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2024年09月15日

芥川龍之介の「河童」の執筆脳について3

 この実験は、芥川の作品の中で例外的に面白おかしく書かれた「河童」(1927)の中でどのように扱われているだろうか。そこから購読脳の組を考えていく。内容は、昭和初期の日本に関する風刺画であり、ある精神病院の患者であり狂人がその病院の院長や誰にも語る話である。
 その狂人の振舞いは、直ちに顔に出る。驚いたときは、急に顔をのけ反らせ、話し終えた時の顔色は、拳骨を振り回し、「出て行け、この悪党めが、貴様も莫迦な、嫉妬深い、猥褻な、図々しい、自惚れきった、残酷な、虫のいい動物なんだろう。出て行け、この悪党めが!」とでも言わんばかりである。
 一般論でいうと、文学作品は、作者の努力のみならず、編集や評論も含めて読者の力とともに成長していく。マクロを狙う分析では、拡大する際に、方向性が問われる。そのため、受容の購読脳のみならず、読者として共生の執筆脳を強く意識して話を進める。まず、「河童」の購読脳を「風刺と精神病」にする。
 ここで1902年から1909年まで日本に留学していた中国の魯迅(1881−1936)を思い出す。1918年37歳のときに発表した「狂人日記」にも兄が突然周囲に向けて怒鳴る場面がある。いけないといえば言えばいいと狂人がいう。しかし、兄も妹を食べ、結局は人食いになってしまう。芥川は、間接的に魯迅の話を知っていたかもしれない。

花村嘉英(2020)「芥川龍之介の『河童』の執筆脳について」より

芥川龍之介の「河童」の執筆脳について2

2 芥川龍之介が日本を風刺する

 芥川龍之介(1892−1927)は、1918年(T7)に跡見女学校に通う塚本文子と結婚し、大阪毎日新聞社の社友になる。1921年に大阪毎日新聞社海外視察員として中国の上海、杭州、南京、武漢、長沙を訪れ、北京、朝鮮を経由して帰国した。国際感覚は築くことができた。しかし、30歳にして健康が優れず、神経衰弱、ピリン疹、胃痙攣、腸カタル、心悸昂進などを病む。その7月に森鴎外が死去する。
 32歳になると、健康面が悪化し、流行性感冒、神経性胃アトニー、痔疾、神経衰弱などの強い症状が出る。33歳のときに湯治で修善寺に滞在する。健康面は衰え、創作も低調になる。34歳のときに、胃腸病、神経衰弱、痔疾などの療養で湯河原に滞在する。その後、妻子とともに鵠沼にある妻の実家で過ごすも、不眠症の症状が強くなる。
 1927年(S2)35歳のときに義兄の借金の後始末もあり、神経衰弱の症状がさらに悪化した。それでも谷崎潤一郎と小説の筋を廻り論争を繰り返す。谷崎との論争は、「蜃気楼」(1927)の中で蜃気楼に纏わるイメージの連鎖で小説の構成を目指した芥川の実験により具現化される。五味渕(2008)によると、視覚によって認知された像を言葉に置換して理解する人間は、その間に当初のイメージに含まれていた現実味を失う。言語表現が持つ限界を駆使して、芥川は、主人公が見たイメージの断片について幻影まがいの浮遊感を醸し出した。マッチの火から見える砂の悪戯で蜃気楼も作られているとある。

