2024年09月15日
リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて6
5 中島敦の「山月記」の執筆脳
中島敦(1909−1942)は、1942年持病の喘息を抱えながら「山月記」を書き、同年喘息が悪化したため、12月4日に33歳で死去した。人の人生を考えた内容は、一連の精神活動の中で思考とつながる。そこで今回は、「中島敦と思考」という組み合わせでシナジーのメタファーについて考察する。思考は、無意識の欲望や願望のために誤解が生まれることもあり、判断が甘いとか思慮不足となることもある。
1 博学才穎の李徴の物語。若くして名を虎榜に連ね江南尉になるも、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとした。官を退いた後は、人と交わりを絶って詩作に耽った。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は焦躁に駆られ、その容貌も峭刻となり、曾て進士に登第した頃の美少年の俤は、どこにもなくなる。
2 数年の後、一地方官吏の職を奉ずることになった。曾ての同輩は既に遥か高位に進み、その連中の下命を拝さねばならぬことが、李徴の自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くない。彼は怏々として楽しまず、狂悖の性は愈々抑え難くなった。
そこで「山月記」の購読脳を「自尊心と自己愛性パーソナリティ障害」にする。自尊心については、李徴自身も認めている。日本成人病予防協会(2014)によると、人から称賛されたいと強く思い、根拠もないのに自分は称賛に値する優れた人間だと信じている。特権意識の強い、己惚れた人間である。
花村嘉英(2005)「リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて」より
中島敦(1909−1942)は、1942年持病の喘息を抱えながら「山月記」を書き、同年喘息が悪化したため、12月4日に33歳で死去した。人の人生を考えた内容は、一連の精神活動の中で思考とつながる。そこで今回は、「中島敦と思考」という組み合わせでシナジーのメタファーについて考察する。思考は、無意識の欲望や願望のために誤解が生まれることもあり、判断が甘いとか思慮不足となることもある。
1 博学才穎の李徴の物語。若くして名を虎榜に連ね江南尉になるも、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとした。官を退いた後は、人と交わりを絶って詩作に耽った。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は焦躁に駆られ、その容貌も峭刻となり、曾て進士に登第した頃の美少年の俤は、どこにもなくなる。
2 数年の後、一地方官吏の職を奉ずることになった。曾ての同輩は既に遥か高位に進み、その連中の下命を拝さねばならぬことが、李徴の自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くない。彼は怏々として楽しまず、狂悖の性は愈々抑え難くなった。
そこで「山月記」の購読脳を「自尊心と自己愛性パーソナリティ障害」にする。自尊心については、李徴自身も認めている。日本成人病予防協会(2014)によると、人から称賛されたいと強く思い、根拠もないのに自分は称賛に値する優れた人間だと信じている。特権意識の強い、己惚れた人間である。
花村嘉英(2005)「リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて」より
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