寝台特急「日本海」引退前まで鉄道ファンに は憧れの寝台列車。1947年7月に運転開始、1968年に特急列車化になる。大阪〜青森を結びどれだけの有名人を運んだか数知れず、引退日には全国からファンが集まり涙で別れを惜しんだと言います。 |
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「わぁ、このバンドもの凄く
オモシロイわ〜逢いに行きたいわ」
テレビの中で
一生懸命 人を笑わせているコミックバンド
一瞬のうちに ファンになってしまった。
4人兄弟の4番目
1人ぐらい 減っても
親は困らないだろう‥と
家を飛び出して 東京に向かう
「あんなに人を楽しくさせるバンド
最高だなー」
東京に行く前に手紙を出したのですが
当然、断られます
東京に着いてからも 断られます
半年以上 東京でバイトしながら
そしてマネージャーも口説きながら
なんとか弟子にして頂きました
そのバンドが
「なみだの操」が大ヒットした
殿さまキングス師匠でした。
とにかく忙しい忙しい毎日です
コミックバンドですので
アンプ 楽器 ドラム
地方に行く時でも
すべて タクシーとか
列車に乗せて行きます。
それも弟子の仕事
停車時間に余裕がある
列車はいいのですが
短いと
かなりのスピードで
乗せたり 降ろしたりします
先輩が1人いたので
その人と2人で。
コミックバンドですので
歌も何曲か 出しています
1曲目の「北の恋歌」という歌が
少しヒット
でも地方に移動するのに
寝台車はまだ乗れません
夜行列車で夜中に乗り換え 乗り換え
寝る時は列車の通路で寝転んで仮眠。
でも楽しかった!
人生、頑張らないと
苦しい思いもするんだ‥
でも楽しかった
珍しい事ばかりで。
うわ〜っ 人 生変わった!
3枚目の「なみだの操」が
少しづつ売れ始めて来ました。
ある日突然
ドリフターズの8時だよ全員集合!という
番組の収録(メンバーはコントで出ていました)
終って楽屋口から出たら‥
キャ〜 キャ〜サインしてー
殿キンさ〜ん こっち向いて−!
若い女の子ばかり 1000人ぐらい
駐車場での待ち受け
一夜にして変わる 芸能界
コワ〜い!
リーダーの長田あつし師匠が
かなり忙しくなって行くから
新幹線もグリーン車
遠方は飛行機で移動
そして寝台列車も
A寝台に乗せてやるから
移動中はゆったり休みなさい
のやさしい言葉
A寝台 夢の寝台車で
それもA寝台
当時、A寝台は飛行機料金より
高かったと言われていました。
殿さまキングスの
長田あつし師匠は
若い時から
芸能界で苦労されて来たので
僕らの気持が
わかる人でした。
料理もぜいたくな物ばかり
待遇は
メンバーと同じ
借りてもらっていた
アパートには
弟子の僕らにも
ファンレターが
毎日30通から40通ぐらい届く
夢のような生活
「これは僕の力ではない
人に寄りかかっているだけ」
若いなりに現実を考えて
仕事に打ち込む
僕でした。