2022年04月16日

顕正新聞に妙相寺関連の記事が掲載されました

骨折の方もだいぶ落ち着き、日常生活を送る分には、ほぼほぼ影響が無いほどまで回復したキッコーマンです。



ただ先月から仕事を復職し、妻と子供も戻り、ハイハイを始めた息子は色んなものに興味津々で目を離せず、今もキーボードを勝手に押されながら書いています。



さて、まずは顕正新聞3月25日号に載ったこの記事です。

Screenshot_20220403-000042.png



この記事を読んで、色々と違和感を感じます。



まずこの方は、昭和35年に創価学会に入った、と書かれていますが、当時は日蓮正宗・創価学会だったので当然創価学会に入るという事は、日蓮正宗の信徒となる、即ち御授戒を受けたという事になります。




しかし「私が授戒を受けた妙相寺・・」とありますが妙相寺が建立されたのは翌年の昭和36年の事であり、昭和35年には妙相寺は存在していません。



多分この方は勧誡の事を御授戒と勘違いしているのかもしれません、しかし、記事にあるように50歳の時に法華講に移ったとありますが、この方が妙相寺信徒として勧誡を受けたのは平成22年3月4日の事であり、68歳の時になります。



また御開扉を年に12回受けていたとありますが、総務の方で添書登山の記録を調べてもらうと、なんと1度も添書登山はされていません。



つまり、支部登山は年に3回から4回なので、添書登山をしない限り「年に12回」登山等というのは全くの事実無根であるというわけです。



また先代御住職の臨終の相が悪い云々についてはブログ記事にもしておりますが

http://fanblogs.jp/kikkomankensyoukai/archive/45/0



これは顕正会→法華講→顕正会と戻ってしまったH澤氏が言っていた事を鵜呑みにしているだけですね。



ちなみにこのH澤さんは、葬儀の時、お寺の敷地外からお焼香をしただけであり、先代御住職の相は見ていません。




先代御住職が悪臨終等というのは全くのウソであり、拝した方は皆口を揃えてお顔に赤みもあり、綺麗で素晴らしい成仏の相であったと証言しています。



続いて4月15日号のこの記事になりますね。

kensyou blog.jpg



この件については、この法華講員であるK君は元顕正会員であり、登壇者であるK隊長はこの法華講員であるK君の元上長です。




「住所が分かって・・」云々とありますが、何を言っているのか。



ちゃんと書けばいいじゃないですか、元顕正会員であり、自分の隊員だったから住所を知っていたって。



また記事にあるような、誹謗等はしていないそうです。




突然、K沼氏からしつこく法論しろ法論しろと連絡が来たのは事実ではありますが。K君はまだ日蓮正宗での信仰歴も浅く、教学もそれほど強くはありません、顕正会側は恐らくそれを狙ってきたのかと思われます。





また、そんな彼を夜に突然、家に押しかけてギャンギャン喚かれ、思わず誓約書にサインをしてしまったのも事実ですが、このような反社会的な行動をするのが顕正会なのでしょうか。





それと、カエリタマエがどうとか、ガネーシャ像がどうとか、そんな事いつまで言ってるんでしょうか、慧妙側で既に反論が出ていますし、そもそも妙観講は他支部なので無責任な発言もできません、以前記事に書きましたが。


http://fanblogs.jp/kikkomankensyoukai/archive/86/0



肝心要のニセ本尊問題から一体いつまで逃げているのでしょうか、隠すのもいい加減限界があるのではないでしょうか?




K君自身もまだそれほど顕正会に対して、それほど強くはない中で、自分の都合で物事を進めてしまったのも事実です、なのでK君には必ず他の人に応援を求める事を念を押しました。



そして思う事は、さほど教学がさほど強くないメンバーにどうフォローしていくか、というのも課題であり、自分達の育成不足の面も感ずる所で反省しなくてはならないな、とも感じます。


2022年03月08日

幹部から言われる事

顕正会をやっていると、色々な事を幹部から聞かされ、強制されたりします。



その中にはこれといった説明もされずにされるがままになっている会員の方も多くいらっしゃいます。



私は日蓮正宗に来てから顕正会との違いが多く、驚く事も多かったものです。



現役の会員の方は一度目を通していただきたいと思います。



・謗法

顕正会に入信して聞かされるのがまず、この「謗法」はいけないと言われます。


謗法とはそもそも何ぞや、という事自体も具体的に聞かされません。大聖人様は


「慧又堪へざれば信を以て慧に代ふ。信の一字を詮と為す。不信は一闡提謗法の因、信は慧の因、名字即の位なり」(御書1112)


つまり、この正法に背く事を謗法と言います。また真言見聞には


「謗法とは謗仏謗僧なり」(御書608)


とあり、法を謗り、僧を謗る事も謗法であると仰せです。



また十四誹謗というのもあります。私は現役時代も聞いていましたが今はどうなんでしょうか。



「有る人此を分かって云いはく、先に悪因を列つらね、次に悪果を列ぬ。悪の因に十四あり。一に憍慢・二に懈怠・三に計我・四に浅識・五に著欲・六に不解・七に不信・八に顰蹙・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善・十四に恨善なり」(御書1046)


と御文の通り、十四の謗法があります。


大白法・平成20年6月16日号から解説を抜粋しますと


一に憍慢とは、正法に対して驕おごりあなどること。二に懈怠とは、仏道修行を怠おこたること。三に計我とは、正法を自己の考えで推おし量はかり我見に執着すること。四に浅識とは、正法を自己の浅い知識で判断し、より深く求めないこと。五に著欲とは、欲望に執着して正法を求めないこと。六に不解とは、正法を理解しようとしないこと。七に不信とは正法を信じないこと。八に顰蹙とは正法に対して顔をしかめ非難すること。九に疑惑とは、正法を疑い惑まどうこと。十に誹謗とは、正法を誹ること。十一に軽善とは、正法を信受する者を軽蔑けいべつすること。十二に憎善とは、正法を信受する者を憎にくむこと。十三に嫉善とは、正法を信受する者を嫉ねたむこと。十四に恨善とは、正法を信受する者を恨うらむことをいいます。




となっています。



顕正会では単純に他宗の事を謗法と言いますが、謗法と一つに言っても様々な謗法があるのです。



顕正会では入信の際に他宗のお守り等を処分する事を言われます、これは当然日蓮正宗に於いても「謗法払い」といい、お守り等以外にも、自宅にある、あらゆる謗法物を処分してから御授戒となります。




また、顕正会の場合は他宗・他門の神社や寺院、宗教施設の敷地内に入る事を禁じられますが、ここで日蓮正宗とは違いがあります。



具体的には敷地内に入る事は謗法行為には当たりません、ようは邪宗の本尊を拝んだり賽銭など布施をする事が謗法となり、敷地内に入って見学する事は禁じられていません。



これは第九世日有上人の化儀抄に

「他宗の神社に参詣し一礼をもなし散供をも参らする時は、謗法の人の勧請に同ずるが故に謗法の人なり(中略)但し物見遊山なんどには神社へ参らせん事禁ずべからず、誠に信を取らば謗法の人に与同する失あり」



とあります、物見遊山とはつまりは見学です。



またどうしても仕事等で入らざるを得ない方もいらっしゃいますからね、例えば警察官は敷地内で警備をしたり、あるいは事件が起きれば行かなくてはいけませんし、消防士の方などは火災や急病人対応などで行かざるをえません、そんな時に「私は行けません」では困ってしまうし、信用も失ってしまいます。



なので顕正会で言われているような敷地内に入ってはいけない等という事は無いのです。



そもそも、日蓮正宗信徒であった浅井会長がそれを知らないわけがないし、浅井会長がそのような指導をしたという文献が見当たりません。


また、ある元顕さんからの情報によると、顕正会本部に仕事で敷地内に入らなくてはいけない、と相談したところ、「仕事であればかまわない」と返答があったそうです。

・顕正会は土日休みの仕事でなければいけない。

これはもはや暗黙の了解というか、当たり前の如く言われますが、そんなわけありませんしこれも浅井会長がそのような指導をした文献はありません。



そもそも広宣流布する団体であるならば、サービス業やインフラ等の業種に従事している方も必ず出てきます、世の中、土日に働いている人が多くいるから世の中が回っているんです。



土日に全員が全員休んだらどうなるでしょうか?



