2018年12月15日
年の瀬
今年もあと2週間余りになしました。
40代で感じた時間の速さからすると私の場合、50代は思ったより速くありません。
でもやはり一年はあっという間です。
若い頃には年の瀬を迎える前に、一大イベントがありました。
クリスマスです。
今となってはもう、どうでも良いことになってしまいました。
が、昔は12月になると、彼女にどんなプレゼントに贈ろうかとか、クリスマスソングを集め、オリジナルカセットテープを用意して、シャンペンを買い、部屋を装飾しては彼女を呼んで二人だけのクリスマスパーティをしました。
懐かしいお話です。
日本は仏教の国なのにです。我が家は神道。
日本人はクリスマスになると敬虔(けいけん)なクリスチャンになるんですね。(笑)
クリスマスの歌といえば、私の世代だと、
山下達郎さんの“クリスマスイブ”、ワム!の“ラストクリスマス”、ジョンレノンの“ハッピークリスマス”、
松任谷由実さんの “恋人がサンタクロース”、ポールマッカートニーさんの“ワンダフル・クリスマスタイム”、杉山清貴さんの“最後のHoly Night”などなど。
国民の祝日である元旦を祝う歌なんてありましたか?
イエスキリストを崇めるなんて、この一年に何度あったのでしょうか。
ハロウィンだって近年ものすごく賑わってきました。
日本人は西洋のイベントに惹かれるんですね。
今年の流行語大賞は「そだねー」。
北海道がいただいちゃいました。
だけどもう、ずいぶん昔のように感じます。
また、今年もたくさんの人たちがお亡くなりになりました。
樹木希林さん、さくらももこさん、菅井きんさん、津川雅彦さん、常田富士男さん、桂歌丸さん、西城秀樹さん、朝丘雪路さん、高畑勲さん、スティーブン・ホーキング博士、左とん平さん、大杉漣さん、有賀さつきさん、星野仙一さん。
他にもありました。
西日本大豪雨、巨大台風、北海道胆振東部地震。
ただこの異常気象などの自然災害は、まだ序章に過ぎないと恐ろしさを感じています。
2018年12月14日
ユーチューバーに出逢いました。
新しいセンターで研修が始まり、今日で1週間。
研修期間は土・日、休みの場合が多く、私も明日と明後日が休みです。
一週間、頑張った!
いえ、実際に私は前の派遣先から続いていたので今日が7日目の勤務でした。
“自分へご褒美”
この言葉は嫌いなんですが、なんか、真っすぐ家に帰るのはもったいない気がしました。
研修で同期の若者がいます。(当たり前か)
研修中問わず、ほとんどのコールセンターは毎日席が変わります。
その日、私の左隣に座った若者。
今の若者にしては珍しく、あちらから声をかけてきました。
最近の若者はシャイなのか、なかなか年下から話しかけてくることは少なくなったと思います。
昔のドラマでは言っています。
「挨拶は年下からするものだ!」
と。
確かに昔はそうでした。
後輩から先輩に挨拶するのが当たり前でした。
シャイなのは私たち歳を取ってきた者だって同じです。
「いい歳ぶっ下げて、素直に明るく振舞えるものかい?」
そんな余計な考えがそうさせています。
“一生懸命”を否定はしません。
だけど段々と、汗水流して働くのが“美徳”とは思えなくなります。
同時に会社の規則通り、他人の決めたことに素直に従うのがイヤになってきます。
その昔のドラマ、このブログでも幾度か紹介してきました。
“鶴田浩二”主演、“山田太一”さん脚本の「男たちの旅路」です。
“鶴田浩二”演じるガードマン派遣会社の“吉岡司令補”は“若者”が嫌いです。
私もそうです。
でも
きっとそれは心ない一部の若者を見て、
例えば先日逮捕された、ハロウィンの夜に渋谷で軽トラックを横倒しにした若者たちを見ては、すべての若者に対して悪いイメージを自分自身に植え付けてしまう私の悪いクセなのです。
スピリチュアル・カウンセラーの“江原啓之”さんは前に言っていました。
「『今の子供は・・』と云うけれど、子供が変わったのではなく、周囲の社会が変わったのだ。」
と。
確かにそうです。
