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2024年09月14日

『読む・書く』 中国人の学生に日本語の読み書きを教授する8

6 今後の課題

 上述したように、要約の練習は、一時記憶として注目を集めているワーキングメモリーの強化やビジネスの実践につながることから、作文の課題に入れるとよい。要約ができるようになると読書のスピードが速くなるため、自ずと読書の量が増えて集中力も身についていく。現実的に「読み書き」のトレーニングをしていくと、感覚脳の右脳と言語脳の左脳を結ぶ脳梁と呼ばれる神経線維が強くなり、両方の脳のバランスがよくなっていく。
 また、ライティングの幅を広げるために、日本語の技術文への対応を検討するとよい。縦型人間ではなく、文理融合が調節できるような人材を育成することも教育の現場で心掛けていく必要がある。しかし、技術文の翻訳といっても、翻訳の作業単位は語学力と分野の背景が組となるため、理系のとある分野の入門から少しずつ勉強するとよい。単純に文系で比較というと、AとBからA’とB’を出す作業のことである。一方、文理融合、共生とは、AとBから異質のCを出す作業のことである。異質のCに橋が架かるとマクロ的な調節となり、シナジーらしくなっていく。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

『読む・書く』 中国人の学生に日本語の読み書きを教授する7

5 要約から速読へ−脳のトレーニング

 「読む・書く」に関する効果的な学習方法は、クラスの内容を折に触れて自分でも実践してみることである。予習の段階で記事を読みながら段落ごとにキーワードを検出して、上述の方法で要約文を作ってみる。キーワードの検出が上手くできればしめたものだ。先生が黒板に書くものと比べてどこが異なるのかをクラスの中で確認して、帰宅してから今一度復習してみる。こうした単純な作業の繰り返しが文章を素早く処理するための肥やしとなる。
 読みを遅くしてしまう原因は、一字一句読んでいたり、音読をしているからだ。やはり文章は段落を単位にして段落全体を捉えるように黙読すると速く読めるようになる。これは翻訳するときのように一文一文を確認しながら読む精読とは異なり、全体の内容がイメージできればよいという意味である。例えば、新聞であれ小説であれ、読みながらテーマやあらすじがつかめるように工夫していく。
 そのためには、入力となる新聞記事に対して記憶として蓄えている知識を速やかに出力しなければならない。これもよく言われることだが、日本語の場合は、漢字と平仮名のうち漢字に注目すれば速読に近づいていき、英語の場合は、名詞や動詞といった内容語に注目して、冠詞や代名詞のような機能語はさっと読むと、速読らしくなっていく。
 誰もが思う速読のトレーニングは、1分間にどれだけの量が読めるのかとか1ページを読むのに何秒かかるのかを測定することだ。速く読めるようになるには、キーワードを拾って内容が理解できればよいのであり、そうなれば、読みの時間はかなり短縮することができる。
 いずれにせよ、キーワードの検出や要約のトレーニングがワーキングメモリーの強化につながり、推敲や表現力の強化が言語中枢の働きに影響を与えることを学生に意識させるとよい。教案を脳トレまで持っていくことは、語学の教師がするべきことである。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

『読む・書く』 中国人の学生に日本語の読み書きを教授する6

4 要約の実践

朝日新聞の天声人語(2012年4月29日)を使用して、上述の方法を試してみよう。

【問題】
 エーゲ海のミロス島で、農夫がその大理石像を見つけたのは1820年の春。両腕は欠けるも、体重は右に、視線は左に向けて、額から伸びた鼻筋が美しい。フランスの外交官らの機略で、「ミロのビーナス」はルーブル美術館の至宝に落ち着いた。以来、原則として門外不出である。例外は1964年、日本への旅だった。手前みそながら、仏政府にかけ合い、東京と京都で展示を企てたのは朝日新聞だ。一点のみの美術展を、172万人が訪れた。わが国にも誇れる女神像がある。こちらは純然たる祖先の作である。山形県で20年前に出土した「縄文のビーナス」が、土偶では四つ目の国宝に決まり、きょうから上野の東京国立博物館で公開される。4500年前、縄文中期の逸品だが、現代彫刻の趣がある。国宝に推した文化審議会は「土偶造形の一つの到達点」と評した。縄文人(びと)からの贈り物と喜ぶのは、所蔵する山形県の吉村美栄子知事だ。「豊穣(ほうじょう)の祈りや再生の意味がある土偶が国宝となり、東北の再生にもつながる」と。ミロのビーナスの倍の歳月を知り、渡航歴はすでに本家をしのぐ。フランス、中国、ドイツ、英国をめぐり、縄文文化の豊かさを伝えてきた。文化使節としての実績は国の宝にふさわしい。素焼きの立像に向き合えば、大胆な捨象(しゃしょう)の美を思うはずだ。次いで土の香り、祝祭のさざめきだろうか。じんわりと、五感に太古がこみ上げる。時をせき止めて、縄文の匠(たくみ)を守り通した国土に、改めて感謝したい。

【要約の手順】
1 この文章を4段落(起承転結)に分ける。
2 段落毎にキーワードを6、7個探す。
3 段落毎に中心文を探す。
4 中心文を使用して、その段落を要約する。5W1Hも考えること。キーワードとキーワードを助詞や動詞で繋いでいく。
5 4つの要約文を一つにまとめて全体の要約文にする。テーマ・レーマも考慮すること。
 
【手順1】
第2段落の始まり わが国にも
第3段落の始まり 縄文人から
第4段落の始まり 素焼きの立像

【手順2】
第1段落のキーワード エーゲ海のミロス島、1820年、ミロのビーナス、ルーブル美術館の至宝、1964年、日本への旅
第2段落のキーワード 女神像、山形県、20年前、縄文のビーナス、国宝、土偶造詣
第3段落のキーワード 縄文人からの贈り物、山形県の吉村美栄子知事、豊穣の祈り、東北の再生、渡航歴、文化施設
第4段落のキーワード 素焼きの立像、捨象の美、土の香り、祝祭のさざめき、五感に太古、縄文の匠

【手順3】
第1段落の中心文 「ミロのビーナス」はルーブル美術館の至宝に落ち着いた。
第2段落の中心文 山形県で20年前に出土した「縄文のビーナス」が、土偶では四つ目の国宝に決まった。
第3段落の中心文 縄文人からの贈り物と喜ぶのは、山形県の吉村美栄子知事だ。
第4段落の中心文 素焼きの立像に向き合えば、じんわりと、五感に太古がこみ上げる。

【手順4】
第1段落の
要約文 1820年にエーゲ海のミロス島で発見された「ミロのビーナス」はルーブル美術館の至宝であり、原則として門外不出だが、1964年に一度だけ日本で展示されたことがある。
第2段落の
要約文 20年前に山形県で出土した「縄文のビーナス」が土偶では4番目の国宝に決まった。その理由は、土偶造詣の一つの到達点だからである。
第3段落の
要約文 「縄文のビーナス」には豊穣の祈りや再生の意味があり、東北の再生にもつながると喜ぶのは、山形県の吉村美栄子知事。渡航歴は、すでに文化使節としての実績にふさわしい。
第4段落の
要約文 素焼きの立像に向き合えば、捨象の美や土の香り、祝祭のさざめきを感じることだろう。じんわりと五感に太古がこみ上げてくる。縄文の匠に改めて感謝したい。

【手順5】
 1820年にエーゲ海のミロス島で発見された「ミロのビーナス」はルーブル美術館の至宝であり、原則として門外不出だが、1964年に一度だけ日本で展示されたことがある。日本にも誇れる女神像がある。20年前に山形県で出土した土偶は「縄文のビーナス」と呼ばれ、この度国宝に決まった。土偶造詣の一つの到達点というのがその理由である。「縄文のビーナス」には豊穣の祈りや再生の意味があり、東北の再生にもつながると期待される。素焼きの立像に向き合えば、捨象の美などがじんわりと五感に伝わってくる。時をせき止めて縄文の匠を守り通した国土に改めて感謝したい。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