ドラえもんに「ぐうたら記念の日」という話があります。



この日は誰一人として仕事をしてはいけないというのです。



飲食店や小売店は当然ながら休み、お巡りさんに助けを求めても休業、火事が起きても消防車は来ない。



作中には書かれていないものの鉄道やバスなどもみんな動きません。



つまり、土日に働く人がいないという事はどんなに恐ろしい事なのかという事です。



ちなみに日蓮正宗ではそのような事は当然言われません。


・広布御供養や機関紙購読の立て替え

これは本当にどうしようもありません、これこそお金に汚いというべきです。



顕正会では上限を6万と定めていますが下限も1万と定めています。




そうすると、参加者の数を増やす為に未活動者の分まで1万ずつ立て替えます、私は5人ほど立て替えていました、当時は上限8万だったので5人立て替えて13万払っていました。




機関紙購読も同様、1部8500円でも5人立て替えれば42500円で5万を超えます、しかも時期はちょうど自動車税支払いの時期、本当に大変です。



財の功徳があると言われましたが、一生懸命立て替えしている幹部ほどお金が無い人が多いですね。




さて日蓮正宗では上限もありませんが下限もありません、半紙1枚でも御供養になるのです。




しかも時期が決まっていない為に自分のタイミングで御供養も出せますし、強制もされません。



よく顕正会では宗門は供養供養と言われると言いますが、全く言われません、拍子抜けするほど言われません。




そもそも御供養というのは御本尊様に対する御供養であり、御僧侶はそれを取り次ぐお立場なのです。




それに法事や葬儀等で御供養を出すにしても、金額が決まっていません、それはあくまでも本人の志だからです。




顕正会では

「葬式に300万請求された」

という登壇がありましたが、こんなのは法華講員だったらすぐウソだと分かります。



私達は他の信徒さんがどのくらい御供養をしたのかも分かりませんし、もっと出せとも言われません。




当たり前ですが御供養は立て替えなどしてはいけません。例え家族、親子であっても御供養とは自分のお金で、金額云々ではなく真心で行うものです。




顕正会では色々言っていますが、顕正会時代よりも日蓮正宗に来てからの方が金銭的に一気に楽になったのは言うまでもありません。



・酒を飲んだら勤行できない

これもよく言われる事です、なので職場の同僚などとお酒を飲む機会があっても勤行する前にお酒は一滴も飲めない、という真面目な会員さんも多くいらっしゃるでしょう。




確かに日蓮正宗に於いても泥酔状態で、勤行する事はよくありません。




しかし時にはやむなくお酒を飲んだ後に勤行せざるを得ない場合もあります。



その場合も、日有上人の化儀抄に書いてあるのです。

「手水の事、塩気に限るべし不浄の物なるが故に、たゞし酒には手水を仕ふべし破戒なるが故に云云。」



これは、お酒を飲んでしまったらしっかり手を洗い、口をゆすぎなさい、という事ですね。



勘違いして「今日は飲んじゃったから勤行できねえ」という事では無く、きちんとして御本尊様に向かい勤行しなさいという事なのです。


・葬式に出ちゃいけない



他宗の葬儀に出ると謗法与同になると言われた人は多くいるでしょう。




結論から言うと謗法与同にはなりません。



これも日有上人の化儀抄に明らかです



「他宗他門の人死去せば、知人ならば訪ろうべし。但し、他宗他門の本尊・神座に向かって題目を唱え経を読まず、死去の亡者に向かって之れを読むべし。惣じて法界の衆生の死去の由を聞き受けては之れを訪ろうべし云云。」



つまり、しっかり葬儀に行って死者の遺体に向かってお経・お題目を唱えてあげなさい、と仰せなのです。



また葬儀に限らず結婚式などでもそうであり、他宗の本尊などに手を合わせる事がなければ謗法には当たらない、という事なのです。



・あれも謗法、これも謗法




よくいます、特に女子部や婦人部に多い傾向があるようですね、中には祖母の代からの雛人形を謗法だと言われ捨てられた会員さんもいるそうです。



雛人形は謗法ではありませんし、端午の節句である鯉のぼりや兜なども謗法に当たりません。



当然これに他宗や神社などが絡んでくれば謗法になります。



しかしこれらは日本の文化・風習に当たる事で謗法にはなりません。



大白法 第955号 平成29年4月16日号から抜粋しますと


古来、日本には、四季折々の行事がある、五節句はその代表格で、
・人目(じんじつ)(一月七日)
七草の節句
・上巳(じょうし)(三月三日)
桃の節句(ひな祭り)
・端午(たんご)(五月五日)
菖蒲(しょうぶ)の節句(こどもの日)
・七夕(七月七日)
笹(ささ)の節句
・重陽(ちょうよう)
菊の節句

のことだ。
その由来は、古代中国において、三月三日や五月五日、七月七日のように、奇数(陽)の重なる日はめでたい反面、陰(いん)に転じる日でもあり、邪気を払う行動が行われていた。
その中国の歴法と風習が日本に伝わると、日本伝統の正月行事や氏神の祭礼、農耕儀礼といった年中行事と結びつき、次第に定着していったものと考えられている。
季節の筋目に当たり、無病息災や厄除(やくよ)け、我が子の健(すこ)やかな成長などを願い、祝いの行事を催(もよお)してきたことは、古(いにしえ)より今に至るまで変わらぬ人々の自然な願いの発露と言えよう。

想う気持ちは尊くも・・・
正月の七日に七草粥を食べ、桃の節句にはひな人形を飾る。こどもの日に鯉のぼりを上げ、七夕には短冊を吊り、九月九日に
菊酒を飲む。そうした習慣は特段、謗法となるものではない。
しかし、それらの催事を神社や教会で行ったり、邪宗教を通じて祈れば、これは明確な謗法となる。
妙楽大師は『弘決』に、

「若(も)し正鏡に非ずんば、縦(たとい)妄偽無けれども亦種(またしゅ)と成らず」(摩訶止観弘決会本 上ー一七五n)

と、たとえ偽(いつわ)りなく信仰しても、対鏡たる本尊が正しくなければ、成仏の因にはならないと示された。
どんなに節句を尊く思おうと、間違った信仰のもとでの催事であれば、かえって悪業を積むのである。
そもそも、これらの節句の行事は、全く宗教性のない、日本の文化風俗に基づく催事のはず。
それを神社等で催すのは、邪教の「経営」上、これらの慣習が都合よく使われてきたからだ。
ついうっかりでも、気軽に参加しないよう気をつけたい。

随方毘尼(ずいほうびに)と申す戒の法門
さりとて、日本各地に存在する様々な伝統行事を、即座に非とすることも妥当ではない。
日蓮大聖人は『月水御書』に

「仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は是に当たれり。此の戒の心は、いたう事かけざる事をば、少々仏教にたがふとも、
其の国の風俗に違ふべからざるよし、仏一つの戒を説き給へり」(御書 三〇四n)

と御示しくださっている。
特に、正法正義に反せず、謗法に基づくものでもないならば、随方毘尼の上に、日本古来の文化風俗を重んじることも大切である。
しかし、もし謗法邪宗教による催事ならば、いかに歴史があろうと、また大規模であっても、それは謗法与同の所業となる。

正しい信仰で祈念しよう。
『秋元殿御返事』には、

「先づ五節供の次第を案ずるに、妙法蓮華経の五字の次第のまつ(祭)りなり。正月は妙の一字のまつり、天照太神を歳の神とす。三月三日は法の一字のまつりなり、辰(たつ)を以て神とす。五月五日は蓮の一字のまつりなり、午(うま)を以て神とす。七月七日は華の一字の祭りなり、申(さる)を以て神とす。九月九日は経の一字のまつり、戌(いぬ)を以て神とす。此くの如く心得て、南無妙法蓮華経と唱へさせ給へ。「現世安穏後生善処」(げんせあんのんごしょうぜんしょ)疑ひなかるべし」
(同 三三四n)

