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2020年03月29日

みんなが言うから、すべて正しいわけじゃない。

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この間は、病気について自分の身体の声を聞きましょうという話を書きました。
今回は子育てについて書いてみたいと思います。子育てって難しいですよね。私も嫁さんの言うとおりのことを補助してただけなんですがなかなか大変でした。お風呂の入れ方、ご飯の食べさせ方。そうなんです。それは当たり前のことなんです。だって今までは自分が親に育ててもらってきたから、やったことがない初めてのことなんですから。多分、生きてきた中で1番わからなかったことじゃないかなと思うんです。でも周りの子育て経験者は何故か?自分の子育て経験をその人の子どもに向けてのアドバイスとして話してしまいます。でもそんなことではうまくいきません。何故なら子どもは1人1人皆違う人だからです。何か当たり前のことですよね。
でも真剣に悩んでしまう人は、その情報量の多さと周りの子どもとの違いに苦しんでしまいます。私は、もっと行政があぐらをかかずにお金をかけて積極的な対応をすれば、虐待死をする子どもは減ると真剣に思っています。
これからの世の中を作っていく人達だから、もっと大切に扱ってもいいように思います。
ここからは子育てを楽しむための知識を少し書いてみたいと思います。
今は発達障害という昔(といってもまだ15年ほどしか経っていない)はなかった概念ができて親にとっては悩ましい時代だと思います。ここで少しだけ発達障害について簡単に触れておきます。発達障害というのは、脳に何かしらの原因があり脳内の神経伝達物質が出なかったり、多く出すぎたりすることによって100人中の90人が簡単にできることが10人の人にはとても難しい状態であるということです。具体的な例でいうと自分の席にある一定時間座っていることが難しかったり、相手が話しているのに待てずに話しかけてしまったりします。これを本人たちもわかっているのですが、その行動を抑えてくれる神経伝達物質が不足していて自分でもわからないうちに動いてしまうことがあるのです。このような例の障害もまた個人によって違い、一概にこの障害はこうだと断定できないのが現状です。ただ自分の子どもがそうじゃないかと言われたらビックリしますよね。でもゆっくり落ち着いて対応して、少し待ってあげれば大きなことには繋がっていきません。でも学校などでは、周りが大人になっていないので、難しい面も多いと思います。先程の例も社会生活経験を積むことによって、少しは軽減されていく人もかなりの数いることも確かです。少し話が横道にそれましたが、子育てが楽しくならないのは、まだ学校というところが勉強重視で学習能力重視になっていないことが1番の原因だと考えています。勉強と学習能力は違うの?と思われてしまうかもしれませんが、大きく捉えれば似ているものかもしれませんが、実生活においては少し違います。勉強と聞くと点数を連想してしまいますよね。勉強ができるイコール点数が取れると思われます。これが世の中の考え方になっています。でも学習能力というのは、点数を取るための行為ではなくて、何かしらの知識を得て、それを違う場面や次に訪れた場面で使うことができる能力のことをいいます。勉強の方は丸暗記でも点数は取れますが学習能力は自分の脳力を最大限に発揮しなければ使うことが難しいんです。日常の生活ではどちらが役に立ちますか?
当然後者ですよね。でも小さな子供には字が書けることや計算ができることを優先して、一見無駄に見える子どもの行動を制限して脳力を低下又は遅らせてしまっています。
子育てを楽しむためには、そんな子どもの行動に目を向け一緒になってやってみることが大切です。小さな子どもが好きな砂いじりは子どもの脳を活性化させ、自分の手で感じたことをしっかりと脳に伝えてくれます。親も一緒になってやってあげると子どもの情操面でも後々役に立ちます。子どもが喜ぶことを子どもの目線に立って一緒にやることが子育てを楽しむ一つのコツだと思います。ただこんなことを言うと何でも子どもの言うとおりにしたら良いと考える人がいるのですが、そうではありません。色々な習い事と同じくらい子どもと一緒に何かに取り組むことが大切だということです。
そして子どもがやりたがらないことは生活に必要なことでなければ、やりたくなるまで待ってあげればいいのです。今の世の中でやり始めるのが遅かったから成功しなかったという人はいません。学生時代に全く勉強をせずに世の中に出てから勉強をして成功している人はたくさんいます。学歴や勉強は必要になった時に始めても遅すぎることはありません。でも学習能力は身につけられるタイミングで身につけておいた方が後々勉強をしたくなった時に脳がしっかり働いてくれるので大切です。
そう考えてみると勉強にこだわるよりも子育てを自分なりに楽しんでみる方が得だと思いませんか?私はそう思います。



子育ては子どもと共にあなたの考えたやり方で親と子どもが共に楽しんで生きていくための神様が与えてくれた人生のツールの一つと考えることができればきっと楽しくなってきます。ここからは私がこうなんじゃないかな?と思って、子育て中の親に伝えていることを少しだけ書いてみます。
まず球技ができるようになって欲しい親には、10才になるまでにできるだけボールで遊ばせること。理由は、神経系の発達が10才でピークを迎えるのでそこまでに神経を鍛えておく必要があるからです。ボールを扱う競技はどれもボールと自分との間の空間認知力が必要とされ、どれだけボールと自分との距離があっても神経系が鍛えられていると脳のフィードバック機能を使ってボールの位置を捉える能力が上がるからです。ただ子どもがやりたがらない場合にはオススメできませんが。
もう一つは、言葉を早くより多く話して欲しい時は、早い段階でストローで飲み物を飲ませることを試すのが有効です。赤ちゃんは生まれてすぐにオッパイを吸うという能力があるので、その能力が消えてしまわないうちに試してみることをお勧めします。次にバランス感覚は、ハイハイをしている時期に無理に立って歩かせようとせずに色々なハイハイをさせてみると後々のバランス感覚ぎよくなります。それはバランス感覚が悪いなと思ったら、歩くようになってからハイハイに取り組ませても効果があります。次に赤ちゃんの握力についてです。大人になって自分の体重を支える握力を持った人は運動をしている人に多いのですが赤ちゃんの握力は自分の体重くらい軽く支えるくらいの握力を持っています。これも何かをつかませて鍛えると良いと思います。赤ちゃんの玩具でありますよね。最後に聞いたことがある人も多いと思いますが、赤ちゃんは羊水の中で生活していて、生まれた瞬間に肺呼吸を始めるといいます。もちろん親がしっかりついての話ですが、泳ぐということも赤ちゃんの頃からチャレンジできることの一つです。
1人1人の子どもは本当に無限の可能性を秘めています。子育てを楽しむ方法は、自分の子どもの可能性を広げるために色々と期待してやってみるといいですね。ただ一つ子どもがやりたがることを大人から見てどんなにくだらないと思うことでもいいから見つけてあげてください。きっと子育ては楽しくなるはずです。


