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2019年01月15日

寝坊


 久しぶりに寝坊しました。5年振りくらい。

今日は10時出勤とゆっくりめだったので、気が緩んだのでしょうか。
7時には起きるつもりが、時計を見ると8時6分。
1時間以上、寝過ごしました。

ふと悪い気持ちが過ぎります。
「遅刻して昼から出るか?」

でも「体調不良で遅刻します」と電話するのもいやだし、頑張って支度することにしました。
8時45分には家を出ていなくてはならないので、あと40分もありません。

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まず新聞に軽く目を通します。
シャワーは浴びます。
でも毎朝している布団上げはパス。畳の上に敷いたまま。

朝食も抜きです。
また毎朝換えている神棚の米、塩、水もそのまま。

そしてどうにかいつもの出勤時間に間に合いました。
けど見方を変えると、布団、朝食、神棚、この三つで毎朝1時間もかかっているの?
そう思えてしまいます。

いつもなら時間に余裕があるから、ゆっくりしているのでしょうか。
いやいや、毎朝そんなに余裕があるとは思えません。

 9時出勤なら妻と起きる時間が重なります。
でも妻のシャンプーと私のシャワーが重ならないように時間をずらすようにしています。
なら「妻はすでに家を出ているから支度時間が重ならなかったため」というのも理由ではない。

今朝省略した布団上げは3分、朝食は20分くらい。神棚は7分くらい。
それら三つで30分。寝坊したのは1時間。
しかし定時に起きる普段は、差し引いた30分も余裕があると思えません。

なんか不思議な気がします。













2019年01月14日

“憎みきれないろくでなし”


 突然ふと浮かんできました。

沢田研二さん、“憎みきれないろくでなし”です。
1977年の歌なんですね。

阿久悠さん作詞、大野克夫さん作曲、沢田研二さん歌なら、ヒットしないわけがない。

(YouTube:Sexy0Shori)


歌詞はこちら
https://www.uta-net.com/song/3493/






posted by CSおじさん at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2019年01月13日

無理!


 いま行っているセンターについて、私の消極的な記事が多いと思います。

2019/01/07「反骨心
2019/01/10「プレッシャー

どちらもそうです。

それでも今のOJT、横にセンパイが付いての実習というか、すでに10回を超えましたので慣れてきたといえば慣れてきたような。
ただそれは、実習に慣れただけであって、独り立ちできる自信が湧いてきたのではありません。

研修も1か月を過ぎました。
普通なら横にセンパイが付いて、いろいろ指図されるのも邪魔になる頃です。
なのに同期生を見ていると、まだそこまで達していない気がしてしまいます。

それだけ中身が濃くもあるし、守備範囲も広すぎると感じます。
どんな電話がかかってくるかもわからないし、ひとつひとつが難しいのです。
また、最近になり急に複雑化してきたという話も聞いています。

そこへ来てセンパイたちは「今言ったことは都度、一回で覚えろ」という勢い。
それだけ「早く習得させろ」と上からの要求も厳しいのでしょう。
ただそこで私は皆と違って「若者」ではありません。