と仰せられている。
この意義に則(のっと)り、日蓮正宗においても、世間の風習に因(ちなん)で七草や節分、七五三祝いなどを行うが正法正義に基づいて祝うからこそ、伝統行事も、その元来の意義が具(そな)わるのである。
正しい筋道をもって、心穏やかに日本らしい四季折々の催事を楽しむのも、ときには大切。でも、その中心は、正鏡たる本門戒壇の大御本尊と、唯授一人の御法主上人に信伏随従する信心にあることを、けっして踏み違えてはならない。





となっています、自分の主観や思い込みで高価で大事な物を謗法だと捨てさせるなんてとんでもない行為です。




確かに中には謗法物なのか微妙なものもあります、日蓮正宗では御住職様にお伺いすれば教えてくれます。



とりあえずは今回はここまで。



気づいた方も多いとは思いますが、日有上人の化儀抄からの抜粋が多く出てきます、この化儀抄には浅井会長が否定した塔婆供養、あるいは身延の僧侶を大石寺に招いた云々についても問題無い事、などが出てきますからね。



都合が悪い事は教えないんですよ。ちなみに本来、御会式では日有上人の申状も読むんですよ、顕正会では読みませんが。


2022年02月28日

教学部とクレーマー

またうちの講員さんに顕正会教学部から電話が来ました。


その講員さんは、某駅で顕正会の婦人に声をかけてお話をしたのですが、話の内容が支離滅裂、で最終的に電話番号を交換して終わったそうです。



そして、案の定ついに教学部からの電話が来たというわけです。



そもそも、聞いた電話番号を第三者の他人に教えて、そこから電話してくる事自体が一般常識としておかしな話です。




顕正会教学部などというのは結局は電話に出たら法論しろ法論しろと喚き、出なければショートメールでしつこく法論しろと挑発してきます。



ただそれは教学部も分かっているようで、2月度総幹部会における教学部のA野さんの登壇では

「そのような寄生虫を、教学部員は徹底駆除していますが、最近では寄生虫はこちらからの電話には出ず、メールで馬鹿げた約定なるものを防波堤にして、ことさらに法論を回避し、最後には一様に逃げ出してしまいます。」



と述べています。



そんな対応になるのも当たり前です。



だって会話にならないんですもん
https://www.youtube.com/watch?v=XcUqtuzmtiI



こんなんでまともに話し合いができますか?



だから電話も出たくないし、約定が必要になるんです。




世間一般が見てもこんなギャーギャー喚いて人の話を聞かない人など相手にしたくないでしょう。


https://savekenshokai.org/archives/1485


https://savekenshokai.org/archives/1523



この記事のように、職場におしかけて大騒ぎしたりしているのを見ると、本当にただのクレーマーにしか見えません。


「親疎(しんそ)と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ、御心得候へ」(御書1037)




との御文の通り、我々は話をろくに聞く気も無い教学部などは相手にするつもりも無く、まさに今もなお、ニセ本尊を拝むという謗法行為を積む普通に会話ができる一般の顕正会員を救うべく折伏しているのです。




こちらは世間の記事ですが



https://ecnavi.jp/mainichi_news/article/e0e061f5655abdd7fdc04031b53d30b3/



この記事に書かれているクレーマーは悉く顕正会教学部と特徴が一致しております。



私も教学部とは幾度か話をした事がありますが、本当にまともな会話ができません。



ただ、私自身も仕事中にこのようにギャンギャン喚くお客さんの対応をした事があります。



事の発端はコロナ禍で、壮年のお客さんがマスクをずらしていたと大騒ぎした婦人がその壮年と大喧嘩になり、婦人が「運転手さんバス止めてくださーい」と騒ぎ出しました。


こんな状況ではまともに運行できません、車内トラブル発生との事で営業所に報告すると事務員が向かうのでそれまで運転を見合わせとの運行指示が出ました。



それに二人のお爺さんが大激怒。


「どうして止めるんだ!」


「早く出せ!」


「社長に電話してやる!」


「俺は弁護士だ!法律に違反している!」



などとギャンギャン喚かれました。



しかしこちらとしてはマニュアル通りに異状ありで無線報告、運行管理者の指示で運行を止めているので何も落ち度はありません。



こちらがどんなに丁寧に説明しても遮って話を聞きません。




結果私は20分ほど理不尽に罵声を浴びせ続けられる事になったのです。




これを見て「大変だなあ」と思った方、普通の乗務員であれば大変だと思います。




しかし私の場合、顕正会教学部で慣れていた事もあり、というか教学部に比べたらまだマシなので疲れはしたもののスンナリと対応する事ができました。




つまり・・、この大騒ぎするお爺さん二人よりも顕正会教学部の方がもっと面倒くさいんです、そりゃそうです、ニセ本尊パワーは半端ないですからね。




だからうちらは教学部と話すのが嫌なんです、まともに落ち着いて話ができないんですから。誰だってこんな悪質クレーマーみたいな電話に出たくないじゃないですか。




それで「逃げた逃げた」と大騒ぎされてもねえ、って話ですよ。

2022年02月23日

同じ法華講でも支部が違うと答えられない事もあります。

昨日、うちの講員宅に顕正会幹部が押し寄せて散々罵倒したあげく、「今後は顕正会に対する迷惑行為をしないように一筆書け、脱講も賭けろ」という事を強要してきたそうです。



その講員の彼は顕正会から日蓮正宗に移ってからまだ1年ほどで、元々顕正会時代もさほど教学も強くなく、法門での破折もそれほど強くありません。



事の発端は街頭の顕正会員に声をかけて、電話番号を教えたそうなのですが、その後に教学部のK沼氏より何度も電話やメールを寄越されて、法論しろ法論しろと迫ったようです。




今の顕正会の十八番となっているのがこのパターンで、顕正会に声をかけてくる法華講員を教学部連中がしつこく電話してきて、法論に応じるや否や大声でまくし立てとても話し合いにならないようにさせて勝った勝ったと顕正新聞に載せる。



またそれを知っている法華講員が法論を拒否した場合、自宅や職場などに押しかけてはこれまた大声でまくしたてます。 もうやってる事はまるで反社ですね。



現場の顕正会員に知ってほしいのは、妙観講云々の事を言ってきますが、それを妙観講以外の他支部の講員に言っても知りません。責任も権限も無いし、もしいい加減な事を言ってしまえば妙観講側に迷惑がかかります。



同じ法華講だろうと言いたいかもしれませんが




例えば、これは自分が経験したのですが、乗務員交代の為にとあるバス停でバスを待っていました。


もちろん勤務時間内ですので私はバス乗務員の制服を着て、バス会社の社員という立場でそこに立っています。



するとある男性から「電車が遅れた、どうしてくれる、責任を取ってくれ」と言われました。



確かに遅れたのは同じグループ会社の電車です、しかしうちは鉄道とバスははるか昔に分社化しており、別会社です。



なので私は「恐れ入りますが、A電鉄とAバスは会社が分かれておりまして、私はAバスの従業員ですのでA電鉄のお客様センターの方にお問い合わせ頂いてよろしいでしょうか?」と返答しました。 すると


「同じAだろう!」と何度も食ってかかられます


私がどんなに丁寧に説明しても分かってくれませんでした。



このやり取りは間違っているのでしょうか?電車とバスだから近く感じるかもしれませんが、別会社であって、それぞれのお客様センターが存在します。



もっと言ってしまえば同じグループのデパートの店員に対し、電車の文句を言って、スーパーの店員にバスの文句を言うようなものです、バス乗務員の私に「Aストアの惣菜の唐揚げがすぐ売り切れてしまう、何とかしろ!」と言ってるのと同じ事です。



