2020年03月09日
波乱の中学時代
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さあ波乱の幕開け中学時代に突入です。市内では屈指の超悪の中学に入学。入学してわずかな時間で色々なことがありました。
まず部活、野球がしたいと思って地元の中学を選んだのに母親の教育ママゴン熱は収まることを知らず、初日に野球部に入部届けを出してきた私がそのことを母親に伝えるとアー無理無理部活なんかできないよの言葉。私がエー何でって聞くと塾に行ってもらうからという返事。その塾も地元では有名なスパルタ式の塾で毎日6:00から10:00まで勉強。お先真っ暗になりました。少しでもいいから野球をさせてくれと頼むと高校からやればいいのの返事。なおかつ地元で上位3校に入る高校に入学できたら認めるとのこと。
それから私は、そのことだけを考えて中学時代を過ごそうと思います。でもそんなに甘くはなかった。前にも書いたように私は小学校の頃に自分に挑戦してくる相手に勝って喧嘩は上位に位置した子どもだったので、他の小学校から来た子どもにとっては、こいつをやっつければ自分が上位に入るという思いで毎日挑戦してくる。でも中学は内申書があり、問題は起こせない。上位3校の高校に行くためには喧嘩はできない状況でした。
最初はかわすことができたのですが、途中からはこちらが負けを認めないといけなくなり、自分のプライドも何もなくして負けを認め続けました。ようやくそんなことも落ち着き始め、勉強でも成果が出始めて大体のテストで平均90点くらいを取れるようになっていました。でもこれも後からわかったことなのですが私の行っていた超悪中学のテストのレベルは低くて他校なら80点くらいの実力だったみたいです。これで高校では少し苦労します。そんなこととはつゆ知らず頑張りました。
前に話した喧嘩の方も他校との揉め事には、一応参加で体裁も整えて過ごしていました。
中3になって、外部の模擬テスト(確か五木の模擬テスト)でも結果を残せるようになりました。中3になると同級生の受験勉強の手伝いもしながらみんなに感謝されるようになっていました。喧嘩を売ってきた相手にも勉強を教えることで感謝されていました。
いよいよ受験の時、その当時の実力はトップ高校でも冒険で受験できる状況だったのですが併願にした私立高校に野球部がなかったのでどうしても公立に受からないといけない想いから2ランク下げて受験に臨みました。
1ランクでもいいんじゃない?と思われる方もいると思いますが、野球の強さをみると2ランク下の学校の方が強かったので。
いざ受験の日、またまた大変なことが起こってしまいます。これはまだ鮮明に覚えていますが、国語は多分満点。英語理科社会は多分1問間違えた程度。余裕の合格と思いきや、数学でも問題の読み違いから半分間違えたことに気づく。これはやばいんじゃないか?と思い、中学の担任に相談するが冷たい答えが返ってくる。あーここまできてやってしまった感に苛まれて.....
でも結果は、2ランク下げていたことが功を奏して見事に合格できました。
おめでとうと心から自分に言い聞かせたのを今でも覚えています。
さあこれから楽しめば何でもうまくいくしかないの本番に突入です。
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