外出恐怖の大きな理由として
1) 以前の仕事仲間や知人に会うのが怖いという意識
2) 働いていない自分に対する罪悪感
があることがわかった.
最初の (1) については現在のところ逃げる以外の一時的な対処方法しか思い付かない. 彼らの出没しそうな場所にできるだけ行かないこと. 根本的にはトラウマを克服する必要がある.
今日は主に (2) について考えた. 働いていない自分をどうやって肯定できるのか.
昨日今日と朝の時間を絵を描いて過ごしたことによって, 思い付いたことがあった.
・ 過去, 自分に起こったのはこういうことである. 自己を強く主張して働くという元々不得手なことを無理をして行った結果, 大きなミスを犯し, それが仕事仲間からの強い非難となり, 結果的にパワーハラスメント的な行為にまでなって, 責任とけじめを理由として言われるままに金を絞り取られることとなる (どんな人でも状況によって暴力的になる). この事実を認識しておく必要がある.
・ つまり, 残念ながら自分は仕事ができる人間ではない. 少なくとも現在の体調で, 現在のこの国のシステムの中で自分が思い描いたイメージで「働く」ことはできない. これはあくまで適性の問題である. 自分には「お金は命の次に大事」と言い切るメンタリティーは無い. また, お金やビジネスが大して好きではない.
・ 好きではないことをいくら無理をして頑張っても限界がある. 好きでやっているわけではないので精神的な負担に苦しむことにもなる. 過去にいくらか収入を得られたこともあったが, ただ疲れたばかりで, お金が次の仕事に向かう意欲になるほどの喜びを与えてくれたことはなかったという点を頭に刻んでおくこと.
・ 「働くことは尊い」という考えを捨て去る必要は無い. この世にある尊いものの一つとして「誠実・実直に働く」ということがあると考えるようにする (こちらのほうが自分の理想・憧れの「働くということ」に近いかも知れない).
・ 自分が喜びを感じる内的な思考・想像力の領域で深く集中する. これが現在の自分の価値観となるのではないか.
・ そういった自分が没頭し夢中になれる行為が, 現実社会でお金やビジネスの領域から離れているのは自分の問題ではない.
・ 少なくとも好きで夢中になれることをやっている限りは鬱で再び倒れる可能性は低い.
まとめると
○ 働いていない自分を肯定することはできない. これは自分が大切に思っていることを否定することで非常にきつい. 無理である.
○ その代わりに, 自分の価値観を新しいものに転換することで, 働いていない自分への罪悪感を小さなものにする. これならできる.
この方法は今後の認知療法のいろいろな場面で使えると思う.
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