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またコメントあればよろしくお願いします。

2020年03月26日

みんなが言うから正しいわけじゃない。

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今日は、この間のブログの最後に書いていた病気や健康の考え方の説明を自分の体験と自分なりの考え方を書いてみたいと思います。
まず今の医療には、たくさんの種類があります。わたしが考える医療とは人が真の意味での健康に導いている行為は、総て医療だと考えています。だから医療に携わる人たちは自分達のやっていることに責任を持たないといけないと考えています。よくわからないことを断定的に話されると聞いた人は目に見えないことが自分の身体で起こっているのだと不安になります。ひどい人はその不安から本当に病気になってしまいます。極端な例ですが、多分外国だったと思いますが、癌ではない人に医師の姿をした人が「あなたの身体に癌が発見されました」と告げて病院のベッドで治療を続けるとどうなるか?という実験をすると全くなかった癌細胞が本当に発見されたそうです。
人は自分自身で思い込みすぎると本当にそんな身体症状が出ることがあるそうです。それを良い方向に考えたのが「思考は現実化する」ではないでしょうか。少し怖いですね。
では最初に書いたわたしの医療に対する考え方を書いてみたいと思います。当たらずしも遠からじという内容だと思いますので、是非参考にしてみてください。
医学の代表的なものが西洋医学と呼ばれるものと東洋医学と呼ばれるものがあります。
まず西洋医学の素晴らしいところは、急性的なものの治療に強く、痛みの緩和などに凄い効果を発揮します。ただしこれは人間の持つ自然治癒力を薬や手術で助け、素早くそして見た目を綺麗に治してくれます。ただ急性的なものには強いですが、そこまでです。今の西洋医学は万能でもなんでもありません。わかっていないこともたくさんあります。だから健康診断の結果をそれほど重く考えずに今の自分の身体の状況を知るというところに重きを置いてもらうだけにして貰えたらと思います。
では東洋医学とはどんな特徴があるのかというと慢性的な疾患に効果が出やすい医学だと思います。伝統的なものや言葉が手当てという言葉だったり、ツボという言葉だったりします。どちらかといえばゆっくりと人間の身体を
元の健康な状態に戻していくというものが多いと思います。どこか調子が悪くなるとその部分に手を当てて痛みを緩和しようとしたり、鍼灸のように多くの血管が交差しているところをツボと呼び、そこに鍼を刺して血液循環をよくしようとしたり、ツボの部分に灸を据えて温めることで血液循環を促進しようとしたりして、本来人間が持つ自然治癒力を助けて元の健康な状態に戻そうとします。



どちらも良いところがあり、本当は同じ高さの医学で両方を上手に使えたら1番良いのですが、どちらかというと西洋医学の方が目立っています。なぜだと思いますか?それは目に見えたり、肌で感じられる効果が西洋医学の方が早く現れるからです。東洋医学の方は、何度も繰り返したり、薬も即効性がなく少しずつ効き目が現れるものが多いからです。
誰だって痛みがすぐに取れたり、一時的にでも回復の兆しが見えた方が嬉しく感じます。
でもここにある落とし穴があります。先程も書いていますが西洋医学は急性的なものに強いという特徴があります。だからケガなどをした場合の治療や痛みを取ることには優れているのですが、慢性的な疾患の場合は手術をしたり一定期間放射線を当ててみたり、凄く強い薬(人間にとっては毒に近いもの)を飲まされたりと早く結果を出そうとする治療が多く、身体にとってはダメージを受けやすいという欠点を持っています。そしてその薬やその治療方法も必ず正解ではありません。確率として今まで誰かに成功したという理由で行われています。だから今まではあまりなかったのですが、最近は治療を受けるか受けないかを医師の説明を聞いてから患者とその家族が決定するということになっています。その担当医師も絶対的な自信があるわけではないのです。
私の知り合いでかつて糖尿病で医師からかなり悪い状態だから入院をして治療しないと命の危険があると診断された方がいます。でもその方は、普段から自分の身体の声を聞いて病気に立ち向かっている方だったので、入院と治療の必要はない。自分で勉強して、食事療法と運動療法を取り入れた生活を始め、半年後に病院で検査を受けた結果、健康に近い状態にまで回復していたそうです。その後も食事と運動については続けていかないといけないですが、糖尿病は恐れなくても上手に付き合っていけば悪化は防げるという講演会まで開くようになっています。それもその病院の医師からお願いされてやっているということでした。この食事療法や運動療法は東洋医学の範疇に入ります。だから西洋医学の医師に何かを告げられても自分の身体の声を聞いて治療方法の選択をすることが大切だと思います。
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誰もができるのかというとそうではないと思います。でも病は気からという言葉の通り、自分の身体の声を聞いて判断する癖を常に身につけておいて地道にコツコツと治療を続けるという覚悟もないと病気に負けてしまうかもしれません。ここでも言えることは、治療も自分なりに工夫をして楽しんで行える方法にすれば長く続けられるし、治療の効果も高まると思います。逆に思いつめたり悲観的になって受ける治療は病気の重さを重くしてしまう可能性を持っています。ただ一つ例外としてあるのは先天的に持って生まれた要素については現代の医学ではどうにもできない場合があることも知っておいてください。
日々の生活や仕事や病気等は生活習慣や自分を取り巻く環境に大きな影響を受け良くも悪くもなっていくので、自分の身体の声を聞いて、休む時は休むであるとか、周りの人の意見に惑わされずに行動するとかを心がけてください。
話は少し変わりますが、実は自分の子どもが小学生の頃に国が指定する(補助金が出る)小児の重い病気だと有名な病院で診断されました。これは真似をしないでほしいのですが、その診断を受けた後、嫁さんは凄く落ち込んでしまっていましたが、私は自分なりに冷静になって(嫁さんからは冷たい人だと言われましたが。)子どもが処方された薬がどんな副作用があり、リスクが高いものかを調べた上で子どもの日々の生活をずっと観察しました。
でも私が見る限りでは、まだ子どもなので医師や嫁さんに言われるから痛みを感じるだとか少しだるさを感じるだとかと答えているようにしか見えませんでした。
私の目には病気であるという雰囲気が自分の子どもから全く出ていないと感じました。この経験は過去に自分の母親がとても悪い気を出していて、病院で検査を受けた結果が子宮筋腫という病気で入院し手術を受けた後にもかかわらず、全く悪い気が取れていなかったので、医師に違う箇所を調べてもらうようにお願いをしたことがありました。そしたら何と悪い気の原因は腸閉塞であと少し発見が遅れていたら命に関わっていたということでした。その時に初めて母親から三途の河の話を聞いたのを覚えています。
それでまた医師に相談に行きましたが取り合ってもらえなかったので、何とか嫁さんを説得して薬を飲ませるのをやめてもらいました。この時の嫁さんの勇気には感謝しかありませんでした。もちろん私も医師ではないので子どもの状態が悪くならないかは心配でしたが、その後は薬を飲んでいないのに月の定期健診では順調に回復し、3年くらいはかかりましたが、病院にも通わなくてよくなり、今では毎日激しい運動をして帰ってきます。
自分ではその時の判断は間違ってなかったと今でも思っています。ただ一つ言えることは外科的なことでは、この気という話は関係ないみたいなので、すぐに西洋医学に頼っています。上の子が鼓膜に空いた穴が塞がらない時はすぐに手術をお願いしていました。
結局は自分の内面から出る気には常に注意をしていれば(自分の身体の声を聞く)早く悪い状態にも気がつけるというお話です。1度やってみてください。私が今1番気をつけているのは朝起きたらまず鏡をみて体調の確認をすることとタバコやお酒、またギャンブルなどをする時は、自分に本当にまだ吸いたいか?飲みたいか?まだ勝負するか?などを自分の気持ちに聞いてから実行するように心がけています。この考えは人の怒りは5秒から10秒で収まるから凄く腹が立った時は数を数えると収まりますっていう話から来ています。どんな事にも有効なので試してみてください。色んなものやり過ぎるという行為にセーブがかけられますから。最後は少し横道にそれましたが自分の身体の事は自分の身体の声を聞くのが
良いと思います。同じことを言っている人をこの間テレビで見ました。カジボディの梶さんという女の人です。インスタとかで検索すると出てくるので1度話を聞いてみてください。腸活ということで自分の身体の声を聞いているみたいです。
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2020年03月22日

