2017年07月27日
ものすごく嬉しい!!すっごく嬉しい!!本当に供養ができる!!
みーさん涙出てきて、鼻水垂らしながらプリンを食べて記事更新中です!
それはなぜかと言うと・・・
この浴衣・・・大島紬の着物と一緒にもらったのですが
若くして、幼い子ども達を残し自ら命を絶ってしまった大好きだった叔父の形見の浴衣です
もうかれこれ25年ぐらい前になると思います・・・
当時私は短大生、いとこの上の娘は9歳だったかなぁ〜下の娘は年長さんでした。
私は名古屋の中心、栄の地下の喫茶店でバイトしてて・・・
いつものように学校帰りにバイト先に行くと部長が
「お前今日は良いから!柳橋の叔父さんが亡くなったと連絡が入ったから直ぐに行け!」って
バイト先から叔父の家までは歩いていける距離だったんだけど、その時叔父は40歳過ぎたぐらいだったの
嘘でしょ〜違う叔父じゃないかなぁ〜なんて言いながら・・・当時は携帯なんてなかったから・・・
取り敢えず小走りで叔父のマンションに行くと
半狂乱になって泣き崩れている叔母。やり場のない悲しみに打ちひしがれているお爺ちゃんお婆ちゃん。
(叔父は義理の方です。叔母とうちのじーさんが兄弟。)
突然の事で対応に追われるうちの両親。呆然としている幼いいとこ達・・・
兄貴も急いでやって来て・・・
良い人でした・・・優しくて頼り甲斐があって・・・いつも冷静で・・・
私は叔母と仲が良くて「良い人と巡り会えたね〜」っていつも羨ましかったの
そんな叔父が、お正月にうちに挨拶に来て一ヶ月もしない内に自殺してしまいました。
得のある人だったんでしょうね・・・死に顔は眠っているようで穏やかだった〜
そんな叔母も子ども達の成人を見ずに病気で他界し、叔父の故郷の石川県のお爺ちゃんお婆ちゃんに預かってもらい、一緒のお墓に入っています。
うちの親も歳をとり、墓参りも足が遠のき・・・5年ほど前に友人が石川県に引っ越したので会いに行きがてらお墓参りをしたきりです・・・
この浴衣は跡取り息子にと、お婆ちゃんが叔父に作ったそうですが、結局一度も手を通さずなくなってしまいました。
形見分けの時に「この着物と浴衣をもらって欲しい」と譲り受けました。
兄貴はその頃はもう浴衣を着て祭りに行く歳でもなく、そのままず〜っと眠っていたんです。
その浴衣を明日の盆踊りで兄さんが着てくれるって
去年も盆踊り初日の太鼓の出演は「浴衣」だったのですが、持ってない子はいつもの衣装でもイイよって事で浴衣は嫌だと兄さんが
それが今年、25年目にしてやっと袖を通すことになりました!
もうみーさん嬉しくて嬉しくて・・・叔父を思い出しながら涙が出てきて
今日兄さん起きてきて早速羽織らせてみたら・・・少し小さいの
あんなに大きく見えた叔父は、今の兄さんよりも小さかったんだなぁ〜
長い間箱に入れっぱなしで、陰干しもしなくなっていたから少し黄ばみやシミが出てたけど
それでもイイんです!この着物を着てくれるだけで嬉しいんです!
お兄ちゃん(当時叔父をお兄ちゃんと呼んでました)うちの兄さんが、お兄ちゃんの形見の浴衣を着て盆の供養の盆踊りで太鼓を叩いてくれます!
チビッ子だった2人の娘も今じゃ立派なお母さんをやってますよ〜
お姉ちゃん(叔母)、これでやっと本当の供養ができた気がするよ!
またいつかお酒でも飲みながら花札でもしようね!それまでもう少し・・・二人で待っててね!
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