『読む・書く』 中国人の学生に日本語の読み書きを教授する5

3 要約の準備

 新聞記事を例にして要約の方法を説明していく。天津で担当した新聞講読や日本語の作文のクラスでは、特に学期の後半に要約のトレーニングを試みた。日本語学習歴が2、3年ということもあり、新聞記事を使えば、一般的な知識もさることながら日本の事情にも通じるようになる。文章を処理する際の作業単位は、先にも述べた通り段落がよい。 
 新聞記事の形式段落は、通常3つ4つの文からなっている。よい段落の条件とは、@長さを工夫する、A段落内の文を結びつける語句が正しく使用されている(例、接続語、指示語、テーマ・レーマ)、B全体の文章と段落に何らかの関係がある、C中心文があることである(王/山鹿:2004)。新聞記者も当然こうしたことを念頭に入れて記事を書いている。また、段落の変わり目の目安として、@時間や場所が変わる。A人物や事件が変わる、B立場や観点が変わる、C会話文の話し手が変わる、D事柄や考えが変わるときが考えられる。
そこで、段落の中からキーワードやそれを含む中心文を探して、各段の要約文をまとめながら、最後に全体の要約文に仕上げる練習を繰り返す。字数制限についてはどうだろうか。この場合、各段落を要約してから複数をまとめて意味段落にする。そして、2つ3つの意味段落をまとめて、字数の範囲内で要約文を完成させる。その際にも一応5W1Hを使って整える。(4 要約の実践を参照すること)
 どのことばについてもこうした方法で要約文を作ることができる。しかし、繰り返してトレーニングをしないと、限られた時間でデータをまとめることはできない。一学期ぐらいは我慢してトレーニングを続ければ、要約作業のコツもつかめてくる。 
 中間テストを挟んで学期の後半は、日本の全国紙の中から最新のニュース記事を選んで、こうしたトレーニングをしている。教材の記事に比べれば、もちろん内容は難しくなる。教材は、学習者が理解しやすいように編集してあるからだ。そのため、ここからが本格的なトレーニングになる。
 そのための準備としてテーマとレーマがうまく組みをなすように段落が作れれば、一読でわかる文章に近づいていく。そのため、テーマ・レーマのトレーニングをウォーミングアップとして試してみよう。
 
【問題】
 次の文のテーマとレーマを考えながら、どの順番に並べるのがよいか考えてみよう。
(1)野田首相は昨日の国会答弁で、消費税の増税について具体的な日程に触れなかった。
(2)医療保険や国民の年金のことを考えると、消費税の増税は止むを得ない。
(3)消費税の増税は、国民の生活に大きな負担となりかねない。
(4)現在の消費税は5%である。
(5)欧米諸国の消費税を見ると、10%後半から20%前半の数字が並ぶ。
(6)選挙を睨みながらの調整になるのだろう。
(7)消費税については、もう長いこと話題になっている。

 テーマ・レーマとは旧新の情報のことである。ここでのテーマは消費税である。そこでまず(7)を取り上げる。次に消費税が話題になる理由を考えると、(2)がそれを受けている。現状を考えると、(4)には問題がある。数字だけを見ると日本は消費税が低い気にもなる。数字の例は(5)にある。しかし、数字だけではなく、その他諸々の問題が山積している。そこで(3)が来る。日本のリーダーの見解には常に耳を傾けよう。(1)は(6)が理由にもなる。そこで次のように文章を組み立てていく。(7)(2)(4)(5)(3)(1)(6)の順にする。

 消費税については、もう長いこと話題になっている。医療保険や国民の年金のことを考えると、消費税の増税は止むを得ない。現在の消費税は5%である。欧米諸国の消費税を見ると、10%後半から20%前半の数字が並ぶ。消費税の増税は、国民の生活に大きな負担となりかねない。野田首相は昨日の国会答弁で消費税の増税の具体的な日程には触れなかった。選挙を睨みながらの調整になるのだろう。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

『読む・書く』 中国人の学生に日本語の読み書きを教授する4

2.2 課題作文

 日本語の文章の構成は、序論、本論、結論よる三段式か起承転結からなる四段式である。どちらの構成であれ、2回に1回のペースで演習課題を出して学生に作文を書かせ、こちらで添削指導をする。演習課題は、月並みな日本についてとか諺や格言、説明文や感想文などである。作文の評価項目は、@当用漢字、A文法、Bてにをは、C適正表現そしてD独創性(ユニークさ)としている。

[評価項目]
A当用漢字 簡体字, 平仮名残り, 誤字
B文法 語順, 活用形, 句読点
Cてにをは 助詞の使い方
D適正表現 日本語らしい表現
E独創性 ユニークなストーリー

 添削をしていて気づいたことは、クラスの中でフィードバックするように心掛けている。例えば、中国人の学生は、中国語の簡体字を使用することがある。また、中国語には活用形がないために、送り仮名を間違えたり平仮名表記が残っているケースもある。しかし、闇雲に平仮名表記を漢字に直してほしいというだけでは指導が足りないと思う。つまり、当用漢字は必ず漢字表記にして、非当用漢字は漢字でも平仮名でもよいとする。例えば、日本語では「醤油」と書いても「しょう油」と書いてもよい。中国人は、とかく漢字を使用する傾向にある。 
 また、作文の中で句読点の読点を付けすぎる傾向にある。一般的に読んでわかるのであれば、特に読点をつける必要はない。新聞などは比較的読み流していく文章ゆえに、音読の切れ目切れ目で読点を付けている。この点はあまり真似しないほうがよい。
「てにをは」については言うまでもなく、膠着語を持たない中国語が母国語であるために、助詞の使い方は難しいようだ。月並みであるが、たくさんやさしい日本語の文章を読むことがトレーニングになると思う。 
 適正表現とは、物の作り方を説明する文章の場合、例えば、自分の得意料理を説明するのであれば、美味しそうに書くことをいっている。不味そうに書けばそのように読まれてしまう。この点を工夫することが作文の上達に繋がっていく。また、構文上の日本語らしさもある。繰り返すが、日本語が語順の自由な言葉であることを認識しながら文章を書くとよい。
 独創性は、格言や諺を演習課題にすると、知っている中国の故事を使用して面白いユニークな作文を書いてくれる。課題作文から学生の思いがわかるように演習課題を設定するのも、セミナー担当者の調整力の見せどころになる。なお、添削指導の中でこうした点を説明しながら、日本語の一文は句読点を含めて40文字前後と定義している。一読でわかるためである。
 こうした単純な課題作文だけでなく、部分的にデータをまとめるトレーニングも実践的なものといえる。例えば、序論だけが見えていてこの小論と結論は自分で書く練習とか、起承転結の起承が決まっていてストーリーはそのままで転結の部分だけをまとめるといった練習も実践の作業につながる。こうした演習課題を繰り返しているうちに、要約の仕方も身に付いてくる。要約が上手くなると、文章の処理が格段と速くなる。当然のことながら、読書の量も増えていき、知識がたまると共にアレンジも上手くなっていく。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