とても一度では覚えきれません。
なのに覚えなくてはならないことが“山のごとし”です。
今までならこれは年配である私のせいであり、引け目であると感じてきました。

でも違いますね。

すべては“雇用契約”の下に成り立っているのですから。
私にこの仕事をこなすのが難しいとは思いません。
しかし若者より習得に時間がかかるでしょう。

その間、フィードバックというか、「ダメ出し」が出てくるでしょう。

実習でもそうです。
センパイは皆、年下で中には子供の世代だっています。
もちろん、私に対して上からものを言ってくる愚か者はいません。

しかし
「こうした方が良いですよ」
的な言い方ではなく、
「○○しなくては」
口調です。

結局「ダメだし」なのだから、人生の先輩としてはストレスを感じます。
今のところ大人しくしていますが、先日ひとり、チクっと刺してあげました。


 そもそもここは時給が良いことから派遣元に勧められるまま、入社しました。
北海道のコールセンターとしては確かに高時給です。

考え方として、
若者であれば多少、覚えることはたくさんあっても時給でカバーされるでしょう。

でも年配である私は同じように行きません。
若い者より覚えるのが大変で、しかも年下からダメ出しのストレス。
慰謝料分の時給も欲しいところです。

企業側からすると、もの覚えが早く慰謝料もいらない若者だけで十分でしょう。
ですが私からすると、慰謝料分も考えれば決して満足な時給とは言えないのです。

簡単なことです。
雇用契約が成り立たないだけです。

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無理!
あとは引き際を考えるだけ。















2019年01月12日

iPhone


 Apple社ってデータのセキュリティにとても力を入れているとか。

確かにFBIの捜査で容疑者のスマートフォンにあるデータの開示を求めたところ、Appleは拒否。
そんな話がありました。
ある人は「さすがAppleだ」と絶賛したでしょう。

iPhoneだけではないのでしょうが、第三者がホーム画面を開けないようにパスコードでロックできます。
パスコードは4桁が6桁に増えました。
またパスコード入力を省略できるように指紋認証や顔認証も積極的に導入しています。

でも心配なんです。
私はまだiPhone 7を使っています。
パスコードを設定し他人が開けないようにロック。

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メールとかLINEとかアプリとか新着があれば、ロックされている画面に通知されます。
その通知に触れると、パスコードロックの解除を促され、解除するとその通知したアプリが開きます。

心配というのは、通知を触れたとき、いきなりアプリが起動することがあるのです。
画面をタッチしただけだから、iPhone 7は画面で指紋認証はされないはずです。
だとしたらノーマーク??

しかも3回に1度くらいの頻度で起こります。

これが単なるバグだとしたら、大問題ですぜ、Appleさん。













2019年01月11日

糠にしん


 この冬、札幌市は雪が少なくていいと思っていましたが、昨日と今日ですっかり平年並みに積もりました。

誰もが言うことです。
「ひと冬に降る雪の量は変わらない。」
と。

それでも前の一軒家に比べると雪かきに費やす時間はだいぶ減りました。
2015年の1月、一軒家のとき雪かきにかかわった時間を記録していました。

それによるとひと月に10回雪かきをしています。
三日に一回として休みの日には必ず雪かきしていた計算です。

10回の雪かきにかかった時間は合計435分です。
短いときは5分。長いときは1時間40分かかっています。

あの頃に比べると楽になりましたが、さっきも1時間雪かきをしてきました。
マンションなので、玄関前の雪かきはする必要がありません。
しかし、青空駐車なので車の屋根と、屋根から落とした雪、また車の周囲の雪をどけなければなりません。

北海道の除雪には「ママさんダンプ」という強い味方がいるはずです。
毎年冬になると共有部分に誰が使っても良いように置いてありました。
が、なぜか今年はないんです。

皆が使うものだから管理費で購入するものだと考え、個人で買う気はしません。
除雪専用の大きなプラ製スコップがあったので、それで雪かきしました。
駐車場から雪を捨てる場所まで10mくらい歩きます。

大きなスコップとはいっても、ママさんダンプより小さく非効率的です。
一杯ずつ雪をすくっては捨てに歩くのは、まるでバケツに入った砂をスプーンですくうようなものです。

でも終わったときには達成感があるので、今の仕事よりはマシな気がします。(笑)


 さて、今になって後悔していることがあります。
それは亡くなった父に昨年、“糠にしん”を送っていなかったことです。

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父は末期腎不全で亡くなりました。
60代半ばで東京へ引っ越すことになった父でしたが途中、わけがあり岩手県に滞在しました。
初めは4人で暮らしていたのが、ひとり亡くなり、また一人がなくなりその間に滞在が延びてしまいました。

滞在が延びてしまったため、東京へ転居する話はなくなりました。
さらに一人は老人ホームへ入居した為、最終的にひとり暮らしになりました。
60代半ばで新たな地に移り住んでも、そう簡単に人間関係ができるものではありません。

ひとり暮らしでは退屈だろうと、私は休みになると必ず父へ電話で連絡を取っていました。
9月まではまったく元気でいました。

それが10月1日、肺に水が溜まったから入院したと担当ケアマネージャーから電話が。
心配になり、入院先であっても構わず父の携帯に電話をします。
すると、とても元気そうにいます。