指導者としての2年目のジンクス

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秋の大会が終わり、一冬越していよいよ監督としての2年目が始まります。秋の成績が影響してか2〜3月にかけて今まで見向きもされなかったチームからも練習試合の申し込みが殺到します。前年度はいくらお願いしても色々と理由をつけて断られることが多かったのですが、新しいチームでは相手から連絡をいただけることが多くなりました。ただ1つ困ったのが、今までは自転車で行けたり電車でも数駅で行けるような近場のチームばかりと試合していましたが、連絡をくれるチームは大阪だけでなく他府県のチームも含まれていました。私の赴任した高校は、どちらかというと当時教育困難校と言われていた学校で授業料の減免を受けている家庭が多く、それほどクラブ活動にお金をかけられる状態ではありませんでした。せっかく声をかけていただいてもなかなか応えられる状態にはならず、少しイライラしながら続けていました。そんな中でも良心的な学校は遠方からうちのグラウンドに足を運んでくれてなんとか試合をすることはできました。私も指導者として初めての年だったので、監督が部員の家庭環境のことも考えてやらないといけないことを思い知らされます。選手時代は何も考えずにやっていたのでなかなか馴染むまでに時間がかかりました。3人の顧問の先生が大半手伝ってくれたのでかなり助かりました。
それだけではありません。またまた難関がやってきます。それは勉強です。高校なので点数を取れないと留年してしまいます。そこも顧問の責任として進級の危ない生徒の勉強をテスト前になると見ないといけませんでした。幸い私は進学校の出身だった(在学中は劣等生であるとしか感じていませんでしたが)ので?なんとか見ることはできました。
自分が顧問になって感じたのは、なんと大変な仕事なんだということでした。1年間ほぼ休みはなし、何かしらの報酬をもらえるわけではない。周りに認めてもらえるわけではない。自分が選手の時には考えたこともなかったことでした。でも唯一の喜びは諦めずに努力をすれば結果が出て、みんなで共有できるというところでした。私の場合は、ある程度の結果が出たので良かったですが、あの労力をかけて全く結果が出なければ心が折れても仕方ないなとも思える生活でした。本当に寝ることだけが楽しみの生活でした。



そんな色々なことに苦労しながら月日は過ぎて行きます。指導者としても勉強になることがたくさんありました。試合もやみくもに組んではいけないこと。選手の体調管理を考えること。強いチームとばかり試合をしないこと等々。日々勉強の連続でした。そして自分がやるべきもう一つのことをすっかり忘れていました。それは自分の採用試験の勉強でした。今まで書いてきた初めてずくしの生活だったのですっかり忘れていました。試験は7月なのに気がついたら4月になっていました。もちろん仕事として日々の授業はしないといけません。もう大会も始まります。焦りましたがどれも手を抜くことができません。とりあえず目の前にあることをこなしていく生活になりました。その頃の私の1日は朝5時に起きて、7時前に職場に到着。朝の授業準備をして、朝練を見に行く。生徒指導の朝の立ち番をして授業。空いた時間は、教材研究と採用試験の勉強。放課後はクラブ指導。夜8時くらいまで仕事をして9時くらいに帰宅。お風呂と晩御飯を済ませて眠くなるまで勉強でした。
休みの日もずっと練習か試合で帰るのは平日よりも早く7時くらいでした。毎日があっという間に過ぎていくのですがとても無駄のない生活でした。これに見合った収入があれば言うことはなかったのですが。
私の生活はわかっていただけたと思うので、クラブの方はというと春の大会も昨年同様に勝ち進めたのですが、ベスト32止まりでした。負けた相手もまた優勝候補だったので、最後の夏の大会に向けて取り組み始めました。またここで1つの不安がありました。実は私の試験と最後の大会の日程が重なってしまう可能性があったからです。監督をやっていると言えども試験に行かないわけにはいきません。監督は代わりがいても、試験は私しか受けることができません。後は試合の抽選が試験日を外してくれることを願うだけでした。そして抽選の結果、試験日と1日だけずれてくれて部員や他の顧問の先生と喜んだのを覚えています。でもそれと同時にクラブ以外の周りの先生たちからは、何を考えているんだとお叱りを受けて複雑な気持ちになったこともよーく覚えています。
そんなこんなで監督1年目の最後の大会と教員1年目の最初のテストに突入していきます。



さあ最後の大会。監督の腕の見せ所と思い、大会に突入しますが、やはり簡単には勝たせてもらえなくなっていました。こちらのバッテリーのことや攻撃のパターンなど結構知られていて、秋の大会のようにスムーズに試合を運ばせてもらえませんでした。これは私が前で書いた練習試合の組み方の失敗が影響している課題でした。しかし、自力ではベスト16以下のチームに負けている要素はなかったので勝ち進むことはできました。ただ私の計算では夏は暑さとの戦いだから勝てるゲームはできるだけ短い時間で終わらせて体力の消耗を防ぐということを考えていたので、大きな誤算でした。また試合も数少ない1回戦からのスタートだったので、4回勝ってやっとベスト16でした。勝ち進むにつれて試合の間隔も短くなっていきます。選手も私も目標到達のことだけ考えて次の試合に臨みます。次を勝てば目標のベスト8に到達です。試合の相手は秋、春の大阪大会の優勝チームです。私たちとの試合までピッチャーが無失点記録を更新中で多分私たちなど眼中になかったと思います。私たちにはそれがラッキーで1度も対戦したことがなかったのもラッキーでした。
いよいよ試合が始まりました。先に大量の得点を取られないように守備を深めに守らせたのが失敗でポテンヒットばかりで初回に4点を失います。私の指示のミスであることを選手に伝え平静を取り戻させます。ピッチャーがあまり自分の球に合っていないということを感じていたみたいで、ここから多分打たさないからしっかり守ってや!と声をかけてくれたおかげでしきり直しができました。そこからは4-0のまま投手戦になります。ただこちらにラッキーだったのは後攻であることと点数は入らないが毎回得点圏にランナーを進めていたことの2点が相手を追いつめていきます。6回裏の攻撃で2アウト2.3塁まで攻めます。バッターは5番、チーム1のパワーヒッターで狙うは無失点記録を破ること。相手のピッチャーもかなり意識していたんだと思います。カウントが2-3になった時点でバッターにはフォアボール狙いに行くな!お前しかこのピッチャーを打てない3振してもいいから思い切り振ってこい!という指示でした。それにバッターが応えてくれて右中間への2点タイムリー2ベースを放ち、4-2。さらに1点を加えて4-3まで追い上げました。しかしさすがは優勝チーム簡単には主導権を渡してもらえず、結局ゲームセット。1年目の目標は達成できなかったけれど満足のいく試合内容でした。後日に知ったのですが、その後そのチームは大阪で優勝して全国大会にいくのですが、私たちの試合以降全国の準決勝で負けるまで、再度無失点を続けていたそうです。負けた試合も2-0で負けたそうなので、結局私たちのチームがそのピッチャーから1番多く点数を取ったチームということをそのチームの監督さんから教えてもらいました。長いようで短かった1年目も終わりまた新チームへと移行していきます。
あっそれと試験の方は、1次試験は通過できましたが2次試験でアウトでした。試験の方も新しい年へと移行していきます。


