2022年04月16日
顕正新聞に妙相寺関連の記事が掲載されました
骨折の方もだいぶ落ち着き、日常生活を送る分には、ほぼほぼ影響が無いほどまで回復したキッコーマンです。
ただ先月から仕事を復職し、妻と子供も戻り、ハイハイを始めた息子は色んなものに興味津々で目を離せず、今もキーボードを勝手に押されながら書いています。
さて、まずは顕正新聞3月25日号に載ったこの記事です。
この記事を読んで、色々と違和感を感じます。
まずこの方は、昭和35年に創価学会に入った、と書かれていますが、当時は日蓮正宗・創価学会だったので当然創価学会に入るという事は、日蓮正宗の信徒となる、即ち御授戒を受けたという事になります。
しかし「私が授戒を受けた妙相寺・・」とありますが妙相寺が建立されたのは翌年の昭和36年の事であり、昭和35年には妙相寺は存在していません。
多分この方は勧誡の事を御授戒と勘違いしているのかもしれません、しかし、記事にあるように50歳の時に法華講に移ったとありますが、この方が妙相寺信徒として勧誡を受けたのは平成22年3月4日の事であり、68歳の時になります。
また御開扉を年に12回受けていたとありますが、総務の方で添書登山の記録を調べてもらうと、なんと1度も添書登山はされていません。
つまり、支部登山は年に3回から4回なので、添書登山をしない限り「年に12回」登山等というのは全くの事実無根であるというわけです。
また先代御住職の臨終の相が悪い云々についてはブログ記事にもしておりますが
https://fanblogs.jp/kikkomankensyoukai/archive/45/0
これは顕正会→法華講→顕正会と戻ってしまったH澤氏が言っていた事を鵜呑みにしているだけですね。
ちなみにこのH澤さんは、葬儀の時、お寺の敷地外からお焼香をしただけであり、先代御住職の相は見ていません。
先代御住職が悪臨終等というのは全くのウソであり、拝した方は皆口を揃えてお顔に赤みもあり、綺麗で素晴らしい成仏の相であったと証言しています。
続いて4月15日号のこの記事になりますね。
この件については、この法華講員であるK君は元顕正会員であり、登壇者であるK隊長はこの法華講員であるK君の元上長です。
「住所が分かって・・」云々とありますが、何を言っているのか。
ちゃんと書けばいいじゃないですか、元顕正会員であり、自分の隊員だったから住所を知っていたって。
また記事にあるような、誹謗等はしていないそうです。
突然、K沼氏からしつこく法論しろ法論しろと連絡が来たのは事実ではありますが。K君はまだ日蓮正宗での信仰歴も浅く、教学もそれほど強くはありません、顕正会側は恐らくそれを狙ってきたのかと思われます。
また、そんな彼を夜に突然、家に押しかけてギャンギャン喚かれ、思わず誓約書にサインをしてしまったのも事実ですが、このような反社会的な行動をするのが顕正会なのでしょうか。
それと、カエリタマエがどうとか、ガネーシャ像がどうとか、そんな事いつまで言ってるんでしょうか、慧妙側で既に反論が出ていますし、そもそも妙観講は他支部なので無責任な発言もできません、以前記事に書きましたが。
https://fanblogs.jp/kikkomankensyoukai/archive/86/0
肝心要のニセ本尊問題から一体いつまで逃げているのでしょうか、隠すのもいい加減限界があるのではないでしょうか?