そのまま10月7日に退院しました。
すると今度は10月15日、岩手の従弟から電話です。

肺炎で入院したと。
心配でまた電話すると、今度は話すこともままなりません。

これは好くないと思い、早速見舞いに行く予定を立てます。
病室へ入ると
「○○か?」

私の名前を呼んだように聞こえました。
でも本人は苦しそうで、はっきり聞き取れません。
さらに、その後はずっと“痛い”、“苦しい”を繰り返すだけです。

見舞っていても、そこにいることしかできない、辛い状況です。
しかし岩手に行くと老人ホームに行ったり、従弟に挨拶等、多忙です。
その日は宿に泊まり翌朝また父を見舞った後、フェリーで帰路に就きました。

札幌に着いたのは夜10時過ぎでした。
翌朝、従弟から電話があり危篤。そのさなかに着信。
病院からで、たったいま、呼吸と心拍が止まったとの連絡でした。

言うのもはばかることですが、
「これなら死なせてあげて!治らないなら。」
そんな状況ってあると思います。

父を失うことは辛いことです。
でも、どこか気持ちが楽になったことも事実です。

腎不全。
父は昔から塩辛いものが大好きでした。
鮭の切り身でも、からからに固くなり、白く塩を吹いたものでさえ、

「こんなのまだしょっぱくない!」

そんな見栄を張る父でした。
それが災いしたのでしょう。
ある時期、昼食は毎日インスタントラーメンだったことがあります。

それは電話で聞いていました。
そのとき、私の予測が足りませんでした。

きっと父は、毎日インスタントラーメンの汁まで飲み干しているだろうことを。

腎不全の診断を受けたのはその頃です。
今から4年前で、生活習慣病に他なりません。

でも私は構わず毎年、父の誕生日には“糠にしん”を届けることにしていました。
2012年からです。

昨日、ふと気になって糠にしんを注文していた水産会社のWebサイトを見てみました。
すると2012年から毎年、送っていた糠にしんが、昨年は送っていなかったのです。

腎不全を患い、まして2014年に「余命2年」と宣告された父。
そんな父に糠にしんを送っていることを知っていた従弟から私は
「それはダメだよ!」
と注意されていました。

でも、それは生前にだけ、通じる常識だと思います。

どうでしょう?
私が2012年から年に一回、父に糠にしんをプレゼントしていなければ、父はもっと長生きしたと思いますか?

 私はそう思えないんです。

仮に、父の目の前に糠にしんがあるとします。
いま、この糠にしんを食べれば、あと二年しか生きられません。
しかし、たべなければあと三年生きられます。

あなたならどうしますか?

私なら食べます。
それがあと1か月、2か月なら考えも変わるか知れません。

統計があるそうですね。
死ぬ前に後悔したこと。

「我慢しなければ良かった。」

これが一番、多いようです。

なら、昨年も糠にしんを送るべきだった。
そう思います。

結果論です。
だけど亡くなった父だからこそ、
最後に父に大好きな糠にしんを送らなかったこと、後悔しています。














posted by CSおじさん at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想

2019年01月10日

プレッシャー


 なんか違うなぁ。

今日で研修開始から一か月がたちました。受信の研修です。
受信業務と発信業務とでは通常、受信業務の研修は長期間に及びます。
発信に比べると専門知識をたくさん学ばなければならないからです。

発信で短いところでは10分という研修もありました。

 私が初めてコールセンター業務についたのはインターネット関係のテクニカル、受信業務でした。
その頃は専門知識といっても新たに覚えることはほぼなかったので、苦労をした記憶がありません。
もともとそういう関係の仕事をしていたからというのも大きくあります。

でもその後、発信に転向し保険を扱うことが長かったので、テクニカルとは遠ざかっていました。
また先日も書きましたが、この10年間でスマホが普及したこと。サービスも複雑に。
さらに受信業務ではより質の高い仕事を求められるようになりました。

そんなことから受信業務は、今から私にできるのか?
という不安を与えてくれます。
そして年齢が高くなった分、記憶力の悪さでも苦労をしています。

ただ、私自身がそんなにクォリティの低い人間だとは思いません。
なのに逃げ腰にさえなっている。

 そんなプレッシャーの原因は、やはり研修の進め方にあると思います。

殆どの受信センターでは案内時にPCで多数のツールを同時に開いて案内します。
まずどこでも基幹の顧客データベースを開き、業務については別のシステムを開く。
さらにキャンペーンの問合せにはまた別のシステムを開いてと、、

