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2019年01月09日
川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 9
表1は、駒子が三味線の稽古をしている場面である。駒子と島村は、やり取りをしている間に、お互いに気持ちの整理がついてきた。三曲目にもなれば、いつもの稽古の様子を体が覚えているし、聞き手にもそう聞こえてくる。新曲浦島を引いたところで駒子の目的は達成された。
データベースのセカンドのカラムの設定は、分析をさらに詳細にする効果がある。例えば、振舞いのカラム(直示と隠喩)の焦点を絞って、特に登場人物の顔の表情というジェスチャーについて調べながら、これが脳の信号の伝わり具合とどのように関連しているのか考えることが作者の執筆脳との関係を解き明かしてくれる。表1のカラムの要素を確認していこう。
花村(2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より
データベースのセカンドのカラムの設定は、分析をさらに詳細にする効果がある。例えば、振舞いのカラム(直示と隠喩)の焦点を絞って、特に登場人物の顔の表情というジェスチャーについて調べながら、これが脳の信号の伝わり具合とどのように関連しているのか考えることが作者の執筆脳との関係を解き明かしてくれる。表1のカラムの要素を確認していこう。
花村(2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より
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川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 8
表1 データベースからの抜粋
A 三曲目に都鳥を弾きはじめた頃は、その曲の艶な柔らかさのせいもあって、島村はもう鳥肌たつような思いは消え、温かく安らいで、駒子の顔を見つめた。そうするとしみじみ肉体の親しみが感じられた。
無と創造 1, 1
(五感)情報の認知1と顔の表情 (1+2) 2, 11
人工感情と認知発達 1, 2
B 細く高い鼻は少し寂しいはずだけれども、頬が生き生きと上気しているので、私はここにいますという囁きのように見えた。
無と創造 1, 1
(五感)情報の認知1と顔の表情 (1) 1, 3
人工感情と認知発達 1, 2
C あの美しく血の滑らかな脣は、小さくつぼめた時も、そこに写る光をぬめぬめ動かしているようで、そのくせ唄につれて大きく開いても、また可憐にすぐ縮まるという風に、彼女の体の魅力そっくりであった。
無と創造 1, 1
(五感)情報の認知1と顔の表情 (1) 1, 4
人工感情と認知発達 1, 2
D 粉はなく、都会の水商売で透き通ったところへ、山の色が染めたとでもいう、百合か玉葱みたいな球根を剥いた新しさの皮膚は、首までほんのり血の色が上がっていて、なによりも清潔だった。
無と創造 1, 1
(五感)情報の認知1と顔の表情 (1) 1, 10
人工感情と認知発達 2, 2
E しゃんと坐り構えているのだが、いつになく娘じみて見えた。最後に、今稽古中のをと言って、譜を見ながら新曲浦島を引いてから、駒子は黙って撥を糸の下に挟むと、身体を崩した。
無と創造 2, 1
(五感)情報の認知1と顔の表情 (1+2) 2, 11
人工感情と認知発達 2, 1
花村嘉英 (2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より
A 三曲目に都鳥を弾きはじめた頃は、その曲の艶な柔らかさのせいもあって、島村はもう鳥肌たつような思いは消え、温かく安らいで、駒子の顔を見つめた。そうするとしみじみ肉体の親しみが感じられた。
無と創造 1, 1
(五感)情報の認知1と顔の表情 (1+2) 2, 11
人工感情と認知発達 1, 2
B 細く高い鼻は少し寂しいはずだけれども、頬が生き生きと上気しているので、私はここにいますという囁きのように見えた。
無と創造 1, 1
(五感)情報の認知1と顔の表情 (1) 1, 3
人工感情と認知発達 1, 2
C あの美しく血の滑らかな脣は、小さくつぼめた時も、そこに写る光をぬめぬめ動かしているようで、そのくせ唄につれて大きく開いても、また可憐にすぐ縮まるという風に、彼女の体の魅力そっくりであった。
無と創造 1, 1
(五感)情報の認知1と顔の表情 (1) 1, 4
人工感情と認知発達 1, 2
D 粉はなく、都会の水商売で透き通ったところへ、山の色が染めたとでもいう、百合か玉葱みたいな球根を剥いた新しさの皮膚は、首までほんのり血の色が上がっていて、なによりも清潔だった。
