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 屋根裏に子供部屋が、小さい頃の思い出・・・ 沢山の思い出が、大冒険の始まりの予感が!
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2009年04月19日
心の声!
 おはようございます。

今日は、心の声!です。

屋根裏部屋のお話も200話近くになりました。

いろいろしてきたお話の中の「声」・・・

実際に聞こえたのか?それとも心の中で感じたのか?・・・

心の声!・・・いつ頃からだろうか?・・・

今日は少し考えてみようと思います。

我輩の小さい頃の不思議な体験の時にもあったのかも知れません。

小さい頃の記憶をたどると夢で見た?そんな感じが強くあるのです。

記憶が古くなると夢か現実か・・・

ただ・・・自衛官であった頃は感じなかった・・・あの日までは・・・

あの・・・師団長室の時までは・・・

それ以降の記憶はいまだ、新しいものに思えるのです。

自衛隊を退職して初めて勤務した場所での生活にも慣れ

会社の同僚の自宅へ呼ばれたとき・・・不思議と心の声が聞こえたのです。

小学生の兄弟のいる同僚で自宅へ招待してくれたのです。

この時我輩小学生の子供へのお土産を考えていたのです。

あるデパートへ行き年齢を考え選んでいると心の中で声が聞こえた?

兄弟喧嘩しないように同じもにしてください・・・・

不思議とお土産を選んでいる我輩には閃いたような感覚だったのでしょう。

今、考えるとそう思えることが不思議?なのかも知れません。

会社の同僚の奥さまの声?・・・今までに数少なくなかったのかも知れません。

それから間もなくその会社を退職したのですが

新たの勤務先でのことです。

長距トラックの運転手をしていた我輩は深夜の時間に帰宅することが

多くあり自宅へ帰る前や、目的地へ着いたところでの外食が多かったのです。

この日も会社の近くのラーメン店へ行った時

深夜3時ころ店内のカウンターには人がたくさんいたのです。

我輩も空いたカウンタへ腰を下ろしラーメンを注文したとき

いつもと違う雰囲気に気がついたのです。

そこにはきれいなチマチョゴリを着た女性が数人男性と仲良く

会話をしていたのです。

チマチョゴリの女性を近くで見るのは初めてで少し意識が女性の方へ・・・

間もなくカウンタのグループは席を立ち清算を済ませ店の外へ・・・

この時、不思議と男性を送って行ったらまたここへ帰ってきます。

声が・・・我輩には確かに聞こえた・・・

あの時と同じように・・・しかし我輩深夜の運転の疲れと

少量のアルコールで眠くなり会社の駐車場へ停めたたトラックへ・・・

そこで朝まで仮眠をとったのです。

朝起きるとそこは、いつもと変わらない会社の駐車場

同僚たちも次々と出勤し各人その日の作業現場へトラックを走らせたのです。

昨日の、不思議な声・・・我輩の心の中にしまったのですが・・・・

以前いた・・・同僚の自宅へ招待してもらった時の事が思い出された・・・

その同僚の奥さまも在日朝鮮人の人であったのです。

あの時の・・・伊丹でもらったキムチの時も・・・

今、思い返せば帰りの電車の中のキムチの匂いの時も・・・聞こえたような

そんな不思議な感覚が今でも残っているのです。




 明日は、初めての塾!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 07:33 | 冒険 | この記事のURL
2009年04月18日
女性の涙!
 おはようございます。