話してみると時代の違いはあるから、それぞれ生き方、収入を得る方法は変わってきていても、謙虚な者は謙虚だし、話してみると実に良いヤツが多いんです。
ただ、大勢はシャイなので、自分たちから年上に近づいてくるきっかけを作るのが苦手なようです。
そのため、簡単に構築できるはずの人間関係を作りづらくなっているのかと思います。
さて、その若者に声をかけ、仕事帰りに一軒、飲んで帰ろうということに。
昼休みに行きつけの店、4軒電話で予約を試みましたが、どこも満席。今日は金曜日。
もしかしたら今年、忘年会のピークだったのかも知れません。
そこで昔、よく使った立ち飲み屋へ寄ってみて、満員だったらあきらめようということにしました。
終業後、寄ってみると幸い、立ち飲み屋は空いていました。
その若者が歌を作っているのは聞いていました。
それが生活費に充てられるくらい、十分な収入になるのだとか。
立ち飲み屋で彼は自分の作った歌を聞かせてくれます。
いま作曲する人たちの使う媒体はYouTubeなのだそうですね。
なるほど、それなら物理的な投資は必要ないし、タイムリーに広く発表できます。
昔は歌手を目指す人たちが自費で17センチシングルのレコードを作っていたこと、思い出しました。
コールセンターには音楽を志す者がとても多くいるものです。
ただ、たいてい趣味に留まる場合が多い。
でもその若者は違うのです。
聞くと確かに“お金”になるべきクォリティがあります。
YouTubeで見せてくれた、アクセス数は多いものだと「300万」でした。
またビックリしたのは、彼の親よりかなり年上の私が、聞いて“懐かしい”と感じたことです。
「昭和の味付けだね。」
私はそう言いました。
でもこれは彼への“絶賛”です。
コールセンターには作曲をする人も多くいます。
しかし大抵は“前衛的”なものが多く、一応「良かった!」と賛辞を贈りますが、言葉だけ。
しかし今日、彼のは、きちんと聞いてみたい曲でした。
“昭和の味付け”というのは、
初めに聞いた歌が“高石ともや”さんを思い出させる歌でした。
若者は当然、“高石ともや”さんを知りませんし、まして“受験生ブルース”も知りません。
今こうしてブログを書いていて「たかいしと」まで打ち込むと、予測変換で「高石ともや」と候補が出てくるほど有名人なはず(?)なのにです。
このように時代は移ろいでいる。
でも、昭和の味付けを作る若者は、凄いと思いました。
お願いしてあります。
「歌をコピーして」
と。
年末には帰省します。
そのとき、車の中で聴きながら、リラックスして帰りたいと思いました。
2018年12月13日
38分遅れ
実は先日の研修初日、遅刻しました。
まず、バスが40分、正確には38分も遅れたのです。
5km弱の道のりを普段なら20分強で、いつも降りる停留所に着きます。
冬は雪道でノロノロ運転になることを考慮に入れ、夏場より1本早いバスに乗ります。
しかしあの日の遅れは異常でした。
ちょうど時間帯が悪かったのかも知れません。
バス停に着いたのは8時前で、道は通勤の車で渋滞です。
片道2車線の国道を走って行きます。
その国道、7:30から9:00まで左車線はバス専用レーンなのです。
なのに一般車たちは左側のバス専用レーンに集中し、むしろ右車線の方が空いている状態。
あの渋滞では取り締まることなんて無理でしょう。できたとしても、
せいぜいパトカーがスピーカーで注意していくくらいでしょう。
まるで「赤信号、みんなで渡ればコワくない」状態だと思って見ていました。
また通勤ラッシュの時間帯だから、バスの車内も混んでいます。
降りるバス停に着いたのが8:58だったから、一緒に乗っていた大勢の人たちも遅刻したでしょう。
中には走って会社へ向かう人が何人もいました。
私はそういうとき、どうせ遅刻なんだから10分遅れも15分遅れもそう変わらない。と走りません。
JRや地下鉄は遅延証明書があります。
この証明書を提出すれば、遅刻も容認されるという便利なものです。
確かコピーした小さなチケット状の紙だったと思うのですが、バスでは聞いたことがありません。