同じグループであってもそれぞれのしかるべき所に問い合わせするのが本来の姿です。



つまりは同じ法華講でも、他支部の事をあれこれ言われても答えようがありません。その当該の支部の方に言ってくださいとなるのは当然の事なのです。


そもそも、本来論ずべき事は法義上の事です。



・何故信仰の根幹である御本尊について具体的な反論が無いのか。


・勤行の様式や観念文を浅井会長が勝手に変えているが、血脈相承を受けている立場でも無い浅井会長がそのような事を決める権限があるのか。


・現在顕正会では儀礼室による僧侶がいない在家のみで行われる創価学会のような「友人葬」と全く同じであるが、葬儀の導師を在家がやってもいいという文証はあるのか。そもそもそれも浅井会長が決めているがそのような権限があるのか。


・浅井会長は塔婆供養の否定をしているが、塔婆がいらないというならば古来より大石寺門下でやってきた塔婆供養何だったのか?古来よりやってきた塔婆供養が不要だという文証を示せ。



これらの事に反論できるでしょうか、という話です。


これが法義上の話です、音声の捏造がどうとかガネーシャ像がどうとかしょうもない事よりもこちらの方が大事ではないか?と思うキッコーマンでした。

2022年02月13日

顕正会勧誘の断り方

今日友人からこんなLINEが来ました

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このLINEを私に送ってきた直後に、顕正会女子部3名が家に訪問してきたらしいです。



話を聞くと、駅で以前、この会員と少し話をしたらしいのですが、その時に友人の住むマンションまで尾行して自宅を特定していたそうです。



友人曰く、自分の所のポストにだけ新聞が入っていたのでおかしいと思ったようです。



結果、次来たら警察を呼ぶと警告して追い返したそうです。



次来たらどうするかな、と言っていたのですが、私はこう返しました。



「『もう入信して、紹介者とも連絡取れてるんで』って言っちゃえばいいじゃん。」




そう、彼は地元の友人であり、私が顕正会時代に一番最初に入信させた人物なのです。



何度かビデオ放映に参加したり、一度だけ折伏(勧誘)もした事もあります、でも某N田総支隊長の暴言で嫌気がさして未活動になったのです。




そんな間柄ですが、特に疎遠になる事もなく、私との付き合いはずっと続いているのです




私が日蓮正宗に帰伏してからも大石寺を一緒に見学して御本尊様に御挨拶をしたり、御僧侶の折伏を受けた事もありますが御授戒には至っていません。



そもそも彼自身が元々そういう、狙われやすい「なにか」を持っているのか、顕正会員に何度も声をかけられ、顕正会にとどまらずアムウェイの勧誘まで受けるほどでした(笑)



さて、LINE上でもありますが、一人暮らしのワンルームに住んでる人やお年寄りは顕正会に訪問勧誘されやすい傾向があります、事実私も現役時代にそういう所を狙うように幹部に言われた経験もあります。




確かに私が独身時代に住んでいたワンルームマンションでは、勧誘やセールスが凄かったのですが、今の世帯向けの社宅に引っ越してからそういうのは全く無くなりました。




また最寄り駅は高級住宅地でオシャレで人気のある所のせいなのか、駅前で顕正会員を見た事がありません、つまり比較的若い家庭持ちやお金を持ってそうなのは狙わない傾向があるのです。(私はお金持ちではありませんが)




さて、友人の話ですが、実際この「入信済み」というのは実は現役会員には効果があります。



ていうか「入信済みだし、紹介者と連絡が取れてる」というのは嘘でも何でもない事実なのですから。




ここからは顕正会勧誘で困っているいる人に向けて、になります。



顕正会員が突然訪問してきてしつこくて困っている、という方もいるでしょう。



SNSでは「警察を呼びましょう」とか「怒鳴り散らしましょう」とか色々書いてありますが、そんな程度では会員は「法難だ」とか「罪障消滅」だとか言って喜ばせるだけです、意味がありません。



一番いい追い返し方は



「私は既に入信済みです。」です。



日蓮正宗信徒の立場である私が「嘘つきましょう」と勧めていると言うと、賛否両論もあるとは思いますのでそこは自己判断にお任せしますが・・



ほとんどの会員は「入信済み」と言えば撤退します。



何故かと言えば、入信ノルマがあって、一人でも多く入信させるのが彼らの目的ですから、入信済みだと数字にならないのです、時間の無駄なのでじゃあ次行こう、となるのです。



実際私も現役時代にそのような事もありました、入信済みならもうあきらめるしかないのです。



「いつ入信したんですか?」とか聞かれるかもしれませんが、最近でなくけっこう前、例えば7.8年前とか言って、更に入信した場所は「どこかの人の家」と言っておけば自宅拠点で入信したんだなとすぐ会員は分かります。



あわよくば自分の所の組織に引っ張ろうとビデオ放映や会館に誘うのもまれにいるかもしれませんが、「紹介者とは連絡は取れてる、活動はしてないしするつもりも今は無いので、もしするなら紹介者の所に連絡するんで」と言えばこれでほとんどの会員はあきらめて、それ以上関わろうとする人はいないでしょう。



くどいようですが、嘘はよくありませんよ、なのであくまでもこれは自己判断にお任せします。


会話例をあげてみましょう

ピンポーン


・「はい」


顕「こんにちは、冨士大石寺顕正会ですが、この広告はご覧になった事はありますか?」


・「ありますね、顕正会は以前やった事ありますね」


顕「あ、そうなんですか、いつくらいに」


・「7.8年くらい前ですかね、友人のタナカ(適当)という奴に誘われて、どこかよく覚えてないけど、どこかの人の家に行ってお経唱えましたよ」


顕「ああそうなんですね・・今は活動されてないんですね、もしよければビデオ放映に参加してみませんか?」


・「いえ、特にそういうのに行くつもりも無いし、もし行くならタナカに連絡します、連絡先も分かるしたまにLINEとか来るんで」



まあこれでほぼ、撤退しない顕正会員はいないでしょう。


何度も言いますが、嘘はよくありません、自己判断でお願いします。
















2022年02月08日

目に見えないもの

1月の総幹部会で浅井会長は相変わらず日本の亡国などと煽り、宗門が国立戒壇を捨てたからだとか相変わらず言っていたようですね。





そして正本堂が26年で崩壊したとか、御開扉で大扉が開かないとか。本当に毎回毎回同じ事ばっか聞かされる会員はたまったものじゃないですね。




正本堂を壊した大きな理由の一つは、単純にメンテナンス費用がかかりすぎるからです。




鉄ヲタな話で申し訳ないですが、小田急のVSEというロマンスカーが引退するというニュースが最近ありました。

Odakyu.type50000.jpg小田急50000形VSE




さほど古い車両に見えないと思います。



この車両は平成17年にデビューした車両で、新技術が多く使われたり特殊な連接台車を用いるなど非常にコストのかかった車両であり、鉄道車両としては非常に高額でした。




ただその特殊さが仇となり、老朽化による整備や部品調達などにコストが多くかかる事から、鉄道車両としては短命な17年で定期運用を離脱する事となったのです。




もちろん、これにはコロナ禍による利用者の大きな減少もあったと思います。




そう思うと、正本堂とよく似ているな、と感じます。




正本堂も特殊な構造の建物であり、コストもかかる、更に創価学会を破門にした事による御供養の減少などがあります。




なので、正本堂を維持する事が困難になっている事は当時御開扉を受けていた御僧侶や、信徒さんも何となく感づいていた事です。




別に門外漢の顕正会が騒ぐ話でもなんでもなかったのです。

そもそも、正本堂を取り壊した時に記念法要を開き、「もう宗門に求めるものは何もない」と浅井会長は発言したのに何を24年も経った今でもゴチャゴチャ言っているんだ、という話なのです。




大扉開かずだって奉安堂が完成してから20年間で故障で開かなかったのは1度しかありません。
この20年で一体何度御開扉が行われてるというのでしょうか?




