2022年02月23日
同じ法華講でも支部が違うと答えられない事もあります。
昨日、うちの講員宅に顕正会幹部が押し寄せて散々罵倒したあげく、「今後は顕正会に対する迷惑行為をしないように一筆書け、脱講も賭けろ」という事を強要してきたそうです。
その講員の彼は顕正会から日蓮正宗に移ってからまだ1年ほどで、元々顕正会時代もさほど教学も強くなく、法門での破折もそれほど強くありません。
事の発端は街頭の顕正会員に声をかけて、電話番号を教えたそうなのですが、その後に教学部のK沼氏より何度も電話やメールを寄越されて、法論しろ法論しろと迫ったようです。
今の顕正会の十八番となっているのがこのパターンで、顕正会に声をかけてくる法華講員を教学部連中がしつこく電話してきて、法論に応じるや否や大声でまくし立てとても話し合いにならないようにさせて勝った勝ったと顕正新聞に載せる。
またそれを知っている法華講員が法論を拒否した場合、自宅や職場などに押しかけてはこれまた大声でまくしたてます。 もうやってる事はまるで反社ですね。
現場の顕正会員に知ってほしいのは、妙観講云々の事を言ってきますが、それを妙観講以外の他支部の講員に言っても知りません。責任も権限も無いし、もしいい加減な事を言ってしまえば妙観講側に迷惑がかかります。
同じ法華講だろうと言いたいかもしれませんが
例えば、これは自分が経験したのですが、乗務員交代の為にとあるバス停でバスを待っていました。
もちろん勤務時間内ですので私はバス乗務員の制服を着て、バス会社の社員という立場でそこに立っています。
するとある男性から「電車が遅れた、どうしてくれる、責任を取ってくれ」と言われました。
確かに遅れたのは同じグループ会社の電車です、しかしうちは鉄道とバスははるか昔に分社化しており、別会社です。
なので私は「恐れ入りますが、A電鉄とAバスは会社が分かれておりまして、私はAバスの従業員ですのでA電鉄のお客様センターの方にお問い合わせ頂いてよろしいでしょうか?」と返答しました。 すると
「同じAだろう!」と何度も食ってかかられます
私がどんなに丁寧に説明しても分かってくれませんでした。
このやり取りは間違っているのでしょうか?電車とバスだから近く感じるかもしれませんが、別会社であって、それぞれのお客様センターが存在します。
もっと言ってしまえば同じグループのデパートの店員に対し、電車の文句を言って、スーパーの店員にバスの文句を言うようなものです、バス乗務員の私に「Aストアの惣菜の唐揚げがすぐ売り切れてしまう、何とかしろ!」と言ってるのと同じ事です。
同じグループであってもそれぞれのしかるべき所に問い合わせするのが本来の姿です。
つまりは同じ法華講でも、他支部の事をあれこれ言われても答えようがありません。その当該の支部の方に言ってくださいとなるのは当然の事なのです。
そもそも、本来論ずべき事は法義上の事です。
・何故信仰の根幹である御本尊について具体的な反論が無いのか。
・勤行の様式や観念文を浅井会長が勝手に変えているが、血脈相承を受けている立場でも無い浅井会長がそのような事を決める権限があるのか。
・現在顕正会では儀礼室による僧侶がいない在家のみで行われる創価学会のような「友人葬」と全く同じであるが、葬儀の導師を在家がやってもいいという文証はあるのか。そもそもそれも浅井会長が決めているがそのような権限があるのか。
・浅井会長は塔婆供養の否定をしているが、塔婆がいらないというならば古来より大石寺門下でやってきた塔婆供養何だったのか?古来よりやってきた塔婆供養が不要だという文証を示せ。
これらの事に反論できるでしょうか、という話です。
これが法義上の話です、音声の捏造がどうとかガネーシャ像がどうとかしょうもない事よりもこちらの方が大事ではないか?と思うキッコーマンでした。
その講員の彼は顕正会から日蓮正宗に移ってからまだ1年ほどで、元々顕正会時代もさほど教学も強くなく、法門での破折もそれほど強くありません。
事の発端は街頭の顕正会員に声をかけて、電話番号を教えたそうなのですが、その後に教学部のK沼氏より何度も電話やメールを寄越されて、法論しろ法論しろと迫ったようです。
今の顕正会の十八番となっているのがこのパターンで、顕正会に声をかけてくる法華講員を教学部連中がしつこく電話してきて、法論に応じるや否や大声でまくし立てとても話し合いにならないようにさせて勝った勝ったと顕正新聞に載せる。
またそれを知っている法華講員が法論を拒否した場合、自宅や職場などに押しかけてはこれまた大声でまくしたてます。 もうやってる事はまるで反社ですね。
現場の顕正会員に知ってほしいのは、妙観講云々の事を言ってきますが、それを妙観講以外の他支部の講員に言っても知りません。責任も権限も無いし、もしいい加減な事を言ってしまえば妙観講側に迷惑がかかります。
同じ法華講だろうと言いたいかもしれませんが
例えば、これは自分が経験したのですが、乗務員交代の為にとあるバス停でバスを待っていました。
もちろん勤務時間内ですので私はバス乗務員の制服を着て、バス会社の社員という立場でそこに立っています。
するとある男性から「電車が遅れた、どうしてくれる、責任を取ってくれ」と言われました。
確かに遅れたのは同じグループ会社の電車です、しかしうちは鉄道とバスははるか昔に分社化しており、別会社です。
なので私は「恐れ入りますが、A電鉄とAバスは会社が分かれておりまして、私はAバスの従業員ですのでA電鉄のお客様センターの方にお問い合わせ頂いてよろしいでしょうか?」と返答しました。 すると
「同じAだろう!」と何度も食ってかかられます
私がどんなに丁寧に説明しても分かってくれませんでした。
このやり取りは間違っているのでしょうか?電車とバスだから近く感じるかもしれませんが、別会社であって、それぞれのお客様センターが存在します。
もっと言ってしまえば同じグループのデパートの店員に対し、電車の文句を言って、スーパーの店員にバスの文句を言うようなものです、バス乗務員の私に「Aストアの惣菜の唐揚げがすぐ売り切れてしまう、何とかしろ!」と言ってるのと同じ事です。
同じグループであってもそれぞれのしかるべき所に問い合わせするのが本来の姿です。
つまりは同じ法華講でも、他支部の事をあれこれ言われても答えようがありません。その当該の支部の方に言ってくださいとなるのは当然の事なのです。
そもそも、本来論ずべき事は法義上の事です。
・何故信仰の根幹である御本尊について具体的な反論が無いのか。
・勤行の様式や観念文を浅井会長が勝手に変えているが、血脈相承を受けている立場でも無い浅井会長がそのような事を決める権限があるのか。
・現在顕正会では儀礼室による僧侶がいない在家のみで行われる創価学会のような「友人葬」と全く同じであるが、葬儀の導師を在家がやってもいいという文証はあるのか。そもそもそれも浅井会長が決めているがそのような権限があるのか。
・浅井会長は塔婆供養の否定をしているが、塔婆がいらないというならば古来より大石寺門下でやってきた塔婆供養何だったのか?古来よりやってきた塔婆供養が不要だという文証を示せ。
これらの事に反論できるでしょうか、という話です。
これが法義上の話です、音声の捏造がどうとかガネーシャ像がどうとかしょうもない事よりもこちらの方が大事ではないか?と思うキッコーマンでした。
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