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2019年11月02日

読書: 加藤忠史『うつ病の脳科学』

鬱病を脳科学の視点から取り扱った本である. 鬱病のいろいろな症状がどういう脳のメカニズムで起きているのかを知りたい, という興味から手にとった.
鬱病を取り巻く社会や医学界の状況, 脳と鬱病の関係, 最新の研究の紹介などの内容を取り扱っている. 全てを理解することはできなかったが興味深い本だった.

特に印象に残った二つのトピックをメモとして残してておく.

抗鬱薬の効き目がすぐに現れない理由



鬱病は神経伝達物質であるセロトニンの不足によって起きるということがしばしば言われる. 鬱病に罹っている人は脳内のセロトニンの欠乏により鬱状態に陥ることが知られている. これは「セロトニン仮説」と呼ばれている.

鬱病患者で脳内のセロトニンが低下する理由としては, 脳でのセロトニン合成の働きが鈍くなるということと, すでに存在するセロトニンがセロトニントランスポーターという蛋白質によって不活性化されてしまう結果として考えられている. したがってセロトニンの合成を促進するか, あるいはセロトニントランスポーターの働きを抑えることができれば鬱病は回復すると予想される.

まず, セロトニンを増やす一つの方法は蛋白質の摂取である. 蛋白質に含まれるいくつかのアミノ酸がセロトニンの合成を促す. 鬱病の回復に効果がある良質の蛋白質として赤身の牛肉, 鮪や鰹などの赤身の魚, 納豆や豆腐などの大豆食品, ナッツなどがある.
光を浴びることによってもセロトニンの分泌が行われる. 日中の散歩は鬱に効果がある.

一方で, セロトニントランスポーターの働きを抑制するのが SSRI (Selective Serotonin Reuptake Inhibitor: 選択的セロトニン取り込み阻害薬) と呼ばれる抗鬱薬である.
SSRI は脳内のセロトニントランスポーターが働かないようにする. この結果, 実際に SSRI を服用すると脳内のセロトニンは直ちに増えていく.

ところが, SSRI の服用を開始してから鬱症状の緩和作用が現れるまでには, 数日から数週間かかる. 脳内のセロトニン増加によってすぐに症状は改善される筈だが効果はなかなか見られない. どうして効き目が現れるまでに時間がかかるのか.

この説明としてある一つの仮説が紹介されている. 鬱症状を緩和させるのは, 実は脳内のセロトニンの増加ではない. 本質は神経細胞の成長を促す海馬の BDNF (Brain Derived Nuerotrophic Factor: 脳由来神経栄養因子) という蛋白質の増加だというのである. BDNF とは名前が示すように脳神経細胞の成長を促す蛋白質である. BDNF と鬱症状の間には次の関係が認められる.

・ ストレスによって海馬の BDNF は減少する.
・ ラットを使った実験によると, 電気痙攣療法や抗鬱薬の投与を行い続けると三週間後から海馬の BDNF が増加し始める.
・ 即効性があるモルヒネ, コカインなどの向精神薬の働きは BDNF の増加とは無関係である. つまり別の仕組みで脳に作用する.
・ BDNF が増加するという現象は脳内のセロトニンの増加 (これは抗鬱薬の投与によって起こる) を介して発生する.
・ 抗鬱薬の投与直後には BDNF の増加は発生しない. あくまでも継続的な投与によって発生する.

このようなことから SSRI による抗鬱作用を引き起こすのは BDNF の増加が重要な要因となっているという説が有力になってきた.

こういう, 抗鬱剤がすぐには効かないという身近な現象を追求していった結果, 隠れた事実が解明されて見えてくるというのは非常に面白い. ただしこの仮説が本当に正しいかどうかはまだ検証途中だという. BDNF による神経の成長のメカニズムに関してまだ説明できないことがある. 特に抗鬱薬による鬱症状の緩和を, BDNF の増加から直接説明できていない.

※ ネットで BDNF を検索してみると, BDNF の増加が鬱病に効くと謳った記事がたくさん見つかる. 大学のサイトに掲載されているものもある. これは検証の結果, 上の仮説の肯定的な裏付けがなされたということなのだろうか.

心とは何か



この本の「脳科学の到達点」という章で, 心は脳の機能の一つである, と書かれている. ここで注意したほうがいいのは, 身体の器官である脳に対する, 精神の中心としての心という哲学的な対立における心について述べた言明ではないことである. ここで言われている「心」とは脳の作用のうちで, 身体を操作するもの全般を指す言葉である. この意味で, 脳の作用の表われが心である.

けれどもその先に, 肉体に対する「精神としての心」が一体何なのかという基本的な問いかけを含んでいるという印象を受ける. それはこれからの「脳科学」が, 分子生物学, 情報科学や人文科学 (倫理学, 社会学) にまで裾野を広げていく分野であると述べられていることからもある程度想像される.

心が脳の機能であるという考え方は精神医学が発展してきた当初から言われていたらしい. ただ, 科学的にそれを説明するだけの技術がまだ未熟だったために表立って主張されることがなかった.

それでは今, つまり現代ならばできるのか.

これはわからない. 著者も明言はしていない. 先に述べたように, 抗鬱薬 (SSRI) がすぐに効かないという現象も脳内の様々な働きを細かく調べることによってようやくわかりかけてきたという状況である. そういうミクロ的局所的な現象の解明の対極にある, 心という巨大な現象を解明するのにどれだけの知識・理論・実験・技術の発展が必要とされるのだろうか.

それはおそらく著しく複雑な多くの部分から成り立っている.
有限かも知れないが人間が扱える規模の有限かどうかはわからない. 今後, もしかしたら爆発的な発展を迎えるかも知れないコンピューターが実現する計算力でも全く不十分な可能性もある.
そしてその過程で, これも以前から何度も言われてきた生命の倫理の問題とも, より精緻な議論で向き合わなければならない局面が必ず現れるだろう.

ただ, もし心という作用を明らかにしようとするならば, どれほど時間がかかろうとも, 分子生物学や物理学や化学, 医学, コンピューターサイエンス, そして哲学などを地道に追求していく以外の道筋は無いのではないかという気もする.

最後に, 本書の中に時折感じられる著者の行き詰まり感や嘆きについて書いておく. これは自分の偏った受け取り方に過ぎないかも知れない.

鬱病に対する臨床や研究というものが, 現在でも手探りとも言える部分がある.
解明されていない鬱病の症状や脳の仕組みがあまりにも多い.
血液検査や外科的な手法で鬱病と診断することがまだできないため (将来的な可能性はある), 医師が患者の話す内容から推定して鬱病の診断名を付けるしかない. 改善はされてきたが, 間違いはしばしば起こっている.
日本はもちろん世界でも鬱病の研究者が少ない. そのために臨床データが圧倒的に不足している.
鬱病で亡くなった患者の脳を研究者が調べることが, 倫理的な事情もあって非常に難しい.
鬱病患者の自殺率は高く社会問題になるほどなのに, 精神疾患に対する偏見が未だに (特に日本では) 強く, 患者が鬱病であることを公言しにくい. 病院やクリニックにも行きにくい.
政治の課題として取り上げられることが少なく, 社会福祉の一環としての精神障害への取り組みの優先度が低くならざるを得ない.
鬱病の患者は苦しみ続けている.

自分も本書を読んで, ここまで状況が良くないと初めて知った. 何という困難なのだろう.

当事者としては, 何とかしてこの病の苦しみが少しでも軽くなってほしい. けれども先を見通すのがとても難しく思える.
希望は捨てないつもりだが.
posted by 底彦 at 10:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書
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