普通に仕事していれば、機械のトラブルで業務上で困った経験のある人は多くいると思います。


誠にくだらない話であり。よくこんな昔の話で盛り上がれるものだと感心するものです。





さて、そんなわけで私は骨折治療の為に、実家から自宅に戻って超音波を当てるリハビリ治療へ毎日通っています。



この超音波を当てて骨折の治りを早くする、というのは素人の私から見ればなかなか不思議なものを感じ、本当にこんなので早く治るのかな?という疑問すら湧いてきます。




ただ今はどこの整形外科でも大抵採用されており、効果はキチンと明確にされています。



すぐに効果が出てるか分からない事や、超音波なので目に見えない事から余計に不思議さを感じてしまいがちですが、信仰も同じようなものだな。とふと治療しながら思いました。




正しい信心をしているか、間違った信心をしているか見極めるのはなかなか簡単な事ではありません。




ドラゴンボールのスカウターのように、自分の功徳や罪業がどのくらいなのか、数字になれば分かりやすいのですが、目に見えないので分かりづらいものです。




間違った信仰でも魔の通力もあるし、正しい信仰でも罪障消滅や魔もあります。なので一概に現証で判断できないものです。




なので正しいのかどうかは、道理と文証に基づいて、筋が通っているかいないかで判断しなくてはなりません。


最後に日淳上人の御指南を。


仏法に於ては正法が混乱をしないやうに相承の道を立て明らかにされてあるのであります。
それで此の相承とは相ひ承けるといふことで師の道をその通り承け継ぐことであります。
それで此れを師資相承と申します。
既に師の道を承け継ぐのでありますから必らず師の証明がなければなりません。
弟子が勝手に承継したといってもそれは相承ではないのであります。

また世間では「仏書を読んで悟った」といって師弟といふことを考へない人がありますが、それは仏法の正しい道ではないのであります。

昔「経巻相承」といふことをいって「法華経を読んで仏法を相承した」と主張した顕本法華宗の祖である日什といふ人がありますが、此れは自分勝手にいふことで法華経の中には日什といふ人に相承したといふ証明はないのであります。
仏法に於ては師資相承がなければいけないのであります。

また「信心相承」などといって「信心を以て相承した」などといふ人がありますが、信心は仏法の基盤でありますが、相承はその上に於ける仏法の承継の問題であります。







2022年01月27日

大正時代の参詣

久しぶりのブログ更新です


仕事と育児もあってなかなか更新ができませんでした。


実は妻と子供が義実家に帰り、自分も実家に帰っています。別に家庭不和があったわけではございません(笑)



というのも、先日、歩いていたら街路樹の根元の段差でつまずいて思いっ切り転んでしまいました。



免許の更新の為に駅から警察署まで歩いている最中だったのですが、以前住んでいた所の近くだったので、ついよそ見をしていたら・・


免許の更新は何とかできたものの、警察署を出たらいよいよ痛みで歩くのが困難となり、タクシーを呼んで自宅の近くの整形外科へ。


すると左腕にひび、左足が骨折という、悲しい事態に・・、そりゃ動けないわけだ。


そんなわけで、妻に育児にプラスして自分の面倒を見てもらうのも大変だという事でそれぞれの実家に一度帰って親にサポートして貰おうという訳でした。



そんなわけでただの実家に引きこもりオジサンとなったキッコーマンです、とはいえども一週間近く経ち、だいぶ痛みも良くなってきましたので、来月中にはほぼ回復できる見込みとなっています。


ただこれだけオミクロン株が蔓延し、とんでもない人数が感染している中、仕事も休職して引きこもりになっているのもまた何か不思議なものを感じます。



自分が感染してても無症状の場合があるので、知らず知らずに妻や子供に移したらと思うとゾッとします。


幸い妻の実家の県は神奈川よりもはるかに感染者は少ないので、ちょうど良かったのかもしれません、これも御本尊様がうまく導いてくれたのかとも感じます。



実は年末にも子供が初めての御開扉を受けたのですが、その後河口湖で一泊して、宿を出て車のエンジンをかけると警告ランプが・・、しかしエンジンも走りも違和感がありませんでした。


カフェでコーヒーを飲んで帰る予定でしたが、気になったので近くの日産ディーラーへ、するとオルタネーターに異常があるとの事で「横浜まで帰れますかね?」と整備士さんに聞くと即答で「やめた方がいいです!」と、そんな話をしてたら突然エンジンが止まってしまったのでした。



これがもし高速道路だったらと思うとゾッとしますね、幸いディーラーだった事もあり、保険のレスキューを使い、車は自宅近くのディーラーへ。


我々はレンタカーの乗り捨てで帰宅しました。レンタカーも日産ディーラーと提携していた事もあり非常にスムーズに事が運び、レンタカー代も乗り捨てだったので2万円を超えましたが、保険で全額返ってきたのでした。



一見するとトラブルがあって、大変なように見えても不思議と御本尊様に護られてるのを実感とします。


今回の怪我も、利き手じゃない左手だったので生活する上では大きな影響はありません。右手だったらこんなスマホもいじれないし、食事もろくにできませんからね。



さて、多忙な中から一転、暇人になったのでyoutubeで色々と見ていますが、
このような動画がありました。


https://youtu.be/jGb4d5GRPJQ

大正時代の御開扉のお話です。平塚在住のこの方は御殿場経由で富士まで行って、身延線に乗り換え富士まで行ったとの事。



鉄ヲタなら御存知ですが、東海道線は昔は今の御殿場線を通って沼津に向かいました、今の丹那トンネルが開通していなかったんですね、だから箱根の山を大きく回っていたのでえらい時間がかかるのです。


今だったら小田原から新富士まで新幹線であっという間に着いてしまいます、本当に交通至便になったと思います。



そんな中、2泊3日で登山し、御開扉を受けたエピソードです、そう、御開扉は願い出て、拝するのは昔からなんですよ。


今もそれは変わらず、様々な地域から参詣を願い出て御登山して御開扉を受けているわけです。


交通至便の現代において、御戒壇様の元へしっかり詣でる事は不敬でもなんでもありません。むしろ行けるのに行かない方が失礼なのです。



おまけで顕正会幹部が汚い言葉遣いで喋ってる動画も貼り付けておきましょう。はたから見たらチンピラですね。


https://youtu.be/8XABMAn5a8o


私も接した事ありますが、ホントこんな感じなんですよ。喋らせない、相手を挑発して暴力を振らせようとする・・


どこが白蓮華なんですかね、真っ黒けっけですよ。

2021年07月11日

体験発表

私が日蓮正宗に帰伏して9月で5年目になります。

そこで、今の体験発表を書いてみようかと思います。


私は平成12年、高校2年生の夏休み。当時高校の同級生であったY君の誘いを受け顕正会に入信しました。



当初は勤行もままならずでしたが、新横浜の横浜会館に足を運んだり話を聞いているうちに真面目に取り組んでいくようになりました。



ある日、学校からの帰り道に自転車で急坂を下っていると、ハンドル操作を誤り登ってくる自動車と正面衝突してしまいましたが、お互い急ブレーキで止まる事ができ、双方無傷で済んだのでした。



この現証に私はまさに仏法のおかげなんだと思い、紹介者のY君に感激のメールを送ったほどでした。



そこからはいよいよ本格的に顕正会の活動にのめりこみ、気づけば同級生や友人などを片っ端から勧誘する日々でした。



当時の神奈川男子部は非常に体育会系であり、高校生であろうと夕方に帰宅する事などは許されず遅い時間まで活動をしていました。


そして、勧誘相手の親からの苦情の電話でついに両親に顕正会の活動の事がバレ、両親の説得も「魔なんだ」と耳も貸さず顕正活動にますますのめり込む日々でした。



そして、高校卒業後は鉄道系の専門学校に進学しましたが、そこでは更に活動にのめり込む日々でした、挙げ句には取るべき資格も取れず、学校からの怨嫉も激しくなり、後ろ指をさされる毎日になりました。


