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 屋根裏に子供部屋が、小さい頃の思い出・・・ 沢山の思い出が、大冒険の始まりの予感が!
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2008年12月09日
太郎坊(パート4)!
 おはようございます。

今日は、太郎坊(パート4)!です。

高野山での不思議な体験、四国松山での体験、比叡山で行をされている姿

色々な知識が我輩の頭の中にあるどれとして

確かなものではない自分の中での思い込み・・・

そう言われればそれだけのものである。

今まで屋根裏部屋で話した中にもいくつも同じ事があった

奈良街道での峠の頂上にあるお地蔵様のところでの心の声

実際には違うのかも知れない

しかし我輩はそう思う事にしている。

5感では表せない部分世間一般には第6感というのかも知れない

人間の法では言い表せない部分

生駒山での鉄塔にも5人の声が聞こえたそのお陰で

山道を地図もなく迷う事なく降りてこれたのです。

山には不思議な部分が沢山あると思う。

各地にいくつも山があるそこにも幾つもの太郎坊(竜ヶ馬場)が点在する。

大抵の場合テレビの中継塔や電気の鉄塔など山を越え

人々の暮らす世界に繋がっている

我輩の聞き覚えのある話の中にこう言うものがある。

日本はこの太郎坊(竜ヶ馬場)があったお陰で東西分裂することなく

今のように生活が出来ている。

なければ北朝鮮・韓国に南北の境界線が出来たように

日本でも東西分かれる境界線が出来ていた。

北朝鮮・韓国の歴史や実情は解らずに話をするので

気を悪くしないでもらいたいのだが

日本は周りが海であったため情報の伝達が遅く

国内での会話が十分に出来た

云わば地形の利、自然の恵みを最大に受けることが出来た

太郎坊(竜ヶ馬場)もその一つ富士山で遮られるところ

自然に出来た平らな部分太郎坊(竜ヶ馬場)があったお陰で

東西の会話意思の疎通が出来たのでは・・・

地形は少しずれるが電気も50HZ・60HZと東西で違う

今住む日本でも東西別の部分が少し見えるのも

そうした現われなのかも知れないと思う。

山で遮られ交流が出来ない人々の架け橋のような気がするのです。

呼び方も西の地域では太郎坊!