花村嘉英(2020)「芥川龍之介の『河童』の執筆脳について」より

芥川龍之介の「河童」の執筆脳について1

1 先行研究

 文学分析は、通常、読者による購読脳が問題になる。一方、シナジーのメタファーは、作家の執筆脳を研究するためのマクロに通じる分析方法である。基本のパターンは、まず縦が購読脳で横が執筆脳になるLのイメージを作り、次に、各場面をLに読みながらデータベースを作成し、全体を組の集合体にする。そして最後に、双方の脳の活動をマージするために、脳内の信号のパスを探す、若しくは、脳のエリアの機能を探す。これがミクロとマクロの中間にあるメゾのデータとなり、狭義の意味でシナジーのメタファーが作られる。この段階では、副専攻を増やすことが重要である。 
 執筆脳は、作者が自身で書いているという事実及び作者がメインで伝えようと思っていることに対する定番の読み及びそれに対する共生の読みと定義する。そのため、この小論では、トーマス・マン(1875−1955)、魯迅(1881−1936)、森鴎外(1862−1922)の執筆脳に関する私の著作を先行研究にする。また、これらの著作の中では、それぞれの作家の執筆脳として文体を取り上げ、とりわけ問題解決の場面を分析の対象にしている。さらに、マクロの分析について地球規模とフォーマットのシフトを意識してナディン・ゴーディマ(1923−2014)を加えると、“The Late Bourgeois World”執筆時の脳の活動が意欲と組になることを先行研究に入れておく。
 筆者の持ち場が言語学のため、購読脳の分析の際に、何かしらの言語分析を試みている。例えば、トーマス・マンには構文分析があり、魯迅にはことばの比較がある。そのため、全集の分析に拘る文学の研究者とは、分析のストーリーに違いがある。文学の研究者であれば、全集の中から一つだけシナジーのメタファーのために作品を選び、その理由を述べればよい。なお、Lのストーリーについては、人文と理系が交差するため、機械翻訳などで文体の違いを調節するトレーニングが推奨される。
 メゾのデータを束ねて何やら観察で予測が立てば、言語分析や翻訳そして資格に基づくミクロと医学も含めたリスクや観察の社会論からなるマクロとを合わせて、広義の意味でシナジーのメタファーが作られる。

花村嘉英(2020)「芥川龍之介の『河童』の執筆脳について」より

リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて9

6 まとめ

 作家の執筆脳の研究をマクロに調節するために、ボトムアップ型の作家個人を比較するだけでなく、社会学、特にリスク社会論に覆われた危機管理者としての集団からなるトップダウン型のボーダーラインについて考察した。東西南北の比較、人文と社会の共生、購読脳と執筆脳からなるLの分析といった研究項目を用いて、シナジーのメタファーの研究の全体像の中で中島敦の執筆脳がどこに位置しているのかわかるであろう。今後も、作家個人の研究と危機管理者としての集団でいう脳の活動を研究のテーマにして日々努力を続けていく。

参考文献

ジグムント・バウマン、ティム・メイ 社会学の考え方 ちくま文庫 2016
橋爪大三郎、大澤真幸他 社会学講義 ちくま新書 2016
ウルリッヒ・ベック 世界リスク社会論 島村賢一訳 平凡社 2003年
ウルリッヒ・ベック 世界リスク社会 山本啓訳 法制大学出版局 2014年
日本成人病予防協会監修 健康管理士一般指導員受験対策講座3 ヘルスケア出版 2014
花村嘉英 『計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?』新風舎 2005 
花村嘉英 『从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む』華東理工大学出版社2015
花村嘉英 『日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで』 南京東南大学出版社 2017 
花村嘉英「シナジーのメタファーの作り方−トーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・ゴーディマ、井上靖」『中国日語教学研究会上海分会論文集(2017)』華東理工大学出版社 241-249 
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析作品−ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018 
中島敦 山月記 青空文庫 1998 

リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて8

9 だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。それは我が妻子のことだ。君が南から帰ったら、おれは既に死んだと彼等に告げて貰えないだろうか。決して今日のことだけは明かさないで欲しい。飢え凍えようとする妻子のことよりも、おのれの乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕すのだ。
この群に属するパーソナリティ障害には、他人を巻き込み派手で人間的な人格といった特徴があり、他人を巻き込み派手で劇的な人格が見られる。
10 袁參一行が丘の上についた時、彼等は、言われた通りに振り返って、先程の林間の草地を眺めた。一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出た。虎は、月を仰いで、二声三声咆哮し、又、元の叢に躍り入って再びその姿を見なかった。
 購読脳の組み合せ、「自尊心と自己愛性パーソナリティ障害」という出力が、共生の読みの入力となって横にスライドし、出力として「人生と思考」という組を考える。よって「中島敦と思考」というシナジーのメタファーが成立する。
 中島敦の執筆脳は、リスク回避と取れる提言がある。己惚れることなく協調性を持って生活することが人生の心得なのである。なお、パーソナリティ障害は、一般的に病気に対する自身の認識が低いため、治療に至らないことが多い。できるだけ周囲の人を通して調節するとよい。
 リスク回避の計算でみると、当初は個人的な問題に影響していたものが、次第に組織やその運営に関わるということから統計で表示できるリスクになり、予測可能なできごとになっていく。ベック(2014)によると、予測可能なできごとは、個人レベルを越えた、承認、補償、回避のための政治的なルールに属するようになる。