無と創造 1, 1
(五感)情報の認知1と顔の表情 (1) 1, 10
人工感情と認知発達 2, 2
E しゃんと坐り構えているのだが、いつになく娘じみて見えた。最後に、今稽古中のをと言って、譜を見ながら新曲浦島を引いてから、駒子は黙って撥を糸の下に挟むと、身体を崩した。
無と創造 2, 1
(五感)情報の認知1と顔の表情 (1+2) 2, 11
人工感情と認知発達 2, 1
花村嘉英 (2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より
川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 7
5 データベースの作成と分析
「雪国」のデータベースを作成する際、カラムが文理でリレーショナルになるように並べ方を工夫している。購読脳のカラムには、構文論として助詞、時制、態、様相を置き、意味論には、喜怒哀楽、五感(1視覚、2聴覚、3味覚、4臭覚、5触覚)、振舞い(直示、隠喩)、無と創造(其々1ある2なし)を置いている。
次に、顔の表情については、情報の認知1(情報の捉え方 1ベースとプロファイル2グループ化))のセカンドのカラムとして数字を作りたい。例えば、1眉を動かす、2瞼を動かす、3頬を動かす、4唇を動かす、5口を開ける、6顎を動かす、7息を吐く、8鼻を動かす、9目を動かす(細目、薄目、ウインク、瞬き)、10肌色(赤らむ、青ざめる、日焼け、化粧)、11中立を置き、顔の表情の数字と五感及び情報の認知1を組みにする。
さらに驚き、恐れ、怒り、嫌悪などといった感情の基本表現のうち、川端文学では愛情が重要となるため、人工感情の要素は、1原点(無+愛→愛情)と2創造(理想の型+加工→人格)にする。愛が無と組になって愛情となるか、または人格が形成されれば、認知発達でいう目的達成のときにシナジーのメタファーが成立する。
(2)データベースの各場面の信号の流れ
「文法1(助詞)」→「文法2(時制、相)」→「文法3(態)」→「文法4(様相)」→「意味1(五感)」→「意味2(喜怒哀楽)」→「意味3(振舞い)」→「意味4(無と創造)」(言語の認知の出力は「無と創造」、これが情報の認知の入力となる)→「病跡学との接点」→「情報の認知1(情報の捉え方)」→「セカンド 顔の表情」→「情報の認知2(記憶と学習)」→「情報の認知3(問題解決)」→「人工感情(1愛情2人格)」→「認知発達(1目的達成2非ず)」(情報の認知の出力)
花村 (2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より
「雪国」のデータベースを作成する際、カラムが文理でリレーショナルになるように並べ方を工夫している。購読脳のカラムには、構文論として助詞、時制、態、様相を置き、意味論には、喜怒哀楽、五感(1視覚、2聴覚、3味覚、4臭覚、5触覚)、振舞い(直示、隠喩)、無と創造(其々1ある2なし)を置いている。
次に、顔の表情については、情報の認知1(情報の捉え方 1ベースとプロファイル2グループ化))のセカンドのカラムとして数字を作りたい。例えば、1眉を動かす、2瞼を動かす、3頬を動かす、4唇を動かす、5口を開ける、6顎を動かす、7息を吐く、8鼻を動かす、9目を動かす(細目、薄目、ウインク、瞬き)、10肌色(赤らむ、青ざめる、日焼け、化粧)、11中立を置き、顔の表情の数字と五感及び情報の認知1を組みにする。
さらに驚き、恐れ、怒り、嫌悪などといった感情の基本表現のうち、川端文学では愛情が重要となるため、人工感情の要素は、1原点(無+愛→愛情)と2創造(理想の型+加工→人格)にする。愛が無と組になって愛情となるか、または人格が形成されれば、認知発達でいう目的達成のときにシナジーのメタファーが成立する。
(2)データベースの各場面の信号の流れ
「文法1(助詞)」→「文法2(時制、相)」→「文法3(態)」→「文法4(様相)」→「意味1(五感)」→「意味2(喜怒哀楽)」→「意味3(振舞い)」→「意味4(無と創造)」(言語の認知の出力は「無と創造」、これが情報の認知の入力となる)→「病跡学との接点」→「情報の認知1(情報の捉え方)」→「セカンド 顔の表情」→「情報の認知2(記憶と学習)」→「情報の認知3(問題解決)」→「人工感情(1愛情2人格)」→「認知発達(1目的達成2非ず)」(情報の認知の出力)
花村 (2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より
川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 6