K君自身もまだそれほど顕正会に対して、それほど強くはない中で、自分の都合で物事を進めてしまったのも事実です、なのでK君には必ず他の人に応援を求める事を念を押しました。
そして思う事は、さほど教学がさほど強くないメンバーにどうフォローしていくか、というのも課題であり、自分達の育成不足の面も感ずる所で反省しなくてはならないな、とも感じます。
ただ先月から仕事を復職し、妻と子供も戻り、ハイハイを始めた息子は色んなものに興味津々で目を離せず、今もキーボードを勝手に押されながら書いています。
さて、まずは顕正新聞3月25日号に載ったこの記事です。
この記事を読んで、色々と違和感を感じます。
まずこの方は、昭和35年に創価学会に入った、と書かれていますが、当時は日蓮正宗・創価学会だったので当然創価学会に入るという事は、日蓮正宗の信徒となる、即ち御授戒を受けたという事になります。
しかし「私が授戒を受けた妙相寺・・」とありますが妙相寺が建立されたのは翌年の昭和36年の事であり、昭和35年には妙相寺は存在していません。
多分この方は勧誡の事を御授戒と勘違いしているのかもしれません、しかし、記事にあるように50歳の時に法華講に移ったとありますが、この方が妙相寺信徒として勧誡を受けたのは平成22年3月4日の事であり、68歳の時になります。
また御開扉を年に12回受けていたとありますが、総務の方で添書登山の記録を調べてもらうと、なんと1度も添書登山はされていません。
つまり、支部登山は年に3回から4回なので、添書登山をしない限り「年に12回」登山等というのは全くの事実無根であるというわけです。
また先代御住職の臨終の相が悪い云々についてはブログ記事にもしておりますが
https://fanblogs.jp/kikkomankensyoukai/archive/45/0
これは顕正会→法華講→顕正会と戻ってしまったH澤氏が言っていた事を鵜呑みにしているだけですね。
ちなみにこのH澤さんは、葬儀の時、お寺の敷地外からお焼香をしただけであり、先代御住職の相は見ていません。
先代御住職が悪臨終等というのは全くのウソであり、拝した方は皆口を揃えてお顔に赤みもあり、綺麗で素晴らしい成仏の相であったと証言しています。
続いて4月15日号のこの記事になりますね。
この件については、この法華講員であるK君は元顕正会員であり、登壇者であるK隊長はこの法華講員であるK君の元上長です。
「住所が分かって・・」云々とありますが、何を言っているのか。
ちゃんと書けばいいじゃないですか、元顕正会員であり、自分の隊員だったから住所を知っていたって。
また記事にあるような、誹謗等はしていないそうです。
突然、K沼氏からしつこく法論しろ法論しろと連絡が来たのは事実ではありますが。K君はまだ日蓮正宗での信仰歴も浅く、教学もそれほど強くはありません、顕正会側は恐らくそれを狙ってきたのかと思われます。
また、そんな彼を夜に突然、家に押しかけてギャンギャン喚かれ、思わず誓約書にサインをしてしまったのも事実ですが、このような反社会的な行動をするのが顕正会なのでしょうか。
それと、カエリタマエがどうとか、ガネーシャ像がどうとか、そんな事いつまで言ってるんでしょうか、慧妙側で既に反論が出ていますし、そもそも妙観講は他支部なので無責任な発言もできません、以前記事に書きましたが。
https://fanblogs.jp/kikkomankensyoukai/archive/86/0
肝心要のニセ本尊問題から一体いつまで逃げているのでしょうか、隠すのもいい加減限界があるのではないでしょうか?
K君自身もまだそれほど顕正会に対して、それほど強くはない中で、自分の都合で物事を進めてしまったのも事実です、なのでK君には必ず他の人に応援を求める事を念を押しました。
そして思う事は、さほど教学がさほど強くないメンバーにどうフォローしていくか、というのも課題であり、自分達の育成不足の面も感ずる所で反省しなくてはならないな、とも感じます。
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元上長からの嫌がらせ!?
僕も受けましたね。
顕正会を辞めてすぐに関係のあった会員に連絡を取っていたら伊east部長から毎日のように電話があり、顕正会の曲がった理論で一方的に責められました。
法華講員としてまだ日が浅くたいして反論できずにいましたが、そんなのお構い無く一方的に攻め立てられました。
お陰様で伊east部長を通じて顕正会幹部が尊敬に値しない人間だということがよく分かり、早期に顕正会への執着が消し飛びました。(^.^)
要するにKさんの上長も伊east部長も
「これ以上顕正会員に手を出すな! 」
という警告であり脅しであると思っています。
顕正新聞なら僕も書かれましたね。
キッコーマンさんら同支部の仲間で首都圏にある会館近くで伊eastさんや精鋭部隊??とやり合って話は平行線の筈でしたが、伊eastさんは後日、顕正新聞に
「遠方から来た元顕正会員の法華講員は、宗門が間違っていることを納得して帰った!」
とか出鱈目を書いていましたが、そんな記事を読んだ会員なんてどの程度いるのでしょうか!?
僕が現役の時はほとんど顕正新聞を開いた事なんて無かったし、指導以外の記事は読みませんでしたね。(^.^)