花村嘉英(2005)「リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて」より

リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて7

3 一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿った時、遂に発狂した。或夜半、急に顔色を変えて寝床から起き上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下に飛び下りて、闇の中へ駈け出だした。しかし、二度と戻って来なかった。自己愛を傷つけられると怒ることもある。
4 翌年、監察御史、陳郡の袁參という者、勅命を奉じて嶺南に使いし、途に商於の地に宿った。次の朝未暗い中に出発しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に人喰虎が出る故、旅人は白昼でなければ通れない。
5 袁參は、しかし、駅吏の言葉を斥けて出発した。残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛虎が叢の中から躍り出た。虎は、あわや袁參に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を翻して、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「危ないところだった」と繰返し呟くのが聞えた。その声に袁參は聞き憶えがあった。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」
6 我が醜悪な今の外形をいとわず、曾て君の友李徴であったこの自分と話を交してくれないだろうか。その時、袁參は、この超自然の怪異を実に素直に受容れて、少しも怪しもうとしなかった。彼は部下に命じて行列の進行を停め、自分は叢の傍に立って、見えざる声と対談した。都の噂うわさ、旧友の消息、袁參の現在の地位、それに対する李徴の祝辞。その後、袁參は、李徴がどうして今の身となるに至ったかを訊ねた。草中の声は次のように語った。
7 自分の中の人間は忽ち姿を消して、既に虎になっていた。己がすっかり人間でなくなってしまう前に、我が為に詩を伝録しておきたいのだ。一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れない。
8 このままでは、第一流の作品となるのには、どこか欠けるところがあるのではないか。人間であった時、おれは努めて人との交りを避けた。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。おれは次第に世と離れ、自尊心を飼いふとらせた結果が猛獣だった。虎だったのだ。

花村嘉英(2005)「リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて」より

リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて6

5 中島敦の「山月記」の執筆脳

 中島敦(1909−1942)は、1942年持病の喘息を抱えながら「山月記」を書き、同年喘息が悪化したため、12月4日に33歳で死去した。人の人生を考えた内容は、一連の精神活動の中で思考とつながる。そこで今回は、「中島敦と思考」という組み合わせでシナジーのメタファーについて考察する。思考は、無意識の欲望や願望のために誤解が生まれることもあり、判断が甘いとか思慮不足となることもある。

1 博学才穎の李徴の物語。若くして名を虎榜に連ね江南尉になるも、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとした。官を退いた後は、人と交わりを絶って詩作に耽った。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は焦躁に駆られ、その容貌も峭刻となり、曾て進士に登第した頃の美少年の俤は、どこにもなくなる。
2 数年の後、一地方官吏の職を奉ずることになった。曾ての同輩は既に遥か高位に進み、その連中の下命を拝さねばならぬことが、李徴の自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くない。彼は怏々として楽しまず、狂悖の性は愈々抑え難くなった。
 そこで「山月記」の購読脳を「自尊心と自己愛性パーソナリティ障害」にする。自尊心については、李徴自身も認めている。日本成人病予防協会(2014)によると、人から称賛されたいと強く思い、根拠もないのに自分は称賛に値する優れた人間だと信じている。特権意識の強い、己惚れた人間である。