川端のいう無は、愛と組むと止揚するため、すでに存在しており、将来もしかりである。こう考えると、愛と組むと止揚する無が存在するなら、存在する無は、バルカンの原理と調節ができ、「無と創造」の組み合わせは可能である。 しかし、それが理系でいうところの何に当たるのかという問題がある。そこで問題解決のために、川端の創造を定理や公式からなる理想の型とし、登場人物は、人工的で畸形に加工できるものとする。
原・小林(2004)によると、顔の表情は、人の人格や人の心理状態または生理状態を表すという。人格は、人相学に基づく人物評価に用いられ、心理と生理は、相手の気持ちや体の具合を理解するための顔の情報として使われる。川端の創造も、上述したように、理想の型を置いて人工的で畸形も含めた人格の形成を試みる。なお、人工感情は、警察のモンタージュ写真の作成などに応用例が見られる。
花村 (2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より
原・小林(2004)によると、顔の表情は、人の人格や人の心理状態または生理状態を表すという。人格は、人相学に基づく人物評価に用いられ、心理と生理は、相手の気持ちや体の具合を理解するための顔の情報として使われる。川端の創造も、上述したように、理想の型を置いて人工的で畸形も含めた人格の形成を試みる。なお、人工感情は、警察のモンタージュ写真の作成などに応用例が見られる。
花村 (2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より
川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 5
主人公は、実体となりそもそも存在し、主人公を理想の型に入れて加工しながら育てる世界に個物がある。これが川端の創造である。これを「雪国」から読み取れる顔の表情と関連づけながら、川端が求める実体と個物の説明を追っていく。顔の表情は、登場人物の説明の際にどんな作品の中でも使われているし、外界からの情報を受ける感覚器官(五感)とともに顔のシステムの入出力に対応している。
感情は、階層で考えると瞬時の情動と継続の畏敬に枝分かれし、情動は、内からの創発と外からの誘発に分類できる。感情については、行動と組みになることを想定し、森鴎外の「山椒大夫」と「佐橋甚五郎」を分析したときに、バラツキによる統計も含めて「鴎外と感情」というシナジーのメタファーの作り方を説明した。(花村2017)顔の表情は、五感情報により刺激を受けるため誘発の方が多い。しかし、堪えていた感情が何かの拍子に出てしまうのは、創発の表情である。
この論文では、購読脳の「無と創造」という出力が、人工知能の認知発達で目的達成となるかどうかが問題となる。また、人工感情と組になりそうな情報の認知1のセカンドのカラムとして顔の表情を設定し、(1)の公式を考える。
(1)「無と創造」(購読脳の出力)→「(五感)情報の認知1と顔の表情」→「人工感情」→「認知発達」
(1)が確認できれば、川端康成の執筆脳について、「川端と認知発達」というシナジーのメタファーが成立する。遠藤(1974)によると、様相論理の言語とそのモデル構造の分析の中に「無と創造」という組み合せがでてくる。バルカンの原理と呼ばれる様相文がある。モデル構造MQ <K、R、D>(Kは空でない可能世界の集合、RはK上の反射関係、Dは個物の領域)に対して「語Qであるものが存在しうるなら、Qでありうるものがすでに存在している」という意味のバルカン文 ((∀x) NPx → N(∀x) Px)(ここでNは必然でPは存在者)であり、何もない無からの創造を否定する言明である。
花村( 2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より
感情は、階層で考えると瞬時の情動と継続の畏敬に枝分かれし、情動は、内からの創発と外からの誘発に分類できる。感情については、行動と組みになることを想定し、森鴎外の「山椒大夫」と「佐橋甚五郎」を分析したときに、バラツキによる統計も含めて「鴎外と感情」というシナジーのメタファーの作り方を説明した。(花村2017)顔の表情は、五感情報により刺激を受けるため誘発の方が多い。しかし、堪えていた感情が何かの拍子に出てしまうのは、創発の表情である。
この論文では、購読脳の「無と創造」という出力が、人工知能の認知発達で目的達成となるかどうかが問題となる。また、人工感情と組になりそうな情報の認知1のセカンドのカラムとして顔の表情を設定し、(1)の公式を考える。
(1)「無と創造」(購読脳の出力)→「(五感)情報の認知1と顔の表情」→「人工感情」→「認知発達」