「どうしてこれら、ひとつにならないの?」
受信のセンターを経験した人間は誰もが思うようですね。(笑)

わかるんです。
個人情報の固まりである顧客データベースと、商品やサービス中心のデータベースをひとつにできないのは。

 多くの方々は何かしらの用事で問合せの電話をしたことがあると思います。
そのとき話しているオペレーターが両手で忙しく、いくつものシステムを駆使している姿を想像できますか?
でも、そうなんです。

ましていま、ナンバーディスプレイが当たり前になっています。
電話をするとき、番号非通知でなければ多くのセンターでは発信者 = お客様の電話番号からデータベースを索し、つながったときにはすでにあなたのお名前がオペレーターの画面には表示されていると考えられます。

そして、その画面からオペレーターは生年月日で本人確認をしながらも、すでにたくさんのシステムを開き、あなたの顧客情報の多くを、すでに把握している場合が多いと思ってください。

その割にいまのセンターでは一度に開くシステムは最小限で済むように、かなり合理化されています。

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でも、
そのデータベースの操作にかかわる研修は、ほぼゼロに近いと言って良い。
通常、複数に分散されるデータベースが必要最小限にまとまっているのは評価します。

しかしその分、ひとつで多機能なデータベースになるわけだから、操作方法も複雑なはず。
いま、センパイが横について実際にお客様と話しながら実習をしています。
センパイはその多機能データベースを軽々と操作します。

でも初めは苦労したといいます。
なら、同じ苦労をさせるんじゃない!と。

お客様対応をしながらデータベースを慣れない手つきでやっと操作しています。
正直言ってデータベースの操作に振り回され、お客様との会話どころではありません。
本来の仕事はお客様から相談を受け、さまざまな視点から検証していかなければなりません。

それには隅々まで頭を働かせる必要があります。
しかしその前に思考の大部分がデータベースに持っていかれるんですから、これはプレッシャー。

これすら年齢のせいなんでしょうか。
若い人たちは苦にしないから、研修も省いているのか。

もしそうだとしたら、よろしくないなぁ。













2019年01月09日

灯り


 最近、帰宅時にバスに乗っていると“無灯火”の車が多くなったと思います。

必ず毎日一台は見る気がします。
昔の車だったらヘッドライトとスピードメーターなどの照明は連動していて、スピードメーターに目をやった時点で暗いと、

「あ、ライト点けてない。」
と気づきました。

その点、今の車はヘッドライトとは無関係にメーターはいつでも照明が点いているから、なかなか気が付かないのだと思います。
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そんなの言い訳ですけどね。

 バス停に着くと私はイヤホンで音楽を聞きます。朝も、帰りも。
バスの中からずっと聞いていて、朝は会社に着くまで、夜は家に着くまで聞いています。

両耳をふさいで歩くのはあまり良いことではないと思っています。
でも朝は面倒な仕事に就くギリギリまで聞いていたいし、夜はご苦労さんということで甘えてしまいます。

ただ、帰りに家までたどり着く前、道を一本横断しなくてはなりません。
車の往来はとても少ない道なのですが。

夜だから足元を見たまま、車のライトがなければそのまま渡ってしまいたいところですが、もしそこへ無灯火の車が来ていたらはねられてしまうかも知れません。
だから面倒でも振り向き確認するようにしています。

ヘッドライトも変わってきました。
ハロゲン → HID → LED → レーザー

昔はいつの間にか片方が切れ警察に止められ「今回は見逃してあげる」と恩着せられ面白くない思いもしました。(笑)
家の蛍光灯も今やLEDに変わってきています。
切れることがないから交換する必要もなく便利になりました。

風呂場や廊下など昔は白熱電球を使っていたのが今や同じ形をしたLEDに変わりました。
さらには需要が切り替わったため、価格も逆転し白熱電球が高くなってしまいました。
LEDに比べ白熱電球は、電気代も高く、切れるから交換が必要、さらに本体も高い。

