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 屋根裏に子供部屋が、小さい頃の思い出・・・ 沢山の思い出が、大冒険の始まりの予感が!
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2008年12月19日
303通信教育中隊!
 おはようございます。

今日は、303通信教育中隊!です。

我輩の学校を卒業しての職場です。

あまり聞き覚えのある人はいないと思うのですが

学校を卒業して大阪千里中央にある

読売文化ホールで壮行会をしてもらい

滋賀県にある自衛隊へバスで行ったのです。

そこは教育を専門とする部隊がある場所なのです。

我輩は、そこで6ヶ月の教育を受けることが出来たのです。

そこでの出来事を今日は話そうと思います。

一般の教育を終了し専門の職種の教育へ

そんな中ある事件が起きたのです。

同年代の若い自衛官ばかりが集まっているのですから

いわば高校の寮のような感覚だと

思ってもらえばいいのだと思います。

生活の中で不思議な事が起きはじめたのです。

ある隊員は夜中にバイオリン音色が聞こえてくる。

ある隊員は、西の空から雨が降る早く洗濯物を取り込まなければ

そんな事が頻繁に起きはじめた頃

夜の自習の教室の中で一人の隊員が交霊会をしよう。

この声に参加をしたものが約10名

一人は入口で電気を消す役

一人は証拠となる写真を撮影する役

それぞれの任務を決め参加者が一つの円になり

一人の掛け声のもと消灯・・・

時々フラッシュが光約3〜5分の交霊会が終了

何も起きなかった・・・誰もがそう思った時

一人の隊員がその場に倒れたのです。

何かが起きた・・・我輩はとっさに駆け寄り声をかけ

同期の隊員を抱えほっぺたを叩いてみる

ふと意識が戻り目が開き我輩を見る目の焦点が合う。

倒れた本人も何が起きたのかわからない

突然意識がなくなったのだと話す。

何はあれ無事な事が確認でき班長には内緒にする事を

その場にいた隊員全員が了解をし部屋を後にしたのです。

それから数日後写真が出来たとの事参加者で写真を見てみる

一つの円の写真には何も写ってはいなかった・・・・

何もない今までの不思議な事は気のせい?

普段から幽霊騒ぎのある駐屯地ではあったがただのでまかせなのだろう

全員が残念な気持ちとどこか安心感を持った頃

最後の写真が・・・・・

撮影したのは我輩である

写真を現像するのに余った一枚を何気なく写したものだ

電気を最後につけた同期を撮影

光の加減か体のラインに沿ってオレンジ色の光が出ていたのだ

オーラなのか・・・それ以降あまり話題にはでなくなった

今思えば不思議に思う。

それから数年我輩のいた部隊にもそのときの不思議な現象が

起こり始めた・・・我輩が除隊するまであまり長い期間ではない

我輩にも意識なく倒れる実験をした覚えがある。

あれは、中学2年の事だった。



 明日は、中学2年の実験!です。

 