『読む・書く』 中国人の学生に日本語の読み書きを教授する3

2 奨励するトレーニング法

2.1 要約のための新聞講読

 新聞記事は、通常@見出し、Aリード(前文)そしてB本文、C写真、D図表から構成されている。見出しとリードの関係やリードと本文の関係を考える場合に、見出しやリードの用語および本文のキーワードに注目すれば理解はできる。また、本文を前後半に分けても、三段式或いは四段式に分けても、それぞれに中心となる段落がつかめれば要約のポイントを作ることはできる。
 要約の方法は、ことばという情報をまとめるテクニックである。しかし、対象は必ずしもことばでなくてもよい。その場の雰囲気とか対人の場面では相手の心理や意識も要約の対象になりそうだ。やり取りを円滑にするためには、我々が五感で感じる音やにおい、味覚や感触さらには視覚情報を何かのことばに変えて相手に伝えている。その際に、それらのことばを記憶の中枢に留めるために感情のネーミングというトレーニングがある。これは、小説などでいう微妙なニュアンスなどの調節にも繋がっていく。自分の感情を的確に把握するという感情のコントロールのための精神療法である。日頃からこのような頭の体操をすることも要約のトレーニングの役に立つ。
 要約文は、どのように作れば上手くいくのだろうか。まず一つの段落からキーワードを探していく。キーワードが見つかれば、その単語を含む中心文を使用して場面のイメージを作ることができる。効率良くキーワードが見つかれば、文章の理解はスムーズになり、段落も手際よくまとめられるようになる。これがワーキングメモリー のトレーニングの中で一番簡単である。
 キーワードは、意味をつかむ上で重要なことばである。そのため、名詞とか動詞そして述語形容詞がキーワードになりやすい。名詞の中でも固有名詞や数字、カタカナは、情報が凝縮されているため価値がある。その他の品詞、例えば、副詞、接続詞、助詞、助動詞はキーワードにはなりにくい。
 段落の中で情報はどのように流れているのであろうか。講読時の言語情報の入力と出力という観点から見ると、構文と意味が組で扱われている。例えば、日本語のある入力文に対して、まずその言語の構文と意味の解析が行われ、ここに解析のイメージが作られる。次に、意味と構文が生成されて入力に対する理解ができあがり出力となる。段落を通してこうした入出力の作業が一文一文連鎖をなして行われている。
 また、要約する場合は、その言語にかなり通じているわけだから、構文は自動的に解析されて、どちらかというと意味の解析に焦点が当てられる。その際、役に立つ言語処理としてテーマ・レーマがある。テーマとは主題のことをいい、文中で伝達の対象を表す既知の情報のことをいう。またレーマとは述題のことで、文中で伝達の内容を表す新情報のことをいう。要するに、段落の中で情報は旧新旧新の順に流れている。特に新と旧の情報がうまく組みをなすように段落が作れれば、一読でわかる文章に近づいていく。中国語は語順が固定の言語であるため、日本語を専攻する中国人の学生にとって言語間の特徴の違いを考える上でこうしたトレーニングは意味がある。テーマとレーマの調節ができるようになれば、自ずとリーディングの際にもこうしたテクニックが反映される。その際にも一応5W1Hを使って文章を整える。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

『読む・書く』 中国人の学生に日本語の読み書きを教授する2

1 教案の作り方

 新聞講読の教案は、クラスの中で教材が指定されているため、教材を使用している間はこちらで用語や記事の背景について説明し、学生には音読や内容についての設問を解いてもらう。特に時事用語には慣れてもらいたいこともあり、中間テストで用語を確認するのもよい。以下では、教材終了後に行っている要約の演習について説明していく。要約の演習については、作文のクラスでも最後に扱うため、新聞講読とリンクが張られている。ここでは両方のクラスを連動させることが捻りとなる。
 作文の基礎編は、参加者がこれまでに学習した教材の内容を確認する作業である。例えば、日本語の文章を作成する場合に、表記の仕方や文法、文型そして文体などがテーマになり、文章作成後は校正や添削の方法がテーマになる。校正や添削については、短文で間違い探しをするのも練習にはなる。しかし、できるだけ文章のレベルで課題に取り組む方がよい。その方が文章を作成しながら読みやすい文章を書く心得が身についていく。そのことについて一言述べる。
 作文の作業単位は段落レベルを基本にしたい。誰もが一文一文を積み重ねて文章を書いていく。一文一文はやさいい構文や表現を使用すればすぐに理解できる。しかし、一文一文のつなぎがうまいとさらに一読で理解が得られるようになる。日本語は語順が自由であるため、文章の流れを意識する場合にはテーマとかレーマを考えるとよい。これについては後述する。
 実践編の教案は、できるだけ実社会で役に立つと思われる内容にしたい。ビジネスを通じて必要になるライティングは、限られた時間でデータをまとめる技法である。会議のために資料を作りながら翻訳することなどは、日常茶飯事のことである。但し、そこは学生レベルのトレーニングであるため、できるだけポイントを押さえた易しい内容にしたい。その方がこちらの説明を理解してもらえるからだ。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

『読む・書く』 中国人の学生に日本語の読み書きを教授する1

【要旨】

 中国の大学で日本語を専攻する学生を対象に新聞講読や日本語の作文のクラスを担当している。参加者は、いずれも日本語学習歴が2、3年の人たちだ。クラスの目標は、「新聞記事を手際よくまとめること」とか「一読でわかるやさしい日本語の文章を書くこと」である。双方とも最終的に要約ができるようになることを目標にしている。「読んで書く」という組みで教案を調節するためである。要約ができるようになると、自ずと読書量も増えて集中力が身についていく。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ14

3 まとめ

 武漢外語外事職業学院に赴任して、2年間で中国人の学生に日本語を教授した内容について話をした。クラスでの指導の外に、2009年11月に「中国から伝わった日本の言葉や文化-欧州との比較も混じえて」と題して、1時間余り講演をし、講演後、質疑応答で20分ぐらい学生と熱く議論を交すことができた。
 課外でも、武漢大学の大学院生の知人にプライベート・レッスンンの枠組で、中国語を教えてもらった。教材は、普通话-培训测试教程である。発音の矯正から始まって平易な中国語のテキストを中国語から日本語へ訳す練習をした。新聞の速読も試みているが、まだまだである。会話と合わせて今後の課題になる。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ13

全体の訳文は、次のようになる。

かつて、このような話を聞いたことがあります。葬式の日に、旦那さんを亡くした奥さんが、黒い喪服を着て、顔には微笑みを浮かべながら、弔問に訪れる客を前に接待をしていました。ひとりの外国人がこの光景を見ていて、思わず奇妙に思いました: まさか日本人は、悲しいと思わないわけではあるまい。これは、日本人の「謎の微笑み」に関する例の一つです。一般的に言って、日本人は皆、悲しみや怒りを堪えることができます。たとえ意気消沈しているとしても、微笑みを保つ必要があります。
 いずれにせよ、外国人は、表情がない日本人の心の世界を理解するのが実際に難しいと思っています。これは、日本人が通常目や動作によって言葉では表現の仕様がない心の世界を表すからです。よく「目は口ほどに物を言う」と言いますが、もしこの婦人の目に注意すれば、必ず内面は、悲しい気持ちで一杯であることに気づくでしょう。

 卒業して実務経験を積んでから、翻訳の仕事をしてみたいと相談されたことがある。その際、「まずチェッカーから始めるとよい」と言ってきた。チェッカーは、訳抜けがあるかとか専門用語が正しかどうかを確認する翻訳者から編集者へのつなぎ役であり、また、翻訳の仕事の流れや時間厳守であることが分かるからである。
 他の大学でも機会があれば、「みんなの日本語」から「日本語会話技巧編」及び「ビジネス日本語会話」への流れの中で、日本の語学、文学や文化について話をしていきたい。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ12

それぞれの文の訳を考えていこう。

1. 我曾听到这样一件事: 曾は「かつて」、听到は「聞いたことがある」、这样は「このような」になる。訳は、「かつて、このような話を聞いたことがあります」。

2. 葬礼那天,失去丈夫的妻子穿着K色的丧服, 脸上带着微笑接待着前来吊唁的客人: 葬礼那天は「葬式の日」、失去丈夫的妻子は「旦那さんを亡くした奥さん」、穿着は「着ている」、K色的丧服は「黒い喪服」、脸上は「顔には」、带着微笑は「微笑みを浮かべて」、前来吊唁的客人は「弔問に訪れる客を前に」になる。訳は、「葬式の日に、旦那さんを亡くした奥さんが、黒い喪服を着て、顔には微笑みを浮かべながら、弔問に訪れる客を前に接待していました」。

3. 一位外国人见到这样的情景,不禁觉得奇怪: 难道日本人不觉得悲伤吗?: 情景は「光景」、不禁は「思わず」、觉得奇怪は「不思議に思う」、难道は「まさか・・・ではあるまい」、不觉得悲伤は「悲しいと思わないわけではあるまい」になる。訳は、「ひとりの外国人がこの光景を見ていて、思わず奇妙に思いました: まさか日本人は、悲しいと思わないわけではあるまい」。

4. 这是有关日本人“迷一样的微笑” 的例子之一: 有关は「〜に関する」、迷一样的微笑は「謎の微笑み」になる。訳は、「これは、日本人の『謎の微笑み』に関する例の一つです」。

