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2020年10月14日

前田日明vsアンドレ

佐山先生についてもまだまだありますが、前田日明選手について書きます。

Uスタイルを貫き新日で浮いた存在になっていた前田選手は、アンドレとシングルマッチを三重県津市の大会で組まれます。
昔は裏ビデオで出回ってましたが、今ではYOUTUBEでも見れます。

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これは猪木選手が仕組んだと噂ですが猪木さんも語らないため今となっては真相は分かりません。
試合前にミスター高橋氏に呼ばれた前田選手は「今日の試合は負けてくれ」と言われて「はい、分かりました」と返答したとのこと。

「アンドレがお前を潰すと言ってるらしい」とも忠告され、「怒りを買う理由は無いんだけど」と思いながらリングに上がったらしい。

いざリングに上がるといつもと様子が違い、レフェリーがアンドレのマネージャーになり、新日本の選手も素っ気なく距離があったとのこと。

試合開始になってもアンドレがほとんど攻めず動かずで、蹴りで牽制してもほぼ動かず、前田もどう試合を動かして良いか分からない。
タックルでアンドレを寝転がすが、目潰しや前屈状態の前田の上にのしかかり何もさせない。

困った前田は星野勘太郎選手に「どうすりゃ良いですか」と聞いても「俺に聞くなよ」の返答。

「構わないからやれ」の藤原喜明選手の声で試合を動かすことにしたそうな。
電信柱みたいなアンドレの太ももを蹴ってグラつかせるが、寝技ではアンドレが目潰しや顔掻きむしりみたいなことしかやらない。
試合が動かないので前田選手は膝を正面からかかとで蹴ります。
アンドレは倒れたまま両手を上げ「ほら来いよ」のポーズをするが、前田は誘いに乗らず。

最後は猪木乱入でノーコンテストになるのですが、良く分からない試合でした。
猪木の思惑は外れたということなんでしょう。

その後、前田選手はドンナカヤ・ニールセンとの異種格闘技戦(という名のプロレス)で、
猪木vsレオン・スピンクスのgdgdもあり一気に新・格闘王としての株を上げたわけです。
これも真剣勝負をしていたのは前田選手だけであるとの噂もありますが、真相は分かりません。

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兎にも角にもニールセンに勝利した前田選手。
一向に凹まない前田選手に業を煮やした新日本は、タッグマッチで長州力選手に繰り出した顔面蹴りでの眼下底骨折を危険行為をであると重く受け止め、追放処分とします。

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前田選手だけを追い出したかった新日の目論見は外れ、第二次UWFとなる流れです。
40〜50代の同年代のオッさん達が懐かしく思ってくれれば嬉しいです。










プロレスランキング

2020年10月13日

GLEAT

スペル間違えてません。GLEATです。
『赤いパンツの頑固者』
田村潔司選手がプロデュースするGLEATが、10.15にプレ旗揚げ興行を行います。
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UWFスタイルの復興を目指しているようですが、
GLEATというものはU系とは切り離して考えた方が良いかも知れません。
同じ興行の中でルールを分けてるみたいですし。
10.15プレ旗揚げ戦のカードは以下の通り。

 第1試合 GLEATシングルマッチ
  NOSAWA論外vsカズ・ハヤシ
 第2試合 UWFルール・ダブルバウト
  伊藤貴則、大久保一樹vs船木誠勝、田中稔
 第3試合 女子UWFルール
  朱里vs優宇
 第4試合 GLEATシングルマッチ
  渡辺壮馬vs拳王
 第5試合 GLEAT6人タッグマッチ
秋山準、関本大介、谷口周平vs杉浦貴、藤田和之、ケンドー・カシン

UWFルールと銘打ってるもの以外は、田村選手が何をしたいのか良く分からないカードです。特に5試合目。
第2試合はUWF直系ですね。そこを見るだけでも価値はあるような気はします。
Uのスタイルだけでは興行が成立しないのは田村選手自身が気付いているのかも。








プロレスランキング

コレ欲しい!いやいや、どこで使うんだ???

今はコロナコロナでキンペー責任取れよこのヤロー!の世の中です。
仮に中国が世界各国に対してコロナの補償をするとなると、補償額は兆を遥かに超えて京レベルだとか。
そりゃ認めるはずがありません。

日本人は遊び心が豊かというか、布マスクでもシャレオツなものが沢山出てます。

そんな中、デーモン小暮閣下率いる聖飢魔Uが
フェイスシールドをリリースしました。
ライデンさんやルークさんモデルもあるそうです。

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装着イメージはこんな感じです。 
多分一発目は笑ってくれると思いますが、二回目からは「いい加減にしろよ」のレベルだと思います。


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やはり無難なのはこちらでしょう。メガネタイプって店頭にはなかなか置いてませんよね。
  ↓ ↓ ↓





2020年10月12日

シューティング


総合格闘技ランキング

※私なりの昭和プロレス回顧録です。お付き合いくださいm(_ _)m
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'83年に新日本プロレスを辞めた佐山選手は、ほぼ同時期に新日本を辞めた山崎一夫選手をインストラクターに迎え、世田谷にタイガージムをオープンします。

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ゴリラビルという愛称の建物にジムがありました。
というか、今もあるはずです。
その後は魔娑斗選手がシルバーウルフジムを入居させております。

当時は新日本の選手の大量離脱が続き、猪木さんの指示でUWFに移籍した前田日明選手や更に続いて脱退した藤原喜明選手達と佐山さんが合流し’84年にUWF無限大記念日の開催となりました。