何も良いことがなくなったようです。でもどうなんでしょう。
肉屋さんでは蛍光灯だと肉の新鮮さが失われて見えるからと、白熱電球が使われたことがあります。
LEDの光源は、蛍光灯に近い気がしますが。

 数えてみると、コールセンターへ勤めるようになってから今行っているビルが10ヵ所目になります。
もちろん新しいビルもあれば古いビルもありました。
新しい/古いの判断に、ビルの照明がLEDか蛍光灯かという区別があります。

蛍光灯のビルだったら古くなった蛍光管はやがてチカチカ点滅が始まり、ややもすると大抵、二人ペアで脚立を持って蛍光灯の交換にやってきます。
昔「ショムニ」ってドラマがありましたね。

また蛍光管のチカチカは視界にうるさく気になります。
LEDにすることで「ショムニ」も人員削減できるでしょう。
また、蛍光管も在庫を持っていなければなりませんよね。

大きいセンターだと一つのブースに300本くらい蛍光管が使われています。
大きなビルだとワンフロア―1,000本近く蛍光管が使われているのでしょう。
なるほど。だから知人の蛍光管を売る会社は儲けていたはずです。

だんだん進化して便利になってきた照明です。

しかし私はこんな時代に生まれた世代です。
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こんな風景も捨てられません。














posted by CSおじさん at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想

2019年01月08日

トライアウト


 2018/12/28「事情」という記事を書いています。

暮れになると(意図せずに)人の人生を紹介するテレビを見ます。と書いています。
昨年の暮れにも同じような番組を、帰省先で見ることになりました。

(YouTube:Sunday Japan)


 12/30深夜に放映された、
「プロ野球戦力外通告 −クビを宣告された男たちー」
という番組でした。

プロ野球で活躍していた選手たちが一転、戦力外通告を受け、11/13に行われた12球団合同トライアウトに参加するドキュメンタリーです。
番組では戦力外通告を受けた選手のうち、3人にフォーカスをあて紹介していました。

ひとりは元ヤクルトスワローズ、古野正人投手(32)。
一軍通算62試合に出場、2015年リーグ優勝に貢献しました。
4年前に結婚、6歳年上の奥様がいます。

いつも自信に満ちていた古野投手が戦力外通告を受けた直後、
「もう野球を続けられないかも知れない。」
そんな弱音を吐く夫を初めてみたと言います。

古野選手は言います。
「クビってすごいよな。言われた3日くらいは寝れなくてベランダへ行ったり、、、」
今年も一軍で勝ち星もあげています。辞める理由はないと現役続行を決意しました。

高校、大学、社会人、古野はいつもエースにはなれなかったものの、努力を重ね、25歳のときドラフト6位でヤクルトスワローズに入団。プロ2年目で先発に。
4年目2015年には27試合に登板。先発、リリーフを務め、スワローズはリーグ優勝。

しかし翌年、29歳の古野選手は打球を追って転倒。
転倒時に右肩を亜脱臼。肩関節の靱帯も損傷し2年間、リハビリすることになりました。

それでも昨年8月、一軍に戻り先発。阪神戦で完投勝利します。
3年振りの白星でした。
しかしこの後、チーム事情により2軍降格となり、2試合7失点。戦力外通告を受けます。

プロ3年目で結婚した古野選手。
奥様は中学で父を亡くし、母の苦労を知り自立を考えるうちに結婚願望はなくなったと言います。
しかし、古野選手の強さに惹かれ、「だってそれって幸せやん?」というシンプルな言葉に説得され結婚。

古野選手はトライアウトに向け、練習を始めます。
どの変化球もキャッチャーはミットを動かすこともなく、ボールは吸い込まれます。


 二人目は元ソフトバンクホークスの城所龍磨外野手(33)。
守備、走塁のスペシャリスト。盗塁成功率は78%。
打っても2016年には交流戦の打率が4割1分5厘。MVP。