今日は、女性の涙!です。

昨日のお話と関係が深いのかも知れません。

今日のお話は我輩自身が感じた不思議な体験です。

当時、我輩はある飲食店の厨房で勤務をしていたんです。

夕方から深夜終電頃までの厨房のスタッフとして勤務している時のことです。

店の閉店から終電の時間までは約45分・・・

スタッフ全員がそれぞれの終電に間に合うようにかたずけをして

明日の朝の準備までしてからの帰宅・・・

要領良くかたずけをしないと終電に間に合わなくなるのです。

我輩の場合終電に遅れても自宅まで歩ける距離でしたから

よかったのですが中には大阪市の一番端から通勤をしているスタッフもいて

みんなが大変忙しくしていたのです。

どうしても自分の持ち場優先になり手伝う事もなかなか思うようにいかない・・・

そんな中、いつの頃か我輩の心の中には悲しさがいっぱいになっていたのです。

別段我輩自身のことではないのに時には涙が眼に滲むことも・・・

そんな時、我輩の目には一人の女性の歩く姿が映っていたのです。

厳密に言えば目の前の景色の後ろにもう一つの景色がある・・・

二重に重なって見える状態・・・

その中の一人の女性は涙しながら歩く姿が我輩の目には見えていたのです。

不思議と我輩の目にあった涙はなくなり見えている

女性の目に涙があふれたのです。

我輩と同じ状態・・・悲しみに涙しながら歩く女性の置かれていた状態が

今、そこで働く我輩・・・もしくは同じ厨房のスタッフの心の中・・・

そう思えたのです。

悲しみの涙・・・我輩の心の中?・・・同じスタッフの悲しい思い?・・・

それとも・・・女性の悲しい思い?・・・

どこかで同じ悲しい思いをしているのか?

昨日と同様我輩の作業も自衛隊のもといた部隊の同僚に見えていたのかも

不思議な思いが少し別の感情へ変わっていくような気がしました。



 明日は、心の声!です。





 では、また。

2009年04月17日
自衛隊の面影!
 おはようございます。

今日は、自衛隊の面影!です。

我輩がここ10年の生活の中でした不思議な体験の中に

自衛隊の面影が映ることがたびたびあるのです。

ある会社で問題があったときふと面影がダブって見えたのです。

その会社では、こんな事件が起きたのです。

転職をして間のない我輩は専任者の指示に従い作業をしていたのですが

ある日の作業で不注意にも液体の漏れる事故を起こしたのです。

別段危険なものではなく周りに流れない処置をして

問題にあたったのですがこの時遠くにいた作業員の一人が

「それが原因んで爆発事故が起きた」そう叫びながら

我輩に飛びかかってきたのです。

普段の我輩ならそのまま立っている状態だと思うのですが

この時に我輩は反射的に飛びかかる行動に・・・

頭の中では、自衛隊の時の銃剣道の試合と重なっていたのです。

現場にいた専任者が止めに入りどうにかその場は落ち着いたのですが

その後の事務所では以前我輩が所属していた部隊の先輩隊員の声が

ダブって聞こえたのです。

事務所で専任者が遠くから飛びかかって来た作業員と話をしている声の中に

自衛隊の先輩隊員の会話があったのです。

その話の内容を聞いて我輩はピンと来るものがあった。

場所は電源庫(今も変わりなければ)話をしている二人は小隊の

班長になっているでしょう。

若い隊員の問題を二人で話している会話が聞き取れたのです。

おそらく若い隊員も我輩の状況と同じようにその場所で

喧嘩になったのでしょう。その時我輩は不思議なこともあるものだ・・・

そう思うと同時にある問題を感じたのです。

自衛隊を退職してすぐに働いた会社の取引先の事故の事が思い出される。

今までの不思議な体験の半分近くはその工場の担当者の面影も映し出している。

全国でも数少ない製品を取り扱う会社が死者を出す爆発事故を起こしたことを

聞いた事がある。

警察署での会話もそうした内容が数多くあったのも事実

あの時の「それが原因んで爆発事故が起きたんだ」・・・

自衛隊の中の作業と工場の爆発と何か関係があったのだろうか?

