2011年12月22日
帰宅しました おくりびと
こんばんは。
しばらく更新をお休みしていました。
札幌に住む伯父が急に亡くなってしまい、父母と私で葬儀に行ってきました。
肺炎だったそうです。
小さく細くなった伯父は、母の兄なので母にそっくりでした。
家族と、妹(母や伯母)夫婦、そして従姉・私とで行った小さな葬儀だったけれど
なんだか印象に残る、そんな数日間の葬儀でした。
おくりびと。
映画で観ましたが、今まで故郷で見てきた湯灌と違って、納棺の方の手つきは
まさに『おくりびと』さながらの雰囲気でした。
ペットの話をしてしまいますが、愛猫の死、葬儀、火葬を体験したわたしにとって
『死』というものの感覚が少し変わってきたような気がします。
肉体と魂が離れた冷たい体だけど、ずっしりと重たい。
もう死んでしまったのだ、会えないのだ・・悲しみや色々な後悔はあったりしても
亡骸がそこに居てくれるだけで、不思議と安心感がある。
それは、焼かれてしまって骨になっても同じ。
そこに居てくれる感覚は変わらず、逆に一区切りが着いたような不思議な感覚になります。
亡くなられる前が一番不安と恐怖なのかも知れません。
わたしは、自分の人生を不思議だと思うときがあります。
(スピリチュアルっぽいことを書いてしまうかも知れないけれど)
何か、巡り合わせ?と感じられてしょうがない時があるのです。
たまたまかも知れないけれど、死を看取ることが多いのです。
母方の祖母が亡くなったときは、たまたま高校を卒業して大学進学前に会いに行った時。
たまたま、祖母が調子を悪くして介護していた伯母たちが病院へ連絡していて
私と母が2人で祖母と居た時に息を引き取りました。
不思議と、そのときだけは、ほとんど何も解らない祖母なのに、母とわたしの事をわかり
声を出したのでした。
その後、大好きだった祖父の時。
亡くなる前の1ヶ月ぐらいたまたま私は職を変えた頃で、その仕事が始まる前の休暇だった。
たまたま入院をしたのに(死ぬという感じじゃなかった)、何だか無性に悲しかった。
もう会えなくなるような気がして。
その1ヶ月後に、突然の危篤となりました。
ビックリして駆けつけてから一週間ぐらい苦しんで亡くなってしまったけど、最後を看取れて
そして『ラクになれたんだ』と何だかホッとしたのを覚えています。
そして、数年前に亡くなった伯父。
とても私のことを可愛がってくれた伯父さんでした。
友達に誘われて、たまたま故郷に帰省した次の日に亡くなりました。
やっぱり、なぜかたまたま伯母や皆が病室から出てる時に危篤となり
看護師さんに知らされて病室に戻った母と私二人が看取る事となりました。
これは一体何なんだろうと思う時があるけれど、たまたまかも知れません。
でも、何だかわたしにとっての役目のような気がしてなりません。
それは私の人生の転機の時に必ず訪れるのです。
不思議だ。
葬儀の終わった昨日の夜、夫から数ヶ月ぶりの電話がありました。
『もしよかったら戻って来て欲しい』と言われました。
正直、面喰っています。
ただ、自分の存在がようやく認められたようで、その言葉だけで心が救われたのは事実。
今までの色々を心から謝ってくれてるのがわかった。
でも、親兄や友達、親戚、色んな人の力を借りてここまで元気が戻ったから、北海道を
離れたくない。
どうするのが一番いいのか、色々迷いがあります。
しばらく更新をお休みしていました。
札幌に住む伯父が急に亡くなってしまい、父母と私で葬儀に行ってきました。
肺炎だったそうです。
小さく細くなった伯父は、母の兄なので母にそっくりでした。
家族と、妹(母や伯母)夫婦、そして従姉・私とで行った小さな葬儀だったけれど
なんだか印象に残る、そんな数日間の葬儀でした。
おくりびと。
映画で観ましたが、今まで故郷で見てきた湯灌と違って、納棺の方の手つきは
まさに『おくりびと』さながらの雰囲気でした。
ペットの話をしてしまいますが、愛猫の死、葬儀、火葬を体験したわたしにとって
『死』というものの感覚が少し変わってきたような気がします。
肉体と魂が離れた冷たい体だけど、ずっしりと重たい。
もう死んでしまったのだ、会えないのだ・・悲しみや色々な後悔はあったりしても
亡骸がそこに居てくれるだけで、不思議と安心感がある。
それは、焼かれてしまって骨になっても同じ。
そこに居てくれる感覚は変わらず、逆に一区切りが着いたような不思議な感覚になります。
亡くなられる前が一番不安と恐怖なのかも知れません。
わたしは、自分の人生を不思議だと思うときがあります。
(スピリチュアルっぽいことを書いてしまうかも知れないけれど)
何か、巡り合わせ?と感じられてしょうがない時があるのです。
たまたまかも知れないけれど、死を看取ることが多いのです。
母方の祖母が亡くなったときは、たまたま高校を卒業して大学進学前に会いに行った時。
たまたま、祖母が調子を悪くして介護していた伯母たちが病院へ連絡していて
私と母が2人で祖母と居た時に息を引き取りました。
不思議と、そのときだけは、ほとんど何も解らない祖母なのに、母とわたしの事をわかり
声を出したのでした。
その後、大好きだった祖父の時。
亡くなる前の1ヶ月ぐらいたまたま私は職を変えた頃で、その仕事が始まる前の休暇だった。
たまたま入院をしたのに(死ぬという感じじゃなかった)、何だか無性に悲しかった。
もう会えなくなるような気がして。
その1ヶ月後に、突然の危篤となりました。
ビックリして駆けつけてから一週間ぐらい苦しんで亡くなってしまったけど、最後を看取れて
そして『ラクになれたんだ』と何だかホッとしたのを覚えています。
そして、数年前に亡くなった伯父。
とても私のことを可愛がってくれた伯父さんでした。
友達に誘われて、たまたま故郷に帰省した次の日に亡くなりました。
やっぱり、なぜかたまたま伯母や皆が病室から出てる時に危篤となり
看護師さんに知らされて病室に戻った母と私二人が看取る事となりました。
これは一体何なんだろうと思う時があるけれど、たまたまかも知れません。
でも、何だかわたしにとっての役目のような気がしてなりません。
それは私の人生の転機の時に必ず訪れるのです。
不思議だ。
葬儀の終わった昨日の夜、夫から数ヶ月ぶりの電話がありました。
『もしよかったら戻って来て欲しい』と言われました。
正直、面喰っています。
ただ、自分の存在がようやく認められたようで、その言葉だけで心が救われたのは事実。
今までの色々を心から謝ってくれてるのがわかった。
でも、親兄や友達、親戚、色んな人の力を借りてここまで元気が戻ったから、北海道を
離れたくない。
どうするのが一番いいのか、色々迷いがあります。
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