あの日も降りる人たちを見ていたら誰一人、そんな用紙を受け取っているようには見えませんでした。
証明書といっても小さな紙なので、受け取るにも時間はかからないはずなのに。
では、やはりバスにはないのでしょうか。
それと、遅刻した原因はもう一つあります。
新しいセンターへ初出勤というのに、前日まで派遣会社から何の連絡もありませんでした。
通常、新しい派遣先へ行くときには派遣会社の者が派遣先まで同行してくれます。
そして前日までには必ず、初出勤の日はどこへ何時何分までに集合と連絡がくるのです。
前日まで他のセンターで仕事だった私は、終業までにはメールが来ているだろうとスマホを見ました。
しかし何もない。
派遣先に電話しましたが、
「ただいまから転送します」とメッセージが流れ、しばらくたってから留守電に。
「ピーという音のあとに、メッセージをお話しください」
ところが肝心の「ピー」の音がありませんでした。
だから私は初日、どこに何時まで集合か知らされていなかったのです。
幸い、派遣先のビルは聞いていたので、そこへ行けば間違いないことはわかっていました。
研修は9:00からだったので、普通なら15分くらい前までに集合です。
私は8:45まで派遣先のビルに着こうとバスに乗りました。
そのバスは本来、7:57発です。
20数分かかったとして8:20頃にバス停を降り、10分もかからない距離だから十分間に合うつもりでした。
バスが来たのは10分くらいの遅れでしたが、それでも遅刻はしないはずでした。
バスに乗って間もなく、派遣会社から電話が来ます。
でも通話できませんから、ただいま出られませんとメッセージを返します。
続いてショートメールが届きました。
なんと、8:30に目的のビルに集合だと。
それじゃ間に合いません。
当然、返信して文句を言います。
前日まで連絡もないのは酷いと。
私は気が治まらないので「誰が連絡をくれるはずだったのか」と問います。
派遣会社は言いたくないのでしょう。私も聞いたところでケンカするしかありません。
ただ、バスを降りて電話すると、私に連絡をくれるはずだった担当者、確認すると
「言ってある。」
そう言ったそうで。
いや、間違いなく聞いていません。
もし聞いているとすれば、前日に終わった派遣先に行く前のこと。
次の次にいく派遣先の集合時間と場所を、これから行く派遣先が始まる前に言ったというのか。
先日終った派遣先をA社とし、先日始まった次の派遣先をB社だとすると、
A社が始まる前に、B社初日の集合場所と時間を連絡していたことになります。
いやいや、
問い詰められたかどうかわかりませんが、うっかり連絡しなかったのを、したとウソついたのでしょう。
そもそも、その派遣会社、いま3社目の派遣先ですが、2社目しかまともに引率されませんでしたから。
1社目はメールで来た集合場所と電話で聞いた集合場所が違いました。
私はメールを信じて待っていると、電話の場所で待っていたと言います。
そして今回はまったく、なしのつぶて。
その派遣会社、金額的な待遇、また私どもスタッフ都合で次々派遣先を変えてくれるのは良いところです。
しかし、どうも殿様商売です。
普段、私に携わってくれている人は良い人です。
しかし今夜、前の派遣会社で使用していたIDカードの返却について電話すると、
スタッフが派遣会社へ足を運んで返却するのが当然という態度です。
若い男だったのですが、まったくわかっていませんね。
私たちスタッフが“生産活動”しているってことを。
きっとそいつは派遣会社が仕事を紹介してあげているという考えなのでしょう。
私の担当は良い人だけど、もしその男が担当だったら、私はその派遣会社は使いません。
その積み重ねが派遣会社を弱くしていくというのを、まだわかっていないのでしょう。
スタッフ都合で派遣先を変えてくれるのは、派遣会社が大勢のスタッフを派遣先それぞれに送っているから、派遣先に影響力を持つことになり、強いことも言えるからです。
しかし、影響力を持てるのはスタッフのお陰じゃないのか?