東の地域では竜ヶ馬場!違いがあるのも

我輩の興味を引く部分なのかも知れません。

太郎坊(竜ヶ馬場)もまだまだ知らない事が沢山あり

幾つもの考え方や知識も変ってくるのでしょう。

それまた、楽しく自分なりの判断が出来たらと思っています。



 明日は、吹き矢!です。




 では、また。

2008年12月08日
太郎坊(パート3)!
 おはようございます。

今日は、太郎坊(パート3)!です。

高野山もすごく有名な場所のひとつですが

四国愛媛の石鎚山も有名な山の一つなんです。

六甲おろしや奈義おろしと同様石鎚おろしとして冬は厳しく

石鎚山があるため松山空港は離発着の非常に難しい空港とされているのです。

現に我輩も飛行機で往復をしたのですが発着の時窓から外を眺めていると

平衡感覚がなくなり上下がわからなくなるほど旋廻をして飛び立つのです。

今日の太郎坊はそんな石鎚山での出来事なんです。

我輩がまだ20台半ばの事教育のため四国松山へ

そこは厳しくて有名な場所で色々な呼び名がついていたんです。

本来は第四陸曹教育隊、略して四曹教なのですがある人に言わせれば

四走教や師走教・死走教などあまり好ましくない

感じの呼び名がついていたのです。

行ってみるとなるほどと思うくらい

よく走り訓練の厳しいところだったのです。

そんな中での教育も終了に近づいた頃

登竜門の訓練があったのです。

この訓練を修了しないと昇任できないと言われるもので

全員の参加が基本なんです。

内容は出動準備から出動し夜間の行軍、目的地での戦闘訓練と

まるで、映画の1シーンを見るような感じです。

川沿いを川上に向け行軍そのうちに山道へと変化し

山の中腹を越える頃指示が出たのです。

これより先、暗夜行進、前が少しでも見えるように

全員白のジャージを背のう(リュックサック)に、かけるよう指示かでたのです。

そこでの教育に参加する時必ず真っ白な体操着《ジャージ》を

もって行かなければならなかったのです。

10分ほどの休息の後、出発、前の白いジャージを目印に

山道を奥へ奥へと進んでいくのです。

前は1メートルも離れると見えなくなり少しでも離れないよう

間隔を空けずに・・・奥に進むにつれ道は険しくがけから石の落ちていく

音が時折聞こえ次第に列も前と後ろでは速度に差が激しくなるのです。

列の後ろに行くにつれ行進がいつの間にか駆け足に

先頭が段差を昇る時少し停止をすると後ろは急停止

そのとき・・・あの高野山での感覚が

まるで体が小さくなり目で見えているものは幻想のように感じ

列の先頭から最後尾までまるで自分の体が走っている感覚

我輩だけで無かったのかも知れない・・・

それを証拠に誰一人として前とぶつかる者やこける者のもなく

約30分の訓練を修了する事が出来たのです。

訓練を受けていた我輩には直接は見えないが

山を見渡せるところから見るときっと皆の白いジャージだけが

山道を走っていたに違いない・・・・・

まるで白い竜が山道を上へ上へ登ってゆくように見えていたとしたら

それはすごく神秘的なもので天に昇る竜を見たように思うのでは

訓練参加人員1区隊約50人3区隊総勢150人ほどの訓練

そう見えてもおかしくない・・・ふと思ったのでした。

小学生の時に一度NHK特集で見た比叡山の千日回峰行を

思い出し目に残っている山を走っている姿を思い出したのです。



 明日は、太郎坊(パート4)!です。



 では、また。

2008年12月07日
太郎坊(パート2)!
 おはようございます。

今日は、太郎坊(パート2)!です。

太郎坊には別名”天狗”の意味があるそうです。

天狗と言えば我輩の記憶にはカラスのような顔をして

手のような葉っぱをもって白装束で山の中で旅人にいたずらをする

イメージが強く残っているのです。

お面なんかには鼻の長くなった怖い表情のものもありますが

山伏のからすのような顔に強くイメージとして持っているのです。

我輩が小学生の時一度不思議な体験をしたのです。

我輩の地域の小学校では、夏休みの期間中に林間学校と

いうものがあったのです。

5年生になると学年全員で高野山のお寺で合宿をするのです。

6年生には伊勢神宮へ修学旅行と決まっており

修学旅行の前に親元を離れ宿泊をする練習・・・・・

林間学校の楽しみの中に肝試しがあったのです。

夏の恒例行事・・・ほとんどの人がそこで経験をするのです。

夜にお地蔵様を出発決められたコースを二人一組で回ってくるのです。

経路上には先生方が幽霊のようにシーツをかぶったり

タオルをぶら下げて脅かしたりと楽しいひと時を体験するんです。

我輩も皆と同じく肝試しに・・・・・

我輩の順番どうした事か体が小さくなったような不思議な感覚

目から見えるものはまるで幻想の世界を見ているよな

まるで自分の体でない宙に浮いた別のもののような感覚を

体験したのです。

我輩だけでないのかも知れません。

当時我輩には不思議な体験だったのです。

これも霊山の一つ有名な高野山だからなのかも・・・

当時の我輩には不思議かつ忘れ得ない体験となったのです。

それから十何年かの月日を経て社会人として生活をしていた時

四国愛媛県の霊山で不思議な体験をするのですが

ここから先は明日お話しようと思います。



 明日は、太郎坊(パート3)!です。




 では、また。

2008年12月06日
太郎坊!
 おはようございます。

今日は、太郎坊!です。

色々な説があるとは思います。

今から話す事は我輩が訓練の時に上司から聞いた事

また、自分自身で体験し感じた事をもとに話します。

一年に一度は必ず富士山で長期間の訓練があったのです。

もともと通信の職種柄色々な地域に点在し線を張り巡らし

電波の送受をすると言った事が主体だったのです。

富士山に行くと必ず太郎坊!へあがるのです。

車で竜ヶ馬場まで上りアンテナを立てるのです。

ところがどうした訳か磁場が発生するのです。

火山灰や周りの環境からなのでしょう。

特に専門分野でない我輩にはわからない事が多いのですが、

確か”馬返り”辺りから少し林道へ4WDで無いと

入れない地域までそこからは人力で上るのです。

距離は50〜100M位だと思うのですが車では入れない地域まで

行かないと電波状態が安定しないのです。

名前の通り馬をそこから先は返さなければならない場所

そこから先は竜ヶ馬場神社の入り口です。

富士山を聖徳太子が天駆けた地域を竜ヶ馬場と呼ぶようになり

今では自然の木で作られた鳥居が人の目に触れることなく立っています。

今日の題名の太郎坊!富士山を東西に見渡せる地域から見ると

まるで台のように平たく見える地域その辺りが富士太郎坊!