その時はザ・タイガーと名乗りレガースを着けていたものの、格闘技路線とは言いにくいプロレス寄りな試合をしていました。

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これを機に佐山選手と山崎選手はUWFに本格加入、いわゆるシューティング路線の始まりですな。
佐山選手はスーパータイガーを名乗り、徐々にマスクを撤廃して素顔で闘うようになります。
佐山選手の提案の主なものは以下の通り。
・レガースを着けない状態でキック禁止
・試合間隔は2か月に1回程度
・リーグ戦の戦績でAクラス、Bクラスに分ける

佐山選手が提案した内容に他の選手が不満を漏らし、結果的に佐山選手を追い出す形となったUWFは1年半程で経営破綻になり新日本にUターン。

ロープに飛ばない&キックと関節技重視のスタイルで、拒否反応を示す新日本の選手も多かったとか。
水と油、いうならば醤油とサラダ油を混ぜてドレッシングを作ったようなものだ。
しかし、そのおかげでアンドレvs前田、ニールセンvs前田、越中vs高田等の伝説の試合が生まれたわけだから
ヨシとすべきなのかも。ライガーvs鈴木みのるもこの流れですな。

しかし、これだけは言っておきたい。
ディック・マードックvs前田戦でロープから跳ね返ってきた前田選手を見た時は悲しさを覚えました。

ガチで仲の悪かった新日とUWFですが、熊本の旅館で設けられた親睦会と称する宴会にて、新日本とUWFの旅館を丸ごと破壊するに至った事件の真相は船木選手のYOUTUBEでご覧下さい。
前田選手を始めとするUWFについては後日書きます。

佐山選手に話を戻すと、UWFを辞めた佐山選手は本格的にアマチュア格闘技路線を確立します。
シューティングを立ち上げ、初代シューターと呼ばれる中井祐樹先生や川口健次選手、田中健一選手を輩出します。

YOUTUBEでも有名なシゴキ合宿もこの頃です。

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「撮るんじゃねぇよゴルァ!!!!!」の動画が有名なやつです。
これはアドレナリンを出させるための佐山先生の方法で、100%以上の力を出させることを目的としているとか。
演技でも怖えーわ (˵ ̄͒ བ ̄͒˵)

この頃は寝技での打撃(いわゆるマウントでのパンチ等)を禁止しており、本格的に解除になったのは’94年のバーリトゥード・ジャパンオープンの辺りからです。(記憶違いならごめんなさい)

この大会にヒクソン・グレイシーを呼び、リングスの山本宜久選手はチョークで失神、中井祐樹選手はジェラルド・ゴルドーに片目を失明させられます。

日本がブラジリアン柔術に衝撃を受けた日ですな。
その後、朝日昇、エンセン井上、佐藤ルミナ、桜井速人が頭角を現し、修斗全盛期に突入します。
リングス、UWFインター、パンクラス等々のU系団体は、結局のところ佐山選手の提案した内容やルールをほぼ受け継いだところを見ると、佐山先生が気の毒でならない。


UFCジャパンオープンで桜庭選手が大活躍するのもこの頃です。
桜庭選手があんなに金網に適応するとは思いませんでした。

その後はPRIDE、PRIDE武士道、DREAM、HERO’Sあたりですかねえ。
おっと、コロシアム2000もありました。
五味選手、川尻選手もPRIDE武士道での大飛躍でした。

書いてて楽しくなってきました。
次回に続きます。







初代タイガーマスクの思い出

プロレス好きのオッさんなのでこの内容について語らずにはいられません。
初代タイガーマスクです。

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厳密には´71年にサムソン・クツワダが韓国で虎の覆面を着けて試合をしましたが、原作者の許可も得ていないので初代に数えられていません。

’81年4月23日、蔵前国技館でダイナマイト・キッドを相手にデビュー。
イギリス遠征中の佐山選手は一試合の約束で帰国。

プロレスを盲目的に愛していた子供達のバイブル「プロレススーパースター列伝」では、ホテルの部屋に置かれたマスクを見て「…悪くない」と呟いていましたが、実際には布切れに手書きの虎模様を見てカッコ悪くて泣きそうになったとか。

試合当日も入場時には客席から失笑が起き、本人はさっさと試合を終わらせてイギリスに帰りたかった。
対戦相手のキッドも「あのマスクを着けて試合するのは気の毒だった」と語っている。
イギリスではサミー・リーとして何度もキッドと対戦していましたから、実際には仲が良かったらしいです。

イギリス時代の佐山先生のムーブ。モロに初代タイガーです。
https://youtu.be/gzZRgez-Ujk

試合が始まってみれば、野次もほとんど無くなり「ああ、このスタイルはウケないのか」と本人は思っていたらしいが、実際には素早い動きに観客は驚き息を呑んでいた。
最後の、トップロープ越しのブレンバスターを反転着地してからのジャーマンは急角度で、猪木選手がストロング小林選手に放ったジャーマンとはまた別の衝撃がありました。

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当時は藤波選手やマスカラスも飛び技を使用していましたが、初代タイガーはその次元を
遥かに超えていました。

その後も更に空中殺法は過激になり、ハヤブサ選手やサスケ選手、ウルティモ・ドラゴン選手は危険度においては初代タイガーを上回っているものの、やはり初代タイガーの延長という見方は否定できません。

そんな中でも最近ブッ飛んでいると感じたのは飯伏幸太とケニーオメガですかね。

ケニーはAEWに行かないほうが良かったんじゃないかなー








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総合格闘技とプロレスが大好きなオッさんです。 初代タイガーマスク世代で、コンビニの新商品にも目がありません。 好きな歌手は浜田省吾、Bruce Springsteen、The Rolling Stones、Eric Clapton、等々。
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