2020年03月21日

どんなことでも気持ちの持ち方で楽にできる。〜ができないも考え方で解決できる。

カートボタンを貼るだけでホームページやブログがネットショップに早変わり【イージーマイショップ】

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今日は、どんなことでも考え方次第で楽しむことができるという無責任な話を書いてみたいと思います。
みなさんは、自分が何かをしないといけない時又は自分に何かを任された時にどこまでを自分の責任だと考えて行動していますか?もし全て自分の責任として行動しているのならそれは大きな勘違いです。またそんな生き方をしていると胃に穴が空いてしまうか、癌になってしまいます。余談ですが病気になるには原因があり、その原因は元々自分が持っている(生まれつき)か自分が日々の生活の中から新たに作り出している可能性があります。
表題のどんなことでも気持ちの持ち方次第で楽にできる。は正にこのことがテーマです。
今から色々なケースの具体例を挙げて簡単に説明してみます。まず病は気からといった言葉がありますが、なぜ?人は病気になるのでしょう。先程も書きましたが、先天的に持って生まれたものと自分にとって悪い環境以外は、自分が原因を作り出している可能性が高いのです。そうです。気の持ち方なんです。現代の私たちが昔の人たちに比べて新しい病気に罹る人(特に精神的なものが関係している病気)が多くなっているのは何故でしょうか?
それは必要な情報だけではなく、不必要な情報までが入ってきやすくなってしまったからです。不必要な情報に気を病んでしまうことが多くなったのです。どういうことかというと自分の心や身体の声を聞けなく又は聞こうと思っても迷いが出てしまうようになり、情報の方を信じてしまい病気になってしまうのです。
なんとなくわかりますか?聞いたことがあると思いますが、人には自分の身体は自分で治す力が備わっているのです。(但し、外傷などは90%近く元に戻すには整形が必要ですが)薬を飲んでもその人が自分で治す力を助けているだけで、薬自体で病気や怪我を治すことはできません。精神も全く同じです。ただ人は1人1人みな違う構造や特徴を持っていて全て同じではありません。だから本来、痛みや病気の状態も自分の心や身体の声を聞いて状況判断しないといけないのです。でも情報が邪魔して自分の声が聞けなくなってしまっているのです。
よくあの人には雰囲気があるとか言いますが、それもこの考え方と同じで雰囲気という気をその人が自分の心の声を聞いて振る舞っているだけなのです。もちろん性格的なことも関係してきますが、気が面に出ている人ほど病気にかかりにくいと考えられます。(自分を作っている人は別です)



では、私たちはどうすれば良いのでしょう。簡単に言うと周りに惑わされずに自分の心と身体の声に正直に生きるということが大切です。周りに惑わされないとは具体的にはどんなことがあるでしょう。例えば医者にあなたは〜ですから気をつけてくださいと言われたらその意見は参考程度に聞いておくくらいに留めます。人間の脳は、自分の心と身体の声を聞いて規則正しく生活しているときっちり反応してくれます。だからまず周りの情報に惑わされずに自分自身に合った生活を取り戻すことが肝心です。そこから今の生活に合ったリズム作りをしないといけないと思います。少し酷ではありますが、もしかしたら今の仕事のサイクルがあなたに合っていなくて辞めてしまった方が良いなんていう場合も出てきます。そこは自分の声を聞いて判断してみてください。あなたがまだ30才代ならいくらでもやり直しができると思います。実は私は収入が良いお堅い職業を33才の時に何のあてもなく辞めて今の仕事に定着したのも43才の時でした。
でもなんとかなっていますし、収入も悪くなっていません。何故か。自分のリズムに合った仕事に就いているからだと思います。私は健康保険料がもったいないくらい病院に行きません。返って病院に行ってあのマイナスエネルギーを感じる方が病気になりやすいと考えています。それは、喫煙やギャンブル場にいることよりも大きなマイナスエネルギーの存在する場所だと考えています。もちろん行く必要がある人は仕方ありませんが、行かなくてもいい人は行かない方が良いと思います。例外としてお年寄りで仲間がいるから病院に行くということは別にしておいてください。あれはあれでプラスエネルギーになりますから。
そんなことがこの世の中には溢れています。だから病気にかかり苦しんでいる人も溢れています。気持ちの持ち方、生活の仕方を自分の心や身体の声を聞いて人に振り回されずに素直に過ごすことができれば、少なくとも自分から病気の原因を作り出すことはなくなります。
なんとなくわかっていただけましたか?もし疑問点があり、聞いてみたいことがある方は、コメントを残していただけたらお答えしたいと思います。
馬鹿だと思われると思いますが、最後に私が惑わされてはいけないと思う事象を書いておくので参考にしてください。この内容は1度のブログでは書ききれないのでまたいつか書いていると思うのでその時にみてください。
1.健康診断の結果(その結果は参考。それ以上でもそれ以下でもない。)
2.毎日朝、昼、夜の3食食べる。(これも個人差があるので気にしない。実は腸にまだものが残っている時に食べ物を入れるのは腸だけでなく、身体全体に影響を及ぼす。)
3.眠くない時に無理矢理寝ようとする。(眠くもないのに次の日に影響するからといって、酒を飲んで寝ようとするのはダメ。眠くない時は身体や神経、目などを静かな状態で休ませていれば次の日1日くらいは普通に過ごせる。)
まあ今思い付いたのはこれくらいです。また人間についてや考え方についても書いてみたいと思います。まず本来の自分を取り戻すことから始めてみてください。きっと病気にもかかりにくくなるし、楽しく楽に生きられるようになります。



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2020年03月17日

さあ!社会人。新たなる挑戦へ

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さあ!社会人。私の大学卒業時は、まだバブル景気の前で就職は、引く手あまたでどこにも良い給料で就職できる時代でした。あちこちのコンピューター関係の会社から旅行や接待付きでお誘いがありました。でも私が選んだのは、安月給の非常勤職員でした。指導者になろうと思うと必ず通らなければならない学生を指導して結果を残すという道でした。
月の給料は、悪い時は6万円くらい良い時でも9万円くらいでした。もちろん交通費込みです。そして正規職員への道も厳しくて今後10年間は大阪の採用はほとんどないという状況でした。私は石の上にも3年を念頭に置いて、3年間は我慢してもしそれでもダメなら新しい道を考えようと思っていました。その当時の同じ境遇の仲間との合言葉は、ローマは1日にしてならず。千里の道も1歩から。塵も積もれば山となる。の3つでした。そしていよいよ指導者としての生活が始まります。