太郎坊・竜ヶ馬場・・・呼び名が二つあるのです。

富士を境に東の地域は竜ヶ馬場と呼ぶことが多く

西側の地域は太郎坊と呼ぶことが多いのだそうです。

一般には富士の麓丹沢山系の話が有名なのです。

誰もが小さい時に聞いた”足柄山の金太郎”がその話の内容に

当てはまるのではと我輩は思っているんです。

幼少の頃山で熊や動物と相撲を取り大きく健康に育ち

成人を迎える頃には丹沢山系の強力として地域のために活躍をした。

そこから先は強靭な体と精神力が無いと出来ないものなのかもしれません。

太郎坊の話はまだ続くのですがここから先は明日にしようと思います。



 明日は、太郎坊《パート2》です。



 では、また。


2008年12月05日
マンガの世界!
 おはようございます。

今日は、マンガの世界!です。

昨日に引き続きマンガを思い出してみたいと思います。

我輩の年代の方なら誰もが知っているものを幾つか

上げてみると、カテゴリーが分かれているように感じるのです。

昨日のように、忍者赤影・忍者月光・マグマ大使など正義の味方が

悪と戦う英雄のような漫画と

後ろの百太郎・銀河鉄道999などのSFやオカルト的なもの

が幾つかあったように感じます。

忍者赤影などは自分の地域の中に似た人がいたり近所の

おばさんが似ていたりとすごく馴染みやすく身近に感じるものが

多くどちらかと言えば今住んでいる地域に近いもの

SFやオカルト的なものは身近にはあまり感じられない遠い世界

我輩の感じるところ父の実家のあった地域に密接な感じを受けるのです。

我輩の住む地域でも一部オカルト的な感じの受ける人もいるようです。

多くは違った地域これも土地柄なのかと思うんです。

地域の昔の話の中にも幾つか出てくるのですが

3者が集まり歌会の交流を深めていたお寺や仏教の話

又は大蛇を退治する街の英雄・貴族・武将などの神様の鎮座する話

など幾つか・・・これも大阪ならでは、のものかも知れません。

お祭りにも幾つかあるのではないのでしょうか?

我輩が今まで生活をしている中で感じる部分(確かな事ではない?)

住吉神社の太鼓も一つ北の枕太鼓・・・

我輩の住む鼻川神社にも一つ枕太鼓・・・

花川も以前は南之町・・・その昔は同じ地域のものだったのかも

お祭りには鼻川《花川・柏里》・野里・歌島と回るのも昔の

言い伝えの一つなのかも・・・と思います。

我輩の家では北枕は死んだ時にするものと教えられたのです。

仏の世界でも北枕はお釈迦様の寝ている方向

お釈迦様の世に行った時にするものだそうです。

マンガの話も幾つかそうした感じものがあったのではと思います。



 明日は、太郎坊!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 06:46 | 昔を散策 | この記事のURL
2008年12月04日
忍者赤影!
 おはようございます。