我輩の心の中にはこの時にそう言う思いを持ったことは事実なのです。

この事があってから以降幾つかの同じような不思議な体験をする事になるのです。



 明日は、女性の涙!です。





 では、また。

2009年04月16日
キムチ!
 おはようございます。

今日は、キムチ!です。

本格キムチとの出会いが思いがけない場所であったのです。

我輩の社会人生活送っていた伊丹市の中央での出来事です。

伊丹の街には歴史があり古くからの文化が残る町なのです。

中部方面総監部と師団司令部の重要な拠点を持つだけあり

昔から栄えていた面影がいたるところに残っている町なのです。

我輩は・・・ほとんどが駅前にある商店街を拠点として

行動していたのですがその駅前にも古くからの歴史があり

以前は赤線地帯や青線地帯が隣接した場所だそうです。

昔からの栄えた町がそのまま残っている地域もいくつかあったのです。

当時の我輩はそうした歴史のある町ということすら知らずに生活を

していたのですが、ある日我輩の同期に誘われるまま

一軒のスナックへ入ったのです。

少し裏通りを入る場所・・・辺りには以前の自衛官が経営する

店も多くあり我輩も誘われるまま・・・

そこで少し伊丹の街の歴史を聞く機会があったのです。

少し裏通りに入ったその場所は以前の表通り

青線地帯の入口だったようで昔の面影を残したままの店が

たたずんでいたのです。

その店の経営をしていたのが在日韓国人の人で昔からその地域で

生活をしていたそうです。

その辺りには在日韓国人の人の生活が未だたくさんあり

地位の特性や歴史の話をお酒を飲みながら話してくれる楽しい店だったのです。

週末自宅へ帰る前に店による約束をしその日は部隊へ・・・

我輩が特別外出の許可をもらい自宅へ帰る前に店へ

まだ店を開ける時間には早かったのですが自宅で作ったキムチを

プレゼントにもらったのです。

今までキムチにおいしく食べる期間があることを知らないかった我輩に

今日持って帰ってから3日後から約1週間が

甘くおいしくキムチの食べれる期間と教わり

ビニールの袋と新聞紙で2重に包装して自宅へ持って帰ったのです。

店を出るとき電車の中で少しキムチの匂いがするけど

嫌がらずに持って帰って食べて・・・

我輩そんなに匂いが周りにするなって気にも留めず電車へ・・・

なるほど電車の中では我輩の周りはざわざわとし始め周りにもかなり

キムチの匂いが感じ取れた様子・・・

自宅へ持って帰り母に食べごろの説明をした後再び自宅を後にしたのです。

その時の食べごろを迎えたキムチの味を味わっていないのは少し残念・・・

食べごろより2日早いキムチの味だけが思い出として残っています。



 明日は、自衛隊の面影!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 11:07 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年04月15日
見えない人!
 おはようございます。

今日は、見えない人!です。

以前にもお話の中で紹介した変な集団!もそうなのかも知れません。

あの時は、その人物がすべてのものを見てない・・・

見えてない状態に思えたのですが今日のお話は少し様子が違うのです。

我輩が自衛隊を退職してから約10年が過ぎたころ・・・

我輩の身の回りにはいくつかの不思議なことが起こり始めていたのです。

社会人として生活をし始めた頃の退職して10年目の事を思い出し

以前所属していた部隊へ挨拶をかねて訪問したのです。

門にある警衛隊で手続きをして部隊へ訪問・・・この時です。

不思議な光景を見たのです。

自衛隊で約10年生活をした我輩には不思議に思えた・・・

一人の自衛官が制服で警衛隊の前へ・・・

この時その後方約5mを一人の男性が門から外へ・・・・

警衛隊から一番遠いところを通って外へ出る????

警衛隊が所属部隊ならあるいは・・・でも???

明らかに周りの警衛隊や自衛官にはその男性は見えていない・・・

我輩にはそう感じ取れたのです。

我輩が訪問した時の自衛隊の中は幾分変化があったのは事実

我輩がいる時のセキュリティーはなく新たな監視体制が出来てた・・・

しかし・・・警衛隊を通る時の男性の行動は所属部隊の隊員でも

少し変である・・・我輩はこの時この男性は周りに見えていない・・・

見えない人!我輩の目にはそう見える・・・しかし駐屯地の中で生活する隊員の

目には映っていない・・・その男性も警衛隊が姿を見えていないことを

知っていて駐屯地を後にした・・・我輩にはそう思えて仕方がない

それから何ヶ月後の再訪問の時には以前と同様のセキュリティーの状態に

我輩が長年生活した状態の駐屯地に変化したのです。

あの男性も外部から訪問した我輩の姿は見えていなかったように思える。

あの時の男性は何の目的で駐屯地に入りまた駐屯地を後にしたのだろうか

我輩と入れ替わるように・・・・



 明日は、キムチ!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 07:41 | 冒険 | この記事のURL
2009年04月14日
師団長室!
 おはようございます。

