2009年06月25日
JR脱線事故!
おはようございます。
今日は、JR脱線事故!です。
我輩がかかわったのではないのですが、あのJR脱線事故の
ニュースを見て感じたのです。
以前からお話でも紹介していたように我輩の周りに自衛官だった頃の
同僚や先輩隊員の面影が強く感じられ始めた頃だったのです。
もともと我輩の住む町にあるJRの駅名から事は、始まっていたのかも?
昔にさかのぼるのですがJR駅ができたのはJRの事故が原因だったようなのです。
我輩自身、人からの聞き覚えでホントのことかどうか疑問はあるものの
興味のある話の一つに駅名の由来があったのです。
駅名は塚本・・・塚の字自体がお墓(昔の古墳)をあらわしているそうです。
昔、JRの沿線で多くの死人を出した事故があったそうです。
その事故の多くの死人を鎮魂するためにできた駅と聞いたことがあるのです。
尼崎の脱線事故から少しさかのぼるのですが
加島・竹島、辺りでの事故のことを思い出すのです。
加島・竹島も歴史が古く大阪にある郷の中の一つ
西成郷のはずれにあたるのですがその付近での事故が印象に深い。
場所的にも歴史街道の一つになる三津屋街道・・・・
我輩の住む地域にある昔話の一つに人柱の話も
竹島の地域と深い関係のあるものなのです。
そうした地域でのJRの事故も当時のニュースを聞いた我輩には
心の中に来る何かがあったのです。
我輩自身、当時の事故のあった場所での作業もしたのですが
軌道敷地内に入るとそこは不思議な線路の切り替えになり
危険な感じのある場所だったのです。
街道を大きく二分するように通るJRの線路にもしやの気持ちもあり
人柱の物語と合わせ歴史的にも大きなかかわりがあるのかも知れない。
尼崎の脱線事故も遠い昔の歴史と大きく関係しているのかも知れない。
我輩の周りに自衛隊当時の同僚の面影が強く感じ始められて間なしの脱線事故
隣に住む子供に面影が強く出ていた自衛官が
尼崎脱線事故の指揮官としてテレビに出ていたのも
不思議な感じを受けた一つなのです。
当時の我輩の周りに鬼気迫る様相の自衛官の面影も幾つか見受けられたのです。
明日は、サマワ派遣の自衛官!です。
では、また。
今日は、JR脱線事故!です。
我輩がかかわったのではないのですが、あのJR脱線事故の
ニュースを見て感じたのです。
以前からお話でも紹介していたように我輩の周りに自衛官だった頃の
同僚や先輩隊員の面影が強く感じられ始めた頃だったのです。
もともと我輩の住む町にあるJRの駅名から事は、始まっていたのかも?
昔にさかのぼるのですがJR駅ができたのはJRの事故が原因だったようなのです。
我輩自身、人からの聞き覚えでホントのことかどうか疑問はあるものの
興味のある話の一つに駅名の由来があったのです。
駅名は塚本・・・塚の字自体がお墓(昔の古墳)をあらわしているそうです。
昔、JRの沿線で多くの死人を出した事故があったそうです。
その事故の多くの死人を鎮魂するためにできた駅と聞いたことがあるのです。
尼崎の脱線事故から少しさかのぼるのですが
加島・竹島、辺りでの事故のことを思い出すのです。
加島・竹島も歴史が古く大阪にある郷の中の一つ
西成郷のはずれにあたるのですがその付近での事故が印象に深い。
場所的にも歴史街道の一つになる三津屋街道・・・・
我輩の住む地域にある昔話の一つに人柱の話も
竹島の地域と深い関係のあるものなのです。
そうした地域でのJRの事故も当時のニュースを聞いた我輩には
心の中に来る何かがあったのです。
我輩自身、当時の事故のあった場所での作業もしたのですが
軌道敷地内に入るとそこは不思議な線路の切り替えになり
危険な感じのある場所だったのです。
街道を大きく二分するように通るJRの線路にもしやの気持ちもあり
人柱の物語と合わせ歴史的にも大きなかかわりがあるのかも知れない。
尼崎の脱線事故も遠い昔の歴史と大きく関係しているのかも知れない。
我輩の周りに自衛隊当時の同僚の面影が強く感じ始められて間なしの脱線事故
隣に住む子供に面影が強く出ていた自衛官が
尼崎脱線事故の指揮官としてテレビに出ていたのも
不思議な感じを受けた一つなのです。
当時の我輩の周りに鬼気迫る様相の自衛官の面影も幾つか見受けられたのです。
明日は、サマワ派遣の自衛官!です。
では、また。