花村嘉英(2005)「リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて」より

リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて5

4 マクロの一例−Lの比較

 作家の執筆脳を研究しながら、これまでにトーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・ゴーディマ、井上靖、川端康成を題材にして、作家が試みるリスク回避について論じてきた。(花村2017、花村2018)今回は、中島敦の「山月記」を取り上げる。人間の人生を語った内容は、しばしば教材にも取り上げられている。
 心の表出とされる精神活動は、脳により生まれている。脳の活動は、体内部のみならず、体外部のもの、環境、社会、文化などから様々な影響を受けているため、心の病気も様々な原因が絡み合って発症している。
成人病予防協会(2014)によると、心の病気の原因には、心理的なストレスや環境が要因となる心因(性格の変化)、生まれつきの体質が原因とされる内因、身体的な病気や中毒性物質が脳に影響する外因に分けられる。
 心の健康を管理するには、心が病気になるとどのような症状が出るのかを把握しておくとよい。例えば、五感を伴う意識、感情、記憶、意欲、知能などに障害が出るという。これまで作家の執筆脳を分析しながら、リスク回避の問題を取り上げる際に、これらの症状が問題解決のヒントを示してくれた。(花村2018)
 魯迅は、中国人民の精神的な病を小説で治療しており、そこから魯迅とカオスというシナジーのメタファーを作った。ナディン・ゴーディマは、アパルトヘイトからの脱出が白人の精神的な動脈硬化を予防すると訴えたことから、彼女の執筆脳を意欲と組み合せ、井上靖は、実母の認知症が招く家庭崩壊の危機を細かく描いているため、ゴーディマと脳の活動で性差を説明できるように連合野のバランスと組を作った。
 また、対照言語のドイツ語と日本語では、トーマス・マンのイロニーがファジィ推論と相性が良いことを説明する一方で、ドイツの発展が止まることを危惧して小説や論文を書いたことに言及した。さらに森鴎外についても明治天皇や野木希典大将の死後、歴史小説を通して世の中に普遍性を残そうとしたことにも触れた。
こうして考えると、20世紀前半の作品であれば戦中戦後の話が中心となり、社会とシステムの枠組みでストーリーが展開していく。通常、情報科学では、社会とシステムと医療と情報が大きなセパレートになる。しかし、文学の世界で別段分ける必要はない。高齢化社会の昨今、老人を抱える家族であれば日本でも中国でも家庭崩壊の危機はある。

花村嘉英(2005)「リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて」より

リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて4

3 リスク社会論を拡張する試み

 中国で10年近く日本語教育に関わっていたこともあり、ここで教育についてリスクの問題を考察する。一般的に評価については、誰もがいい評価を得られればありがたい。しかし、話が複雑になると必ずしもうまくいかない。難しいことを避けていても、年と共に立場上考えなければならなくなることもある。
 研究を進める上で難しい問題は、何といってもマクロの分析である。マクロの分析を地球規模とフォーマットのシフトにすると、どの系列に属していてもこぼれる人はいない。地球規模の研究は、東西南北の国地域とか地球全体を覆うオゾン層や1万メートルの海底に眠る生態あるいは浅瀬にある鉱物資源、さらに国地域を越えた伝染病などが研究の対象になる。
 どの分野の研究者も文系理系の何れかが主の専門であり、他の系列の副専攻は、認知科学の柱をずらしながら調節している。一方フォーマットのシフトは人文が主であれば、認知の柱を崩して縦に言語の認知、横に情報の認知を置いたⅬのフォーマットを作り、何れかの対象を分析していく。
 ではどうしてマクロが問題になるのであろうか。それは、研究がマクロに届けば、自ずと発見発明に通じるからである。自分の専門の系列及びその界隈をいくら調節しても、所詮アレンジで終わってしまう。濃くなるけれど頭打ちになるのが関の山である。結局、発見発明のない研究者で終わってしまう。
 解決策として、若いうちから取り組むことを勧める。博士論文を書いてから、社会人としての人生がスタートするときに、評価の項目を10個ぐらい皆が持っている育成がよい。平時の実務や自分の専門のみならず、副専攻についても日頃から互いに評価をしていく。例えば、副専攻として情報や医学の中から何かを選ぶようにする。
 人文が専門の私の場合、対照言語がドイツ語と日本語であり、他の国地域、例えば、中国や南アフリカの言語文学は副専攻になる。また、他の系列との共生として、人文と情報、心理と医学、文化と栄養などがこれまでの実績になる。自分の専門と比較及び共生をまとめるとこうなるという主張ができれば、難易度の調節とか世の中への貢献といった条件を満たしていて、名誉にも値する。
 逆に全くの縦割り縦型で大学院時代から社会人にかけても文系か理系のいずれかに留まっていれば、今時サラリーマンでもシナジー共生に取り組んでいる人が多い中、研究者としては時代遅れで評価は低くなる。そこにリスクといえる負の要素が潜んでいる。つまり、社会人として評価の項目が増えずに調整の機会が少ない育成こそが自己責任によるリスクになってしまう。

