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2020年03月22日

指導者としての2年目のジンクス

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秋の大会が終わり、一冬越していよいよ監督としての2年目が始まります。秋の成績が影響してか2〜3月にかけて今まで見向きもされなかったチームからも練習試合の申し込みが殺到します。前年度はいくらお願いしても色々と理由をつけて断られることが多かったのですが、新しいチームでは相手から連絡をいただけることが多くなりました。ただ1つ困ったのが、今までは自転車で行けたり電車でも数駅で行けるような近場のチームばかりと試合していましたが、連絡をくれるチームは大阪だけでなく他府県のチームも含まれていました。私の赴任した高校は、どちらかというと当時教育困難校と言われていた学校で授業料の減免を受けている家庭が多く、それほどクラブ活動にお金をかけられる状態ではありませんでした。せっかく声をかけていただいてもなかなか応えられる状態にはならず、少しイライラしながら続けていました。そんな中でも良心的な学校は遠方からうちのグラウンドに足を運んでくれてなんとか試合をすることはできました。私も指導者として初めての年だったので、監督が部員の家庭環境のことも考えてやらないといけないことを思い知らされます。選手時代は何も考えずにやっていたのでなかなか馴染むまでに時間がかかりました。3人の顧問の先生が大半手伝ってくれたのでかなり助かりました。
それだけではありません。またまた難関がやってきます。それは勉強です。高校なので点数を取れないと留年してしまいます。そこも顧問の責任として進級の危ない生徒の勉強をテスト前になると見ないといけませんでした。幸い私は進学校の出身だった(在学中は劣等生であるとしか感じていませんでしたが)ので?なんとか見ることはできました。
自分が顧問になって感じたのは、なんと大変な仕事なんだということでした。1年間ほぼ休みはなし、何かしらの報酬をもらえるわけではない。周りに認めてもらえるわけではない。自分が選手の時には考えたこともなかったことでした。でも唯一の喜びは諦めずに努力をすれば結果が出て、みんなで共有できるというところでした。私の場合は、ある程度の結果が出たので良かったですが、あの労力をかけて全く結果が出なければ心が折れても仕方ないなとも思える生活でした。本当に寝ることだけが楽しみの生活でした。



そんな色々なことに苦労しながら月日は過ぎて行きます。指導者としても勉強になることがたくさんありました。試合もやみくもに組んではいけないこと。選手の体調管理を考えること。強いチームとばかり試合をしないこと等々。日々勉強の連続でした。そして自分がやるべきもう一つのことをすっかり忘れていました。それは自分の採用試験の勉強でした。今まで書いてきた初めてずくしの生活だったのですっかり忘れていました。試験は7月なのに気がついたら4月になっていました。もちろん仕事として日々の授業はしないといけません。もう大会も始まります。焦りましたがどれも手を抜くことができません。とりあえず目の前にあることをこなしていく生活になりました。その頃の私の1日は朝5時に起きて、7時前に職場に到着。朝の授業準備をして、朝練を見に行く。生徒指導の朝の立ち番をして授業。空いた時間は、教材研究と採用試験の勉強。放課後はクラブ指導。夜8時くらいまで仕事をして9時くらいに帰宅。お風呂と晩御飯を済ませて眠くなるまで勉強でした。
休みの日もずっと練習か試合で帰るのは平日よりも早く7時くらいでした。毎日があっという間に過ぎていくのですがとても無駄のない生活でした。これに見合った収入があれば言うことはなかったのですが。
私の生活はわかっていただけたと思うので、クラブの方はというと春の大会も昨年同様に勝ち進めたのですが、ベスト32止まりでした。負けた相手もまた優勝候補だったので、最後の夏の大会に向けて取り組み始めました。またここで1つの不安がありました。実は私の試験と最後の大会の日程が重なってしまう可能性があったからです。監督をやっていると言えども試験に行かないわけにはいきません。監督は代わりがいても、試験は私しか受けることができません。後は試合の抽選が試験日を外してくれることを願うだけでした。そして抽選の結果、試験日と1日だけずれてくれて部員や他の顧問の先生と喜んだのを覚えています。でもそれと同時にクラブ以外の周りの先生たちからは、何を考えているんだとお叱りを受けて複雑な気持ちになったこともよーく覚えています。
そんなこんなで監督1年目の最後の大会と教員1年目の最初のテストに突入していきます。



さあ最後の大会。監督の腕の見せ所と思い、大会に突入しますが、やはり簡単には勝たせてもらえなくなっていました。こちらのバッテリーのことや攻撃のパターンなど結構知られていて、秋の大会のようにスムーズに試合を運ばせてもらえませんでした。これは私が前で書いた練習試合の組み方の失敗が影響している課題でした。しかし、自力ではベスト16以下のチームに負けている要素はなかったので勝ち進むことはできました。ただ私の計算では夏は暑さとの戦いだから勝てるゲームはできるだけ短い時間で終わらせて体力の消耗を防ぐということを考えていたので、大きな誤算でした。また試合も数少ない1回戦からのスタートだったので、4回勝ってやっとベスト16でした。勝ち進むにつれて試合の間隔も短くなっていきます。選手も私も目標到達のことだけ考えて次の試合に臨みます。次を勝てば目標のベスト8に到達です。試合の相手は秋、春の大阪大会の優勝チームです。私たちとの試合までピッチャーが無失点記録を更新中で多分私たちなど眼中になかったと思います。私たちにはそれがラッキーで1度も対戦したことがなかったのもラッキーでした。
いよいよ試合が始まりました。先に大量の得点を取られないように守備を深めに守らせたのが失敗でポテンヒットばかりで初回に4点を失います。私の指示のミスであることを選手に伝え平静を取り戻させます。ピッチャーがあまり自分の球に合っていないということを感じていたみたいで、ここから多分打たさないからしっかり守ってや!と声をかけてくれたおかげでしきり直しができました。そこからは4-0のまま投手戦になります。ただこちらにラッキーだったのは後攻であることと点数は入らないが毎回得点圏にランナーを進めていたことの2点が相手を追いつめていきます。6回裏の攻撃で2アウト2.3塁まで攻めます。バッターは5番、チーム1のパワーヒッターで狙うは無失点記録を破ること。相手のピッチャーもかなり意識していたんだと思います。カウントが2-3になった時点でバッターにはフォアボール狙いに行くな!お前しかこのピッチャーを打てない3振してもいいから思い切り振ってこい!という指示でした。それにバッターが応えてくれて右中間への2点タイムリー2ベースを放ち、4-2。さらに1点を加えて4-3まで追い上げました。しかしさすがは優勝チーム簡単には主導権を渡してもらえず、結局ゲームセット。1年目の目標は達成できなかったけれど満足のいく試合内容でした。後日に知ったのですが、その後そのチームは大阪で優勝して全国大会にいくのですが、私たちの試合以降全国の準決勝で負けるまで、再度無失点を続けていたそうです。負けた試合も2-0で負けたそうなので、結局私たちのチームがそのピッチャーから1番多く点数を取ったチームということをそのチームの監督さんから教えてもらいました。長いようで短かった1年目も終わりまた新チームへと移行していきます。
あっそれと試験の方は、1次試験は通過できましたが2次試験でアウトでした。試験の方も新しい年へと移行していきます。


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