今日は、忍者赤影!です。

我輩の小さい時テレビで流行っていたのです。

知っている人も多いと思います。

忍者が仮面をかぶって出てくるのです。

素顔を誰にも見せずギヤマンの鐘や当時キリスト教を

思わせる部分も幾つかありなんとなく長崎を連想させるような

そんな感じを受ける番組だったのです。

今振り返ってみると我輩の身近には幾つか感じる部分が

あったように思うんです。

番組に出てくる忍者赤影は近くに住む人《少し前の区長》に似ていると

思う事が時々あるのです。

まるで姿や身分を隠して社会の悪と戦っているように・・・

白影も近くに住むおじいさん《今は他界されています》に似ている

と感じる事も多いのです。

その頃から遊びの中では、いつも青影になりきって

遊んでいました。別段主役じゃないのですが

近所に似た人物がいなかったのと子供役だったから。

その赤影に似た人と最後に会ったのは

今から7年前の事だったように思います。

近所の同級生のおじいさんのお通夜の日

我輩も参加しに行った時の事です。

その時に心の声が・・・・・

忍者赤影の《我輩が思っているだけ》声が・・・・・

本当にそんな事が通るのか・・・

あまり感心できない物事がそのお通夜であったのか・・・

我輩にまったくわかりません。

お通夜で焼香の時その同級生のお母さんの声も・・・

我輩小さい時家でよく遊んだ事を思い出したのです。

当時からかなりの年配だったおじいさん

生きて今日までおられたのか?

その頃から我輩の住む地域の人のお葬式は少し不思議に感じるのです。

その日から現在までお会いする事はありませ。

その時の声が今でも不思議に感じるのです。



 明日は、漫画の世界!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 07:23 | 昔を散策 | この記事のURL
2008年12月03日
グリコのおまけ!
 おはようございます。

今日は、グリコのおまけ!です。

我輩の家では、小さい時内職をしていたのです。

母が昼も夜も・・・

家の横にあったのが縁なのかも・・・・・

まるでマグマ大使に出てくるゴア様のようなおばさんなんです。

《マグマ大使を知っている人にはイメージが・・・・》

内職の請負をしていたのが・・・

体も大きく身振りも親分肌でいつも朝から大きな声で

内職の納品に来るおばさんたちとしゃべっているんです。

当時近くの保育園の園児の家では、

内職をしている人が多かったようです。

園児の送り迎えと納品・受け取りを兼ねてしている家が多かったのです。

我輩の家も同じく内職でグリコのおまけの箱詰めをしていました。

家の中はおまけでいっぱい幸いにもおまけの種類は豊富で

グリコのキャラメルを買わなくても色々ありました。

しかし我輩のつらい部分もあったのです。

自宅が近かったのもあるのでしょうが

夜遅くまで作業をしていたのです。

翌日の納期に会わせるため当然我輩もお手伝いを

我輩の身長に比較して箱が大きかったので

脇のしたが擦り切れて赤くはれるんです。

丁度ランニングを長い時間した後のようにすれて赤くなるのです。

一番下の段になると顔ごと箱の中へ

一段100個それを10段・・・・・

決まって最初にいやになり涙が出てくるのを今も覚えています。

近くの同級生がよく昼間には手伝いに来てくれていましたが

そのときは我輩内職のプロになったように説明を・・・・・

前日の夜ないたのも忘れて・・・

年を重ねるごとになれて母の作業に間に合うようになり

空いた時間に次の箱詰めの準備が出きるまでに・・・

習うより慣れろだったのかも知れません。

内職も作業が進むと一生懸命でいやな事も忘れ少しでも

スムーズに早くと頑張れたもです。

今の社会でも自分の作業に一生懸命になろうと思えるのは

この頃の作業のお陰なのかもと今は思えるようになりました。



 明日は、忍者赤影!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 06:24 | 昔を散策 | この記事のURL
2008年12月02日
坂の下のグランド!
 おはようございます。

今日は、坂ノ下のグランド!です。

昨日も話の中で出てきたのですが

自宅横の坂の下なのです。

なんでもない道が我輩のグランドだったのです。

前の道路には側溝があり水の排水のためのものがあるんです。

その側溝の壁の一部分のはがれた場所が我輩の遊び相手に・・・・

暇があるとグローブとボールを持って壁当てをしているのです。

壁のはがれた部分を使うのはボールの飛んでいくところが

予測できないため一人でも楽しいのです。

時にはTOPボールを使い顔に当て痛い思いもするのですが

これがまた楽しく癖になるのです。

我輩の遊び場として数年・・・車道と市道の入り口での

危険なボール遊びと叱られるかも知れませんが

我輩の一人でも出きる野球だったのです。

一年に一度我輩の遊んでいる後ろに人が立つのです。

まるで時代劇に出てくる隠密のように

格好も白装束で顔は見えないように篭のようなものをかぶり

今にも尺八を吹きだしそうな・・・・・

必ず一年に一度・・・・・我輩の後ろに立っているのです。

今では駐車場になり人の影もなくなりましたが

それから以降野球マンガには付きもののように壁宛のシーンが

そう思うのは、我輩だけでしょうか・・・・・

あの時の白装束の人は、今では、顔の見える人として

梅田界隈の地下で、お会いしているのかも知れません。




 明日は、グリコのおまけ!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 06:29 | 昔を散策 | この記事のURL
2008年12月01日
ピンポンパン体操!
 おはようございます。

