2024年09月14日
『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ12
それぞれの文の訳を考えていこう。
1. 我曾听到这样一件事: 曾は「かつて」、听到は「聞いたことがある」、这样は「このような」になる。訳は、「かつて、このような話を聞いたことがあります」。
2. 葬礼那天,失去丈夫的妻子穿着K色的丧服, 脸上带着微笑接待着前来吊唁的客人: 葬礼那天は「葬式の日」、失去丈夫的妻子は「旦那さんを亡くした奥さん」、穿着は「着ている」、K色的丧服は「黒い喪服」、脸上は「顔には」、带着微笑は「微笑みを浮かべて」、前来吊唁的客人は「弔問に訪れる客を前に」になる。訳は、「葬式の日に、旦那さんを亡くした奥さんが、黒い喪服を着て、顔には微笑みを浮かべながら、弔問に訪れる客を前に接待していました」。
3. 一位外国人见到这样的情景,不禁觉得奇怪: 难道日本人不觉得悲伤吗?: 情景は「光景」、不禁は「思わず」、觉得奇怪は「不思議に思う」、难道は「まさか・・・ではあるまい」、不觉得悲伤は「悲しいと思わないわけではあるまい」になる。訳は、「ひとりの外国人がこの光景を見ていて、思わず奇妙に思いました: まさか日本人は、悲しいと思わないわけではあるまい」。
4. 这是有关日本人“迷一样的微笑” 的例子之一: 有关は「〜に関する」、迷一样的微笑は「謎の微笑み」になる。訳は、「これは、日本人の『謎の微笑み』に関する例の一つです」。
5. 一般来说,日本人都会按捺着悲伤与愤怒,即使心灰意懒也要面带微笑: 一般来说は「一般的に言って」、按捺は「堪える」、悲伤与愤怒は「悲しみと怒り」、即使は「たとえ・・・でも」、心灰意懒は「意気消沈」、要面带微笑は「微笑みを保つ必要がある」になる。訳は、「一般的に言って、日本人は皆、悲しみや怒りを堪えことができます。たとえ意気消沈しているとしても、微笑みを保つ必要があります」。
6. 不管怎么说,外国人认为要了解没有表情的日本人的内心世界实在是很难: 不管怎么说は「いずれにせよ」、认为は「と思う」、实在は「実際に」になる。訳は、「いずれにせよ、外国人は、表情がない日本人の心の世界を理解するのが実際に難しいと思っています」。
7. 这是因为日本人通常是通过眼睛和动作来表现用语言无法表达的内心世界的: 因为は「・・・だから」、通过眼睛和动作は「目や動作によって」、用语言无法表达は「言葉では表現の仕様がない」になる。訳は、「これは、日本人が通常目や動作によって言葉では表現の仕様がない心の世界を表すからです」。
8. 常言道眉目传情,如果注意这位妇女的眼睛,你一定会发现里面充满了悲伤之情: 眉目传情は「目の表情で感情を伝える、つまり、目は口ほどに物を言う」、如果は「もし・・・ならば」、这位妇女的眼睛は「この婦人の目」、一定は「必ず」、发现は「気づく」、悲伤之情は「悲しい気持で一杯」になる。訳は、よく「目は口ほどに物を言う」と言いますが、もしこの婦人の目に注意すれば、必ず内面は悲しい気持ちで一杯なことに気づくことでしょう」。
花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より
1. 我曾听到这样一件事: 曾は「かつて」、听到は「聞いたことがある」、这样は「このような」になる。訳は、「かつて、このような話を聞いたことがあります」。
2. 葬礼那天,失去丈夫的妻子穿着K色的丧服, 脸上带着微笑接待着前来吊唁的客人: 葬礼那天は「葬式の日」、失去丈夫的妻子は「旦那さんを亡くした奥さん」、穿着は「着ている」、K色的丧服は「黒い喪服」、脸上は「顔には」、带着微笑は「微笑みを浮かべて」、前来吊唁的客人は「弔問に訪れる客を前に」になる。訳は、「葬式の日に、旦那さんを亡くした奥さんが、黒い喪服を着て、顔には微笑みを浮かべながら、弔問に訪れる客を前に接待していました」。
3. 一位外国人见到这样的情景,不禁觉得奇怪: 难道日本人不觉得悲伤吗?: 情景は「光景」、不禁は「思わず」、觉得奇怪は「不思議に思う」、难道は「まさか・・・ではあるまい」、不觉得悲伤は「悲しいと思わないわけではあるまい」になる。訳は、「ひとりの外国人がこの光景を見ていて、思わず奇妙に思いました: まさか日本人は、悲しいと思わないわけではあるまい」。
4. 这是有关日本人“迷一样的微笑” 的例子之一: 有关は「〜に関する」、迷一样的微笑は「謎の微笑み」になる。訳は、「これは、日本人の『謎の微笑み』に関する例の一つです」。
5. 一般来说,日本人都会按捺着悲伤与愤怒,即使心灰意懒也要面带微笑: 一般来说は「一般的に言って」、按捺は「堪える」、悲伤与愤怒は「悲しみと怒り」、即使は「たとえ・・・でも」、心灰意懒は「意気消沈」、要面带微笑は「微笑みを保つ必要がある」になる。訳は、「一般的に言って、日本人は皆、悲しみや怒りを堪えことができます。たとえ意気消沈しているとしても、微笑みを保つ必要があります」。
6. 不管怎么说,外国人认为要了解没有表情的日本人的内心世界实在是很难: 不管怎么说は「いずれにせよ」、认为は「と思う」、实在は「実際に」になる。訳は、「いずれにせよ、外国人は、表情がない日本人の心の世界を理解するのが実際に難しいと思っています」。
7. 这是因为日本人通常是通过眼睛和动作来表现用语言无法表达的内心世界的: 因为は「・・・だから」、通过眼睛和动作は「目や動作によって」、用语言无法表达は「言葉では表現の仕様がない」になる。訳は、「これは、日本人が通常目や動作によって言葉では表現の仕様がない心の世界を表すからです」。
8. 常言道眉目传情,如果注意这位妇女的眼睛,你一定会发现里面充满了悲伤之情: 眉目传情は「目の表情で感情を伝える、つまり、目は口ほどに物を言う」、如果は「もし・・・ならば」、这位妇女的眼睛は「この婦人の目」、一定は「必ず」、发现は「気づく」、悲伤之情は「悲しい気持で一杯」になる。訳は、よく「目は口ほどに物を言う」と言いますが、もしこの婦人の目に注意すれば、必ず内面は悲しい気持ちで一杯なことに気づくことでしょう」。
花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より
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