 では、また。

2008年12月18日
馬の顔を持つ侵入者!
 おはようございます。

今日は、馬の顔を持つ侵入者!です。

我輩の小学生の頃オカルトブームがあったんです。

記憶にある方も多いと思います。

あの「こっくりさん」の流行った頃

マンガに「後ろの百太郎」があったのです。

その中に交霊術との紹介があったのです。

クラスでも、ブームになっていただけに

幽霊やオカルト的なものを信じる人が多かったのです。

我輩も多分にもれずマンガを読んだりと興味があったのです。

その中での話を実際にしてみたのです。

難しい事ではなく、ただ夜布団に入って寝る時にすると

自分の守護霊と話が出きる・・・・・

横になって布団の中でへその下5センチ当たりに

右手と左手でひし形にしてお願いをする。

ただこれだけなのです。

その当時我輩もまじめにお願いをしていたのです。

そんなある日お願いをしている最中ウトウトと眠ってしまったのです。

物音で目が覚め耳を澄ましてみるとなにやら下で探し物をする雰囲気が

静かに階段を下り覗いてみるとなにやら人影が・・・

母ではない別の誰か・・・・・たんすの中を物色しているのです。

よく見てみると馬の顔をしているのです。

我輩ビックリして二階に駆け上がり布団の中へ隠れたのです。

侵入者だ・・・それも人間でない馬の顔をした化け物だ・・・

思わず近くにある野球のバットを手に再び布団の中へ

二階の勉強部屋へ入ってきたときこれで戦うしかない・・・

不思議と下で物色している馬の化け物の行動が見える

なんと二階に上がってくる・・・・・

布団の中で息を潜めていると・・・

すずめの鳴き声が・・・・・

いつの間にか眠ってしまったのか・・・・

台所で朝食の支度をしている母の様子をうかがってみると

何事もなかった様子・・・いつもと変わりない・・・

夢???再び二階の勉強部屋へ・・・・

布団の横に野球のバットが・・・・夢ではない

不思議なことに心の中で声が聞こえた・・・・

女性の声で守護霊を見たいとお願いしたから見せてあげた・・・

いつも夢の中で出てくる声と雰囲気だ・・・

そう言えばいつも同じ夢を見る・・・

いつも同じ場所でいつも仕事に出かけるところだ・・・

なぜだかいつもテレビドラマのように神棚の下で石と石とでカチカチと

小さい頃の不思議な体験夢か現実かその境の出来事のようだ。

そう言えば数年前どうしてこうなる前に早く帰ってこなかった

叱られたような気がするあの神棚の下で・・・



 明日は、303通信教育中隊!です。




 では、また。

2008年12月17日
淀川のチヌ!
 おはようございます。

今日は、淀川のチヌ!です。

我輩が小学生の頃は淀川も今のように河川敷でなく

大阪城の石垣のようになっていたんです。

その下には、なだらかな傾斜がありハゼが

潮の満ち干と伴に上がったり下がったりを繰り返し

シーズンともなると川に沿って釣り人で一杯になっていたんです。

その頃の淀川では色々な魚釣りが楽しめていたのです。

淀川大橋の上からはサビキで釣りを楽しむほど沢山の魚たちがいたんです。

時には鯖なども釣ることが出来我輩など

餌のないときは隣の人の恩恵を受け針だけで釣りをする事も・・・

そんな当時の魚の中に川で釣るのは珍しいものも沢山いたんです。

手のひらより少し小さいカレイや体が縞模様になった魚や色々なんです。

時には、亀も釣れるほど沢山いたんです。

中でも投げて釣るセイゴやぼらなどは釣れると自慢出きるほど

大きなものも釣れたんです。

そんなある日の事・・・・・

その当時淀川にはある噂があったんです。

それは、台風の過ぎた時淀川には珍しい魚が沢山釣れる・・・

そんな噂が広まる中我輩にもチャンスが巡ってきたんです。

条件的にもよく台風のすぎた午後、学校の休みの日で時期は9月半ば

まだ気温は暖かく潮は大潮で満潮の少し前・・・

この日を置いて他はない・・・

我輩急いで釣竿を持ち淀川へ駆け上がったのです。

いつもの水ゴカイを石ゴカイへ変更して・・・

そこには釣り人も誰もいない川が満潮を迎えようとしていたのです。

急いで支度をし餌を付け第1投・・・

ポイントはいつもの目印岸から75m〜50mの間へ

竿を立てて数十秒後・・・竿先が大きく曲がったのです。

慌てて合わせを・・・巻き上げる手に力が入り重たさを感じながら

ゆっくりと・・・

釣り上げたと時はこんな事があるのかと思うくらい。

仕掛けた針3本全てに魚が・・・・・

一番上の針にはイナが(スズキの小さいもの)約50センチ

二番目の針にはチヌが形は小さいが一目でチヌと判るもので約20センチ

三番目の針にはうなぎがサイズは約40センチ

どれも立派なサイズだったのです。

あの噂は本当だった・・・

釣りを始めて数分の出来事

学校に行ってからの自慢は想像できると思います。

今は見なくなった魚も多くなったようです。



 明日は、馬の顔を持つ侵入者!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 06:32 | 昔を散策 | この記事のURL
2008年12月16日
はだしのゲン!
 おはようございます。