(1)が確認できれば、川端康成の執筆脳について、「川端と認知発達」というシナジーのメタファーが成立する。遠藤(1974)によると、様相論理の言語とそのモデル構造の分析の中に「無と創造」という組み合せがでてくる。バルカンの原理と呼ばれる様相文がある。モデル構造MQ <K、R、D>(Kは空でない可能世界の集合、RはK上の反射関係、Dは個物の領域)に対して「語Qであるものが存在しうるなら、Qでありうるものがすでに存在している」という意味のバルカン文 ((∀x) NPx → N(∀x) Px)(ここでNは必然でPは存在者)であり、何もない無からの創造を否定する言明である。
花村( 2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より
川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 4
4 認知発達型ロボティックス
従来のロボティックスは、知能と身体の合体を目指していた。しかし、知能の組み込みが困難なため、設計の段階でロボットが自ら行動して学習し、内容を発達させていくような仕掛けを組み込もうと考えた。それが認知発達ロボティックスである。
大宮(2010)によると、認知発達ロボティックスとは、知能発達機能が組み込まれた未完成の知能と胴体を合わせて未完成のロボットをまず作り、コミュニケーションや行動からロボット自身が活動の中で知能を発達させていく動的知能学のことをいう。つまり、身体を動かして初めてわかることがロボットの世界でもいえることになる。しかし、ここでは生まれたばかりの赤ん坊のような脳の活動ではなく、あくまで目的達成型の脳の活動を考えていく。
認知発達ロボティックスは、未完成の知能と身体からなる組が上位で目的達成型ロボットと組になると考える。例えば、床掃除のロボットの場合、初めは部屋のどこに埃が溜まりやすいのか分からない。掃除を繰り返す経験知からソファーの下に溜まりやすいことがインプットされると、そこを掃除するときに、自動で吸引力が上がる。
川端の「雪国」では、愛と組むと止揚する無が未知の知能で、愛が行動する身体となり、互いに否定し合いながら、両者を包むより高次の統一体に発展する。この統一体は、「雪国」の中で川端が感謝の気持ちを持って書いている愛情とし、それが目的達成型のAI(=認知発達)と組になると考える。愛とは、価値を認めて大切に思うこと、例えば、学問への愛とか男女や親子の抱擁であり、愛情とは、死んだ親とか恋人を慈しむ心である。
花村 (2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より
従来のロボティックスは、知能と身体の合体を目指していた。しかし、知能の組み込みが困難なため、設計の段階でロボットが自ら行動して学習し、内容を発達させていくような仕掛けを組み込もうと考えた。それが認知発達ロボティックスである。
大宮(2010)によると、認知発達ロボティックスとは、知能発達機能が組み込まれた未完成の知能と胴体を合わせて未完成のロボットをまず作り、コミュニケーションや行動からロボット自身が活動の中で知能を発達させていく動的知能学のことをいう。つまり、身体を動かして初めてわかることがロボットの世界でもいえることになる。しかし、ここでは生まれたばかりの赤ん坊のような脳の活動ではなく、あくまで目的達成型の脳の活動を考えていく。
認知発達ロボティックスは、未完成の知能と身体からなる組が上位で目的達成型ロボットと組になると考える。例えば、床掃除のロボットの場合、初めは部屋のどこに埃が溜まりやすいのか分からない。掃除を繰り返す経験知からソファーの下に溜まりやすいことがインプットされると、そこを掃除するときに、自動で吸引力が上がる。
川端の「雪国」では、愛と組むと止揚する無が未知の知能で、愛が行動する身体となり、互いに否定し合いながら、両者を包むより高次の統一体に発展する。この統一体は、「雪国」の中で川端が感謝の気持ちを持って書いている愛情とし、それが目的達成型のAI(=認知発達)と組になると考える。愛とは、価値を認めて大切に思うこと、例えば、学問への愛とか男女や親子の抱擁であり、愛情とは、死んだ親とか恋人を慈しむ心である。
花村 (2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より
川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 3
3 共生の読み
「無と創造」という購読脳の出力は、情報の認知のための入力となって横にスライドしていく。このプロセスでは、非専門の系列(社会、情報、バイオ、メディカル)がブラックボックスにならないように、実務や資格などで実績を調節していく必要がある。(花村2015、2017)確かに文化科学や社会科学には、文化と栄養や法律とエネルギーなどLの研究フォーマットが存在する。しかし、人文科学には存在しない。あるいはなくてもよい。