当時は、卒業名簿に過去5年分の卒業生の住所や電場番号、挙句には進路まで載っていたので、名簿がボロボロになるまで会館の電話コーナーで朝から夜まで電話していました。



電話コーナーで電話をしていると、当時の隊長が仁王立ちで
「オイ、まだ出ねえのかよ」
「早く出せよ」
「あと30分以内に出せ、いいな」

とまるでヤクザのようにドスを効かせた声で言われるのでまさに地獄のようでした。



また世法では、深夜に及ぶ活動で学校は行っても居眠り、また遅刻は日常茶飯事でありました。



成績は落ちていく一方で、更に怨嫉している講師と揉め事になり不登校となるのでした。



学生でありながら学業をおろそかにする日々でしたが、それでも活動は相変わらずでした。高額な授業料を払ってくれている親の事も考えずに。



そんな中、紹介者のY班長も同じ学校に通っていたN組長も、顕正会未活動となっていったのです。



それでも私は活動に没頭していきました。


20歳で会館衛護を始め、車を入手していた事からも深夜まで組織の活動に動き回る日々でした。まさに顕正会の為に体をぶつけていったのです。


今思えば恐ろしい事ですが、私の縁で顕正会のニセ本尊に52名もの人が縁してしまったのです。



そして、24歳の時に当時就任したN総支隊長がパワハラ気質であり、揉めた結果日曜休みの仕出し給食弁当の配送ドライバーの仕事を辞め、土日関係無しの念願だったバス運転手の仕事を受け、結果内定となりました。



顕正会では日曜に仕事をするなど許されませんでしたが、幹部に反発した結果でした。



不規則勤務ではありましたが、会館衛護は続けており、また活動も日曜が休みの日は変わらず動いていました。平日であっても必ず会館には参詣していました。



また住まいも会館にバスで一本とアクセスしやすい市ヶ尾に変えたほどでした。



しかし、当初は魔の通力で順調かに見えた私の人生も、だんだんとその害毒が目立ってきました。



都内でバスを運転していますが、都内の劣悪な走行環境とマナーの悪い車の多さに、ストレスは日々激しくなっていきました。



そしてすぐにキレ、煽り運転、バスを降り怒鳴り込み、窓や外マイクで罵声を浴びせる等ひどいものでした、そういった不真面目な勤務態度に会社の私に対する評価もどんどんと落ちていく一方でした。



何故怒りを抑える事ができないのか、悩みに悩んでいたもののいくら会館の御本尊に祈っても悩みは解決どころか悪くなる一方でした。



そして精神的に病んできてしまい、睡眠障害を患った直後に車内人身事故を起こしてしまった事をきっかけに会社を休職しました。



眠れない日々の苦しさと将来の不安で押しつぶされそうになり、救いを求め会館に参詣するも何も得るものはありませんでした。



この時入信15年目、積もり積もった害毒は確実に私自身に噴き出して参りました。



そんなおり、ビデオ放映に参加し浅井会長の指導を聞くと「自宅拠点を増やす」と発表がありました、平成27年12月度総幹部会の時です。


私は不思議でした、一体どこからそんなに御本尊が出てくるのだろうかと。



松本日仁氏から戴いたというのは知っていたものの、どう考えても限りがあると。



休職中で時間もあったのでインターネットで顕正会について色々と目にする機会が増えてきました。



そして、元顕正会幹部で法華講員となった方々のブログには衝撃を受けました。



ニセ本尊、塔婆供養や勤行の勝手な改変、葬儀について・・。



御金言や御歴代上人の御指南と全くかけ離れた顕正会に激しく疑問を感じてきました。



そしてyoutubeで樋田さんと顕正会員の対論の動画を見ると顕正会の余りにも筋の通っていない、盲信している姿に疑問は激しくなるばかりでした。



どう見ても法華講員の言う事の方が筋が通っていたのです。



そしてついに、セロリさんのブログを通じて連絡をし、脱会を決意し日蓮正宗で御受戒を受ける事となりました。



職場近くの寺院でありますが、暖かく迎えられ、在勤の執事様には色々とお気遣いを頂きました。



脱会し御受戒を受けた事を支隊長に宣言し、細かく顕正会の間違いを丁寧に文章にして送るも、返ってきたのは汚い言葉のまるで意味不明のメールが来たり、更には支隊員全員に送ったメールがきっかけで隊長から電話が来て正式に除名処分となりました。



16年間も顕正会で活動してきた私に対して、あまりにも無慈悲で、哀れな悲しい姿に、顕正会を離れて本当に良かったと思います。



日蓮正宗信徒として動き初めた私はその月のうちに御講参詣、更には登山を迎える事ができました。



また次の月には菩提寺である長野・妙相寺の参詣、さらにその次の月には御本尊下付を迎える事ができたのです。



とにかく日々の信心が楽しく、お寺が大好きでしょうがなく、特に登山で大石寺に行くこと、元顕正会を初めとした妙相寺の仲間と語り合う事が楽しくて充実した日々となりました。



また平成29年の4月のお虫払い法要に参加が叶い、初めての本山での一泊、法要の荘厳さ、初めての丑寅勤行参加の時には不思議と涙が流れ、その時に今までの懺悔の念が猛烈にこみ上げて参りました。




お虫払いの感激も冷めやらぬそんな折、待っていたかのように自身の罪業が溢れ出して来ました、自律神経の不調により気分が悪くなり、頭がボーっとする症状が出始めました。



バスの運転の仕事に支障が出る事から2回目の休職となりました。



これはまさに自身の罪障とは分かっていたものの、自分の罪が分かっていたからこそいつまでこれが続くのかと不安になる事もありました。



しかしお寺の執事様より「業ではなく、功徳だと思いましょう」とお言葉を頂き、自分自身が確実に功徳を積んでいる事を分からせて頂き、そこからは毎日お寺に参詣し、2時間の唱題に取り組み、妙相寺メンバーとともに活動を実践していきました。



すると不安な気持ちはどんどんと無くなり、周りからも休職してるとは思えないほどイキイキしていて元気そうと言われるほどになっていきました。



そしてようやく症状も安定して1年で復職が叶いました。



この1年間はひたすら自行化他に励んでいきましたが、その結果なのか、乗務中のイライラがすっかり収まり、常にイライラしていた自分の境涯がすっかり変わって穏やかになっていた事に気づきました。



また自分自身の相もすっかり変わったようで、参詣寺院の方々も「キッコーマンさんの相が変わったって、青年部の間で話題になってますよ」と言われるほどでした。



仕事に対する姿勢も変わり、以前とは打って変わって真面目に乗務に取り組む中に会社の評価も上がっていきました。



最近入った運転手に昔の私の話をすると信じられないと驚くほどです。



また私を顕正会に入れたY君は度重なる私の話に耳を向けてくれ、最終的に樋田さんの話を聞き無事御受戒が叶っています。



そんな中、私も35歳となり周囲が結婚していく中、いい加減落ち着かないといけないと思うようになっておりました。



70を過ぎた両親にも心配をかけたくないという気持ちもありましたが、子供が欲しいとずっと思っていました。



そんな中、令和元年の秋の支部登山が終わった直後に、SNSで産まれた時からの法華講員である現在の妻と知り合い、お付き合いをし、翌年6月にはお互いの両親と顔合わせし10月に無事入籍する事となりました。


そして入籍してすぐに妻の妊娠が分かり、遂に今年6月22日に念願の長男が誕生しました。



長男が産まれた日は私は乗務中で、もうすぐ交代で乗務を終えるタイミングで妻から職場に電話がありました。


何も知らない私を突然みんなで拍手で迎えられキョトンとしていると「産まれたと連絡がありましたよ!」と、慌ててロッカーに入れていたスマホを見ると、妻と産まれたばかりの赤ちゃんの写真が送られてきており何とも言えない感激と喜びがありました。




そして退院し、私の実家に行き孫を抱っこして喜ぶ私の両親を見て、もしこのまま顕正会だったらどうなっていたんだろうな、とふと思う事もあります。



目に入れても痛くないという言葉はまさにこれだな、と思うほどにかわいい息子、本当に今幸せだな、と思います。



振り返って見たときに、本当に正しい御本尊様のおかげで変わっていった自分自身。これからも迷える顕正会員を一人でも正法に目覚めさせるべき戦いを敢行して参りたいと思います。