私が指導することになったチームは、部員が7人しかいなくてまず部員集めから始めます。素人でも運動能力が高い生徒をスカウトし、なんとか13人にします。顧問は、私以外に3人いてみんな熱心な方ばかりでした。私にとってはそれも救いでした。その中で一人の顧問の先生だけが野球をよくわかっていて、自分達が真剣にやればどこまでいけるのかを聞かれてなんとも答えられずに困った記憶があります。そこで私は大学時代の経験を生かす為にその先生にお願いして強いチームを見せてもらう事にしました。安月給だったので交通費が出せず、全てその先生の車で送り迎えをしていただきました。その先生は熱心な方です練習もほぼ休まずにやっていたのですが、結果が出ずに顧問を持っての3年間で公式戦では0勝と多分イライラしていたのだと思います。そこに大学野球の経験者でリーグ優勝をしたこともある私が指導者として来たのでかなり期待してもらっていたと思います。それに加えて私が赴任した時のメンバーが7人しかいなかったのですが、珍しく全員がそれなりにプレーできる選手たちだったというのもあったのかもしれません。そして近畿圏の強いチームを見て出した私の結論がまず大阪でベスト8を目指しましょうということでした。その学校の先生方から若いということはできもしないことを自信持って言うなと言ってバカにされましたが、その先生だけは一緒にやっていこうと言ってくれました。ただ私の説明が経験者ならすぐに理解できる内容だったのですが、なかなか伝わらずに少し苦労しました。
基本プレーの徹底ということだったのですが、みんなの頭には、甲子園であるとかプロ野球であるとかの方法論が入っていてもっとこうしなければダメと思ってしまうみたいでした。今でも少年野球のチームにアドバイスをしますが、言う事は同じでただ一つだけをアドバイスします。それができていないチームは次の段階へ進んで指導しても強くはなれないと思うと強く伝えます。そのただ一つのこととは?当たり前の簡単なことなんですが、大阪でベスト16に入れないチームはできていないことが多いです。



それは、ファーストでのアウトを確実に取れることです。ですが素人の方は先の塁でアウトを取ることを教えようとします。私の練習方法の1番始めはノックもせず、ボールを手で転がしてファースト、セカンド、サードへの送球を完璧にすることから始めます。次にボール回しです。それをすることでキャッチボールとは違う動きながら確実に投げるということを身体に覚えさせます。
それが80%以上成功するまでノックはしません。何故ならそれができないとノックをしても意味がないと私は考えているからです。実際それができるようになったチームは、相手に点数をあげるということがなくなっていきます。相手が点数を取る為にはヒットを打たないといけなくなるわけです。野球のバッティングと守備の関係性を考えればわかると思うのですが、バッティングはいくら小学校レベルでも一人のバッターが2回に1回ヒットを打つことは難しいです。でも守備の方は、80%以上の守備率を持っているチームを作ることはそう難しくなくできます。だからファーストアウトにこだわって指導します。現に私のその指導方法で短期間に上位に入るチームは多くあります。私はその高校のチームにもその練習方法を取り入れ、赴任した年の秋に早くも実力を発揮させ始めます。私が監督を務めた秋の大阪大会、4回勝って見事にベスト16に駒を進めることができました。負けた試合も優勝候補相手に1点差だったので上出来だったと思います。ただこの結果は相手に警戒されることなく、自分達の好きにできたからの結果でした。この先はマークが厳しくなり選手層の薄い我がチームは、選手層の厚いチームに苦戦していくことになります。でも私の中では第1段階クリアということと協力してくれた先生方に信じてもらえるようになったことがとても嬉しかったことを覚えています。また勝つことから見放されていた選手たちにやる気を出させることができたことも今後の飛躍につながっていきます。



また校内の私が若さだけで無茶な事を言う奴という噂も言ったことはやる人みたいな形に変わっていきます。今まで見向きすらされなかったうちの部の練習を他のクラブの顧問が見に来るようになりました。この現象も部員たちには刺激になり、練習にもますます熱が入るようになっていきました。ただ大阪で野球をやったことがある人なら聞いたことがあるとは思いますが、大阪でベスト8に入れば全国で戦う力があるとか逆にベスト16までならクジ運でいけるとかそれほどベスト8とベスト16の間には開きがあります。私は自分の経験値でわかっていましたが、周りの皆さんにはなかなか理解できないようでした。
とりあえず私の1年目の指導者生活は、お金はないが充実した1年にすることができました。それから最初に賛同してくれた先生は、今から考えるとよくそんなことができたなあと思いますが、奥さんの反対を説得してお金がない私の昼ごはん代を1年間全て払ってくれました。今ね自分の嫁さんなら絶対に離婚されているなと思います。そういう意味でもすごい人と出会ったからこんな素晴らしい結果を残せたんじゃないかな?と今更ながら思います。



この先、ある意味強いと思われてマークされ始めた私のチームは苦しい2年目へと突入していきます。

2020年03月15日

暗黒の大学時代2


コラムランキング
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前回は、寮での厳しい生活について書きましたが、今回はメインの野球について書いてみたいと思います。
野球の方は、最初のテストようなものの結果と高校時代の戦績も含めて大きな期待と評価をいただいて非常に良いスタートがきれました。ただ自分の中では、過去3年間テレビで見ていた人達の中にいるのが不思議な日々が続きました。紅白戦で対戦する時も妙な不安がいつもつきまとっていました。高校時代の戦績を評価されたといってもクラブ内で見るとほぼ最下位でした。硬式の地方大会なら決勝、準決勝は当たり前でそれ以外は皆全国大会の経験者でした。ちなみに同じポジションのピッチャーの戦績は、軟式の国体決勝進出、甲子園出場2人、プロのスカウトが見に来た1人、中学時代の大阪大会優勝、高校時代の大阪大会優勝、と私地方大会ベスト16です。
いくら運動能力があったとしても野球のピッチャーは経験がものをいうポジションなので不安を抱かないはずがありません。
何とかついていこうと頑張りました。そのおかげもあって、1年後には負けてはいけない試合にも登板機会を与えてもらえるようになりました。そこで私は勘違いをしてしまいます。今置かれている立場は周りの助けがあっての場所だったはずなのに自分の実力だと思いこんでかなり天狗になっていました。
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そこからが大変でした。やはり大舞台での経験がない私は皆のプレートさばきやサインプレーの巧みさに圧倒されていきます。
投げる球が速いだけの単純なピッチングしかできない私はどの試合で投げても打ち込まれるかフォアボールかデッドボールの嵐を続けるピッチャーになっていました。
もう少し謙虚な気持ちで周りのピッチャーから色々と吸収できていればこんなことにはならなかったと思います。でも私は精神的に少し成長を遂げていきます。試合には出番を与えてもらえない立場でも試合の運び方や流れを引き寄せられるピッチングの方法などを学んでいきました。これが大学時代の唯一の救いで指導者になってからすごく役に立ちました。大学野球をやった成果とも言えるものでした。鳴かず飛ばずの大学野球でしたが、最後には引退試合を組んでもらい、大学2年生以来のリーグ戦登板もさせてもらいました。ただブランクがあり過ぎて納得のいくピッチングはできませんでしたけれど、次に向かうきっかけにはなりました。
Another works