そもそも存在しないことについて考える場合でも、解を出せる分析法があれば、それは存在してもいいはずである。そこで、縦軸を言語の認知とし、その出力が入力となり、共生の読みのために横に滑って情報の認知を経てLの出力が出るフォーマットを考える。このLのモデルは、購読脳と執筆脳をマージするときに役に立つ。作家が執筆中に伝えようと思っていたことが理解できるのは、ことばの理解のみならず購読脳が執筆脳に近づいて行くためである。
縦の柱の研究フォーマットであれば、Tの逆さの認知の定規をスライドさせながら、人文や文化の柱とその他の副専攻の柱を調節するだけである。
共生の読みのゴールは、「無と創造」という購読脳の出力が入力となり、リレーショナルなデータベースを作成しながら、一文一文をLに読むと次第に見えてくる。人工知能の世界でいう何がしとか健常者の脳の活動でいう何がしということがつかめればよい。イメージとして、まだ知識のない人工知能が特定の目的を意識して次第に育っていく感じがよい。そう考えると、人間に見たてて川端と組みが作れそうである。
なお、小説のデータベースは、既存の文学分析や様々な理系の研究と照合ができる文理のリレーショナルな研究ツールであり、コーパス、パーザー、翻訳メモリーさらには計量言語学と並んで、人文科学の人たちが取り組むべき人文と情報の組み合わせである。
花村(2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より
「無と創造」という購読脳の出力は、情報の認知のための入力となって横にスライドしていく。このプロセスでは、非専門の系列(社会、情報、バイオ、メディカル)がブラックボックスにならないように、実務や資格などで実績を調節していく必要がある。(花村2015、2017)確かに文化科学や社会科学には、文化と栄養や法律とエネルギーなどLの研究フォーマットが存在する。しかし、人文科学には存在しない。あるいはなくてもよい。
そもそも存在しないことについて考える場合でも、解を出せる分析法があれば、それは存在してもいいはずである。そこで、縦軸を言語の認知とし、その出力が入力となり、共生の読みのために横に滑って情報の認知を経てLの出力が出るフォーマットを考える。このLのモデルは、購読脳と執筆脳をマージするときに役に立つ。作家が執筆中に伝えようと思っていたことが理解できるのは、ことばの理解のみならず購読脳が執筆脳に近づいて行くためである。
縦の柱の研究フォーマットであれば、Tの逆さの認知の定規をスライドさせながら、人文や文化の柱とその他の副専攻の柱を調節するだけである。
共生の読みのゴールは、「無と創造」という購読脳の出力が入力となり、リレーショナルなデータベースを作成しながら、一文一文をLに読むと次第に見えてくる。人工知能の世界でいう何がしとか健常者の脳の活動でいう何がしということがつかめればよい。イメージとして、まだ知識のない人工知能が特定の目的を意識して次第に育っていく感じがよい。そう考えると、人間に見たてて川端と組みが作れそうである。
なお、小説のデータベースは、既存の文学分析や様々な理系の研究と照合ができる文理のリレーショナルな研究ツールであり、コーパス、パーザー、翻訳メモリーさらには計量言語学と並んで、人文科学の人たちが取り組むべき人文と情報の組み合わせである。
花村(2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より
川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 2
2 無と創造−川端康成の定義
「雪国」の購読脳を「無と創造」という組にする。無については、川端(1979)の中で高田瑞穂が次のように定義している。
無は、孤児として育った川端の原点ともいえる感情であり、あらゆる存在よりも広くて大きい自由な実在である。無とはこの青空よりも大きい見たこともない父母に通じ、愛と死が融けあって康成の文学が誕生した。特に、雪国の中では、無が愛と組になると止揚の暗示、つまり愛情となり、愛と死が組になれば、天井へ飛躍したり、時には地下へ埋没する。二つの矛盾対立する概念は、止揚により相互に否定し合いながら、双方を包むより高次の統一体へ発展していく。
また、創造についても、川端が作品を書きながら、動物の生命や生態をおもちゃにして、一つの理想の鋳型を定め、人工的に畸形的に育てているとする。「雪国」の中では、島村がふと思い、呟き、動く存在で、駒子については指で覚えている女、葉子も眼に火がついてる女として繰り返されるところに康成の創造がある。