2021年05月02日

嘘ばっかり

久しぶりの投稿となりました。


実は子供を授かり、7月に男の子が誕生する予定となりました。
その為かなかなか色々忙しくブログ記事を書くタイミングが見つからずでした。



決して「キッコーマンは法華講の罰で苦しんでいるからおかしくなったのだ」というわけではございませんので(笑)



顕正会時代「死にたい」とすら思っていた自分が日蓮正宗に縁をさせていただき5年目、気づけばジワジワと境涯が変わってゆき、荒っぽかった命は穏やかになり、36歳と少し遅くなりましたが結婚し、待望の子供を授かる事となり、このまま顕正会だったらどうなっていたんだろう、とふと振り返る事もあります。




大聖人様は「子に過ぎたる財なし」と仰せですから、しっかりと法統相続に務め幸せな家庭を作っていきたいと思っています。



この信心は松野殿御返事に
「魚の子は多けれども魚となるは少なく、菴羅樹の花は多くさけども菓になるは少なし。人も又此くの如し。
菩提心を発こす人は多けれども退せずして実の道に入る者は少なし。
都て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすき物なり。鎧を著たる兵者は多けれども、戦に恐れをなさゞるは少なきが如し。

(御書1048~1049頁)

よ仰せの如く、せっかく縁をしてもすぐに信心を見失ってしまう方がどうしても多いのです、特に私のような邪教出身の者は積んできた罪障を消滅するのが非常に大変です。


私もまだ何があるか分かりませんが、それを乗り越える事ができずに見失っていってしまいます。

大聖人様は新池御書に 

「皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が、中程は信心もよは(弱)く、僧をも恭敬せず、供養をもなさず、自慢して悪見をなす。これ恐るべし、恐るべし。始めより終はりまで弥信心をいたすべし。さなくして後悔やあらんずらん。譬へば鎌倉より京へは十二日の道なり。それを十一日余り歩みをはこびて、今一日に成りて歩みをさしをきては、何として都の月をば詠(なが)め候べき。何としても此の経の心をしれる僧に近づき、弥法の道理を聴聞して信心の歩みを運ぶべし(御書・1457頁)

もっともこの御金言は浅井会長にも当てはまる御金言ではありますが・・




自分自身も常に信心を見失わまいようにしっかりと引き締めていかねばならないな、と気をつけていきたいと思っています。



とある御僧侶がこんな例えをされていました。



「桶に入った泥水があります、この桶の泥水をキレイな水にする為にはどれだけのキレイな水を注ぎ込まねばならないでしょうか。そして注ぎ込んでいくと泥水はどうなるでしょう。当然泥水は溢れて桶から出てきます、これが罪障消滅です」と



またお世話になった御僧侶も罪業が吹き出て大変だった時に


「業ではなく、功徳だと思いましょう」

と仰せになりました。



つまり、業が出ているから、ではなく功徳を積んで罪障消滅しているから嬉しい事なんだ、と捉えましょう、という事だったんですね。確かに功徳を積まないと罪障消滅はしません。



頑張れば頑張るほど罪障が出てくるのでそれで信心を見失う人もやはり多いのです。




それを顕正会では「罰だろう」と言ってくる事もあるでしょう。




しかし長くやってくるとジワジワと境涯は変わってきます、短い髪が次の日にいきなりロングヘアーになる事もありません、短い爪が突然伸びる事もありません、小さい子供が次の日にいきなりおっさんになる事もありません。それが道理です。




私もジワジワと境涯が変わってきたのは振り返って分かりました。



顕正会でのパッと出る功徳めいた「魔の通力」とは違うのです、本来の功徳とは除々に六根が清浄になっていくのです。


仏法と申すは道理なり、ですから。




「でも宗門は御遺命を破壊してるから・・」と言われそうですが本当に顕正会では嘘ばっかりなんです。




「僧侶は折伏しない。」


嘘ばっかり。法華講員の方は折伏相手にはまずお寺にお連れします、そして御僧侶が折伏をされます、私の通ってるお寺ではまだ20歳前後の所化さん(お寺に在勤しながら日蓮正宗の学校に通う御僧侶)が折伏をされます。



御僧侶の折伏というのは熱く、そして暖かく礼節を保った慈悲のある折伏です。私はそのような御僧侶を幾度か見てきました、何故見た事もないのにアレコレ言えるんでしょうか、それが嘘ばっかり、という事なんです。




「御開扉中はみんな寝てたり雑談している、奉安堂では芸能人用の席があり何百万も供養している、金儲けだ」


嘘ばっかり。



朝早い上に食後ですから多少ウトウトする方もいますが、みんな真剣に読経・唱題しています。大体読経しながらどうやって雑談するんでしょうか?釈尊の時代でしたらそんな事ができる人もいたかもしれませんが普通の人間には無理でしょう。




芸能人用の席ってどこなんでしょう?私が教えてほしいくらいです、御開扉御供養は一律2000円です、それ以上もそれ以下もありません。




なんで嘘つくんでしょうか?




どうか、顕正会だけの言葉を信じないで、もっと多角的に物事を見てほしいと思います。


2020年11月02日

顕正会ブログを見て

久しぶりの記事更新となってしまいました。



私事ですが、10月13日付けで他支部の女性信徒さんと入籍致しました。(もちろんこれに伴い、夫の菩提寺となる妙相寺に移籍となります。)



そのため少しバタバタしていましたが、少しずつ落ち着いてきたのでぼちぼちブログを更新しようかな、と思った次第です。



さて、あいも変わらず顕正会の宗門攻撃は留まる所を知りません。



どこどこのお寺に行って住職を論破してやった・・とか、法華講員を黙らせてやった・・とか。



正直、顕正新聞に掲載されている記事は、デタラメや誇張して書くケースが多いので実際と異なる内容が都合よく書かれている事が多いのです。



なので、顕正新聞の記事は基本当てになりません。


とにかく大事な事はもっと客観的に物を見るべきであり、「浅井先生が絶対なんだ」と思う方は一歩引いて物を見る事だと思います。


さて、以前からある顕正会員のブログでありますが、
https://seito-kenshokai.net/


更新する度に「開いた口が塞がらない」というか、反論するのもバカバカしいとしか思えないというのが一線で活躍する法華講員の本音だと思います。



しかし真面目な顕正会員は真剣に信じてしまうと思いますし、うなづいてしまうかもしれません、なので少しずつ書いていこうかと思います。


こちらは最新の記事ですね

https://seito-kenshokai.net/post-1411/

「法華講の登山に功徳がない本当の理由」


なんというか、現役の法華講員からしてみれば笑いしか出ないタイトルではあるのですが。


その記事を読んでみれば


いま法華講では「あり得ないこと」が起きています。それは、宗門(日蓮正宗)から「登山せよ」と言われて登山したのに、「全く功徳がない」ということです。

 「あっ、やっぱり俺だけじゃなかったんだ。そうそう、住職から『登山、登山』って言われて何度も登山するんだけど、お金と時間がかかるだけで、御利益なんて全くないんだよね。むしろ、登山するたびに、なんだか悪いことが起きてくるような気すらするんだけど・・・。なんでなんだろう?」と思われた、そこのあなた!