殿様商売というのは、派遣先に強く出て、スタッフにも強く出る社員がいるからです。
いったい誰が生産活動して、誰にお金をもらっているのか、よく理解してから仕事して欲しいと、その若い男に思います。
機会があれば教えてやりますよ。
札幌後援会
2年前、当時センターにいた同僚から道議会議員を紹介され以来、後援会に入っています。
まだ40歳の議員。
後援会といっても、選挙区ではないのです。
ただ、議員というのは政治下でいろいろな状況に置かれます。
あるときは衆議院議員で立候補し、またあるときは道議会議員と。
政権の動きや、政党のからみ、また候補の家族関係までその時々の要因があります。
今日、その道議の政治活動報告会、兼、忘年会があり出席してきました。
選挙区ではないので、講演会もまだ小さな集まりです。
今日の出席者はゲストを除き、8名のみ。
候補が若いので、後援会員も若いんです。
私なんか二番目の高齢者です・・・。
会合の中で、道議に札幌市長選へ出馬すればいいという意見がありました。
が、道議は言います。
「市長をするなら衆議院議員の方が良い」と。
人それぞれ夢は違うでしょう。
でも、市長よりは衆議院議員???
そういうものかと思って聞いていました。
私が同僚から初めてその道議のことを聞いたのは、4年くらい前だったと思います。
当時、道議は私の住む選挙区ではないところの候補者だったので、私は人ごとのように聞いていました。
ところが2年がたち、これは運命なのか、
道議は選挙区や政党のからみから何と、私が30年暮らした田舎の地方から選出されたというのです。
なら私も30年住んだ人脈を活かして応援できるかもしれない。
そんなことからお付き合いが始まっています。
道議はとても誠実で謙虚、が、ときおり下ネタが入り、またウケを狙ってすべることもある。
そんな人柄に惹かれて応援しています。
2018年12月11日
田原坂
田原坂(たばるざか)は、熊本市にある地名で西郷隆盛が討ち死にした西南戦争の古戦場です。
1987年(昭和62年)、12月30日と31日の二晩に分けて放映された特別枠ドラマのタイトルでもあります。
私は以前につい、DVDを買ったのですが前編・後編合わせると5時間半にも及ぶドラマなので、私はまだきちんと見たことがありません。
なぜつい買ったかというと、ドラマの最後だけ見て本編に興味を持ったからです。
当時まだ私は親と同居していました。
トイレに行くには廊下を通るか、親の部屋を通るか。たまたま親の部屋を通ったんです。
その時、テレビでこのドラマのラストシーンを目にしました。
とても興味を引かれて少し見入ってしまいました。
上野の西郷隆盛像は1898年(明治31年)に建立されました。西南戦争は1877年(明治10年)です。
ラストシーンというのは、西郷の妻である糸(イト)が、西郷像の除幕式に招かれ、幕が降ろされた際、西郷像を見て、言ってはならぬ言葉を発します。それは
「(西郷は)こげん人じゃなかよ。」
実弟の西郷従道は糸を制止します。しかし
「宿んし(うちの人)はこげん人じゃなかよ。」「じゃどん、こげん人じゃなかもん。」
ラストのそこだけ見た私は以来、ず〜っと「あのシーンは何だったんだろう?」と気にかかったままでした。
糸は“秋吉久美子”さんが演じていました。
彼女の個性がまた役を引き立てています。
この糸の発言は事実らしく、よく見る西郷隆盛の肖像画は作り物であるのは有名な話ですね。
比較的西郷に顔が似ていたとされる実弟の西郷従道の顔、上半分。下半分は従弟である大山巌の顔を合成したとされています。
実際、西郷隆盛は大の写真嫌いで、西郷は明治天皇に自分の写真は無いと明言しているそうです。
