2019年01月11日
糠にしん
この冬、札幌市は雪が少なくていいと思っていましたが、昨日と今日ですっかり平年並みに積もりました。
誰もが言うことです。
「ひと冬に降る雪の量は変わらない。」
と。
それでも前の一軒家に比べると雪かきに費やす時間はだいぶ減りました。
2015年の1月、一軒家のとき雪かきにかかわった時間を記録していました。
それによるとひと月に10回雪かきをしています。
三日に一回として休みの日には必ず雪かきしていた計算です。
10回の雪かきにかかった時間は合計435分です。
短いときは5分。長いときは1時間40分かかっています。
あの頃に比べると楽になりましたが、さっきも1時間雪かきをしてきました。
マンションなので、玄関前の雪かきはする必要がありません。
しかし、青空駐車なので車の屋根と、屋根から落とした雪、また車の周囲の雪をどけなければなりません。
北海道の除雪には「ママさんダンプ」という強い味方がいるはずです。
毎年冬になると共有部分に誰が使っても良いように置いてありました。
が、なぜか今年はないんです。
皆が使うものだから管理費で購入するものだと考え、個人で買う気はしません。
除雪専用の大きなプラ製スコップがあったので、それで雪かきしました。
駐車場から雪を捨てる場所まで10mくらい歩きます。
大きなスコップとはいっても、ママさんダンプより小さく非効率的です。
一杯ずつ雪をすくっては捨てに歩くのは、まるでバケツに入った砂をスプーンですくうようなものです。
でも終わったときには達成感があるので、今の仕事よりはマシな気がします。(笑)
さて、今になって後悔していることがあります。
それは亡くなった父に昨年、“糠にしん”を送っていなかったことです。
父は末期腎不全で亡くなりました。
60代半ばで東京へ引っ越すことになった父でしたが途中、わけがあり岩手県に滞在しました。
初めは4人で暮らしていたのが、ひとり亡くなり、また一人がなくなりその間に滞在が延びてしまいました。
滞在が延びてしまったため、東京へ転居する話はなくなりました。
さらに一人は老人ホームへ入居した為、最終的にひとり暮らしになりました。
60代半ばで新たな地に移り住んでも、そう簡単に人間関係ができるものではありません。
ひとり暮らしでは退屈だろうと、私は休みになると必ず父へ電話で連絡を取っていました。
9月まではまったく元気でいました。
それが10月1日、肺に水が溜まったから入院したと担当ケアマネージャーから電話が。
心配になり、入院先であっても構わず父の携帯に電話をします。
すると、とても元気そうにいます。
そのまま10月7日に退院しました。
すると今度は10月15日、岩手の従弟から電話です。
肺炎で入院したと。
心配でまた電話すると、今度は話すこともままなりません。
これは好くないと思い、早速見舞いに行く予定を立てます。
病室へ入ると
「○○か?」
私の名前を呼んだように聞こえました。
でも本人は苦しそうで、はっきり聞き取れません。
さらに、その後はずっと“痛い”、“苦しい”を繰り返すだけです。
見舞っていても、そこにいることしかできない、辛い状況です。
しかし岩手に行くと老人ホームに行ったり、従弟に挨拶等、多忙です。
その日は宿に泊まり翌朝また父を見舞った後、フェリーで帰路に就きました。
札幌に着いたのは夜10時過ぎでした。
翌朝、従弟から電話があり危篤。そのさなかに着信。
病院からで、たったいま、呼吸と心拍が止まったとの連絡でした。
言うのもはばかることですが、
「これなら死なせてあげて!治らないなら。」
そんな状況ってあると思います。
父を失うことは辛いことです。
でも、どこか気持ちが楽になったことも事実です。
腎不全。
父は昔から塩辛いものが大好きでした。
鮭の切り身でも、からからに固くなり、白く塩を吹いたものでさえ、
「こんなのまだしょっぱくない!」
そんな見栄を張る父でした。
それが災いしたのでしょう。
ある時期、昼食は毎日インスタントラーメンだったことがあります。
それは電話で聞いていました。
そのとき、私の予測が足りませんでした。
きっと父は、毎日インスタントラーメンの汁まで飲み干しているだろうことを。
腎不全の診断を受けたのはその頃です。
今から4年前で、生活習慣病に他なりません。
でも私は構わず毎年、父の誕生日には“糠にしん”を届けることにしていました。
2012年からです。
昨日、ふと気になって糠にしんを注文していた水産会社のWebサイトを見てみました。
すると2012年から毎年、送っていた糠にしんが、昨年は送っていなかったのです。
腎不全を患い、まして2014年に「余命2年」と宣告された父。
そんな父に糠にしんを送っていることを知っていた従弟から私は
「それはダメだよ!」
と注意されていました。
でも、それは生前にだけ、通じる常識だと思います。
どうでしょう?
私が2012年から年に一回、父に糠にしんをプレゼントしていなければ、父はもっと長生きしたと思いますか?
私はそう思えないんです。
仮に、父の目の前に糠にしんがあるとします。
いま、この糠にしんを食べれば、あと二年しか生きられません。
しかし、たべなければあと三年生きられます。
あなたならどうしますか?
私なら食べます。
それがあと1か月、2か月なら考えも変わるか知れません。
統計があるそうですね。
死ぬ前に後悔したこと。
「我慢しなければ良かった。」
これが一番、多いようです。
なら、昨年も糠にしんを送るべきだった。
そう思います。
結果論です。
だけど亡くなった父だからこそ、
最後に父に大好きな糠にしんを送らなかったこと、後悔しています。
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