2024年10月13日
■大都会の夜 小さな身体で彼を守る彼女
こんばんは お越し頂きましてありがとうございます
仕事が終り お兄さん 弟分 僕 3人で
繁華街を歩いていた時の話です。
自動販売機の前で
若いカップルが 寄り添って
話をしていました
何を思ったか あの兄さんが
「ねえちゃん遊びに行こうや
なぁちょっと行こうや」
彼女に声をかけたのです
(兄さんどうしたの
驚く僕)
「なァ、行きたいやろ」彼女の手をつかもうとします
当然、横にいた彼は怒ります
「何やってんのや
お前!」
「お前ってなんや コラ!」
兄さんも大声をあげて 威嚇
弟分もとっさに
彼の両腕を
押さえ込む
(一瞬の出来事に
どうしていいかわからない 僕)
兄さんが彼の首もとを
つかんで締め上げる そして右手を振り上げる
(やばい!)
その時、彼女が
間に入り
自分の首で
兄さんが締め上げていた
腕を振りちぎる
「やめて!やめて!絶対やめて!」
彼と兄さんの間に入って
兄さんをにらみつける
右手を挙げたままの兄さん なぐったら彼女に当たる あかんあかん
「やめて、帰って!帰って」
今度は彼女が
兄さんの両腕をつかむ
僕は動けないまま 5mぐらい離れた場所でポカン
「何もしないで かえってよ!」 大声で彼女
「兄さん、どうしたの」兄さんに問いかける
こっちをチラッと見て
「しょうもな、帰ろ」
手を離して反対方向に
3人で歩き出しました。
列車で出逢ったばかりの僕に
親身になって 世話をしてくれた兄さん
自分の彼女を大切にしてる兄さん
今日の兄さんは おかしい。
「いいか、お前は絶対
あんな事はするなよ
これが都会だ」
でも、勇気ある彼女が
中に潜り込んで
止めなかったら
どうなったのだろう
細くて小さな身体で
自分の宝である 彼を守った彼女
都会で生きていく心がけが
できているのだろうな きっと。
僕は何もできなかった 止めないと行けないのに
恥ずかしい。自分が情けなかった
でも、この1本 筋の入った女性に出会えた
事で それからの人生
生きる目標になった事は確かです。
それからしばらくして
殿キンのマネジャーとも連絡ができ
準備ができるまで
マネージャが以前 勤めていた会社で仕事
正式に弟子を認めてもらえるまで
待つことになりました。
兄さんにその事を伝えると
もの凄く 喜んでくれました
「辛いことがあったら
電話してこいよ」
ありがとうございます
でも兄さん
どうしこんなに
大事に僕をしてくれたのですか?
「なんか君とは
長い事付き合って行けそうな
気がしたから、それだけ」。
東京に来て
短い間に
2人の女性と1人の男性
素晴らしい心を
全面に出して頂けた方にめぐり逢うことができました。
■さみしそうだった年上の女の子 聞いてくれてありがとうのお礼
こんばんは お越し頂きましてありがとうございます
夜行列車で東京へ
殿さまキングスに会いに行く
殿さまキングスに会いに行く
各駅停車の列車に揺られ 東京へ
夜行なので 乗客もまばら
いつになったら東京に着くのかな
夜明け頃だろうか
本を読んだり 寝たり 歌を口ずさんだり
退屈な時間を なるべく減らす努力。
熱海を過ぎたぐらいでしょうか
1人の男の方が
乗ってきました
27か28歳ぐらいの方。
ガラガラの車内なのに
僕の前の席に座ります
「どこへ行くの?」
しばらくしてから しゃべりかけてきました。
「あ、東京です」
「旅行なの?」
「はい」
しばらく沈黙が続き
男性が話してくるので
話が弾んできました。
寂しいのかな?
流れで 殿キンに逢いに行く事も
話してしまうが かなり盛り上って来る
「あのさ、俺って
ちょっと普通の人間じゃないよ」
(え、どう言うこと?)
「背中に入れてるょ」
(トセイニンの方?)
まぁ、いいか
危害も加えられていないし
脅されてもいない
「俺の友達もバンドやってるけど
なかなか厳しい世界だょ芸能界は」
色々話しながら 東京着。
「困ったことがあったら
電話しておいで
なるべく力になるから」
「はい」
(背中に絵を書いてる人
俺は美術的なセンスないし
逢うこともないだろう)
2日後 その人に電話をかける
「先日はありがとうございました
どこかバイトありませんか?」
案外、人を見る方ですが
対応 話し方が 疑う所がないので
頼ってしまいました。
その方は新宿のパブで
バーティンを職に持っていました。
「洗面道具も必要な物は
俺が揃えたから
欲しい物があったら言ったらいいよ」
かなり親切 なにかあるのかな?