 実はこれには、宗門(日蓮正宗)では絶対に教えてくれない、仏法上の深い「理由」があるのです



まず、登山というのは「大聖人様の御元に参詣する事」です。

日寛上人も「未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖も、既に本門の戒壇の御本尊存する上は其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向ひ戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則は本門の題目なり。志有らん人は登山して拝したまへ」(寿量品談義・富要十巻131頁)


と仰せであり、古来より志ある信徒は戒壇の大御本尊様の御前に詣でるというのが一般的でした。



なので、当然大石寺から遠い地域の方や、ましてや海外信徒の方など交通費や時間をかけて戒壇の大御本尊様の御前に詣でるという事がどんなに尊い志なのか。



特に海外では物価が安い国もありますから、一生懸命貯めた旅費でお登山をするその信心というのは、大石寺から近い私からしてみれば計り知れないものがあります。



また登山する度に悪いことが起きる・・、とかそんなの当たり前の話です。



功徳が大きいからこそ魔も強く競い起こるし、今までの罪障も噴き出してきます。


罪障消滅というのは功徳を積むからこそ出てくるものです。


だからこそ戒壇の大御本尊様の御前に詣でる事を御住職が勧めるのも当然だし、嫌な人は行かなきゃいいだけです。強制ではないのですから。


そして

浅井先生のご指導を拝してみましょう。

毎回このワードが出ますけど、だから浅井会長は何者だって話なんですけどね。

 大聖人様の御心に背いては、お題目を唱えても功徳はない。

 いま顕正会を怨嫉する法華講の者たちが、「顕正会は登山行かれなくて、かわいそうですね」などと言っているのは、御法門が全くわかっていない。

 御遺命に背いて登山しても功徳はない。いやかえって大聖人様のお叱りを受けるのです。

 このことは私が勝手に言うのではない。

 内房尼御前が、氏神詣でのついでに、身延にまします大聖人の御許に参詣したとき、大聖人様はお目通りを許されず、返しておられる。この一事を拝すれば、よくわかります。

 大聖人様は後日に三沢殿への御文に託(つ)けて、その理由を次のごとく仰せ下されている。

 「内房の御事は、御年寄らせ給いて御わたりありし、いたわしく思いまいらせ候いしかども、氏神へ参りてあるついでと候いしかば、見参に入るならば定めて罪深かるべし。

 その故は、神は所従なり、法華経は主君なり。所従のついでに主君への見参は世間にも恐れ候。其の上尼の御身になり給いては、まず仏を先とすべし。かたがたの御失ありしかば、見参せず候。

 此れ又、尼ごぜん一人にはかぎらず、其の外の人々も、下部の湯のついでと申す者を、あまた追い返して候。尼ごぜんは親のごとくの御としなり。御なげき痛わしく候いしかども、此の義を知らせまいらせんためなり」と。

 この御意は、「神は所従、法華経は主君」と仰せのごとく、内房の尼御前が、自身の氏神参詣を先として、そのついでに大聖人の御許に参詣した、仏法上の失をお誡め下されたものです。「見参に入るならば定めて罪深かるべし」と。もし対面するならかえって罪を作るとまで、仰せ下されている。

 これを以て知るべきです。

 大聖人様の唯一の御遺命に背いて登山しても、全く功徳にならないどころか、かえってお叱りを受けるのであります。

顕正新聞令和2年10月25日号



この指導も全くお門違いです。もう説明しなくても分かりますよね・・


法華講員が志で登山しているのと、氏神詣でのついでに参詣した内房尼御前の事じゃ全然違うじゃないですか。


それに「御遺命に背いて登山しても功徳はない。いやかえって大聖人様のお叱りを受けるのです。このことは私が勝手に言うのではない。」って、日蓮正宗が御遺命に背いてるって言ってるのは浅井会長が勝手に言ってる事です。


次に

 宗門(日蓮正宗)はひた隠しにしていますが、彼らはかつて創価学会の池田大作にへつらい、偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇(となる建物)」と偽り、大聖人一期の御遺命である国立戒壇(広宣流布の暁に国家意志の表明を以て建立される本門戒壇)を否定しました。そして、その改悔もなく、未だに国立戒壇を否定し続けているのです。大聖人の御心に背くこと、これより甚だしきはありません(詳しくはこちらの記事をご覧ください)。

 だから、かつての清浄な御開扉とは異なり、いまの宗門(日蓮正宗)の登山には全く功徳がないのです。「付け願い」をはじめ、ただ坊主たちの収入源になっているだけです。



これももう散々破折され尽くしてるので省きます。


付け願いについても書いておきます。


付け願いというのは今回のコロナのように急遽登山が中止になった、あるいは重い病や外出が厳しい高齢な方など登山に行けない方に、「戒壇の大御本尊様に対する御供養」として一律2000円を御供養するものです。


勘違いしている方もいるようですが、登山の御供養は一律2000円でそれ以上もそれ以下もありません。なので大石寺からそれほど遠くない私でも、登山にかかるお金は交通費の方が多いのです。



また付け願いもよほどの事が無いとしません。仕事程度の理由では御住職も受け付けなかったと聞いていますし、また生まれながらの法華講員である私の妻も「付け願いはほとんどした事が無い」とサラっと言っています。


またTwitterで、中道一実さんよりこのようなツイートもされています。

お付け登山(現在の付け願い)は、日有上人の時代にはすでにあります。

これは、宗祖御在世に宗祖の元に、経済や病苦などにより参詣できなかった方が、せめて御供養だけでもと、お手紙と一緒にお届けした故事に倣うものです。

そのときに、宗祖が御供養のお礼状と共に法門をお書きしたお手紙がいわゆる皆様がお読みになられる御書として残っておるのですよ。
だから、御書の冒頭には、御供養くださった目録が、並べられているんですよ。




つまり古来からあるもので、それを最近始めたかのように喧伝する、そもそも浅井会長はその事を知っていたはずですよね。これを姑息や謀りと言わずして何というのか、という話ですよ。

次に

 ちなみに、ある法華講員などは、顕正会を怨嫉して、「遥拝勤行というのは、大石寺仏法にはありません」、「大石寺の方角に遥拝として、その途上のあらゆる謗法に感応したら、どうするのですか?大石寺の方角にはたくさんの、邪宗がありますよ。遥拝だとそれら全てに同時に感応してしまいますよ」などと難癖をつけているそうです。

 では反詰します。入信したばかりで未だに御本尊を頂いていない方は、どうやって日々の勤行を申し上げるのでしょうか。この理屈だと、御本尊を頂くまで、自宅で勤行できないことになってしまいます。拝む先にある謗法の「全てに同時に感応」してしまうそうですから(笑)。

 たぶんこの方は知らないのでしょうが、宗門(日蓮正宗)でも、未だ御本尊を頂いていない信徒に対しては、自宅から富士大石寺にまします「戒壇の大御本尊」を遥拝して勤行するように指導しています。実際、私が折伏して顕正会に入会した法華講員も、そのように指導されたと話していました。

 また、先輩から教えてもらったのですが、宗門が平成30年に発行した「勤行―その仕方と観念文の意義」という本には、「自宅に御本尊をご安置するまでの間は、本門戒壇の大御本尊がまします総本山大石寺(静岡県富士宮市)の方角に向かって勤行・唱題をするようにしましょう」と書いてあるというからオドロキです。

 ところが、先ほどの法華講員は、「遥拝勤行というのは、大石寺仏法にはありません」、「大石寺の方角に遥拝として、その途上のあらゆる謗法に感応したら、どうするのですか?大石寺の方角にはたくさんの、邪宗がありますよ。遥拝だとそれら全てに同時に感応してしまいますよ」などと、何も知らずに言っているわけです。「無智」というのは恐ろしいですね。

 ちなみに、たとえ法華講員が遥拝勤行をしたとしても、御遺命に背く宗門に身を置く以上、大聖人の御心に背き功徳がないことに変わりはありません。

 そこに、いま浅井先生のもと、大聖人の御心に適う遥拝勤行を実践し、大聖人仰せのままの功徳を頂ける顕正会員の立場は、何と有難いことでしょうか。



顕正会で言う遥拝勤行(御本尊様の無い所でやる勤行)は日蓮正宗では「内得信仰」といい、これはあくまで仮の状態です。


基本はあくまで御本尊様を御安置し、仏様に対し御供養しながら信仰する事なのです。


もちろん、御本尊様を御安置していても泊まり勤務や旅行などで内得信仰の形で勤行をする事は割とあります。そんなのは当たり前の事ですね、御本尊様の前じゃないから勤行しないというわけにはいきませんから。


ちなみにその「法華講員」というのはどなたの事なのでしょうか、また会話の全文か録音を是非聞かせて頂きたいものです。


もっとも、顕正会で「法論」の音声を公開する事は無いのでどこまでホントなのかも疑わしい所ではありますが・・




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