5. 一般来说,日本人都会按捺着悲伤与愤怒,即使心灰意懒也要面带微笑: 一般来说は「一般的に言って」、按捺は「堪える」、悲伤与愤怒は「悲しみと怒り」、即使は「たとえ・・・でも」、心灰意懒は「意気消沈」、要面带微笑は「微笑みを保つ必要がある」になる。訳は、「一般的に言って、日本人は皆、悲しみや怒りを堪えことができます。たとえ意気消沈しているとしても、微笑みを保つ必要があります」。

6. 不管怎么说,外国人认为要了解没有表情的日本人的内心世界实在是很难: 不管怎么说は「いずれにせよ」、认为は「と思う」、实在は「実際に」になる。訳は、「いずれにせよ、外国人は、表情がない日本人の心の世界を理解するのが実際に難しいと思っています」。

7. 这是因为日本人通常是通过眼睛和动作来表现用语言无法表达的内心世界的: 因为は「・・・だから」、通过眼睛和动作は「目や動作によって」、用语言无法表达は「言葉では表現の仕様がない」になる。訳は、「これは、日本人が通常目や動作によって言葉では表現の仕様がない心の世界を表すからです」。

8. 常言道眉目传情,如果注意这位妇女的眼睛,你一定会发现里面充满了悲伤之情: 眉目传情は「目の表情で感情を伝える、つまり、目は口ほどに物を言う」、如果は「もし・・・ならば」、这位妇女的眼睛は「この婦人の目」、一定は「必ず」、发现は「気づく」、悲伤之情は「悲しい気持で一杯」になる。訳は、よく「目は口ほどに物を言う」と言いますが、もしこの婦人の目に注意すれば、必ず内面は悲しい気持ちで一杯なことに気づくことでしょう」。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ11

2.3 小論文からやさしい翻訳へ

 日语会话技巧篇のテキストでは、各章毎に場面が設定されていて、それに対応する対話文を使用しながら、練習をしていく。その中に日本の事情を扱った「小知識」とういうコラムがある。その内の一つを材料にして翻訳の話を進めていく。また、このテキストは、「です・ます調」を使用していることから、ここでもそれに準じようと思う。

 我曾听到这样一件事:葬礼那天,失去丈夫的妻子穿着K色的丧服,脸上带着微笑接待着前来吊唁的客人。一位外国人见到这样的情景,不禁觉得奇怪: 难道日本人不觉得悲伤吗?这是有关日本人“迷一样的微笑”的例子之一。一般来说,日本人都会按捺着悲伤与愤怒,即使心灰意懒也要面带微笑。不管怎么说,外国人认为要了解没有表情的日本人的内心世界实在是很难。这是因为日本人通常是通过眼睛和动作来表现用语言无法表达的内心世界的。常言道眉目传情,如果注意这位妇女的眼睛,你一定会发现里面充满了悲伤之情 (「日语会话技巧篇」 P30より) 。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ10

2.2 作文から小論文へ

 小論文とは、ある事柄に対して自分で判断をし、その判断がなぜ正しいのかについて根拠を挙げて述べる文章である。参考資料からの引用を踏まえて、間接的で客観的に自分で考えたことを書いていく。一方、作文は、自分の経験をもとに、感じたことや考えたことを主観的に書く文章である。わかりやすく、筋の通った説得力のある論文を書くには、構造をきちんと構築しなければならない。小論文の基本構造は、序論、本論、結論である。
 序論とは、論文全体の紹介である。この論文が何を意図していて、どういう過程を経て結論に至るのかを説明する。ここを読めば、筆者が何を考え、何を主張しているのかがわかるようにする。私の結論はこれである、こうした方法論を用いて、こうした結論に至った、と序論に結論を書くのもよい。読み手は、結論を念頭に置いて、書き手の議論を追いながら検証していく。この小論では、自分の主張に沿って次から次へと証拠を上げながら、自分の議論を進めていく。論文の主張に沿って議論を進め、極力余分な情報は入れないようにする。余計な情報を入れなければ入れないほど、引き締まった論文になる。結論は、裁判でいう判決部分である。この小論で証拠を挙げながら述べた事の良し悪しを「〜であるからこう考えます」のように導き出す。
 注意事項としては、次のようなことを考慮すればよい。自分の意見と確認できる情報(参考資料、WEBサイトも含む)は、区別すること。確認できる情報には、引用符をつけることも大事である。感想は、書かないほうがよい。また、「これ」や「それ」といった指示代名詞が何を指すのかがはっきりとわかるように書くこと。できるだけ指示代名詞を使わないようにする。読み手がわからなければ、書き手の意図は伝わらない。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ9

2 会話や作文からやさしい翻訳へ

 ここまでで獲得したスキルを使用して、やさしい作文を書くことを考えてみる。簡単な文型や単語を覚えれば、提示されたテーマについて、辞書を使いながら平易な日本語の作文は書けると思う。

2.1 会話から作文へ

 「日语会话技巧篇」では、会話の場面のイメージを作ることを目標に授業を進めている。その際、ラーニングメソッドとしてペアワークによる簡単な会話を試みている。そのねらいは、会話による簡単なやり取りができるようになれば、語学ができるようになったと誰もが思うからである。作文の練習の仕方として、テーマを与えて自由に書かせる方法もあるが、場面を設定して、特にその内容をまとめるという練習方法もある。自分である程度話せるようになった場面の内容であれば、頭の中に日本語のイメージを浮かべることができるため、あとはライティングが問題になる。辞書を使いながら、できるだけ読みやすい日本語を書くように心がければよい。
 作文の添削指導をしていて思うことは、中国人の学生の活用や助詞の使い方の誤りである。そもそも中国語には活用形がない。中国語は、日本語の動詞や形容詞のように語尾変化することはない。この点が中国人の学生には面倒なようだ。また、日本語の助詞に似た前置詞はあるが、主語の「は」とか「が」や目的語の「を」はない。「は」は、主題を表す助詞であるが、主体を表わす「が」と異なり、「特に」といったニュアンスがあるため、読みやすいように読点「、」が必用になる。これは、主題の「は」が主体の「が」よりも強い主語だからである。
 簡単な作文が書けるようになれば、スタイル(文体)にも気をつけるとよい。日本語の文末は、「です・ます調」か「である調」でそろえなければならない。手紙とかビジネス上の書面であれば、「です・ます調」で書き、新聞や雑誌等では「である調」が使われる。学生が書く文章には、両方のスタイルが混在しているケースも間々見られる。こうした易しいライティングの基本を理解したら、次は就職試験でも書くことになる小論文へ進むことができる。学生の中には日系企業を希望する者もいるため、日本式の履歴書の書き方や面接試問も含めて日本式の就職活動について説明するのもよいと思う。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ8

  漢字系学習者の場合、音声と意味の結びつつきを鍛えれば、音声と文字との結びつきもスムーズに行くと思われる。中国人の学習者にとって、日本語の発音やアクセントは決して難しくはない。整理の段階でする作業は、目標の到達度のチェックと課題の提示であろう。どのくらいチェックできたか毎回教師が確認する必要がある。また、クラスの中ではできないような課題、例えば、作文の練習を宿題にするのもよいと思う。弱点を補強し、次につながるような課題を出せばよい。外国語の授業は、導入、展開、整理の三分節に分けることができる。45分x 2 の授業であれば、毎回、それぞれの時間配分を予め決めておくようにする。例えば、導入が10分、展開が65分−75分、整理が5分−15分というようにする。

教授法のプロセス                   内容
@時間毎の教案を書く:何を教えるのか、どのぐらい教えるのか、どのように教えるのかといったことを考え
           ていく。
Aウォーミングアップ:前回の質問事項の回答や教材からの提示については、黒板に書く。続けて目標の設定
           も説明する。
Bヒアリング指導:言語的知識(音素識別力、語彙力、文法力)と思考活動(予測、記憶、判断、照合)。ス
        キミング、スキャニング、マッチングは前者、ハイポセシス・テスティングは後者になる。
Cリーディング指導:音読と読解。音読とは、文字の音声化のことで、読解とは、テキストから情報を引き
          出すこと。
D整理してまとめる:目標の到達度のチェックと課題の提示。例、作文の練習。外国語の授業は、導入、
          展開、整理の三分節に分けて進めるとよい。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ7