あの時の同級生の励ましには今も感謝しています。私が過ごした暗黒の大学野球時代はこんな形で幕を下ろします。その後に野球部の部長さんから大学に残って野球を続けて見ないか?と無名の社会人野球のチームを勧めていただきましたが、指導者の道へと進むことになります。ちなみに同級生の半数も指導者の道へと進むことになり、今度は負けないぞという意気込みで大学を卒業します。
最初の方で書くのを忘れていましたが、一時期コンタクトを無くして買うお金がなく片目でプレイしている時もありました。なんか考えてみると苦難だらけの大学時代でした。


暗黒の大学時代

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あんなに楽しかった高校時代とは裏腹に暗黒の大学時代を迎えます。ただ暗黒だったのは、日常の生活や物資面がメインで精神面では鍛えられたことが多く、社会人になって役に立つことが多かったような気がします。
まず、体育系の大学だったので推薦入学の生徒が多く、一般入試での入学者が全体の3分の1しかいなかったことにびっくりしたのとよく自分が合格したなということにびっくりしていました。私は野球を続けるために大学に入学したつもりだったのですが、またまた私の親のおかげで大変なスタートをすることになってしまいます。そんなことともつゆ知らず、春休みはバイトに励んで30万近くを稼ぎ、野球道具を高校時代の物よりワンランク上のものを買い揃えました。我ながらよく頑張った方でわざわざ店舗に出る前の製造しているところまで交渉しに行って、練習用ユニフォーム2着、グラブ2つ、スパイク3足、バット2本で10数万円になりました。30年前の価格なので今の額にするとよくわかりませんが最上級の物で揃えたと考えると30万近くするのではないかと思います。
次に自分の描いていたビジョンでは、野球に集中するために往復で3時間半の通学時間がもったいないと感じ、下宿をして大学に通う計画を立てました。親にも相談し、バイトをしながら下宿代を出すということで話が決まりかけていました。でもその頃にどこの世界にもいる"小さな親切、大きなお世話"をしてくださる方からうちの両親に大学の寮の話を持ってきたのです。かかる費用も安く、大学構内にあったので私も便利かな?と思っていました。それがこの先とんでもない厳しい生活を強いられることになっていきます。私の知識がもう少しあれば良かったのですが。高校が進学校でそんなことに縁がなかったということもありました。



3月の後半になって、野球部への入部と寮への入寮時期になりました。体育系の大学は、スタートが早いみたいで、4月から練習にも参加する形になっていました。野球部の方は、以前のブログにも書きましたが、甲子園に出ていたテレビの中の選手たちと挨拶を交わし、入部の際の運動能力を見るテストのようなものも無事済んで順調なスタートを切ることができました。自分で言うのもおかしいのですが、甲子園に出ていた選手(先輩も含めて)と比べても運動能力は負けている気がしませんでした。野球に関しては、さあやるぞ!的な気持ちでいっぱいでした。
問題は、寮の方でした。ここからはしばらく体育系の寮(同じ大学内に文化系の学部の寮もありましたが同じような感じでしたが。)はとにかく規律が厳しく耐えられずに途中で夜逃げ同然で姿を消す同級生もいました。体育系の学部はクラブと密接な関係があるので、退寮イコール退学のような雰囲気がありました。ルールとしてはないのですが、やはり大学内に存在することにかなりの勇気が必要だったことは間違いありません。
ではどんな規律があったのでしょう。覚えている?(忘れられない)ものをあげていってみたいと思います。まず1.2回生の服装は、学ランに決められていました。これは市内のどこで遭遇してもわかるようにするためだったと思います。何か高校生の制服の意味に似ていますね。高校が生徒に制服を着させるのは、良い事であっても悪いことであってもすぐにどこの高校の生徒かわかるようにするためだそうですから。そこで私が1回生の時に大変だったのが挨拶です。1回生は入ったばかりなので先輩の顔がわかりません。でも先輩には必ず挨拶をしないといけないというルールがあり、そこを誰か一人でも失敗すると門限後に集合といって反省会みたいなことがあります。正座をして平均1時間半もの間先輩からの説教を受けるのです。私が覚えている限り、365日毎日あったような気がします。挨拶の仕方も決められていて、100m先にも届きそうな大きな声を出し、頭を下げ身体は直角に曲げて挨拶をしなければならなかったと思います。そして自分達がきっちりやったつもりでも先輩ができてなかったと判断すれば集合がかかるので、日々ピリピリしていました。普通ならすぐに辞めてようと考えるのですが、自分達には大きな夢があり入学してきたので、みんな簡単には負けません。1回生の頃は、早く月日が立ってくれる事を願っていました。同級生の中にはドラエモンの道具を例えに出して、どこでもドアさえあれば助かるのに。と言い出すものもいました。



寮のルールはこんなものでは、終わりません。日々1回生には仕事があり、朝7時から約一時間半の寮内の掃除。終わったら先輩の食事を用意する食堂当番。クラブの練習から帰ってきたら、7時から10時まで外部からの電話を取り継ぐ電話当番。それと同じ時間にある先輩の背中を流したりする風呂当番等々。これに加えて、1つの部屋は先輩との2人部屋だったので部屋の掃除に先輩と自分のものの洗濯、5階建で各階に1台しか洗濯機がなかったので洗濯機の取り合い。10時の門限前の整列確認。部屋の先輩が寝るまで後輩は、寝てはいけないなど。細かいルールをあげるとキリがないほど多くのルールの中で生きていました。もちろん野球に集中できるわけがありません。まだまだありました。これも寮生ならではの日々の苦痛の1つ。先輩達が酒を飲み出すとそれに付き合い、酒がなくなると夜中に買い出しに出かけなければいけないということでした。その時代には、1000札が使える自動販売機はなく、小銭を用意する必要がありました。何故か?先輩達から渡されるお金は、1万円、5千円、1千円と決まっていたからです。私達は色々と考えて行動しました、買ってくるのが遅くてもダメだし、もちろん言い訳なんてしようものなら大変なことになってしまいます。そこでまず最初にやることは何時であろうが酒屋を起こして酒を売ってもらうことです。この方法は最初はうまくいったのですが、酒屋も度々になると出てきてくれません。15分頑張ってダメな時は近所の人が警察を呼ぶので、諦めて次の方法に移ります。次は駅前に止まっているタクシーの運転手に両替をお願いすることです。これも日によって止まっている台数の多い少ないがあり絶対的な方法ではありませんでしたが、かなり助けてもらいました。そして次です。夜遅くまで店を開いているスナック等に行ってお酒を売ってもらったり、両替をお願いしていました。すごく良くしてもらったママのいるお店では、事情を話しておくとわざわざお酒の仕入れを多くしてくれて待っていてくれる店もありました。売ってもらいに行くのが、毎日ではないのにすごく良くしてもらいました。そんなお店には、自分達が上級生になった時に行かせてもらい、その当時の話を笑い話として聞いてもらいました。最後の選択肢が朝まで帰らないでした。途中で諦めて帰るとまた買いに行かされて集合のネタになるからです。でも朝まで帰らないと最後まで努力したことを認めてもらえ他の1回生に迷惑をかけることもなかったからです。