西郷像のモデルとされたのは先の肖像画であることから、糸はじめ、板垣退助も西郷像には不満であったようです。
さて、ドラマはあまり歴史を忠実に再現しているわけではないようです。
西郷隆盛の人生は実に波瀾やエピソードに満ちており、彼の半生を5時間半のドラマに詰め込むのは相当、無理があるようです。
そのため、江戸城総攻撃の中止を求める勝海舟との対談シーンは、わずか2分30秒ほど。
ときに両者笑いながらの対談です。
しかし実際には2日間、お互いに大勢の仲間や親戚たちを殺された討幕軍と幕府、代表同士の対談。
そこには緊迫する駆け引きがあったそうです。
実際に、対談を終えた勝海舟が江戸城に戻り、
「明日の攻撃は中止になりましたぞ!」
と大声で叫ぶと、江戸城にこもっていた武士たちから
「お〜」
という嘆声が漏れ、あとはしばらく無言。
近付くと誰も死を期した顔をしている。
もし談判決裂して明日戦となれば旗本たちが自刃することは明らかであった。
勝海舟はそのように書き残しています。
この江戸無血開城、最大の功労者である西郷は、新たな明治政府の要職には就かず故郷に帰り隠居の身。
しかし明治政府では維新の功績を巡る派閥抗争が起こり、亀裂が生じていました。
さらに明治政府には残った難問がありました。それは“廃藩置県”。
かつての武士社会、その身分制度をなくし四民平等を実現する大改革。
武士階級の猛反発は必至。誰がその汚れ役を買って出るのか。
担ぎ出されたのは隠居していた西郷隆盛でした。
他にも“徴兵令”、“断髪廃刀令”。
その後も私利私欲、名誉欲に走る官僚や政治家からは、金に動かず、名誉欲もない西郷は理解しがたく、煙たい存在になっていきます。
そこに明治政府の策略で征韓論者という汚名を着せられ、またも故郷に戻る西郷。
功労金を元手に私学校を創立し、武士の身分を奪われ荒んでいく故郷の若者を救いながら寝食を共にします。
そんな素朴な姿を、明治政府の要人たちは理解できず、ただ恐れることに・・
そして若者たちを焚きつけ、反乱させ西南戦争へ。
長くなるので、西郷のことは機会があればまた投稿します。
このドラマには今やテレビに多数出ている“坂上忍”さんが出演しています。
当時彼は20歳です。
また、アウトレイジでおなじみの“塩見三省”さんも出演しています。
他にも私と同世代か、それ以上の人たちにはたまらないキャストが出演しています。
→ Wikipedia「田原坂」
2018年12月10日
今年最後のコールセンター異動
今日からまた、別のセンターで研修が始まりました。
また、今月でコールセンターに勤めるようになって、とうとう10年が経ちます。
続けたくて続けてきたわけではありません。
この歳でまったく新しい職業に就くのは難しく、何となく10年経ったというのが実際ですね。
でもさすがに慣れたかなと思います。
きっとコールセンターが初めての、特に若者は話すとき、言葉も気を付けなければならないでしょう。
その点、10年やってきたせいか、言葉は勝手に出てくるので、何を話すかだけ考えれば良いのです。
ただ、私でも言葉に気を付けなければならないセンターが、ポチポチ出てきています。
それは謝意はすべて「申し訳ございません」でなければならないとか、「失礼します」と言ってはダメというセンターが出てきているのです。
2018/10/21「謝罪言葉のレベル」で書いています。
> 謝罪の言葉には、いくつもバリエーションを持つべきです。
> バリエーションは多い方が良い。
と。
そして時と場合によって使い分けるべきだということを。
それをすべて「申し訳ございません」にしろと決めたのは、どこのどいつだ〜い?
