動をやめた。
その裏でアナウンサーになりたいという夢もあった。
STVの試験の二次面接で原稿を読んだら、緊張で顔がこわばってしまい落ちた。
(3人一組の面接で、今UHBで活躍されている水野悠希さんと一緒の面接だった)
今思えば、大学時代に頑張ったと言えるのは論文だろうか。
それも必死というほどではなかったけど。
北海道の方言である『〜さる(言わさるとか、見らさるとか)』という動詞が
まるで『自分の意思じゃなく、思わずしてしまった』というような人のせいにする言い方?
をする北海道人に疑問を感じて、このテーマの論文を書いた。
最初ゼミの先生に『全然だめだ』と言われた事で一念発起し、この時ばかりは
図書館に通って数ヶ月かけて頑張った。
仕上げた時には、先生に評価してもらえたのがとても嬉しかった。
わたしの今までの人生で一番必死で頑張った記憶は、入社した会社の営業だ。
飛び込み訪問の営業だった為、当たりは強く何度も泣いた。
最初は取れなくてすぐに辞めようと思った。
でも契約が取れるようになった時のその感動が忘れられず、そのうち支社で5本の指に、新卒内では3本の指に入るようになった。
コンスタントに取り続けるhanohanoと言われるようになり、それがプレッシャーでもあり
快感でもあった。
自分を評価をされた事がとても嬉しかった。
でも、気持ちは相当無理をしていた。
わたしは、とにかくメンタルが弱いのです。
でもその弱さを必死に奮い立たせやってたので、毎日朝起きる時はどんよりしていた。
営業に行くまで、苦しくて胃が痛くて、契約が取れるまでとにかく廻り続けては泣いていた。
取れたらホッとしてラクになるものの、また夜中になったら『明日取れなかったらどうしよう』
という気持ちになり落ち込む。
結局、わたしは新卒で入社したその仕事を1年弱で辛くなって辞めてしまった。
辞めた当時は『入社してからコンスタントに結果を出したんだからいいのだ。
わたしは落ちる前に辞めたのだから』
と思っていたけれど、今ならハッキリと言えます。
わたしは、結局1つの事を続ける事が出来なかったのだと。
例え評価されなくても、1つの事をコツコツと続けれる人間の方がよっぽど強くて
偉いんだと。
それから、アルバイトやパート、色んなことを経験してきました。
仕事を覚えるまではとにかく必死だったし、いつも初心者の気持ちです。
ただ、1つの事をずっと必死になって続けられてるかと言われれば、それは違う。
転勤で辞めざるを得なかったり、理由は色々あるけれど。
わたしは、今年は1つの事をとにかくコツコツ続けたい。
そんな何かを見つけたいと模索している日々です
最近よく書いてますが、何かを頑張りたいと思う今日この頃。
昨日、ふと自分の人生を振り返ってみました。
わたしは、今までとにかく必死に頑張った事があったろうか。
もちろん、何かする時は自分なりに頑張ってるけど。
『ヤマハ』のピアノのCMを観て兄と2人で『習いたい!』と言ったのは4歳になる頃。
それからピアノを習った。
最初のうちは楽しくやっていたけど、だんだんと自分の中で義務になっていった。
ピアノの先生が怖くて、ピアノ教室の2日前ぐらいから慌てて練習する日々。
いつしか、自分がやりたいわけではないけど、何事も続けるべきという母の言葉に従い
ピアノの先生に怒られるから・・という理由で弾き続けていた。
ピアノまで買って貰って『実はやりたくなかったんだ』と言ったら、母はガッカリして
いた。
高校2年生の秋に、部活が忙しくて通えなくなり、ようやく辞めれた。
高校時代は演劇一筋だったから、そっちの方がよっぽど面白かったのだ。
勉強は中学時代はそこそこ頑張ってたと思う。
でも、必死だったかと言えば違う。
基礎をしっかりと勉強すれば、必死じゃなくても点数は取れた。
高校になったら、さっぱり勉強しなくなりチンプンカンプンになってしまった。
赤点ギリギリの点数を取ってしまったこともある。
本当に、平平凡凡、中の中。
そこそこ平均ぐらいで、2.5流ぐらいの大学に推薦で合格。
大学に入った4年間はとにかく遊び呆けてしまった。
毎日友達と遊んで、お茶して、お泊りして、買い物行って、授業は毎日寝てしまった。
試験前だけは、慌てて図書館で友達と勉強。
気づいたら4年生になっちゃった。
わたしは、何社か受けたうちの1社に内定をもらい、早々に就職活動をやめた。
その裏でアナウンサーになりたいという夢もあった。
STVの試験の二次面接で原稿を読んだら、緊張で顔がこわばってしまい落ちた。
(3人一組の面接で、今UHBで活躍されている水野悠希さんと一緒の面接だった)
今思えば、大学時代に頑張ったと言えるのは論文だろうか。
それも必死というほどではなかったけど。
北海道の方言である『〜さる(言わさるとか、見らさるとか)』という動詞が
まるで『自分の意思じゃなく、思わずしてしまった』というような人のせいにする言い方?
をする北海道人に疑問を感じて、このテーマの論文を書いた。
最初ゼミの先生に『全然だめだ』と言われた事で一念発起し、この時ばかりは
図書館に通って数ヶ月かけて頑張った。
仕上げた時には、先生に評価してもらえたのがとても嬉しかった。
わたしの今までの人生で一番必死で頑張った記憶は、入社した会社の営業だ。
飛び込み訪問の営業だった為、当たりは強く何度も泣いた。
最初は取れなくてすぐに辞めようと思った。
でも契約が取れるようになった時のその感動が忘れられず、そのうち支社で5本の指に、新卒内では3本の指に入るようになった。
コンスタントに取り続けるhanohanoと言われるようになり、それがプレッシャーでもあり
快感でもあった。
自分を評価をされた事がとても嬉しかった。
でも、気持ちは相当無理をしていた。
わたしは、とにかくメンタルが弱いのです。
でもその弱さを必死に奮い立たせやってたので、毎日朝起きる時はどんよりしていた。
営業に行くまで、苦しくて胃が痛くて、契約が取れるまでとにかく廻り続けては泣いていた。
取れたらホッとしてラクになるものの、また夜中になったら『明日取れなかったらどうしよう』
という気持ちになり落ち込む。
結局、わたしは新卒で入社したその仕事を1年弱で辛くなって辞めてしまった。
辞めた当時は『入社してからコンスタントに結果を出したんだからいいのだ。
わたしは落ちる前に辞めたのだから』
と思っていたけれど、今ならハッキリと言えます。
わたしは、結局1つの事を続ける事が出来なかったのだと。
例え評価されなくても、1つの事をコツコツと続けれる人間の方がよっぽど強くて
偉いんだと。
それから、アルバイトやパート、色んなことを経験してきました。
仕事を覚えるまではとにかく必死だったし、いつも初心者の気持ちです。
ただ、1つの事をずっと必死になって続けられてるかと言われれば、それは違う。
転勤で辞めざるを得なかったり、理由は色々あるけれど。
わたしは、今年は1つの事をとにかくコツコツ続けたい。
そんな何かを見つけたいと模索している日々です
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