確かに孤独な生い立ちもあって、「雪国」のみならず川端の作品には、愛情に対して感謝の気持ちがあるといわれている。(川端康成1979: 153)愛とは、価値を認めて大切に思うこと、例えば、学問への愛とか男女や親子の抱擁であり、愛情とは、死んだ親とか恋人を慈しむ心である。「雪国」に記された島村と駒子が交わすやり取りの中に次のような一節がある。
「でも、これが奉公かしらと思うことがあるくらい、うちの人はずいぶん大事にしてくれのよ。子供が泣いたりすると、おかみさんが遠慮して表へ負ぶって出て行くわ。なんの不足もないけれど、寝床の曲がってるのだけはいやね。帰りがおそいと敷いといてくれるのよ。敷布団がきちんと重なってなかったり、敷布がゆがんでたりでしょう。そんなのを見ると、情なくなって来るのよ。そうかって、自分で敷きなおすのは悪いわ。親切がありがたいから。」(川端康成1979: 84)
おかみさんが子供を世話してくれることに対する駒子の感謝の気持ちと小さい注文が見え隠れする。奉公の身分にある駒子は、おかみさんの小さな親切がありがたい一方、布団もきれいに敷いといてもらえない自分の立場を考えもする。
花村 (2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より
「雪国」の購読脳を「無と創造」という組にする。無については、川端(1979)の中で高田瑞穂が次のように定義している。
無は、孤児として育った川端の原点ともいえる感情であり、あらゆる存在よりも広くて大きい自由な実在である。無とはこの青空よりも大きい見たこともない父母に通じ、愛と死が融けあって康成の文学が誕生した。特に、雪国の中では、無が愛と組になると止揚の暗示、つまり愛情となり、愛と死が組になれば、天井へ飛躍したり、時には地下へ埋没する。二つの矛盾対立する概念は、止揚により相互に否定し合いながら、双方を包むより高次の統一体へ発展していく。
また、創造についても、川端が作品を書きながら、動物の生命や生態をおもちゃにして、一つの理想の鋳型を定め、人工的に畸形的に育てているとする。「雪国」の中では、島村がふと思い、呟き、動く存在で、駒子については指で覚えている女、葉子も眼に火がついてる女として繰り返されるところに康成の創造がある。
確かに孤独な生い立ちもあって、「雪国」のみならず川端の作品には、愛情に対して感謝の気持ちがあるといわれている。(川端康成1979: 153)愛とは、価値を認めて大切に思うこと、例えば、学問への愛とか男女や親子の抱擁であり、愛情とは、死んだ親とか恋人を慈しむ心である。「雪国」に記された島村と駒子が交わすやり取りの中に次のような一節がある。
「でも、これが奉公かしらと思うことがあるくらい、うちの人はずいぶん大事にしてくれのよ。子供が泣いたりすると、おかみさんが遠慮して表へ負ぶって出て行くわ。なんの不足もないけれど、寝床の曲がってるのだけはいやね。帰りがおそいと敷いといてくれるのよ。敷布団がきちんと重なってなかったり、敷布がゆがんでたりでしょう。そんなのを見ると、情なくなって来るのよ。そうかって、自分で敷きなおすのは悪いわ。親切がありがたいから。」(川端康成1979: 84)
おかみさんが子供を世話してくれることに対する駒子の感謝の気持ちと小さい注文が見え隠れする。奉公の身分にある駒子は、おかみさんの小さな親切がありがたい一方、布団もきれいに敷いといてもらえない自分の立場を考えもする。
花村 (2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より
川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 1
1 シナジーのメタファー
文学分析は、通常、読者による購読脳が問題になる。一方、シナジーのメタファーは、作家の執筆脳を研究するためのマクロの分析方法である。基本のパターンは、縦が購読脳で横が執筆脳となるLのイメージを作り、各場面をLに読みながらデータベースを作成して全体を組の集合体にし、双方の脳の活動をマージするために、脳内の信号のパスを探していく。
これまでに考案しているシナジーのメタファーは、「トーマス・マンとファジィ」、「魯迅とカオス」、「森鴎外と感情」そして「ナディン・ゴーディマと意欲」である。それぞれの作家が執筆している時の脳の活動として文体を取り上げ、とりわけ、問題解決の場面を分析の対象にする。今回は、川端康成(1899−1972)の「雪国」(1948)を題材にし、購読脳の「無と創造」及び執筆脳とする「目的達成型の認知発達」について考察する。
シナジーのメタファーの作り方については、花村(2018)の中で詳しく説明している。その中で執筆脳の定義は、作者が自身で書いているという事実並びに作者がメインで伝えようと思っていることに対する定番の読みとした。つまり、この論文では、定番の読みと組みになる川端の「雪国」執筆時の脳の活動がリレーショナルデータベースを通した分析から目的達成型の認知発達に届けばよい。