「失礼します」がダメだというのは、「失礼だとわかっているなら、言うな」ということでしょうか?
例えば上司より先に帰宅する場合、
「お先に失礼します。」
というのは丁寧で、全然失礼ではないと思うのですが。
なんか、ダメな理由が“お門違い”としか思えないんです。
その点、今日からのセンターは、話し口調は努めてフランクに!という姿勢だと聞きます。
まるで友達のように振る舞って良い運用なのだそうです。
ちょっと楽しみではあります。
数えてみると、今日からのところは今年だけで8社目のセンターです。
10年前、初めてのセンターには2年半いました。次は4年。次は1年、次も1年。
その次は7か月、続いて5か月と、だんだん短くなってきました。
飽きるんです。
コールセンターは受信と発信があり、また受信にもユーザーサポートあれば事故の受付もあれば、資料請求、受注もあったりで、また発信も勧誘あれば、アンケートあれば、催促もある。
これだけたくさんあるなら、それぞれ慣れるまでに時間がかかりそうなんですけど、コールセンター自体に慣れてくると、次第に
「受信なんてこんなもん」
「発信なんてこんなもん」
と、どれもだいたい似たように感じてくるものです。
そしてどのセンターにも悪い面というのは必ずあります。
今度はそれが気になって、別のセンターに行きたくなってくるのです。
また手堅く次のセンターが決まってから今のセンターを辞めるのが普通です(派遣先には悪いですが)。
ところが人生なんて、そんなに単純ではありませんよね?
とんでもないアクシデントがあって、次が決まっていたのに、こっちの都合で行けなくなってしまった。
そんなことが起こってしまうもんです。
すると改めて探しても、そう良いところはいつでもあるわけではなく、結果8社目というのが今年の成果。
まだ研修初日なので、ブースの空気はわかりません。
ただ、フランクだと聞いているだけです。
できれば長く落ち着ける良い空気でありますように。
2018年12月09日
天才
“タレント”という言葉をよく聞きます。
身近なものでは“テレビタレント”とか。
“タレント”は“才能”と言われることもあると思います。
才能が秀でている。
確かにテレビに出る人やミュージシャンなど、有名人であるほど多才であると思います。
簡単にいうと、頭が良いのです。
頭が良いというのは、学校の成績が良いのではありません。
どこか平凡ではない“感性”を持っていると思うのです。
普通の人が空を見て「月だ」と思ってそれ以上考えないとしても、「あれ?今日の月の色はいつもと違う」といったように鋭い感性を持っているかも知れません。
これを見て深く驚きました。
(YouTube:yas tana)
聞いて思うのは、
ところどころだけですが、敬語が自然に使われています。
普段から敬語に対して“うんちく”をばらまいている私も驚くほど、綺麗な敬語で話しています。
くどくなく、足りなくもなく。
“甲本ヒロト”さんといえば、日本のパンクロック界では言わずと知れた存在です。
“THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)”の「リンダリンダ」は誰もが知っていると思います。
この歌の出だしは、
“ドブネズミみたいに美しくなりたい”
“甲本ヒロト”さんなりの鋭い感性がそこにあるのでしょう。
また、“甲本ヒロト”さんは“ワル”ですね。
真面目な空気はみじんも感じません。
昔、甲本ヒロトさんは“THE HIGH-LOWS(ザ・ハイロウズ)”のボーカルをしていたときがありました。
これは
“THE BLUE HEARTS”を解散してから、甲本ヒロトさんがボーカルをしたバンドです。
実は昔、1996年に“THE HIGH-LOWS”のライブを主催したことがあります。
知らなかったのですが、“甲本ヒロト”さんはステージ上から客席にツバを吐きかます。