城所選手には二人の娘さんがいます。
6年前に結婚し、6歳の長女と2歳になる次女。
長女は最近になり父がプロ野球選手だと理解し始めました。そんな父はかっこいいと。

またこの長女がかわいいんです。
父は盗塁するとき、スライディングします。
盗塁後、ユニフォームに付いた泥を落とす姿をみて、「コケた」と誤解しているようです。

城所選手は甲子園に二度出場、1年からレギュラー。走攻守、揃った外野手。
2003年、ドラフト2位で福岡ダイエーホークスに入団。
2年目から一軍、ライトからの好返球でバックホームを阻止できる強肩。

しかし一昨年の2017年、10歳年下の上林選手が活躍。
その年に城所選手は一軍で2試合のみの出場となってしまいます。
それでも昨年は一軍で41試合に出場。日本シリーズ出場40人枠に入ります。

そして日本シリーズ制覇の4時間後、午前1:30分に球団から電話。
「明日の15時、球団へ来てくれ」と。
城所選手はそれがどういうことか、わかっていたと言います。

戦力外通告を受けた城所選手は、もうホークスにはいられないと娘に告げます。
そのときの気持ちといったら、どんなものだったでしょうか。
長女は野球を続けてと言いました。

家族のことも考え、城所選手はトライアウト参加を決意します。
練習を始めた城所選手の強肩は健在です。


 三人目は元オリックスバッファローズ、塚田貴之投手(25)。
二年連続のトライアウト参加です。
塚田選手は一昨年、2017年に戦力外通告。婚約を約束した人がおり、もし戦力外通告を受けていなければ結婚していたといいます。

ぜひプロ野球選手に復帰して結婚をしたいと考えています。
2018年1月、独立リーグ、福井ミラクルエレファンツに入団します。
それは再びトライアウトに参加できるように、野球を続けるためでした。

しかし独立リーグでの収入は月に14万円弱。さらにシーズン中の4月から9月のみ。
同居している婚約者もショッピングセンターの清掃をすることで家計を支えています。
月収は17万円。

塚田選手はプロ一年目、2016年に二軍で61試合に登板、防御率は3.10。
ウエスタンリーグ最多登板記録を持っています。
一軍で活躍できればシーズンオフに結婚しようと考えていました。
しかし二年目に背中痛。三年目を迎える前に戦力外通告。

婚約者は言います。
「こんなに残酷な世界とは思わんかったわ。」

2017年トライアウトの成績は、レフトフライ、フォアボール、右ヒット、内野安打。
満足のいく結果ではありませんでした。
それでも独立リーグで野球を続けたいと願うのでした。
独立リーグでは26試合に登板、シーズン終了後も場所を確保しては練習に打ち込みました。


 そして2018年11月13日、12球団合同トライアウトが始まります。
会場は福岡ソフトバンクホークスが二軍・三軍の専用球場、また練習場等として使用しているタマホーム スタジアム筑後。
参加選手は投手29人、野手19人の計48人。

トライアウトで投手は打者3人と対戦します。
古野選手は、センターフライ、サードゴロ、センター前ヒットの結果。
この結果に手応えを感じていました。

打者は5人の投手と対戦します。
城所選手は、センターフライ、見逃し三振、フォアボール。そして盗塁成功。
センター前ヒット、ライト前ヒットでした。
本人は満足のいく結果でした。

塚田選手は3人の打者と対戦します。しかしストライクが入りません。
フォアボール、フォアボール、ファールフライ。
まったく納得の行く結果ではありませんでした。


 トライアウトは終わりました。
でも本当の辛抱はこれからと言えます。
球団からのオファーは1週間以内といいます。

でも実際には翌シーズン開幕後に連絡があることも。
プロに執着するのであれば転職もかなわず、オファーを待ち続けることになります。

そしてトライアウト二日後、古野選手にオファーが来ます。
それは社会人チーム日立製作所からのものでした。
創立101年、名門ではあるがプロではない。

プロを目指す古野選手は今や32歳。
社会人からプロになったが、これから社会人になればプロ復帰は難しいことを十分に理解しています。
日立製作所は断ることに。そして一旦ゆっくりしたあと、次の道を目指すことにしました。