今日は、師団長室!です。

今までのお話の内容を見て既に分かっていると思います。

学校を卒業して自衛官として社会人生活を送ってたのです。

その中でも不思議な体験がいくつかあるのですが

今日のお話は誰も触れたことがない・・・

ある意味、触れてはいけないお話なのかも知れません。

我輩、最近あった中川代議士の記者会見事件がどうしても

疑問が残ってしまい拭い去れない・・・のです。

中川代議士が問題ではなくその周りの担当者・・・なのです。

今日の話もそんな意味では興味のある話なのかも知れません。

我輩が退職をする少し前のこと・・・

我輩の所属する部隊では変化が表に出ていたのです。

変化???部隊の内務面・・・若い隊員の服務面・・・

隊員の体調面・・・さまざまな所に出ていたような気がします。

時々、隊員の中には外出先から帰らずそのまま何日もして退職・・・

そんなことがあるのですが我輩には理解が出来ない・・・

なぜなら、その隊員は優秀でかつ隊内でも若い隊員を引っ張っていく

そんなタイプの隊員も多く含まれていたからです。

我輩この事件以降今までの隊員の帰らない状況が少し理解できた気が・・・

ある日我輩は外出をしたのです。

いつものように伊丹の街でリフレッシュ・・・夕刻には

自分のお気に入りの店でお酒を楽しむ・・・

そんな普段と変わらない休日を過ごしていた時のことです。

アルコールも程よく?いつもより少し多め?を飲み気分よく帰ることに

駅前でタクシーに乗りいつもと変わらない道を駐屯地へ・・・

タクシーメータの表示された料金を支払門の中へ

その頃の我輩はアルコールのせいでかなりの上気分

いつもなら自分の所属する隊へ帰り外出証を返納して自分のベットへ

しかしその時の我輩の行動はいつもと違っていたのです。

警衛隊の前をいつものように通過した我輩は目前にある建物へ

その時の我輩の記憶の中にはアルコールで酔っていたにも関わらず

かなりの速度でそのまま階上へ上がったのです。

その建物の屋上には毎日の日課となる国旗掲揚台があり

建物の中には師団長室をはじめ駐屯地司令・各閣僚の部屋が並んでいるのです。

本来なら勤務時間外には隊員の関係する建物ではないのですが

その時の我輩は深夜にも関わらず誰もいないある部屋へ入ったのです。

当時の我輩の耳には?心の中に聞こえる声は・・・

部屋にある国旗を盗むんだ・・・

この時我輩は少し我に返り部屋の中を・・・そこはまさしく師団長室・・・

国旗・・・我輩も自衛隊で生活が長く国旗のある場所はここではないことは

最初からわかっていた・・・

心の中の葛藤・・・国旗はここにはない・・・

じゃどこにある・・・それは・・・

ではそこに行け・・・そこにはかぎが掛かり入ることは不可能・・・

短い時間に我輩の葛藤だった気がする。

その反面我輩の背後に誰か人物がいた気配も感じたことは今でも覚えている。

短い時間の葛藤の末その声とその行動から解かれた我輩は建物を後にしたのです。

その日の我輩はその先のことは記憶にほとんど無く違う建物の

我輩のいる部屋と同じ位置の他の部隊の隊員のベットで朝まで眠ったのだ

今までに体験した事のない状況に我輩は困惑したのです。

今まで不通に生活している隊員が帰らない状態になるのは

こうした背景があったのかも知れない・・・そう感じたのです。

今でも大阪梅田の地下街で数回こうした状況になることがあるのですが

世間で問題になる警察官の不祥事事件の背景にもこうした要素が大きく

あるのではないのだろうか?