今日は、ピンポンパン体操!です。

我輩の思い出の中にピンポンパン体操!があるんです。

テレビで毎朝していたので同じ年代の方なら知っているでしょう。

我輩には、また違った思い出なんです。

それは、大阪城にあるグランドでのピンポンパン体操!なんです。

小学生の頃大阪城のグランドで運動会をしたのです。

天候は曇り・・・・・

参加人数は、それほど多くなかったように思うのですが・・・

我輩の小さい頃、京都のお寺やお経を勉強したりと

いろんな活動をしていたのです。

4月には甘茶の日として花祭りをしたり

京都にあるその当時東本願寺や西本願寺など色々と回ったりと

していたのです。

我輩も同じく一緒に行動をその中での行事の一つにあったのです。

大阪城のグランドも出来たばかりだったのでしょうか?

当時の内容はわからないのですが

出来て初めての運動会だったように記憶しています。

そこでピンポンパン体操!をしたのです。

その頃からすでに30年以上たった今・・・

ある会社での上司の一言・・・・

われわれも同じように運動会を大阪城でしてもらいたい

数年忘れていた行事

その当時を思い出すのとなぜこの人はその時と

同じように運動会をしてもらいたいのか???

今の我輩に解らない部分・・・・・

我輩は縁があって少しの間お寺を回ったりと機会に恵まれたのですが

その方は縁が無かったのでしょうか?

その当時の生活を我輩は良い部分も多くあったが

その反面社会人としての生活では無かったのかも・・・・・

人間として生きていく事を良しとする人にはです。

我輩は人としてこの世で生活をするように教えてもらい

今現在も人として生きているつもりです。

悪い心・行いも人にはある部分

それも人の世の生活ではないのでしょうか?

この世の法律・人間としてのマナー

年とともに養われたであろう常識の部分

当然社会人としての考え方も

過ちもいくつもあったでしょう。

その事に気付き反省の出きる人間になれるよう

普通に生きてきたつもり。

人間として生きていき始めてからは

あまり考えなくなった部分かも知れません。

我輩はこれから先も人の世で人間として生きてゆこうと思います。

たいした能力など無いのですから。



 明日は、坂ノ下のグランド!です。



 では、また。

Posted by ビギン at 08:15 | 昔を散策 | この記事のURL
2008年11月30日
雪ダルマ!
 おはようございます。

今日は、雪ダルマ!です。

我輩の小さい頃は大阪でも雪が積もる事が

1〜2度あったのです。

引っ越してきて1年目の冬?

家の外がすごく明るかったのを覚えています。

窓を開けてビックリ!

なんと雪が積もっているではないですか。

生まれて初めて見る雪に心が浮かれ思わず外へ飛び出したのです。

自分の歩いた後を振り返ってみると足跡が・・・

一度は家に戻り朝食を済ませ再び外へ

雪ダルマを作ろう・・・・・

家の横から坂を昇りながら丸めてゆく

1〜2メートルも進むと昇れなくなる

我輩にはすごくきつい坂に思える。

その時に母の手助けが・・・

どうにか坂を乗り越え1体の雪ダルマになる・・・

まだ、舗装のされていない道も真っ白に化粧をしているのに

雪ダルマの通った部分だけが黒く道のように見える

その頃からいつも通る坂道

今は、きずく人すら少なくなっている。

その坂の先にあるものは一つしかないのに・・・


社会人になって一度雪ダルマを作った事がある

その時も、近畿では何年ぶりかの大雪との事である。

ふと懐かしくいっぱいの雪ダルマを作ってしまった。

その日は、大阪城から来た車の不凍液の交換で忙しく走り回った。

その地に住んで一年目の冬のことでした・・・・




 明日は、ピンポンパン体操!です。

 


 では、また。

Posted by ビギン at 06:42 | 昔を散策 | この記事のURL
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