 クラスで漢字系学習者には、最初に漢字熟語のリストを与えず、音声と文脈から漢字を連想させるようにする。正確な読み方や使い方は後から説明するとよい。
 リーディングの指導は、音読と読解に分けられる。音読とは、文字の音声化のことで、読解とは、テキストから情報を引き出すことである。いわば、音読は、読解のための基礎的な能力といえる。経験からも分かるように、音声と意味及び音声と文字はすぐに結びつくが、意味と文字はなかなか結びつかない。音声と意味の結合は、聴覚像が媒介になり、音声と文字は、記述像が媒介になる。意味と文字は、こうした聴覚像と記述像が二段階で結びつくことにより、次第に両者が直結するようになる。これがリーディングのゴールである。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ6

1.4 中国人に日本語を教授する

 目標分析票を見ながら、時間毎の教案を書いていく。書きながら、何を教えるのか(導入としての教材研究)、どのぐらい教えるのか(展開のための目標設定)、どのように教えるのか(整理のための授業計画)といったことを考えていく。教材の研究は、主に担当教師が行う作業である。クラスの始めに挨拶をして、ウォーミングアップで学習者の気持ちをほぐしていく。前回の質問事項にもこの段階で回答しておけばよい。復習をかねることにもなるためである。教材からの提示については、漢字系の学習者の場合、母国語と全く同じ単語または推測がきく語彙を使用して、定義文(ある語を定義する文のこと)を交えて話を進めるようにする。黒板に書くと、反応が違う。
 目標の設定では、スキルの獲得と応用を目指す。最初は教師の指示の下で日本語を表現する。その後、教師から離れて自由に日本語を作る作業に入る。ヒアリング指導の場合、言語的知識(音素識別力、語彙力、文法力)と思考活動(予測、記憶、判断、照合)の両面を発達させることが重要である。例えば、スキミング(全体の大意を捉えて、だいたいどんな事を言っているかを聞き取る)とかスキャニング(自分がほしい情報だけを求めて聞き、後は聞き流す)あるいはマッチング(ある特定の情報だけに限定して聞き取る方法で、スキャニングよりも限定的)といったヒアリングのタイプは、どちらかというと言語的知識を活用している。一方、ハイポセシス・テスティング(自分の予想が当たっているかどうか確かめながら聞く)は、どちらかと言えば、思考活動のトレーニングになる。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ5

 1課を4コマで指導するのであれば、内容目標の欄には4つの指導目標を書く。(例えば、敬語の意味を教える、敬語の形態を教える、敬語を使用する、敬語の応用を教える。)毎時間どこに重点をおいて指導するのか分かるように、認知面(知識理解、応用分析、評価、技能)と情意面(興味関心、意欲、満足、発展、協力)にその指導内容を書いていく。こうすると、一課の指導目標(教材の内容)と重点目標が一目で分かるようになる。
 最後に、教材を研究しながら考えた各課のパートの時間を入れていく。図1で言えば、敬語の1時間目は、内容目標が「敬語の意味を教える」となり、能力目標が知識・理解と興味・関心になる。そのために文型や例文を説明して、会話文の発音練習の時間を設定していく。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ4

1.3 日本語の教授法計画

 外国語の教授法といっても、本稿では特に中国人に日本語を教授するケースを想定している。授業をしていて、漢字系の外国人には日本語へのアプローチがそれほど難しくはないと感じている。文字の表記であれ、発音やアクセントであれそう思う。
 まず、担当の教師と学習者が交わす情報交換について、一般的に念頭に入れておく必要がある方法を説明する。教師は、間接的に学習者の感情を受け入れて(例、冗談を言う)、学習者の考えを取り入れ、ほめたり励ましたりして、時には質問をする。また、直接批判をしたり、時には指示、命令を出す。一方、学習者は、外国語を学習しながら、応答的または自発的な発言をして、言語活動を展開していく。問題となるのは、相互作用のない沈黙や混乱の状態に陥ることである。
 次に、授業の計画についてである。日本語の授業の計画法は2つある。1つは、目標分析と単元構成、もう一つは、授業案の作成である。第一に目標分析票を作成し、そこに目標の内容(一課分の教材)と能力目標(認知面と情意面)を示しておく。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ3

1.2 ビジネス会話

 「ビジネス日本語会話」では、学習者に初級が終了した日本語のレベルを求めている。ビジネスは、「ある組織に属している人が、同じ組織または外部の人とその組織の機能または目的を達するために何らかの関わりを持つ行為」と定義され、様々なビジネス上の場面を通して、組織の「うち、そと」とか上下関係のような対人関係で変化する日本語固有の待遇表現を取り上げている(ビジネス日本語会話)。日本語は、直接表現を多様する中国語と異なり、コミュニケーションの際に断定表現を避けながら、間接的な表現を用いることが多い。これは、対人に対してできるだけ丁寧に振舞うといった日本のビジネスルールによっている。
 各課の構成は、ビジネス上のダイアログ(中国語訳付)、語彙、重要な表現(使い方の説明や例文あり)および練習からなっている。ここでは、一課を6コマで終えるケースを想定して教案の説明をする。最初に、新出単語を音読してからダイアログを音読する。ダイアログの背景やキーワードも合わせて説明していく。ここまでで30分から35分である。 
 次に、重要な表現を説明する。取り上げられている表現の数にもよるが、このパートは、30分から35分である。最後に、練習問題を扱うが、この課の重要な表現について場面を想定しながら使用する練習である。慣れるまでは、教師と学生が一対一で練習する。その際、テキストにあるビジネス会話を少し拡張させることもある。このパートは、60分から70分ぐらいである。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ2

1 教案の作成方法

1.1 日本語の基礎会話

 「みんなの日本語1」と「みんなの日本語2」の教案は、概ね作業内容が同じである。無論、随時内容を動かしながら授業を進めるので、異なる点も出てくる。まず、学期毎に1週間のコマ数を確認してから、時間の配分を決める。ここでは、一課を4コマで終えるケース(2コマx2回、1コマは45分)を想定して、教案の例を説明していく。各課の文型については、補習用の資料を参考にしている。構文の解釈に基づいて、重要なポイントを説明していく。
 例えば、41課は、初歩的な敬語表現の勉強をする。まず、例文を使って発音の練習をする。ここでは、「あげます」、「もらいます」、「くれます」といった受け渡しの表現を勉強する。表現方式を示す際、それぞれ対応する敬語(「さしあげます(謙譲語)」、「いただきます(謙譲語)」、「くださいます(尊敬語)」)についても合わせて説明する。構文については、「動詞て形+さしあげます」、「動詞て形+いただきます」、「動詞て形+くださいます」というように分類して、それぞれテキストにある例文を示す。一回のクラス(45分x 2の場合)では、このパートは30分が目安である。
 次は会話の練習で、まず全員で音読をする。それから二人一組(ペアワーク)で音読の練習をする。学生の数にもよるが、このパートは25分が目安である。練習Aは、文型とその構文の確認である。ここは10分。練習Bについては、回答をすべて黒板に書く。この練習の内容を使って学期末に筆記テストを行うため、学生にも回答を書くように勧めている。ここは40分ぐらい。練習Cは、単語を入れ替えて会話文を作る練習なので、15分とする。各課の最後にある問題のパートは、聴解が25分、残りが30分から35分で進めていく。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ1

【要旨】

 2009年3月から2011年1月まで、武漢科技大学外語外事職業学院で日本語教師を務めている。担当科目は、1年生と2年生のための基礎会話と2年生の後半から3年生にかけて勉強するビジネス会話である。 中国人に日本語の会話や作文を教授する際に、効果が上がると思われる方法について教案を通して検討している。しかし、学期の毎に修正や改良が必要となる。まず、私の教案の作り方について説明し、次に会話や作文からやさしい翻訳まで全体的に関連づけて話を進めていく。最後に現在未解決の問題についても触れようと思う。

花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

日本語教育のためのプログラム まえがき3

 それぞれの論文を作成した時点で問題解決を試みているため、多少記事が古い箇所もある。その点は了承してもらいたい。また、中国の大学で実践している日本語の教授法の全体像については、図1に示した通りである。
4つのブロックを時計回りに何度も回りながら、教授法の実務のみならず、論文も作成して実績を整えている。こうすることにより、担当クラスの教案を作る際にも、教材だけではなく、自分のアイデアでクラスを管理できるようになっていく。
 各ブロックには、これまでに扱った教材と作成した論文が書かれている。今後もどこかのブロックの実績だけが増えていくことがないように、バランスを考えながら教授法の仕事に取り組んでいく。