そんな異常な寮生活を送っているとやはり精神的におかしくなりノイローゼ状態になる同級生も多くいました。特に日本ではトップクラスでアジアや世界の大会に参加するクラブのメンバーが次々と脱落していきました。高校時代はインターハイの上位校でプレイしていた選手たちです。自分達は関西トップレベルのクラブだったので、その違いは大きかったのだと思います。結局入寮時に12名いた同級生は5名にまで減少し、残された寮生の1人1人の負担が大きかったのを覚えています。でもその頃になると時間が経って自分達が上級生になるのが早いか精神的にダメになってしまうのが早いかの持久戦でした。そして残った5人のメンバーでよく話していたのが、なんでも楽しんでやろうぜということでした。
今起こっていることが人生においては些細なことで将来笑い話にできるようにこんな中でも面白いことを探そうということでした。
怖い先輩の言ったことを〜先輩語録として自分達だけで笑って真似をしてみたり、お互いにヘマをして怒られたマヌケぶりを笑ってみたりしていました。そうやっていると不思議と悲観的にはならず、無事に5人は卒業まで寮で過ごすことができました。また自分達が上級生になっていく中で、後輩の競技に影響が出るようなことはできるだけやらないというルールに少しずつ変えてもいきました。
牛を連れてこい!と言われたこともあったし、酔っ払った先輩に名前を呼ばれたから行ったのにお前だれや!と言われたこともありました。全てが無茶苦茶な寮生活でした。
こんな感じのスタートだったので、野球の方にはなかなか集中できず、鳴かず飛ばずの野球生活を送ることになります。また次回書けるときに大学野球の思い出を書きますが、選手としての結果は出ませんでしたが、無駄な大学野球生活ではなかったと思っています。




2020年03月13日

自分のやりたいこととお金の関係

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今日は自分のやりたいこととお金の関係を世の中で起こっていることや自分の拙い経験、実際の経験豊富な人生の先輩達からの言い伝えから書いてみたいと思います。
人は、自分のやりたいことがお金に直結しない時、どんな行動を取るでしょう。やっぱり今をよりよく生きていくために少し我慢をして、本当にやりたいことよりも生活していくためのお金を得られるやってみても良いことを選択します。それは何故か?実は自分の考えよりも周りも認めてくれる無難な道を選んだ方が自分にとっては生きやすいという理由からなんです。その結果、どういうことが起こるかというと何年も過ぎてからやっぱりあの時、流されずにああしておけば良かった、こうしておけば良かったという後悔ので念にかられます。そこで一念発起して遅い出発をできる人も少なくはいるのですが、大半の人は諦めの境地に達してしまい、そのまんま人生を終えてしまいます。今から書く内容は、人生が80年あると仮定してまだ40歳に満たない人向けに伝える内容だと考えて読んでみてください。



それ以上の年齢の方でもやり直しや成功が不可能なわけではありませんが、人間にとって経験値はやはり生きていくために大きな要素となっているので、自分の今までの人生を若干の否定しつつ進むことになるので、かなりの思い切りが必要になります。もし50歳以上の方が自分の人生をもう1回やり直す決断をするのであれば、日本以外の国をお勧めします。
それくらいの意識で読んでみてください。
自分のやりたいこととお金の関係は、多くの成功者が行動で語ってくれています。あなたが思い浮かべることができる有名な成功者を1人頭の中で想像してください。そこでその方がどのような経緯で成功に至ったかを調べてみてください。必ず成功者には、共通点が見つかります。それが何かというとまずやりたいことを無心になって始め、お金は後から勝手についてきたということです。
特に代表的な成功者をあげるとイチロー選手、彼は多くの人の無理を何度もやりたい野球を通して表現してきました。周りの無理だという声よりもやりたいことを極めて、社会貢献できたということによりお金がついてきた人です。ただやっている最中にはお金がついてくることよりもついてこない不安の方が大きかったと思います。羽生結弦選手もそうです。浅田真央選手もそう。こんなことを書くと彼ら彼女らは、元々高いレベルにいた人じゃないかという人がいます。でも彼ら彼女らにとっては自分の立っている位置が周りと比べて高い位置にいるとは思えていないんです。自分のことを考えてみましょう。生きている上で自分は今周りよりも高い位置にいるなぁと考えられることはどれくらいあるでしょう?そんなにないはずです。もしそう考えられる人がいたら本当に幸せな人だと思います。多くの人は、なかなかそんなことは思えません。周りを見渡すと自分よりも上に見える人は探さなくてもたくさんいるからです。それは自分がどのレベルにいても同じことです。そこで今回のテーマのやりたいことにつながってきます。
周りの意見がどうであろうともやりたいことで成功するんだという気持ちが強い人にお金は回ってくるんです。多くの成功者は、考え方の基本にお金のことはありません。自分のやりたいことや自分に合ったことで成功することだけしかないのです。



考え方のが基本をもう1回話してみます。しっかり捉えてください。やりたいことがあり、やりたいと思った時にそれに取り組む。それは周りに否定されても自分の考えを信じて取り組む。そうするとお金は自然に入ってくる。でもお金が入ってくることをメインに考えてやりたくもないどちらでも良いことに物事に取り組んでしまうと一時的には成功してお金が入ってきたとしても結局お金のない状態に戻ってしまうもしくはお金が入ってきても心の底から喜ぶことができない自分を作り上げてしまいます。このことは、人生の全てのことに言えることなんです。例えば結婚について考えてみましょう。結婚して子どもを育てることをメインに考えてしまうと周りがいい歳なんだから結婚をした方が良いと言われて結婚をすると子どもを育て終わると目標がなくなってしまい、その後どう結婚相手とうまくやっていけば良いのかわからなくなってしまいます。でも人生のパートナーとしての結婚相手に巡り会えて結婚するとその相手との間にたまたま子どもができ、育てていくことに幸せを感じられたなら子どもが独り立ちをした後もパートナーとは良い関係を築けていけます。そこにもお金にまつわる話はあるのです。先程の後からついてくるに注目して考えてみるとお金が子ども、パートナーがやりたいことと考えるとわかりやすいと思います。結婚の考え方として良いのがパートナーが誰かが重要で子どもはパートナーとの良好な関係がもたらしてくれる産物であるということです。長い目で見たらどちらが幸せになれるかは一目瞭然ですよね。