そう強く感じる・・・

あの時の中川代議士の行動も隣にいた代議士や記者の中に・・・

本来何も問題ない安定した身分の保証される職域に

不祥事事件が多くあるのは・・・背景にあるものは?

我輩には解り得ないもの・・・JR尼崎の事故の背景にも

今までお話ししてきたある要素が大きく含まれているとすれば・・・

人の住む世にはあってもらいたくないものだと思う。



 明日は、見えない人!です。





 では、また。

2009年04月13日
銭湯ブーム!
 おはようございます。

今日は、銭湯ブーム!です。

我輩の周りで小学生のころブームになったのです。

今のようにスパー銭湯!や家族風呂がまだない?はやっていない頃

突然そのブームはやってきたのです。

おそらく火種は以前のお話で紹介した

牛乳のキャップ!から始まっていたのではないかと思われるのです。

どこから珍しい牛乳のキャップを集めてくるのか・・・

いろいろな種類の牛乳のキャップの出ていたのが銭湯と判明したのも

この銭湯ブームを迎えてからなのです。

我輩の周りの友人とあるきっかけで銭湯へ行くようになったのです。

銭湯に行く楽しみはゲーム機がおいてある・・・

風呂上りに飲むいろいろな牛乳・・・

その頃の我輩には最大の魅力・・・・

そのゲームや牛乳を友達と目当てに銭湯へ通っていたのですが

いつの頃からかゲーム機や牛乳のほかに、いろいろな種類のお風呂を

楽しむようになったのです。

情報は早いものであそこの銭湯は電気風呂を新しく改装した・・・

なんて情報があると自転車でみんなでその銭湯へ

サウナが出来るとそこへも自転車で・・・

その当時の我輩の住む町の銭湯はたくさんあり小学校のある校区でけでも

4件中学校の校区を合わせると我輩のレパートリーだけでも15・6件と

たくさんの銭湯へ行っていたのです。

まだ、今のように家族風呂やスーパー銭湯が流行る前の前進の時代です。

その当時の銭湯は競って改装や新しい入浴剤等

工夫をして楽しませてくれていたのです。

今では、時代の流れか銭湯も以前の4分の1とさみしくなり

その当時のブームも見る影がなくなりました。

今でも時々銭湯のサウナを楽しみに通うのも

その当時のブームがあったからなのです。



 明日は、師団長室!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 07:43 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年04月12日
花川銀座通り!
 おはようございます。

今日は、花川銀座通り!です。

いつの頃からそう呼ぶようになったのか・・・

周りの人はそう呼んでいるようです。

確かに賑やかな通りではあったんです。

我輩が生まれて間もないころに住んでいた通りなのですが

その頃から子供がたくさんいて賑やかな人の交流があった通りなのです。

名前のとおり昔の川だったようです。

我輩も地域に生活していても知らないずいぶん昔のことなのです。

我輩の推測するところ新淀川が今の形になる前・・・

以前のお話の中で紹介した淀川の決壊のあった頃・・・

当時川の名前は中津川・・・

今の19号線にある中津川と関係があるか定かではないのですが

同じ字の川が流れていたようです。

我輩の通っていた小学校も当時、川の中だったのでしょう。

学校の噂の中には墓場説や河原説がささやかれていたのですが

我輩が思うに川の中州だったのでは?と思うのです。

花川の名前のように小川になっていたのでは?

本来は中津川の大きな川の一部が中州に阻まれ

小さな川になって流れていたのかも?と考えたのです。

水は生活の中では重要なものですから当然その通りに人が集まったのでしょう。

その面影が今も残りその通りは賑やかな人の集まる通りになったのでしょう。

我輩の小さい頃にはお店がたくさんあり市場まで出ることなく生活が出来る

そんな通りだったのです。

お祭りのときには一段と賑やかで車が通れる程度・・あまり広くない通りに

枕太鼓が通ると大変大きく感じられ賑やかさを増していたのです。

そのせいもあってかいつ頃からか花川銀座通りと呼ぶようになったのでしょう。

我輩もその呼び名を聞いた時昔懐かしいお祭りを一番に思い出したのです。



 明日は、銭湯ブーム!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 07:44 | 冒険 | この記事のURL
2009年04月11日
エレクトーン教室
 おはようございます。