花村嘉英(2017)「日本語教育のためのプログラム」より

日本語教育のためのプログラム まえがき2

 日本語教育の現場で働きながら書いたレポートをまとめて、関係者の方たちに私の仕事ぶりを伝えていこうと思う。基礎編は4部構成である。第一章の「話す」は、2009年から2011年にかけて、武漢外語外事職業学院日本語学部で担当したクラスの教案をまとめた論文である。第二章の「読む・書く」は、2012年から2013年にかけて、天津外国語大学(滨海区)日本語学部で担当したクラスの教案を再考した論文である。
 また、第二章の内容は、2012年8月に名古屋大学で開催された日本語教育国際研究大会で発表済である。 第三章の「訳す」は、2011年8月に中国・延辺大学で開催された第二回中日朝韓言語文化比較国際シンポジウムで発表した内容に加筆して、中日翻訳を比較言語学の視点(例えば、語順)から考察している。第四章の「シナジー・共生」は、名古屋大学で開催された日本語教育国際研究大会(2012)の「研究でつながる広場」で意見を交わした内容とマクロを巡る現状の評価について述べた論文である。
【話す】
教材:みんなの日本語1、2、日本語会話-技巧編 、実践ビジネス日本語会話、 レポート:日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ
【読む】
教材:日语最新新闻听读、構成/特徴/分野から学ぶ新聞の読解、購読から要約へ、レポート: 中国人の学生に日本語の読み書きを教授する−要約文の作成について
【書く】
教材:实用日语写作教程、 大学日語写作教程、課題作文、レポート:人文科学のための人材育成について
【訳す】
教材:汉译日精编教、汉日日汉同声传译、課題翻訳、シャドウィング、レポート:中日翻訳の高速化−比較言語学からの考察

花村嘉英(2017)「日本語教育のためのプログラム」より

日本語教育のためのプログラム まえがき1

まえがき

 2009年に中国の武漢で始まった日本語教育の仕事も、かれこれ8年が経過した。その間に、武漢を中心にして、東は上海、寧波、西は重慶、南は厦门、北は北京、天津、延辺と中国各地を転々とし、中国日語教学研究会という学会を含めると、10都市余りを訪れた。その間に作成した論文の中から6本を厳選して、この本に収録している。著作の構成は、基礎編と応用編に分かれている。
 基礎編は、各地で教えた教案をもとに日本語の教授法のレポートをまとめたもので、それぞれ学会や研究会で発表したものである。時計回りに、日本語の会話、読み書き、訳すという流れになっている。また、応用編は、元々ドイツ語が専攻であるため興味があった森鴎外の歴史小説を使用して、データベースを作成する文学分析について考察している。
 そこで、論文の配列は、縦に人文科学の教授法を想定して、横に平易な計算文学の試論を置き、全体としてLのイメージになっている。どこから読み始めてもよいが、一応筆者の工夫が配列に見られることをお伝えしておく。また、重ねて読む機会があれば、長い論文から始めるのもよいだろう。
 2012年の夏に転換期がおとずれた。名古屋大学で開催された国際日本語研究大会に参加したとき、多くの参加者がいるにも関わらず、依然として文系と理系の共生は進んでいないと感じ、共生について初めて試みるとしたら、何をどのくらい試せばよいのか説明しようと思った。
 そこで、Tの逆さの認知科学を崩して、言語と情報の認知を縦横別々に置いたL字の分析について説明していく。Lの分析により見えてくるものは、作家の脳の活動(執筆脳)を探るシナジー・共生のメタファーである。これまでに、「トーマス・マンとファジィ」、「魯迅とカオス」そして今回の「森鴎外と感情」という3つのシナジーのメタファーを提案している。データベースを作る文学分析もようやく軌道に乗ってきた。
 データベースを作成する文学分析は、マクロのステージである。マクロとは、地球規模とフォーマットのシフトを評価の項目とする。こうすると、どの系列が専門であれ、こぼれる人はいないし、Lの向きは違えど、非専門の副専攻についても、手つかずのブラックボックスを消していくイメージが作れることだろう。そのためには、シナジー・共生の組み合わせを2つ3つ調節するとよい。
 シナジー論とは、文理の組み合わせを増やしていくことである。例えば、私の場合、機械翻訳、文学とデータベース、心理とメディカル、文化と栄養などがそれに当たる。3つの組み合わせが調節できれば、手つかずの系列が消えてブラックボックスがなくなり、横のスライドもスムーズになる。マクロにバランスを整える際、2x2のルールでよいが、3つ目の調整がシナジーのメタファーの山になる。
 読者の皆さんにも、文学のマクロの分析を目指して本著と向き合ってもらいたい。人の目では見えないデータベースの作成を伴う文学分析の面白さが次第に分かってくると思う。

花村嘉英(2017)「日本語教育のためのプログラム」より

ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する12

5 まとめ
 
 ヴァイスゲルバーの意味内容文法を語彙、統語論、テキスト共生と拡大することにより、一応言語研究の流れを作ることはできた。これで卒論から現在までの最新の研究をお浚いすることができ、今後の展開次第では、地球規模とフォーマットのシフトからなるマクロの研究方法を確立するところまでいく。平時の教授法のみならず、学会などで折に触れて人文科学もシナジー・共生を目指した育成に取り組むべきであると述べていきたい。

【参考文献】

池上嘉彦 文化人類学と言語学 弘文堂 1980
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 シナジーのメタファーの作り方−トーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・
ゴーディマ、井上靖 中国日語教学研究会上海分会論文集(2017)
花村嘉英 シナジーのメタファーを外国語教育にも応用する ファンブログ 2018
福本喜之助・寺川央 現代ドイツ意味論の源流 大修館書店 1975
Leo Weisgerber Die vier Stufen in der Erforschung der Sprachen. Pädagogischer Verlag Schwann, 1963
Engel/Schumacher Kelines Valenzlexikon deutscher Verben. Gunter Narr Verkag Tübingen, 1978

花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より

ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する10

C 分析の組

 さらに、テーマを分析するための分析の組が必要である。例えば、ボトムアップとトップダウン、理論と実践、一般と特殊、言語情報と非言語情報、強と弱など。

表2
分析の組                   説明
ボトムアップとトップダウン 専門の詳細情報から概略的なものへ移行する方法。及び、全体を整える
              概略的な情報から詳細なものへ移行する方法。              
理論と実践        すべての研究分野で取るべき分析方法。言語分析については、モンターギュの
              論理文法が理論で、翻訳のトレーニングが実践になる。
一般と特殊        小説を扱うときに、一般の読みと特殊な読みを想定する。前者は受容の読みで
              あり、後者は共生の読みである。
言語情報と
非言語情報        前者は言語により伝達される情報、後者はジェスチャーのような非言語情報で
              ある。
強と弱          組の構成要素は同じレベルでなくてもよい。両方とも強にすると、同じ組に
              固執するため、テーマを展開させにくくなる。
論理計算と統計      計算文学というと、情報科学の専門家が購読脳を分析するために数理や
             コンピューティングを駆使して研究するイメージがある。しかし、人文から
             寄せる計算文学は、購読脳と執筆脳を調節する論理計算やデータベースの
             統計処理が分析のツールである。

 日頃からこのような調節をしながら、トーマス・マンの「魔の山」、魯迅の「狂人日記」や「阿Q正伝」、森鴎外の「山椒大夫」や「佐橋甚五郎」及びナディン・ゴーディマの“The Late Bourgeois World”についてLのストーリーを作成した。
 テキスト共生に通じるには、文と理で語彙、統語論、テキストが調節できるようにならなければならない。そのために容易に応用ができる場の理論などで言語の研究から文理の共生を目指し、日々前を向いて勉強するとよい。

花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より

ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する9

A シナジーの組

 例えば、人文と情報(コーパス、パーザー、計量言語学、翻訳メモリー)、文化と栄養、心理と医学、社会とシステム、法律と技術(特許)、法律と医学、法律とエネルギー、社会と福祉、医療と経営、経営工学、金融工学、ソフトウェアとハードウェアそして文学と計算などがこのグループに入る。これらの中から何れかの組を選択して、テーマを作っていく。もちろんこれらの組について複数対応できることが望ましい。
 