結婚のパートナーの条件で最も良いのが、自分に何も特別なものを求めていないということなんです。自分に何もなくても良い。相手にもそれを求めないということなんです。子どもはお金と同じで後からついてくるものと考えることができたなら幸せな結婚が成立します。こうなることができたら自分とパートナーには常に良好な関係が築けて幸せになれます。でも別の条件(お金が稼げないとダメとか容姿にこだわるなど)をつけられて結婚すると幸せは半減してしまいます。
ほとんどの人はこうなってしまい、自分の人生を正当化しようとして苦しんでしまうのですが。海外の大学の進路指導の中には、やりたいことをやりなさい。そうすればお金は後からついてくるからというものがあります。長年の経験でそれが真理であるということがわかっているのですね。みなさんもの短い人生、見誤りのがないようにしたいですよね。だったら明日からでもやりたいことに神経を集中してみてください。人生少し見誤ったかな?と思う男の一人言でした。


2020年03月10日

ちょっとひと休み

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今日は少し休む感覚でブログの更新をしたいと思います。これまでお金のことやギャンブルのこと。また投資のことなど実は自分の人生においてやってもやらなくてといいということについて書いてきました。
じゃあ自分の人生でやらないと死ぬ間際に後悔することってなんだろう?というテーマで書いてみようと思います。
今までの人生で後悔していることってなんだろうか?と考えてみると結構沢山あるんですよね。ただそのことを自分の息子や娘が代わりにやってくれていたりするんですよね。
ひと休みなので自分の息子と娘のことを書きます。
自分の息子は少し変わっていて、思い込みが激しいタイプです。時々誰に似たんだろうかと思う時があります。簡単に言うと親の自分とは全く違う生き方をしています。私はいつもどちらかというと保守的でダイヤモンドの橋を叩いて大丈夫か?と思って渡るタイプの人間です。でも息子は、中学を卒業すると日本の高校には行かず、自分の意思で海外に渡りホームステイをしながら英語を勉強するような人です。唯一共通するのが、野球を続けているということだけ。またピアノの勉強も好きでやりたいみたいです。変わってるでしょ。日本に帰ってからは、英検で1級を目指して勉強したり、TOEFLを受験したりしています。将来的にはアメリカに移住することを考えていて、あわよくばメジャーリーグで野球を続けたいらしいです。自分の高校時代には考えもつかなかったことを考えています。でもそのことにかける労力も惜しまずにバイトをしながら真剣に目指しています。自分が野球をやっていたので息子の小学校時代の指導者(監督)は私です。でもそんな壮大なことは教えたこともありません。逆に海外に行きたいと言いだしたときは、止めたくらいです。今は彼の好きなことができるようにお金を切り詰めて協力しているような状況です。
また娘はというと芸能の世界でなんとかやっていきたいと思っているみたいで、高校は今大きな芸能プロダクションが経営する高校に通っています。成功者でいうとブルゾンちえみや四千頭身、リトルグリーモンスターなど数多くの芸能人を輩出しています。私も時々リトグリのコンサートにお財布として付き合わされています。



この2人と生活していると自分の感覚では本当に実現可能と考えて行動しているのか?それともやりたいという気持ちだけで邁進しているだけなのかが区別できませんが、自分の考えの領域を遥かに超えているので、自分よりはビッグな人間になるんだろうなという感覚で見ていて、いつ弱音を吐くのだろうと思っています。自分のブログによく書いているのですが、自分の若い時は何か自分の限界を見つけようとしていたような気がしますが、うちの息子や娘は限界がきたら考えようとしているように見えた仕方がありません。今の若い子は皆そんな感じで生きているのかな?それともうちの息子や娘が変わっているだけなのか。答えはまだまだ先になると思いますが期待半分で助けていきたいと思っています。
もし世に出て有名になったときには、報告ブログを書きますので、その時は応援よろしくお願いします。



高校野球を経験して今思うこと2

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前回は、高校野球をやっていたおかげで色々な人間に出会え、テレビに出て活躍しているような人間と同等にプレーできた話をしました。
今回は、現在実際にプレーをしている現役の小・中・高・大の選手に向けて書いてみたいと思います。私の場合、親が教育熱心だったため今の選手のようにボーイズやリトル、シニアのようなところではやらせてもらえず、勉強の傍らに野球をやるという感じでした。小学4年生からソフトボールと野球をできる時にやり特に野球に対する努力もしたことがありませんでした。中学も勉強でそれほど集中してできず、実際本格的に始めたのが、高校生になってからでした。ただ高校生になってからは、学校の勉強よりも野球の勉強をたくさんするようになりました。どうやったら速く走れるか?速い球を投げられるか?遠くにボールを飛ばすことができるか?等々です。全部最初のうちは独学です。その頃は、ユーチューブもインターネットもありません。全部本からの情報だけでした。ただテレビはあったので、そこからの情報を参考にして自分なりの練習法を考え、手首を鍛えるための道具を作ったこともありました。そのおかげで?なのか元々の身体に素質があったのか。中学時代に50m走は7.3秒、遠投は70m、打つことに関しては外野に飛ばすのがやっと。の自分が情報を集めて自分にあったものを中心に取り組んだ結果、1年半くらいで50m走は6.0秒、遠投は90m越え、打つ方も外野オーバーの3塁打を打てるようになりました。何が言いたいかと言うと今の自分に限界を決めずに自分なりの練習と努力そして1番大切なのはできるようになるという根拠のない自信があれば、まだまだ大化けする可能性はあるということです。自分の高校の同級生にも大阪大会で決勝まで残った選手やボーイズで活躍していた選手もいましたが、中学まともにやっていなかった自分についた実力を認めてくれるようになり、3年生になる頃には、チームで身体能力だけはトップになることができていました。まあ野球をやっているみなさんならよくわかると思うのですが、身体能力だけでは一流にはなれません。多くの経験値や駆け引きの巧さがないとダメです。小、中でまともに野球をやっていなかった自分はその部分が全くダメでした。でも自分でもやればなんとかなるということは高校野球を通じて学んだと思っています。社会人になってからももうダメか?と思った時でもいや、最後まで諦めずにやればなんとかなるかもしれないと諦めるということをしなくなりました。ただやっぱり今でも甲子園の良い試合を見て、再確認しないと折れそうになることはありますが。



時代は変わりましたが、今の君達にも必ず道は開かれると思うので、頑張る価値はありますよ。なんせ自分なんかは、弱小高校でプレーをして高校3年の大会では、4回も勝って、5回目の相手も日本国中の人が知っている高校に延長戦の上、1点差のサヨナラ負けなんですから。それを考えると最後に勝つ人間というのは、誰よりも諦める気持ちを持たない人じゃないかとつくづく思います。追加でお伝えすると最後の試合のおかげで複数の大学からもお誘いをいただくことができました。
何故、今こんなことを現役の選手に伝えたいかと言うと結局、私は高校野球で学んだことを忘れ、諦めてしまうことになってしまったからです。まだまだ発展途上の人たちには、最後ま諦めずに自分の未来を見つめてやってほしいなと思います。あのイチロー選手も引退会見で話したかったのは、野球をやっていれば国の違い、監督やコーチの解釈の違いなど色々あると思うけれど、最後に進退を決めるのは自分なんだ。だから自分ができると思えるところまでは、諦めてはいけないんだということを伝えたかったのではないかと思っています。
この先、私がどういう経緯で大学へ進学し、野球を諦めてしまったかを次回に書いてみたいと思います。


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