今日は、はだしのゲン!です。

知っている人も中にはいるのではないかと思います。

戦時中の広島の少年たちの生活の風景をマンガにしたものです。

我輩の家にもいつの間にか来てたのです。

屋根裏部屋にはだしのゲン!が・・・・・

当時の我輩は、家の手伝いと遊びが生活の主だったのです。

父もあまり学校の成績の事では叱る事がなかったのです。

仕事には厳しかった反面小学生の我輩の生活は

以外にも充実していたのかも知れません。

中でもこのはだしのゲン!はそんな我輩の生活によく似てるのです。

戦時中とあって学校でもあまり勉強もせず

自然の中で遊びけんかも悲しみや怒り・苦しみなどを

経験していくのです。

弟と二人たくましく育っていく中での終戦

原爆投下の悲惨な情景・・・・・

親と別れ二人で生活をしてゆく大変さ

小学生の我輩にはとても衝撃的なマンガだったのです。

今振り返ってみるとその頃の我輩の生活も

そのマンガの主人公の生活と重なるような気がしてるのです。

我輩の地域で遊んでいる少年たちもマンガの世界から

呼ばれてきたよな・・・・・

我輩だけでなく地域で遊ぶ少年たちが、はだしのゲン!のような気分です。

今読み返してみても懐かしく

少年時代の生活を思い出させてくれる大切なマンガです。

主人公のゲン!は社会に出てどんな生活をしたのでしょうか

今の我輩と違った生活をしているのか・・・・・

少し気になります。



 明日は、淀川のチヌ!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 06:19 | 日記 | この記事のURL
2008年12月15日
エスパー!
 おはようございます。

今日は、エスパー!です。

懐かしく思う人も多いのではないかと思います。

我輩の小さい頃のテレビの放送です。

ここ最近残念に思うたび思い出すのがエスパー!です。

あの松下電器産業から消えたナショナルの広告です。

ナショナルの名前がなくなると聞いた時エスパー!が

頭の中に浮かんだのです。

学校へ行く時には決まってエスパーになって出かけたものです。

三歩で門まで・・・・・

掛け声も一歩目は「イー」

二歩目で「エス」

三歩目門のところでジャンプしながら「パー」

決まって朝の我が家の風景だったのです。

その当時は町の中でもいたるところに電気店があり

新製品が出ると料理教室や試食会など

新製品を使った催しをしていたのを思い出すんです。

ケーキやクッキーを試食する時は決まって我輩も母のお伴に

1時間ほどのクッキングのあと試食とお土産

今は、見かけなくなった町の風景です。

ナショナルの看板も今はパナソニックになり

電気店も町から消えて今では一箇所残っている程度

これも時代の流れなのかと思うと

寂しく感じ当時のエスパー!を思い出すのです。

近くには松下幸之助の生誕の地もあり特に印象に残ったのかも

我が家でも一冊の本が今でもあります。

「道をひらく」我輩の道はひらかれるのでしょうか?



 明日は、はだしのゲン!です。




 では、また。

2008年12月14日
伊吹山!
 おはようございます。

今日は、伊吹山!です。

ここ最近山の話が多くなっているように思うのですが

琵琶湖を挟んで比叡山の向かいにある山なのです。

湖東にある伊吹山!ここにもある言い伝えが

我輩の聴いた話では、伊吹山は、豪雪で有名なんだそうです。

なんと一晩で積雪した日本記録のある山なのだそうです。

我輩の住む身近な地域・・・・・

それも雪の便りの少ない近畿地方にです。

我輩仕事柄近畿地方の山に出かけることが多かったのです。

この伊吹山にも何度か行く機会があったのです。

近畿地方にも幾つかの中継ポイントがあるのですが

この伊吹山もその一つなのです。

普段は有料道路を通りスキー場の上の辺りでアンテナを立て

中継をするのですが、我輩は登山道路を使用した事があるのです。

有料道路とは違って車が入ることの少ない道が・・・・・

普段は車止めがあって入口も目立たないのです。

車一台が通行するのがやっとの入口を入ると

山道に・・・・・以前に通行したわだちがかすかにわかる程度

そこを上へ上へと登っていくのです。

九十九折になった山道も半ばを過ぎると急になり

車の変速も2WDから4WDへ切り替えゆっくりと昇ってゆくのです。

我輩一度富士山を車で限界まで上ったことがあるのですが

そのときを思わせるような斜面なんです。

どうにか上るとそこは伊吹山スキー場のリフトから少し上の辺り

なだらかな斜面のスキー場の景色が一望できる場所だったのです。

そこから車両の無線機を使い事務所の電話と話をするのです。

厳しい山もすばらしい景色が見れるのが魅力の一つなのでしょうか。



 明日は、エスパー!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 06:31 | 昔を散策 | この記事のURL
2008年12月13日
上中街道!
 おはようございます。

