2024年09月14日
日本語教育のためのプログラム まえがき1
まえがき
2009年に中国の武漢で始まった日本語教育の仕事も、かれこれ8年が経過した。その間に、武漢を中心にして、東は上海、寧波、西は重慶、南は厦门、北は北京、天津、延辺と中国各地を転々とし、中国日語教学研究会という学会を含めると、10都市余りを訪れた。その間に作成した論文の中から6本を厳選して、この本に収録している。著作の構成は、基礎編と応用編に分かれている。
基礎編は、各地で教えた教案をもとに日本語の教授法のレポートをまとめたもので、それぞれ学会や研究会で発表したものである。時計回りに、日本語の会話、読み書き、訳すという流れになっている。また、応用編は、元々ドイツ語が専攻であるため興味があった森鴎外の歴史小説を使用して、データベースを作成する文学分析について考察している。
そこで、論文の配列は、縦に人文科学の教授法を想定して、横に平易な計算文学の試論を置き、全体としてLのイメージになっている。どこから読み始めてもよいが、一応筆者の工夫が配列に見られることをお伝えしておく。また、重ねて読む機会があれば、長い論文から始めるのもよいだろう。
2012年の夏に転換期がおとずれた。名古屋大学で開催された国際日本語研究大会に参加したとき、多くの参加者がいるにも関わらず、依然として文系と理系の共生は進んでいないと感じ、共生について初めて試みるとしたら、何をどのくらい試せばよいのか説明しようと思った。
そこで、Tの逆さの認知科学を崩して、言語と情報の認知を縦横別々に置いたL字の分析について説明していく。Lの分析により見えてくるものは、作家の脳の活動(執筆脳)を探るシナジー・共生のメタファーである。これまでに、「トーマス・マンとファジィ」、「魯迅とカオス」そして今回の「森鴎外と感情」という3つのシナジーのメタファーを提案している。データベースを作る文学分析もようやく軌道に乗ってきた。
データベースを作成する文学分析は、マクロのステージである。マクロとは、地球規模とフォーマットのシフトを評価の項目とする。こうすると、どの系列が専門であれ、こぼれる人はいないし、Lの向きは違えど、非専門の副専攻についても、手つかずのブラックボックスを消していくイメージが作れることだろう。そのためには、シナジー・共生の組み合わせを2つ3つ調節するとよい。
シナジー論とは、文理の組み合わせを増やしていくことである。例えば、私の場合、機械翻訳、文学とデータベース、心理とメディカル、文化と栄養などがそれに当たる。3つの組み合わせが調節できれば、手つかずの系列が消えてブラックボックスがなくなり、横のスライドもスムーズになる。マクロにバランスを整える際、2x2のルールでよいが、3つ目の調整がシナジーのメタファーの山になる。
読者の皆さんにも、文学のマクロの分析を目指して本著と向き合ってもらいたい。人の目では見えないデータベースの作成を伴う文学分析の面白さが次第に分かってくると思う。
花村嘉英(2017)「日本語教育のためのプログラム」より
2009年に中国の武漢で始まった日本語教育の仕事も、かれこれ8年が経過した。その間に、武漢を中心にして、東は上海、寧波、西は重慶、南は厦门、北は北京、天津、延辺と中国各地を転々とし、中国日語教学研究会という学会を含めると、10都市余りを訪れた。その間に作成した論文の中から6本を厳選して、この本に収録している。著作の構成は、基礎編と応用編に分かれている。
基礎編は、各地で教えた教案をもとに日本語の教授法のレポートをまとめたもので、それぞれ学会や研究会で発表したものである。時計回りに、日本語の会話、読み書き、訳すという流れになっている。また、応用編は、元々ドイツ語が専攻であるため興味があった森鴎外の歴史小説を使用して、データベースを作成する文学分析について考察している。
そこで、論文の配列は、縦に人文科学の教授法を想定して、横に平易な計算文学の試論を置き、全体としてLのイメージになっている。どこから読み始めてもよいが、一応筆者の工夫が配列に見られることをお伝えしておく。また、重ねて読む機会があれば、長い論文から始めるのもよいだろう。
2012年の夏に転換期がおとずれた。名古屋大学で開催された国際日本語研究大会に参加したとき、多くの参加者がいるにも関わらず、依然として文系と理系の共生は進んでいないと感じ、共生について初めて試みるとしたら、何をどのくらい試せばよいのか説明しようと思った。
そこで、Tの逆さの認知科学を崩して、言語と情報の認知を縦横別々に置いたL字の分析について説明していく。Lの分析により見えてくるものは、作家の脳の活動(執筆脳)を探るシナジー・共生のメタファーである。これまでに、「トーマス・マンとファジィ」、「魯迅とカオス」そして今回の「森鴎外と感情」という3つのシナジーのメタファーを提案している。データベースを作る文学分析もようやく軌道に乗ってきた。
データベースを作成する文学分析は、マクロのステージである。マクロとは、地球規模とフォーマットのシフトを評価の項目とする。こうすると、どの系列が専門であれ、こぼれる人はいないし、Lの向きは違えど、非専門の副専攻についても、手つかずのブラックボックスを消していくイメージが作れることだろう。そのためには、シナジー・共生の組み合わせを2つ3つ調節するとよい。
シナジー論とは、文理の組み合わせを増やしていくことである。例えば、私の場合、機械翻訳、文学とデータベース、心理とメディカル、文化と栄養などがそれに当たる。3つの組み合わせが調節できれば、手つかずの系列が消えてブラックボックスがなくなり、横のスライドもスムーズになる。マクロにバランスを整える際、2x2のルールでよいが、3つ目の調整がシナジーのメタファーの山になる。
読者の皆さんにも、文学のマクロの分析を目指して本著と向き合ってもらいたい。人の目では見えないデータベースの作成を伴う文学分析の面白さが次第に分かってくると思う。
花村嘉英(2017)「日本語教育のためのプログラム」より
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