花村嘉英(2005)「リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて」より

リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて3

 世界のリスク社会は、ことばと現実との乖離の一例にもなる。世界のリスク社会は、テロと戦争、経済的グローバル化と新自由主義、国家と主権という概念で説明される。そこでは、危険の次元が三つに区別できる。エコロジカルな危機、世界的な金融危機、同時多発テロ以降の国境を越えたテロネットワークの危険性である。
 そのため、リスクの考察は、決定を前提とし、文明上の決定の予見できない結果を予見可能、制御可能なものにする試みといえる。しかし、ベック(2003)の解説にもあるように、リスク社会と並んで個人化が進んだために、マクロとミクロをつなぐメゾの部分がなくなり、世界中で調節が難しくなっている。ベックは近代化を二分している。第一は通常の産業化のことであり、第二は第一の近代化を反省する近代化のことである。この第二の近代化こそがリスク社会である。
 この第一の近代から第二の近代へ転換して行く反省的近代化は、彼の歴史と社会の認識の重要な接点を示している。つまり、現代社会がどこから来て現在どこにあり、これからどこへ行こうとしているのかという根源的な問題意識に基づいて、そこから現代社会の歴史的位相とは何か、その価値体系は何かという問いを立てている。第二の近代は、未来志向的な時代の診断学である。
 ベックのリスク社会論は、@産業社会で制御可能であったリスクが、制御不可能なものに変わり、Aそれが国民国家の枠組み、一国社会に留まらず、世界規模で広がり、Bその結果、世界の市民がリスクを被り、C科学、技術、経済というリスクを生み出す決定者は国家であり、D世界市民からの抵抗運動が下から換気されるというものである。

花村嘉英(2005)「リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて」より
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花村嘉英(はなむら よしひさ) 1961年生まれ、立教大学大学院文学研究科博士後期課程(ドイツ語学専攻)在学中に渡独。 1989年からドイツ・チュービンゲン大学に留学し、同大大学院新文献学部博士課程でドイツ語学・言語学(意味論)を専攻。帰国後、技術文(ドイツ語、英語)の機械翻訳に従事する。 2009年より中国の大学で日本語を教える傍ら、比較言語学(ドイツ語、英語、中国語、日本語)、文体論、シナジー論、翻訳学の研究を進める。テーマは、データベースを作成するテキスト共生に基づいたマクロの文学分析である。 著書に「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」(新風舎:出版証明書付)、「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む」(華東理工大学出版社)、「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで(日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用)」南京東南大学出版社、「从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默-ナディン・ゴーディマと意欲」華東理工大学出版社、「計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る」(V2ソリューション)、「小説をシナジーで読む 魯迅から莫言へーシナジーのメタファーのために」(V2ソリューション)がある。 論文には「論理文法の基礎−主要部駆動句構造文法のドイツ語への適用」、「人文科学から見た技術文の翻訳技法」、「サピアの『言語』と魯迅の『阿Q正伝』−魯迅とカオス」などがある。 学術関連表彰 栄誉証書 文献学 南京農業大学(2017年)、大連外国語大学(2017年)
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