B テーマの組

 選んだ組からLに通じるテーマを作るには、人文科学と脳科学という組のみならず、ミクロとマクロ、対照の言語文学と比較の言語文学、東洋と西洋などの項目も必要になる。ここでミクロとは主の専門の研究を指し、マクロとはどの系列に属していても該当するように、地球規模とフォーマットのシフトを評価の項目にする。シナジーの研究は、何かとバランスを維持することが大切である。
 「トーマス・マンとファジィ」は、ドイツ語と人工知能という組であり、「魯迅とカオス」は、中国語と記憶や精神病からなる組である。そこには洋学と漢学があり、また長編と短編という組もある。文学と計算のモデルは、こうした調整が土台になっている。

表1

テーマの組                 説明
文系と理系          小説を読みながら、文理のモデルを調節する。
人文科学と社会科学      文献とデータの処理を調節する。
言語文学(対照と比較)   対照言語と比較言語の枠組みで小説を分析する。
東洋と西洋          東洋と西洋の発想の違いを考える。例えば、東洋哲学と西洋哲学、
               国や地域における政治、法律、経済の違い、東洋医学と西洋医学。
基礎と応用         まず、ある作家の作品を題材にしてLのモデルを作る。次に、他の作家の
               Lのモデルと比較する。
伝統の技と先端の技     人文科学の文献学とシナジーのストーリーを作るための文献学(テキスト
               共生)。ブラックボックスを消すために、テキスト共生の組を複数作る。
ミクロとマクロ       ミクロは主の専門の調節、マクロは複数の副専攻を交えた調整。
               少なくとも縦に一つ(比較)、横にもう一つ取る(共生)。

花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より

ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する8

4 シナジーのトレーニング
 
 組のアンサンブルによるトレーニングを推奨するのは、文理共生・シナジーという研究の対象が元々組からなっているためである。例えば、手のひらを閉じたり開いたりするのも、肘を伸ばしたり畳んだりするのも運動でいうシナジーである。Lのモデルができるだけ多くの組を処理できるように、シナジーの研究のトレーニングとして三つのステップを考えている。(花村2017、95)
 人文から理系に向けた研究方法を何か工夫して、何とか異質のCに辿りつくようにしたい。どうすればよいのだろうか。この10年来小説のデータベースを作成する研究を試みている。既存の文学分析にも理系の研究にも照合ができるリレーショナルなデータベースを作成分析し、作家の執筆脳(シナジーのメタファー)を研究している。
 これまでに、「トーマス・マンとファジィ」、「魯迅とカオス」、「森鴎外と感情」、「ナディン・ゴーディマと意欲」というシナジーのメタファーを考案している。

花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より

ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する7

3 中国人に母国語(日本語)を教授する−母国語教育から試みるテキスト共生

 花村(2017)では、人文科学から共生を目指すためのトレーニングを紹介している。そこでは、組のアンサンブルという社会科学で分析の基礎をなす調整の方法が鍵になる。無論、平時で取り組む日本語教育は、人文学院や外国語学院の学生が対象となるため、人文と社会であれ、人文と理系であれ、とりわけ共生を目指したカリキュラムではない。しかし、組のアンサンブルを提唱するための問題提起はできる。
 人物評価をする際に、社会科学や理系は、縦の専門と横のシナジー・共生が調節できるようにLの研究フォーマットを採用している。社会系と理系の組み合わせは実務にもつながることから、それぞれが横も調節できるようにマクロの評価項目を設けている。しかし、議論の対象は、人文の人たちにこうしたLの評価がそもそもないことである。
 原因は何であろうか。人文科学の伝統の技は、文学、言語、思想そして文化などである。また、ことばごとに分かれていて専攻科目もたくさんある。人文の関係者が平時に取り組む教授法は、共通の実務である。教授法の周りに自分の専門分野があり、副専攻として専門以外にも通じたことばがある。しかし、実績を見るといずれも人文科学のもので、横に目安はない。では、どうすれば横に目安を置いて、評価を出すことができるのであろうか。
 ひとつは、人文の人も横に実務を作るとよい。つまり、テキスト共生をスローガンにし、同じ日本語の単語でも文理で系列を行き来すると、意味内容に違いが生まれる。母国語の受容の新たな段階がここにある。
 以下に紹介するシナジーのメタファーの研究は、Lの研究フォーマットを使用するため、人文→理系→人文→理系という具合に系列を入れ子にしてストーリーを作成していく。そこで、母国語のみならず外国語、特に対照言語でも場の理論が応用できるように、文理の意味内容の調節ができるようになるには、文系であるが機械翻訳に従事するなど日頃からのトレーニングが必要になる。それができれば、シナジーのメタファーが外国語教育にも応用できるとする仮説は、正しくなるであろう。(花村 2018)
 
花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より

ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する6

2.4.2 場の理論 

 卒業論文でも取り上げた場の理論について見てみよう。言語の記号は、動物の鳴き声のような自然の記号に対して人為的といわれる。この人為的な記号は、精神に対して意識の対象を形成する。このような精神的な世界は、どんな法則によって作られているのであろうか。言語については、個人の行為ではなく、ドイツ民族とか日本民族が使用する母国語を想定する必要がある。人為的記号は、個人の生活を越えた持続性とか集団全体の共有物という特徴を持っている。
 言語社会には音的な言語手段というものが存在し、それがその言語社会の他のメンバーに伝えられることは明白である。しかし、意味内容がいかにして限定され規定されているのか、母国語の世界像全体から考察しなければならない。それが場の理論である。つまり、それが一つの構造全体から生じてくる価値となる。全体の観点から、相互に作用し合うような全体という形で分節されている。このような母国語の言語手段の集まりをヴァイスゲルバーは、言語の場と呼んでいる。(池上1980、244)
 言語の場の考え方は、語彙レベルのみならず統語論においても重要であり、統語の場についても触れている。成績評価の語彙は、段階違いのみならず、一文の中に入りかつ状況を踏まえることで意味内容に違いが見られる。

(6) Der Aufsatz ist mit “gut” bewertet. (作文は良の評価で合格した。)

(6)は、先にも触れた段階別の評価により“gut” の意味内容が微妙に異なることがある。また、これに(6)の文を使用する状況が意味の調節のために加わる。例えば、ほとんどの学生が優であれば、あまりできる人ではないし、優が数人であれば、クラスの中で平均以上の評価になる。つまり、語彙のレベルよりも統語レベルの場の法則は、意味内容の微妙な違いをより複合的に評価することができる。無論、ヴァイスゲルバーは、言語の場には隙間があることも認めている。

花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より

ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する5

2.4 母国語教育

2.4.1 母国語の受容 

 言語の運用に関する考察は、まず言語共同体を単位にして包括的に進んでいく。続いて個人のレベルの考察となる。そのため、ヴァイスゲルバーの発想は、歴史や文化も含めた生活の中で言語の研究をまとめるためのものである。言い方を変えれば、集団の脳の活動とか個人の脳の活動という考え方である。
 ヴァイスゲルバーは、ヨーロッパの言語学者であるためフランス語などドイツ語以外の言葉にも通じていた。そのためドイツ以外の国地域を比較する伝統的な言語の研究について、例えば、場の理論からその意義を述べている。
 ことばの作用とは、相互作用に基づいた関係の一面と見なされ、歴史や文化の展開が言語にどのように作用しているのかを考察していく。そのため、言語学周辺の学問からの補足も他の側面として意味がある。そこで、上述にある、技術、法律、芸術、宗教に加えて、人文科学も脳科学を研究する時代であることから脳科学も考察の対象にする。
 母国語の世界観は、外界の存在が意識の中に入る過程で重要な役割を果たすという。すべての母国語の音声形式は、母国語の意味内容が従属しているためである。そのため、世界を言語化するプロセスの相互作用において母国語と言語共同体は、組にして考える必要がある。