花村(2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より
文学分析は、通常、読者による購読脳が問題になる。一方、シナジーのメタファーは、作家の執筆脳を研究するためのマクロの分析方法である。基本のパターンは、縦が購読脳で横が執筆脳となるLのイメージを作り、各場面をLに読みながらデータベースを作成して全体を組の集合体にし、双方の脳の活動をマージするために、脳内の信号のパスを探していく。
これまでに考案しているシナジーのメタファーは、「トーマス・マンとファジィ」、「魯迅とカオス」、「森鴎外と感情」そして「ナディン・ゴーディマと意欲」である。それぞれの作家が執筆している時の脳の活動として文体を取り上げ、とりわけ、問題解決の場面を分析の対象にする。今回は、川端康成(1899−1972)の「雪国」(1948)を題材にし、購読脳の「無と創造」及び執筆脳とする「目的達成型の認知発達」について考察する。
シナジーのメタファーの作り方については、花村(2018)の中で詳しく説明している。その中で執筆脳の定義は、作者が自身で書いているという事実並びに作者がメインで伝えようと思っていることに対する定番の読みとした。つまり、この論文では、定番の読みと組みになる川端の「雪国」執筆時の脳の活動がリレーショナルデータベースを通した分析から目的達成型の認知発達に届けばよい。
花村(2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より
2018年08月01日
To make a database of Jingoro Sahashi of Ogai Mori and its deviation 12
5 Conclusion
The existing analytic example of “Jingoro Sahashi” is explained by the numbers of the relational database and the standard deviation. Therefore, the analytic method of this paper can provide the perspectives the eyes can’t see such as the links between data, and it is successful in looking at the objectivity more accurately than ever before.
Literature
Yoshihisa Hanamura: Study to analyze a database of “Jingoro Sahashi” by standard deviation (in Japanese), in the Program of Japanese education for Chinese, Nanjing Southeast University Press 2017, 117 - 132.
花村嘉英(2017)「日本語教育のためのプログラム」より英訳 translated by Yoshihisa Hanamura
The existing analytic example of “Jingoro Sahashi” is explained by the numbers of the relational database and the standard deviation. Therefore, the analytic method of this paper can provide the perspectives the eyes can’t see such as the links between data, and it is successful in looking at the objectivity more accurately than ever before.
Literature
Yoshihisa Hanamura: Study to analyze a database of “Jingoro Sahashi” by standard deviation (in Japanese), in the Program of Japanese education for Chinese, Nanjing Southeast University Press 2017, 117 - 132.
花村嘉英(2017)「日本語教育のためのプログラム」より英訳 translated by Yoshihisa Hanamura