今日はエレクトーン教室です。

以前屋根裏部屋に置いてある電子オルガンの話をしたのですが

それ以前に我輩、ヤマハ音楽教室へ通っていたことがあるのです。

今から、何年前のことでしょう。

我輩が現在住む地域で班長の役が回ってきた時・・・

それまで、我輩の頭の中にはヤマハ音楽教室の事を忘れていたのです。

ところが、その年の年末に我輩、火の用心で地域を回ったのです。

各町会から毎年何名か参加をして年末の地域の巡回をしたのです。

それまで、我輩は地方に出ていて地域のことにも

あまり参加していなかったのですが

その年の町会の火の用心の時地域を回った人なのかに懐かしい人が・・・

正確に言うとその方の奥さんが昔の幼馴染だったのです。

我輩と二人してヤマハ音楽教室へ行っていた事を思い出したのです。

名前???我輩の記憶には・・・新しく年を迎えた頃

今住んでいる所に引っ越しする前の家に一台の車が止まっていたのです。

その車の持ち主が我輩と一緒に年末の火の用心で巡回した人だったのですが

その人先に懐かしい顔が・・・以前・・・もう30年前住んでいた

同じところへ帰ってきていたのです。

家もそのままに昔と変わらず・・・

いつ頃からついたのか花川の銀座通り・・・

昔、我輩の小さい記憶の隅にある懐かしい街並み・・・

生活の思いだがある場所へ・・・

今も我輩の住んでいる地域に時々懐かしい顔が・・・

帰ってきたのだと心の中でささやく自分に年を重ねたと感じるのです。



 明日は、花川銀座通り!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 08:30 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年04月10日
習字!
 おはようございます。

今日は、習字!です。

昨日のお絵かきと同様習字にも上手下手以外のものがある

そう思える年代になったのでしょうか?

今から8年ほど前我輩少し習字を習ったのです。

習ったといっても書道教室へ通ったわけでなく

近くに住む叔父に教わったのです。

以前から何かあるごとに筆で文字を書いてもらっていたのですが

その頃我輩も一大奮起・・・筆を手にしたのです。

習った文字は簡単なものでまず、最初に「一・二・三」・・・

たったこれだけの文字でも筆の使い方にはたくさんの要領があるのです。

最初の筆の立てる位置・・最後の止め。

次にの文字のそりあがりと止め。

三の文字の真ん中の筆の使い方・・・

これだけでも当時の我輩には上達した気分に・・・

次に習ったのが「川」この文字にも特徴がたくさんあり

縦の線の筆の使い方と払い方・・・

次が「上」最初に習った一・二・三の応用がたくさん含まれていて

この字を習う頃には2か月がたっていたように思います。

ここから先は「つり」ひらがなを習い丸みを帯びた字とはらいを習い

次に我輩の苗字を習ったのです。

その成果を自宅の表札にしたのですが

今まで数十年自分の苗字を書いてきたのに

時代によって違ったことに気がついたのです。

その頃の我輩の心の中が苗字になって表れていた・・・・

時には笑ったように見える文字

いびつに傾いた文字・・・

形をカッコ良く見せようとする文字・・・・

我輩がその文字の楽しさに気がついた時に初めて文字に上手下手はない・・・

と教えてくれたのです。

絵の時と同様自分の心の中見せたい部分が文字にも現れる・・・

そのことに気が付いてから数年後・・・・

我輩と同じ文字の給料袋をもらったのです。

不思議な縁です。

今までに忘れていた我輩の文字、先月は小学生の頃の文字

今月は中学生の頃の文字・・・

今でもその封筒はしまってあるのですがその地域も不思議な地域で

我輩の小学生の頃の地域の人たちがたくさんいるのです。

中には小学生の頃の教頭先生もいる不思議な地域・・・

なんだか懐かしさの残る地域が天神橋界隈にある

心和む年月を過ごしたのです。



 明日は、エレクトン教室!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 07:09 | 昔を散策 | この記事のURL
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