今日は、上中街道!です。

我輩が免許を取得してからの二十数年で一度だけ

スピード違反の取り締まりを受けた場所なのです。

比叡山を越え北へ進むと今津地区へそこから若狭方面へ

至る道路303号線(上中街道)

右手に函館山スキー場を眺め道路沿いに行くと幾つかの追分があり

左手には自衛隊饗庭野演習場が続き幾つかの集落のある

静かなところである。

更に進むと367号線鯖街道と呼ばれる道路と繋がる

確か保坂・・・遠い昔京都へ鯖などの海の幸を献上した道路

今でも花折峠辺りは美味しい鯖寿司をいただけることで有名な場所である。

更に北へ進むと少しの上り坂とトンネルが出てくる

上中街道で一番道の広く真っ直ぐな場所である。

スピード違反の取締りを受けたのはこの地域です。

上中中継所から帰り道での事我輩の運転する車がトンネルへ

走っていても坂道とは気づかすに知らないうちに速度があがっていたのだ

トンネルを出て前方の緩やかなカーブを抜ける頃バックミラーに

取り締まりの警察官の姿が映ったのです。

我輩隣に乗っている部隊長に報告をしたのです。

報告をしなかったらそのまま何事もなく通り過ぎていたかも・・・・・

そんなタイミングだったのです。

スピードも気になるほど出ていなかった為か何かあったのかすぐに停止を

警察官の誘導のもと100メートルほどバック・・・・・

そこで取り締まりの警察官から10キロのスピード超過と

それを示す計測結果を手渡されたのです。

当時昇進試験真っ只中の我輩にはすごく痛手しかし違反は違反である。

反則切符と少しの指導を受けて見ると自衛隊のスピード超過が

これで3度目との事我輩の所属する部隊に違いない

宿舎に帰ってみると我輩の同じ営内班の隊員が一人

しょんぼりとしてるではないか

訳を聞くと我輩と同じ場所で取締りを受けかなりのスピードの違反だったのだ

なんとその日のスピード違反は3人とも我輩と同じ営内班の隊員だったのです。

不運と言うより運命のようなものを感じたのです。

それから数年3人とも昇進・元気な姿で勤務をしたのです。



 明日は、伊吹山!です。




 では、また。

2008年12月12日
生駒山と比叡山!
 おはようございます。

今日は、生駒山と比叡山!です。

以前に話をした暗峠越え(奈良街道)での話を

思い出してもらうとよくわかるのですが

石切神社の鳥居をくぐり、生駒山頂を経由して奈良へ

奈良から暗峠越え(奈良街道)を通り枚岡神社の鳥居まで

歩いて気付いたのですが石切神社と枚岡神社は信貴山系で

繋がっているんだと思うんです。

もっと大きな地域で考えると奈良から大阪へ山を越えてくると

そこには、池之宮が大阪で言うくらわんか船(枚方)・・・

鳥居の近くに池宮と表札があるのも何か意味合いがあるのかも

と思うんです。

これと似た地域が我輩の記憶にあるのです。

それは、比叡山(比良山系)なんです。

我輩が学校を卒業して初めて親元を離れ生活をした地

滋賀県での話です。

近江神宮の鳥居をくぐり奥へ境内の石を敷き詰めた道を

更に奥へ進む・・・次第に道は山道となり更に進むと

細い一本道にそこに訓練場が(志賀里訓練場)・・・その辺りが真ん中?