プロ野球への未練を断ち切り、すぐ就職活動を始めようと翌日、ヤクルトの二軍球場へ荷物の整理をしに行っていた古野選手に電話が。

相手は阪神タイガース。
選手としてではないが、バッティングピッチャーとしての誘いです。
プロ野球にかかわる仕事です。

古野選手はそのオファーを受けます。
しかしバッティングピッチャーではテレビで見ることはかなわないでしょう。

番組はそこで終わっています。
とても厳しいプロの世界です。


 阪神は上手いですね。選手を拾ってくるのが。
福留孝介選手だって、しっかりと戦力になっています。

しかし、番組を見ていて「あ?」と思った選手が二人いました。
どちらもトライアウトに参加した選手。
ひとりは元阪神タイガースの西岡剛選手、何とインスタグラムで戦力外通告を受けたようです。
活躍していたと思いましたが、ケガでは仕方がないのでしょうか。

もう一人は鵜久森淳志(うぐもりあつし)選手。
彼は2004年夏、甲子園で決勝まで進み、駒大苫小牧高校と対戦し最後の打者となりました。
この試合で駒大苫小牧高校は優勝し、北海道初の甲子園制覇を成し遂げることとなります。

しかし鵜久森選手もこの甲子園で3本の本塁打を打った強打者です。
日本ハムに入団したことは知っていました。が、活躍を聞かないうち、2015年に戦力外通告。
トライアウトでヤクルトへ移籍。しかし今年からソニー生命の営業職員になるようです。

また2004年、夏の甲子園には東北高校からダルビッシュ有選手も出場しています。
そして奇しくも最後のバッターでした。
見逃し三振後、天を仰ぐダルビッシュ有選手が画になっていました。













2019年01月07日

反骨心


 今のセンターに気の合う、または打ち解け合える同期の人がいません。

自分と年齢の近い人がほぼいないのもその理由でしょう。
それだけで話題が合いません。
例えばゲームの話をされても、まったく興味もないし、ついていけません。

と書けば
「そりゃそうだろ!」
ってことになるのでしょうが、それだけではないと思います。

若い人だって話の合う人間はたくさんいます。
ただ、コールセンターだから、どっちかが辞めてしまうと付き合いはそれまでになってしまいます。

話の合う、合わないの理由として、もちろん性格の違いがあると思います。
同期の人たちと話題が合わないことについて考えているうち、ある言葉が浮かんできました。

「反骨心」

年齢が違うからというのもありますが、考え方の違いが大きいのではないかと思います。

小休憩はコールセンターだと大概10分です。中には15分というところも一社ありました。
私は喫煙者です。小休憩には必ずタバコを吸います。
今では健康増進法のおかげで喫煙室まで行かなければなりません。

喫煙室が同じ階にあれば良いのですが、違う階まで行かなければならないビルが多くあります。
今のセンターも2階上がらなければなりません。
階段で上がるには52段も段数を踏まなければなりません。エレベーターを使います。

エレベーターもすぐにくるわけではありませんから、喫煙室まで行き一本吸って戻るだけでも8〜9分くらいかかります。
トイレに寄ると10分を超えてしまうこともあるのです。
しかしこれは会社の入っているビルの都合です。だから私は会社都合だと考えます。

また年齢のせいだと思うこととして、10分を超えそうになったとき、走って戻ろうとは思いません。
ビルが違えば同じ10分休憩でも十分に余裕のある会社が多いのですから。
会社都合なのに、自己を犠牲にするつもりはないのです。

しかし同期に同じ考えの人はいません。
あくまで会社に忠実です。
それこそが若さであるのかも知れません。

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 私だって小学1年のときはハツラツと学校へ行きました。
「せんせいさようなら。みなさんさようなら。」
の世界。

中学校に入り思春期を迎える頃には“学校”という“規則”にはめられることに疑問を持ってきます。
高校になると、学校という組織が“権力”に見えてきて素直に従うことに不満を感じるようになりました。

でも小学校のときですら教諭に疑問を持つことはありました。
小学校では担任が全教科を教えていましたね。
ある日、担任は必要以上に怒りました。確か生徒たちの雑談が絶えなかったからだと思います。
いわゆる“癇癪(かんしゃく)”です。

そして、
「分布図を教えてあげないからね!」
そう言い放ちました。先生が授業を放棄するというのです。

またある学校では軍隊教育。
宿題を忘れた生徒がいると、その班は全員ビンタを喰らいます。
両手のひらで頬をビシッと叩かれました。

班長は二発。他の生徒は一発ずつ。
宿題をしてこなかった張本人より、班長が責任を取らされました。
“連帯責任”です。
今では考えられませんね。でも、まだそういう時代でした。