そんな下品なと思いましたが、ファンの中には神のように崇める信者もいるわけだから、その人たちからすれば、下品なツバでなく、“聖水”なのかも知れません。
パンクロックの“甲本ヒロト”さん、その印象とはまったく違うギャップに、
改めてその“才能”はただならないと思いました。
タグ:甲本ヒロト
2018年12月08日
案ずるより産むが易し
現在のコールセンターで今日、ようやくデビューしました。
やっと独り立ちです。
何度か書いてきた通り、案内する内容が半端なく多く心配なため、お願いして横に先輩についてもらうことを続けてきました。
本当なら、月曜日から独り立ちするはずだったのです。今日は土曜日。
しかし横に付く先輩方はいろいろで、楽しく進められる人と威張る人。
私は威張る人とは絶対にうまくいかないので、こっちからお断りして他の人に代わってもらうか、若しくは先輩が嫌がり放棄して他の人に代わってもらうかしていました。
でも半ば恐れていた独り立ちも、してみると自由で、とっても良いことがわかりました。
食わず嫌いしていたわけです。
若い人だったら、上からの指示に黙って従うでしょう。
しかし、私みたいに少し“頑固”が入ってくると、自分で納得しなければ動きません。
研修でも物事を覚えていくのに、いちいち「なぜ?」と理由付けが必要です。
本当に困ったものだと私自身感じていますが、抑えることができません。
とはいえ、わからないことだらけなのは変わらないので手挙げしては質問してばかりです。
それでも教えてくれる人たちは気遣ってくれるので、早く独り立ちしておけば良かったと、反省。
案じるより豚汁
あと一日。
月曜からまた別のセンターへ移動です。
さて、北海道はすっかり冬景色です。
この雪が根雪になる派と、ならない派に分かれています。
ただこれだけは言えています。
積もり始めの雪は怖いのです。
市街地では車道が凍っていました。
凍った上に、ザラザラした雪が乗っている状態です。
車は滑ります。
走る車はスタッドレスタイヤです。
しかし帰りに乗ったバスはスタッドレスタイヤに、さらに後輪にはチェーンをしていました。
タクシーは可哀想です。
FR、フロントエンジン、後輪駆動の車は、滑りまくり。
見ていると、特に発進するときは後輪を激しく空転させて走り出していきます。
帰りにバスの中から見ていたタクシーは、後輪を空転させているだけでまったく動き出せませんでした。
また交差点で左折するときは後輪が滑ってしまい、逆ハンドルを切って曲がっていきます。
一般車でも、おじいちゃんだって見事に逆ハンドルで曲がっていきます。
降り始めの時期はまだ除雪も始まっていません。
除雪が始まると幹線道路はアスファルトが顔を出すので走りやすくなります。
根雪になると雪も締まるというのでしょうか。
走るにも安定してくるのですが、まだ気温も下がり切っていないこの時期は厄介です。
昔シャーベット状の雪道を峠越えしたことがありました。
さほどスピードも出していないのに、左カーブでは何度も対向車線にはみ出しました。
減速するにもブレーキを踏めばタイヤがロックします。これも降り始めでした。
とにかく、降り始めの雪道は怖いのです。
2018年12月07日
しんどい・・
あと二日。
派遣先には申し訳ないのですが、いまの派遣先はあと二日でさよならします。
そもそも本命があり、来週月曜からスタートします。
その上で現在の派遣先はつなぎとして派遣会社から紹介されています。
2018/11/26「今のセンター」
にも書いてある通り、いまのセンターは受信で、案内内容が信じられないくらい複雑多岐に亘ります。
それにしては時給等、まったく待遇が良いとはいえず、ここだけの話、皆さまよく頑張るなぁと思います。
また、それだけコツコツとやってきた人たちだから、きっと私と合うはずがありません。
複雑で多岐な案内内容ですが、クライアントは誰もが知る大企業だけにマニュアル類も充実。
しかし“充実”ということはマニュアルたちも膨大です。
少なくとも、画面に四つのマニュアルを開いておく必要があります。