同じ店で働いている
弟分らしき人を呼ぶ
「この子田舎から出て来て
東京はあまり知らないから
面倒みてあげなよ」
そしてお店が終る
「まだ、寮が準備できていないから
今夜は俺の彼女の所へ行くよ」
終電近い電車で
浜方面へ そして乗り継いで
目的の駅で降りる。
ずいぶん遠い所 どこだろう
1軒家に到着
若い女の方が出て来ました
僕をみてびっくりしたような雰囲気
突然の来客で機嫌がが悪そう(涙)
口をほとんど聞いてくれないので
風呂を頂いて
隣の部屋で 休ませてもらいました
爆睡です!
あくる日の朝
「おはようございます
朝ですよ」
少し様子がおかしい 妙に機嫌が良くなってる
「嫌いな物 何かありますか」
「お味噌汁は飲めます?」
どうしたの もの凄くアイソが良くなってる。
それから 何回か連れて行ってもらうちに
楽しく話しもできるようになり
「お姉さんいくつ?」
「23歳よ」
僕より 3つお姉さん
「お兄さんとは
結婚するの?」
少し間があく
「‥私にはわからないし
彼にもわからないと思う、
でも彼のこと好きだし
一緒にいられるだけで今はいいから。
ありがとう、心配してくれてたんだ
嬉しい、ありがとう」
力になってくれたお兄さん
そしておとなしくてやさしかった
お姉さん
その後 幸せになったのでしょうか。
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■若い時に出会った方々 若い時に教えて頂いた事 宝です
こんにちは お越し頂きありがとうございます
弟子の年季明けの時 妻 あいこが写してくれました
まだ心の中が素の状態の 若き日
殿さまキングス 横山ホットブラザース の各師匠に
教えて頂いた事は
現在も心の中で生きています
殿さまキングス師匠のステージ 「なみだの操」が大ヒット! 忙しく全国を回る状況が続きました 演奏テクニックも お笑いも かなりのもので どのステージでも 観客が 沸き上がります。 |
横山ホットブラザーズのお父さん
横山ホットブラザーズの父でもあり
芸事の先生でもあります 横山東六先生です。
僕はいつも先生、先生と呼んでいました
弟子の年季がホットブラザーズ師匠の場合
3年と決まっていましたので
その間は
本家の掃除
犬の散歩
師匠のお世話などさせて 頂きます
弟子の年季が終る前に
東六先生と
何度ともなく
ライヴをさせて頂いていました
いきなりシロウトが
舞台に立てないので
勉強のためにです
大きな文化会館のような ステージも
公民館のような場所も
夏祭りの櫓でも
やらせて頂きました。
先生の言葉
お前は毎日、毎日
本家の掃除
犬の散歩
師匠の使い走り
色々やっているが
「なぜこんな事しなくては
アカンのやろ」と
思っているかもわからん。
芸に関係無いやろう と
お前は60歳 65になった時
この世界で仕事してるかどうか
わからんけど
今、やってることは
本当に大事な事なんやで
毎日 毎日 やっている人も
いるんだから
だから この業界を離れても
今、やってる事は 必ず役に立つ
人の気持がわからん奴は
舞台に上がっても
人はいずれ 離れて行く。
う〜ん その時は
わからんかったけど
この年になって わかるような気ががしてきました。
何事も相手の立場に立って 言葉を投げかけたり
態度を示したりしなくては
公の場で 仕事をされている方は なおさらでしょうネ。
■日本海と「日本海」仕事を忘れてうっとり寝台特急の旅
こんにちは お越し頂きありがとうございます
寝台特急「日本海」
想い出をたくさん作り出してくれた
列車でした
特に、A寝台は 広いしレールからの振動も
余りなく
朝になって 折りたたんでもらうと
広い座席に大変身!。
初めて寝台車に乗った時
「今なら風呂空いているから
入って来なさい」
え〜A寝台は
風呂まで付いているんだ!
