2024年09月15日
リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて7
3 一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿った時、遂に発狂した。或夜半、急に顔色を変えて寝床から起き上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下に飛び下りて、闇の中へ駈け出だした。しかし、二度と戻って来なかった。自己愛を傷つけられると怒ることもある。
4 翌年、監察御史、陳郡の袁參という者、勅命を奉じて嶺南に使いし、途に商於の地に宿った。次の朝未暗い中に出発しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に人喰虎が出る故、旅人は白昼でなければ通れない。
5 袁參は、しかし、駅吏の言葉を斥けて出発した。残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛虎が叢の中から躍り出た。虎は、あわや袁參に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を翻して、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「危ないところだった」と繰返し呟くのが聞えた。その声に袁參は聞き憶えがあった。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」
6 我が醜悪な今の外形をいとわず、曾て君の友李徴であったこの自分と話を交してくれないだろうか。その時、袁參は、この超自然の怪異を実に素直に受容れて、少しも怪しもうとしなかった。彼は部下に命じて行列の進行を停め、自分は叢の傍に立って、見えざる声と対談した。都の噂うわさ、旧友の消息、袁參の現在の地位、それに対する李徴の祝辞。その後、袁參は、李徴がどうして今の身となるに至ったかを訊ねた。草中の声は次のように語った。
7 自分の中の人間は忽ち姿を消して、既に虎になっていた。己がすっかり人間でなくなってしまう前に、我が為に詩を伝録しておきたいのだ。一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れない。
8 このままでは、第一流の作品となるのには、どこか欠けるところがあるのではないか。人間であった時、おれは努めて人との交りを避けた。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。おれは次第に世と離れ、自尊心を飼いふとらせた結果が猛獣だった。虎だったのだ。
花村嘉英(2005)「リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて」より
4 翌年、監察御史、陳郡の袁參という者、勅命を奉じて嶺南に使いし、途に商於の地に宿った。次の朝未暗い中に出発しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に人喰虎が出る故、旅人は白昼でなければ通れない。
5 袁參は、しかし、駅吏の言葉を斥けて出発した。残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛虎が叢の中から躍り出た。虎は、あわや袁參に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を翻して、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「危ないところだった」と繰返し呟くのが聞えた。その声に袁參は聞き憶えがあった。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」
6 我が醜悪な今の外形をいとわず、曾て君の友李徴であったこの自分と話を交してくれないだろうか。その時、袁參は、この超自然の怪異を実に素直に受容れて、少しも怪しもうとしなかった。彼は部下に命じて行列の進行を停め、自分は叢の傍に立って、見えざる声と対談した。都の噂うわさ、旧友の消息、袁參の現在の地位、それに対する李徴の祝辞。その後、袁參は、李徴がどうして今の身となるに至ったかを訊ねた。草中の声は次のように語った。
7 自分の中の人間は忽ち姿を消して、既に虎になっていた。己がすっかり人間でなくなってしまう前に、我が為に詩を伝録しておきたいのだ。一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れない。
8 このままでは、第一流の作品となるのには、どこか欠けるところがあるのではないか。人間であった時、おれは努めて人との交りを避けた。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。おれは次第に世と離れ、自尊心を飼いふとらせた結果が猛獣だった。虎だったのだ。
花村嘉英(2005)「リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて」より
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