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2020年03月17日

さあ!社会人。新たなる挑戦へ

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さあ!社会人。私の大学卒業時は、まだバブル景気の前で就職は、引く手あまたでどこにも良い給料で就職できる時代でした。あちこちのコンピューター関係の会社から旅行や接待付きでお誘いがありました。でも私が選んだのは、安月給の非常勤職員でした。指導者になろうと思うと必ず通らなければならない学生を指導して結果を残すという道でした。
月の給料は、悪い時は6万円くらい良い時でも9万円くらいでした。もちろん交通費込みです。そして正規職員への道も厳しくて今後10年間は大阪の採用はほとんどないという状況でした。私は石の上にも3年を念頭に置いて、3年間は我慢してもしそれでもダメなら新しい道を考えようと思っていました。その当時の同じ境遇の仲間との合言葉は、ローマは1日にしてならず。千里の道も1歩から。塵も積もれば山となる。の3つでした。そしていよいよ指導者としての生活が始まります。



私が指導することになったチームは、部員が7人しかいなくてまず部員集めから始めます。素人でも運動能力が高い生徒をスカウトし、なんとか13人にします。顧問は、私以外に3人いてみんな熱心な方ばかりでした。私にとってはそれも救いでした。その中で一人の顧問の先生だけが野球をよくわかっていて、自分達が真剣にやればどこまでいけるのかを聞かれてなんとも答えられずに困った記憶があります。そこで私は大学時代の経験を生かす為にその先生にお願いして強いチームを見せてもらう事にしました。安月給だったので交通費が出せず、全てその先生の車で送り迎えをしていただきました。その先生は熱心な方です練習もほぼ休まずにやっていたのですが、結果が出ずに顧問を持っての3年間で公式戦では0勝と多分イライラしていたのだと思います。そこに大学野球の経験者でリーグ優勝をしたこともある私が指導者として来たのでかなり期待してもらっていたと思います。それに加えて私が赴任した時のメンバーが7人しかいなかったのですが、珍しく全員がそれなりにプレーできる選手たちだったというのもあったのかもしれません。そして近畿圏の強いチームを見て出した私の結論がまず大阪でベスト8を目指しましょうということでした。その学校の先生方から若いということはできもしないことを自信持って言うなと言ってバカにされましたが、その先生だけは一緒にやっていこうと言ってくれました。ただ私の説明が経験者ならすぐに理解できる内容だったのですが、なかなか伝わらずに少し苦労しました。
基本プレーの徹底ということだったのですが、みんなの頭には、甲子園であるとかプロ野球であるとかの方法論が入っていてもっとこうしなければダメと思ってしまうみたいでした。今でも少年野球のチームにアドバイスをしますが、言う事は同じでただ一つだけをアドバイスします。それができていないチームは次の段階へ進んで指導しても強くはなれないと思うと強く伝えます。そのただ一つのこととは?当たり前の簡単なことなんですが、大阪でベスト16に入れないチームはできていないことが多いです。



それは、ファーストでのアウトを確実に取れることです。ですが素人の方は先の塁でアウトを取ることを教えようとします。私の練習方法の1番始めはノックもせず、ボールを手で転がしてファースト、セカンド、サードへの送球を完璧にすることから始めます。次にボール回しです。それをすることでキャッチボールとは違う動きながら確実に投げるということを身体に覚えさせます。
それが80%以上成功するまでノックはしません。何故ならそれができないとノックをしても意味がないと私は考えているからです。実際それができるようになったチームは、相手に点数をあげるということがなくなっていきます。相手が点数を取る為にはヒットを打たないといけなくなるわけです。野球のバッティングと守備の関係性を考えればわかると思うのですが、バッティングはいくら小学校レベルでも一人のバッターが2回に1回ヒットを打つことは難しいです。でも守備の方は、80%以上の守備率を持っているチームを作ることはそう難しくなくできます。だからファーストアウトにこだわって指導します。現に私のその指導方法で短期間に上位に入るチームは多くあります。私はその高校のチームにもその練習方法を取り入れ、赴任した年の秋に早くも実力を発揮させ始めます。私が監督を務めた秋の大阪大会、4回勝って見事にベスト16に駒を進めることができました。負けた試合も優勝候補相手に1点差だったので上出来だったと思います。ただこの結果は相手に警戒されることなく、自分達の好きにできたからの結果でした。この先はマークが厳しくなり選手層の薄い我がチームは、選手層の厚いチームに苦戦していくことになります。でも私の中では第1段階クリアということと協力してくれた先生方に信じてもらえるようになったことがとても嬉しかったことを覚えています。また勝つことから見放されていた選手たちにやる気を出させることができたことも今後の飛躍につながっていきます。



また校内の私が若さだけで無茶な事を言う奴という噂も言ったことはやる人みたいな形に変わっていきます。今まで見向きすらされなかったうちの部の練習を他のクラブの顧問が見に来るようになりました。この現象も部員たちには刺激になり、練習にもますます熱が入るようになっていきました。ただ大阪で野球をやったことがある人なら聞いたことがあるとは思いますが、大阪でベスト8に入れば全国で戦う力があるとか逆にベスト16までならクジ運でいけるとかそれほどベスト8とベスト16の間には開きがあります。私は自分の経験値でわかっていましたが、周りの皆さんにはなかなか理解できないようでした。
とりあえず私の1年目の指導者生活は、お金はないが充実した1年にすることができました。それから最初に賛同してくれた先生は、今から考えるとよくそんなことができたなあと思いますが、奥さんの反対を説得してお金がない私の昼ごはん代を1年間全て払ってくれました。今ね自分の嫁さんなら絶対に離婚されているなと思います。そういう意味でもすごい人と出会ったからこんな素晴らしい結果を残せたんじゃないかな?と今更ながら思います。



この先、ある意味強いと思われてマークされ始めた私のチームは苦しい2年目へと突入していきます。
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