タオルを持って
喜んで捜しに行きますが
どこにも無い
騙された とホホホ。
別の会場での 仕事が終り
次の会場まで 「日本海」で移動
大阪駅〜青森駅間を走ります
東海道本線 滋賀の湖西線
北陸本線 信越本線 羽越本線
奥羽本線(日本海従貫線)経由。
寝ているのが もったいない
早めに起きて
日本海の景色を楽しみます
何てきれいな 海なんだろう
遠いむかし
子供の頃は
太平洋側を表日本
日本海側を裏日本といわれていた
時代がありました。
もったいない言い方です
太平洋もいいし
日本海もまた違った風景を
かもし出してくれます。
それぞれ 全然違う 海に感じます
若い時に どうして
妻に見せてあげられ無かったのか
残念でしかたありません
僕はあきるほど 見てきたのに。
■ぜいたくな時代を過ごしました 10代で
おはようございます ブログへお越し頂きありがとうございます
ロングへーアーが流行 男性でもロングの人が ほとんど 日本にオイルショックが 来る少し前の時代です。 |
「君は歌手に
なりたいの?」
ある作曲家の卵の人と
友達になりました。
「いえお笑い芸人になりたいんです」
「殿さまキングスは歌手だから
お笑いするのなら
他の師匠に付いたら?」
「コミックバンド時代の師匠が
好きで付きました
とにかく
日本中を回って
悲しんでいる人
少しでも
笑わせて幸せにしたいです」
「芸能界は甘く無いよ
俺なんか人に会って
名刺は3000枚ぐらい
もらってるけど
仕事は全然こないんだから」。
東京は芸能人をめざす人が多すぎます
その代わり 仕事も多いけど
上野駅で 赤帽さんに撮ってもらいました
1人で師匠について
仕事に行く事もたびたび。
上野駅から新幹線とか
特急に乗って出かけます。
上野駅には「赤帽」さんがいて
長田師匠がお金を出して 雇ってくれるのです
荷物をホームまで運んでくれたり
その逆も
赤帽さんは助かりました。
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■10代で厳しい大人の世界 芸能界へ そして日本海と出会う
寝台特急「日本海」引退前まで鉄道ファンに は憧れの寝台列車。1947年7月に運転開始、1968年に特急列車化になる。大阪〜青森を結びどれだけの有名人を運んだか数知れず、引退日には全国からファンが集まり涙で別れを惜しんだと言います。 |
こんにちは ブログにお越し頂きありがとうございます
「わぁ、このバンドもの凄く
オモシロイわ〜逢いに行きたいわ」
テレビの中で
一生懸命 人を笑わせているコミックバンド
一瞬のうちに ファンになってしまった。
4人兄弟の4番目
1人ぐらい 減っても
親は困らないだろう‥と
家を飛び出して 東京に向かう
「あんなに人を楽しくさせるバンド
最高だなー」
東京に行く前に手紙を出したのですが
当然、断られます
東京に着いてからも 断られます
半年以上 東京でバイトしながら
そしてマネージャーも口説きながら
なんとか弟子にして頂きました
そのバンドが
「なみだの操」が大ヒットした
殿さまキングス師匠でした。
とにかく忙しい忙しい毎日です
コミックバンドですので
アンプ 楽器 ドラム
地方に行く時でも
すべて タクシーとか
列車に乗せて行きます。
それも弟子の仕事
停車時間に余裕がある
列車はいいのですが
短いと
かなりのスピードで
乗せたり 降ろしたりします
先輩が1人いたので
その人と2人で。
コミックバンドですので
歌も何曲か 出しています
1曲目の「北の恋歌」という歌が
少しヒット
でも地方に移動するのに
寝台車はまだ乗れません
夜行列車で夜中に乗り換え 乗り換え
寝る時は列車の通路で寝転んで仮眠。
でも楽しかった!
人生、頑張らないと
苦しい思いもするんだ‥
でも楽しかった
珍しい事ばかりで。
うわ〜っ 人 生変わった!
3枚目の「なみだの操」が
少しづつ売れ始めて来ました。
ある日突然
ドリフターズの8時だよ全員集合!という
番組の収録(メンバーはコントで出ていました)
終って楽屋口から出たら‥
キャ〜 キャ〜サインしてー
殿キンさ〜ん こっち向いて−!
若い女の子ばかり 1000人ぐらい
駐車場での待ち受け
一夜にして変わる 芸能界
コワ〜い!
リーダーの長田あつし師匠が
かなり忙しくなって行くから
新幹線もグリーン車
遠方は飛行機で移動
そして寝台列車も
A寝台に乗せてやるから
移動中はゆったり休みなさい
のやさしい言葉
A寝台 夢の寝台車で
それもA寝台
当時、A寝台は飛行機料金より
高かったと言われていました。
殿さまキングスの
長田あつし師匠は
若い時から
芸能界で苦労されて来たので
僕らの気持が
わかる人でした。
料理もぜいたくな物ばかり
待遇は
メンバーと同じ
借りてもらっていた
アパートには
弟子の僕らにも
ファンレターが
毎日30通から40通ぐらい届く
夢のような生活
「これは僕の力ではない
人に寄りかかっているだけ」
若いなりに現実を考えて
仕事に打ち込む
僕でした。