そこから更に道を進むと大きな石の鳥居が・・・・・

日吉大社の大きな鳥居までそこから山へ登るケーブル

約10キロの道のり比叡山の入口なのです。

我輩の滋賀県での生活でよく行ったのがミシガン船(浜大津)

奈良からの街道と滋賀からの街道とよく似てると感じるのです。

京都は神社や神様の信仰で栄えた地域

奈良は仏教や仏様の信仰で栄えた地域

何処となく作りも似ていると感じるのは我輩だけなのでしょうか

神様の世界も仏様の世界も同じなのではないでしょうか

不思議と楽しく感じるのです。



 明日は、上中街道!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 06:45 | 冒険 | この記事のURL
2008年12月11日
レインボーマン!
 おはようございます。

今日は、レインボーマン!です。

誰でも小さい頃に見たテレビのマンガやヒーローもの

など思い出にあると思います。

我輩にも幾つかあるのです。

今日は、そのうちの一つ・・・レインボーマン!です。

以前に話した路地裏を探検!にも少し通じるのですが

子供の頃に転んだり電信柱にぶつかったりと

遊んでいても怪我をする事が多かったのです。

そんなときに痛みをとるおまじない・・・・・

幼稚園ぐらいの子供がよくお母さんに「痛いの痛いのとんでけ〜」なんて

よく見かける事があるんですが、

さすがに小学生にもなると少し・・・

そんな我輩の呪文があったのです。

それは、あのレインボーマン!で出てくる自然治癒能力を高める呪文。

傷口やぶつけたところを左手で押さえ呪文を唱えるのです。

ア・ノクタラ・3ビャク・3ボウダイ・・・・・

これを唱えると傷口が治るのです。

ひどい怪我のときなどは、洞窟にこもり

3日呪文を唱えると治るのです。

こんな、ばかばかしいと思う事でも当時我輩の痛みの

緩和の一つだったのです。

呪文を唱えてないと悪い心が出てきて心の中で「チクショウ」なんて・・・

お経の一部にも出てくる・・・・?

ダイバ・ダッタの霊を宿すと・・・・・

なんだかお坊さんみたいですね。

我輩それからの人生3日床に伏せた事が3回あるのです。

不思議なものです。

タバコをやめた時も3日辛く床に伏せてました。

今は、治って良かったです。

子供の頃の、「痛いの痛いのとんでけ〜」も同じようなものなんでしょうか。



 明日は、生駒山と比叡山!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 06:05 | 昔を散策 | この記事のURL
2008年12月10日
吹き矢!
 おはようございます。

今日は、吹き矢!です。

小さい頃駄菓子屋さんによく買いに行っていたんです。

ビニールの筒にバトミントンの羽根の小さいようなものを

入れて吹くんです。

先は吸盤だったのか?矢のようになっていたのか?

あまり覚えていないのですが我輩が遊んでいたのは

矢のように記憶しているんです。

遠くから吹き矢で狙い壁や障子・柱に射して遊んでいたんです。

しかし、大きな問題があったのです。

必ずのどを怪我してご飯も食べれないくらい痛いんです。

おもいっきり狙うあまり吸い込む力が多くなり筒ごと吸い込んで

のどの奥を怪我するのです。

何度やっても必ず怪我をして吹き矢をやめるのです。

子供の頃のあまり感心できないおもちゃ道具の一つ・・・・・

そんなおもちゃを、思い出す事件があるのです。

我輩35歳を迎えようとしたある日

急にのどの奥が痛みご飯ものどを通らなくなったのです。

当然タバコを呑む気力もなくなりのどぐずりと布団で

横になる生活が3日ほど続いたのです。

この日をきっかけにタバコをやめる事が出来たのですが

そのときの痛みがあの吹き矢の痛みにすごく似ているんです。

別段のどを怪我するようなことは、していないのに

急に痛みを覚え薬局まで薬を買いに・・・

この痛みを振り返り考えてみると・・・

あの日・・・そうです・・・小さい頃の吹き矢を思い出したんです。

小さい頃に怪我をしても懲りずに

何度も買っては怪我をして・・・痛みを忘れるとまた買ってきて

怪我をするの繰り返しそれでも吹き矢の魅力に引き込まれた。

タバコをやめて約十年・・・・・

当時ヘビースモーカーで一日5箱(約100本)の喫煙が

あの3日でやめる事が出来た・・・・・

不思議なものです・・・考えてみると・・・人間って。



 明日は、レインボーマン!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 06:19 | 昔を散策 | この記事のURL
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