花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より

ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する4

2.3 動的な考察
 
 文法の視点で言語を研究する場合、言語共同体を通して世界を言語化する過程が重要になる。ここで言語共同体とは、ドイツ語とか日本語の母国語話者のことであり、母国語とは、言語共同体を通して世界を言語化する手段である。(Weisgerber 1963、94)言語の世界像は、言語を捉えるための考察法であり、静的な言語内容に対して動的な様式といえる文法の考察方法を指す。また、文法に即した語論は、意味に即した考察の継続である。
 親族関係を系図で見ると、例えば、ドイツ語とラテン語には違いがある。(池上1980、211)ドイツ語では、Vatter(父)、Mutter(母)、Sohn(息子)、Tochter(娘)がドイツ人の家系図の中で重要な規定となる。Großvater(祖父)、Großmutter(祖母)、Onkel(叔父)、Tante(叔母)、Neffe(甥)などは、自然体系の中で特別な関係というわけではない。ラテン語の親族用語、pater(父)、mater(母)、filius(息子)、filia(娘)、avus(叔父)、patruus(父方のおじ)、amita(父方のおば)などは、ドイツ語の思考体系と完全に一致しない。ローマ人にとってドイツ語のOnkelやVetter(いとこ)は、存在しなかったからである。これが精神的な中間世界を置く理由である。
 外界の存在と個人の意識間にある中間世界には、境界や分節条件に違いがある。また、個人の意識が音声形式に変わり、語音と語義の間に言語的な母国語の中間世界を想定し、言語の世界像を見出すことに意義を認めた。(池上1980、220)
 音と意味が表裏一体をなす記号としての言語は、同音異義語や機能の面で説明が必要である。性違いで意味が異なる場合、言語史的な見解が可能であり、中性のMesser(ナイフ)と男性のMesser(測量者、測定器)は、別の語彙として区別し、別の道を進んできたとする。
 機能については、一つの動詞がどういう結合価を取るのかを検討すればよい。(Engel/Schumacher 1978、203)

(1) Dein Verhalten interessiert mich.
(2) Es interessiert mich, das neue Stück zu sehen.
(3) Es interessiert mich, daß du in die Stadt gezogen bist.
(4) Ich interessiere mich dafür , diese Kirche zu besichtigen.
(5) Der Gast interessiert sich dafür , was im Theater gespielt wird.

  (1)は主語と目的語をとり、受動態も作ることができる。(2)はzu不定詞句をとり、(3)はdaß文をとる。(4)はdafürの後に必ず相関の説明が来て、(5)はそれが疑問文になることをいっている。なお、結合価については、動詞だけではなく形容詞や名詞にもその機能が備わっている。
 歴史や文化を含む相互作用に基づいた生活についても言語学が研究する一領域とする。つまり、ヴァイスゲルバーは、外界の存在を言語化するプロセスが実践されると、母国語の世界像が作られるとし、これを個人レベルで捉えるべきではなく、言語、技術、法律、芸術、宗教などが関連して作用すると考えた。そのため、言語の妥当性(sprachliche Geltung)という概念が重要なものとなった。(Weisgerber 1963、127)母国語における語彙や構文の妥当性は、言語共同体が客観的に処理することばによる捉え方を継承し、その営みの中で効果を発揮する。

花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より

ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する3

2.2 静的な考察
 
 音であれ意味であれ、双方が表裏をなしているという前提から、単体的な考察は認めていない。音に関する考察は、母国語の音の記号を意識することから始まる。語彙に関して目録を作成し、音素に従い特徴を付けていく。例えば、語と語義を担う音声表現としての語体との混同は避けなければならない。音の研究は、個々の語の境界を作る際に意味の基準の助けが必要となる。(Weisgerber 1963、45)
 意味に関する考察では、意味に即したことばの中間層が説明されている。そこでは、ことばと事物の研究とか記号の研究が伝統的な共通認識である。特に語場は、1930年代に活躍したトリーアからの影響を受けており、意味に即した語論の主な研究領域であって、語群が制限された構成要素間で意味内容の秩序を担う。例えば、gutの価値評価は、4段階、5段階、6段階でそれぞれの意味内容が微妙に異なる。(Weisgerber 1963、70)
 つまり、一見同じ単語でも、sehr gut(優)、gut(良)、genügend(可)、ungenügend(不可)の4段階では良、sehr gut(秀)、gut(優)、genügend(良)、mangelhaft(可)、ungenügend(不可)の5段階では優を表している。つまり、4段階と5段階で意味内容が異なることは明らかである。また、言語記号と意味内容は、音と意味の総体という捉え方で、Wort(語)= Laut(音声形式)x Inhalt(意味内容)という構造式が基本であり、gutの場合も然りである。

花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より

ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する2

2 ヴァイスゲルバーの母国語教育の立場
 
2.1 言語分析のための4つのアプローチ

 ヴァイスゲルバーは、言語の分析、特に母国語を考察する際に、音、意味、文法及びことばの運用の問題を取り上げ、例えば、文法に関して考察するとき、単体としてではなく、他の3つの要素も関連づけて考えることを目指した。(Weisgerber 1963、33)つまり、ドイツ民族が母国語を習得する際、音、意味、文法を関連づけて学習しながら、外界の存在と人間の意識の間に位置する母国語の世界像を使用していると考えた。
 私も母国語教育を考えるとき、日本語の音や意味、そして文法の面だけではなく、生活や文化なども含めた日本語の運用について考えることが多い。これにより言語共同体が考察の対象となって世界を言語化するプロセスとしての母国語が特徴づけられる。
 母国語全体の分析対象をまず二つに分ける。一つは、すでにできている静的なもの(エルゴン)、また一つは人の心に働きかけ自らを変革していく動的なもの(エネルゲイア)である。前者には、例えば、音と意味が属し、後者には文法やことばの運用が入る。言語学史の流れで見ると、1960年代はまだ脳科学からの考察が少なかったため、精神や言語による中間世界という概念を用いて母国語の世界像を説明していた。

花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より

ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する1

1 はじめに

 中国の大学で中国人に日本語を教えてかれこれ十年になる。これを機に母国語による個人や民族の教育を目指したドイツのレオ・ヴァイスゲルバー(1899−1985)の論文を再考してみたい。ヴァイスゲルバーについては、立教大学文学部ドイツ文学科の卒業論文(1985)で取り上げた研究テーマである。
 当時は、ドイツ語の意味論に関心があった。トリーアが中世の形容詞と名詞を語彙レベルで研究したのに対し、ヴァイスゲルバーは、現代のドイツ語を単語から構文まで研究の対象にした。そこでこの小論では、日本語教育の現場で約10年中国語話者向けの教授法に従事した私の経験知とヴァイスゲルバーの母国語教育を照合し、卒業論文から始まる私の研究実績の区切りを作りたい。主要な考察対象は、言語の運用とし、中国で実践している日本語教育とヴァイスゲルバーが目指した母国語へのアプローチを関連づけて論じていく。

花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より
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花村嘉英
花村嘉英(はなむら よしひさ) 1961年生まれ、立教大学大学院文学研究科博士後期課程(ドイツ語学専攻)在学中に渡独。 1989年からドイツ・チュービンゲン大学に留学し、同大大学院新文献学部博士課程でドイツ語学・言語学(意味論)を専攻。帰国後、技術文(ドイツ語、英語)の機械翻訳に従事する。 2009年より中国の大学で日本語を教える傍ら、比較言語学(ドイツ語、英語、中国語、日本語)、文体論、シナジー論、翻訳学の研究を進める。テーマは、データベースを作成するテキスト共生に基づいたマクロの文学分析である。 著書に「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」(新風舎:出版証明書付)、「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む」(華東理工大学出版社)、「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで(日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用)」南京東南大学出版社、「从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默-ナディン・ゴーディマと意欲」華東理工大学出版社、「計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る」(V2ソリューション)、「小説をシナジーで読む 魯迅から莫言へーシナジーのメタファーのために」(V2ソリューション)がある。 論文には「論理文法の基礎−主要部駆動句構造文法のドイツ語への適用」、「人文科学から見た技術文の翻訳技法」、「サピアの『言語』と魯迅の『阿Q正伝』−魯迅とカオス」などがある。 学術関連表彰 栄誉証書 文献学 南京農業大学(2017年)、大連外国語大学(2017年)
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