“指針”となるべくして指導する立場の人間が誤った行動を取る。
それが“権力”に映ってしまいます。

その頃から“反骨心”が芽生えたのか、それとも持って生まれたものなのか。

反骨心について、これを書く前にネットで調べてみました。
とても面白い記事がありましたので、紹介します。
このブログの「通勤」カテゴリをよくお読みくださる方なら特にお分かり頂けると思います。^^;

https://kirari-media.net/posts/4064













posted by CSおじさん at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想

2019年01月06日

苗字の話


 昨年のことです。
たまたま見ていたテレビは雛形あき子さんがゲストでした。
その「雛形」という苗字が、日本で27,288位、全部で130人しかいないと紹介していました。

私は、そんなにたくさんの苗字があるのかとびっくりしました。
ではすべての苗字はいくつあるのだろうと誰もが気になると思います。
ネットで調べてみました。

1997年版「日本苗字大辞典」には、29万1129種類と書いてあるそうです。
ただ、このサイトの終わりに「日本苗字大辞典」はインチキとコメントされています。
何を信じれば良いのでしょうか。

それでも約30万種類と書いてあるサイトが多いようですね。
確かにコールセンターで働くと、いろいろな苗字を目にします。

中には呼ぶことさえ失礼な気がしてしまう苗字もあります。
しかし本人は、小さなころからずっと慣れ親しんできた苗字です。
呼ぶことをためらうこっちが失礼なのでしょうから構わずお呼びします。

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 ただ、この30万種類というのには、“数え方”に特徴があります。
例えば、“東海林さん”。

“しょうじさん”と読むこともあれば、“とうかいりんさん”と読むこともあります。
また、“渡辺さん”と“渡邊さん”や、“斉藤さん”と“齋藤さん”。

約30万種類というのは同じ漢字の、“しょうじさん”と“とうかいりんさん”を二つとした場合です。
そして“渡辺さん”と“渡邊さん”も二つと数えた場合です。
“島田さん”と“嶋田さん”で二つだし、“斉藤さん”と“斎藤さん”、“齊藤さん”、“齋藤さん”で四つになります。

さらには“澤田さん”は、“さわださん”かも知れないし、“さわたさん”かも知れません。
同じ“澤田さん”が、“さわださん”も、“さわたさん”でも一つとするなら、一気に10万種類になるようです。
そして“斉藤さん”も、“斎藤さん”も、“齊藤さん”も、“齋藤さん”も同じにするなら6万種類。
またすべて、ひらがなの読みだけで区別するなら5万種類だそうです。

う〜ん、これなら納得できそうです。

 今は少子高齢化。
苗字はどんどん少なくなっていると思いました。
でもそうではないようなんです。年々増えているらしい。

理由は“帰化”です。
外国籍の人が帰化して日本国籍を取る場合、自分の姓を自由に登録できるとなっています。
すると今まで日本にはなかった苗字が新たに登録されることは当たり前に起こってきます。

それが毎年だいたい1万人いるそうです。
一万人といっても、もちろん毎年一万種類、苗字が増えているわけではありません。

コールセンター業務では外国籍の人と話すこともあります。
中には“ん”で始まる苗字もありました。

その方が帰化していたかわかりません。
でも、もしそのまま日本国籍を取るのだとすれば、電話帳に「ん」のページを新たに作る必要があるかも知れません。。

これは昔、読んだ本、筒井康隆さんの「乱調文学大辞典」で読んだのだと思います。
1970年代。
乱調文学大辞典はパロディ以外の何物でもありませんでした。

その中に、「ん」で始まる店を作るべきだと書いてありました。
そうすれば電話帳に「ん」のページを新たに作らなければならないと。

グローバル化した社会では「帰化」という理由で電話帳に「ん」のページを作ることになるのか?
それとももうすでにどこかの電話帳に「ん」はあるのかも知れませんね。

ん?

すでに「ん」で始まる店は、日本人の誰かが、とうに作っているように思えます。













posted by CSおじさん at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想
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