例えば大部分の項目には虎の巻があり、その虎の巻に沿って案内すれば間違いないというもの。
が、“膨大”ということは、初心者がその虎の巻を探すのも容易ではなく、また虎の巻を実戦で使いこなすにも、ある程度の慣れが必要です。
もしわからない質問があれば、検索ツールもあります。
が、その検索ツールすら、あるキーワードで検索するとまるでググったように検索結果も膨大なのです。
なら聞いた方が早いと、これは年寄りの悪い癖。
手挙げしても、ある程度調べてから手挙げしたか見ればすぐにバレるでしょう。
調べることもせずに手挙げすれば、そのことを指摘され、お互いにイヤーな気分になるのも必至です。
また、みなさん同じことを言います。
「初めはわからなくて当たり前。時間をかけてゆっくり覚えればよい。」
と。
でも、私には時間はありません。
慣れる間もなく去っていく私にとって、慣れない時間だけ過ごすのは苦痛です。
ハッキリ言って、わからない質問ばかりを調べ、手挙げし、8時間勤務をするのはゆるい“地獄”の連続です。
あと二日。
「体調が悪くなった」とドロ〜ンするのは簡単です。
ですが、今の派遣会社の信用を作るため、残りの長い二日を耐えなければなりません。
ああ、しんどい。本当に。
2018年12月06日
DVDを借りました
10月には身辺で不幸があり、しばらく多忙だったため唯一の趣味であるDVD鑑賞ができないでしました。
そろそろ落ち着いてきたので先日、ツタヤDiscusでDVDをオーダーし、それが今日届きました。
借りた作品は、
・ほんとにあった!呪いのビデオ 79
・ジョニーは戦場へ行った
この二枚です。
“ジョニーは戦場へ行った”は1971年の映画です。
昔からタイトルとおおざっぱな内容だけは知っていて、いつか機会があれば見たいと思っていました。
この映画はアメリカの小説家、ダルトン・トランボさんが1939年に発表した反戦小説が原作です。
ベトナム戦争中の1971年、トランボさんが脚本を書き監督として制作されたとあります。
ただ、内容が戦争の残虐さを強烈に描いたものであり、また原作のタイトルである、
“Johnny Got His Gun(ジョニーは銃をとった)”
は、第一次世界大戦時の志願兵募集の宣伝文句だったそうです。
さらに軍歌「オヴァー・ゼア(Over There)」でも有名になった「ジョニーよ、銃をとれ(Johnny Get Your Gun)」という呼び掛けへの痛烈な皮肉となっており、“反政府文学”とされ時代によっては絶版。
原作の発表された1939年は第二次世界大戦勃発の年。戦争が激化した1945年に絶版。戦後に復刊されても朝鮮戦争時にまた絶版。休戦後にまた復刊と、繰り返したようです。
物語は第一次世界大戦中、主人公の“ジョー”が徴兵され、恋人と別れ出征します。
異国で目(視覚)、鼻(嗅覚)、口(言葉)、耳(聴覚)を失い、
さらに収容された病院で両手足を切断されます。
皮膚感覚しか残っていないジョーが、自分には意識があることを伝えようとし、昔父から教わったモールス信号を唯一動く頭で刻み、周囲に訴えかけるのです。
そしてジョーはモールス信号で「殺してくれ」と繰り返したのだとか。
実はまだ見ていません。これからです。
でもあらすじだけ知っておこうと思い、アマゾンのDVD通販にあるレビューを読んでみました。
しかし、
レビューのひとつには物語の最後まで書かれていました。
楽しみが半減するだろ!パカタリ!
日本にも“キャタピラー”という映画がありますね。
“寺島しのぶ”さん主演の映画です。
これも戦争で四肢を失い、口も利けず、耳も聞こえなくなって帰還する夫の話です。
映画を見たことはありません。
でも子供の頃、“江戸川乱歩”さんの“芋虫”は読んだことがあります。
映画キャタピラーは、この“芋虫”が原作ではありませんが、内容は酷似しています。
それは著作権料など問題があったため、最終的に“芋虫”から着想を得たオリジナル作品としたようです。