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2018年07月27日

ガダルカナル撤退 もう一つの手記 その2

 
 その2

  

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 4.最初の戦死者
 
 上陸4日目初めて中隊で戦死者が出た。T上等兵だ。この日迄は敵は定期的な射ち方であったが、新上陸部隊を察知したのか一段と烈しい射ち方に変ってジャングル内に猛射を浴びせて来た。他部隊でも夥しい死傷者が出たが、我が中隊ではT上等兵一人が壮烈な戦死を遂げた。

 Tは私と同年兵の戦友で、頭が凄く切れると云う方では無いが仲々世間慣れして居て、所謂要領の好い方で皆の気受けも好く、又瓢軽な奴で変な流行歌等を口遊んで居た。よもや彼が真先きに死ぬとは思わ無かった。惜しい男だった。穴を堀り死体を手厚く葬って遣った。
 だがこの時は未だ好かった。これから連日の如く戦死者を出したが死体を埋めると云う事は殆んど出来ず、戦野にそのまま放置されて居た。生存者にも余裕が無いし体力的にも戦況的にも許されざる状況であった。
 
 これからの3カ月間、死体は山野に散在し屍臭はジャングル内を充満した。その状況は到底筆舌に表し難い。悲惨悽愴(ひさんいたいた)と云う外は無い。
 死体には何万と云う銀蠅が集り、口、目、鼻、肛門、穴の開いて居る処には無数の蛆が蠢いて居て、膚に粟(あわ)を生ぜしめる地獄の世界だ。死体は2・3日で物凄く青く膨れ上り、その内毎日降るスコールと暑熱の為10日間位で白骨化してしまう。ヨレヨレの軍衣を骸骨が纏って居る格好だ。  
 初めは恐怖と戦慄を感じたが、その内に無神経と為りその様なものを見ても何とも思わ無く為った。驚くべき心理状態と為るものだ。これは体験し無くては到底理解出来無い心的変化である。

  

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 5.毒芋で死す
 
 第一二中隊の命令受領者はI軍曹であった。乙幹出身の気の弱い凡そ軍人らしからぬ男であった。性温厚で、私は彼の怒った顔を見た事が無い。命令受領者は直接的に戦斗をし無いからその意味に於いては適任であったかも知れぬ。彼には分隊を指揮する能力も資質も凡そ無かったからである。

 私は、ガ島作戦で彼を補佐する関係にあったので、ガ島で彼が不慮の死を遂げる迄終始行動を共にして居た。平時内地に居れば立派な紳士として通用し得たかも知れぬ。しかし戦争は彼をして不遇な軍人たらしめたのである。
 しかも最も苛烈を極めたガ島作戦は何人をも窮乏のドン底に陥し入れ、人間の性格すら変えた非情冷酷な修羅場であったのである。
 
 上陸半月にして既に食糧は窮迫を告げ、弾に斃れる者の外、病に斃れる者続出し、我が中隊でも毎日数名の死者を数えて居た。この頃に為って、生きて再び内地に帰還出来ると云う様な考えは全然脳裡から去って居た。
 絶望のみが我々の頭を支配して居た。朝に為れば「未だ生きて居たのか」夕に為れば「今日も生き延びたか」との感を深くし、一日々々が正に死との対決であったのである。
 
 勇川の右岸の台上は砲兵台と名付けられて居た。この地点に達する谷間には大きな濃緑色の葉をした一見里芋の様な野生の植物が林立して居たのが見られた。普通内地の里芋の葉は稍々(やや)頭を下げて居る格好して居るのだが、この葉は直立不動の姿で恰も大蛇が鎌首を擡げた様な、見るからに不気味な様相を呈して居た。これが毒芋であったのだ。  
 空腹に堪え兼ねて居た時であったから、食べられる物ならどんな物でも食べる状態であった。里芋の如きものを発見すれば我先きにと喰べる事は人情であった。しかしこれは喰べられ無い毒芋であったのだ。これを喰べた者は可成りあるらしいが、運が悪かったのかI軍曹はこれを喰べると間も無く、唇は紫色化し嘔吐苦悶を始め、拳は虚空を掴みつつこの世を去ったのである。全く呆気無い最後であった。
 
 名誉の戦死を伝えられた彼の死はかくの如きものであったのである。戦死と云う美名の下には、掛かる真実が隠されて居るのである。私は戦場の実相を知って貰うべく敢えてこの事を書き記すのである。
 I軍曹に似た様な死は他にも沢山あり、この事は随所に触れる事に為ろう。あたら青春をこの地に散らしめた彼の遺骸を埋め、遺品として彼が愛用した図嚢(ずのう)と軍刀は私が引継いだ。毒芋による死は痛くショックを与え、軍も毒芋を喰べる事を禁止する通達を出した位であった。予期もし無い出来事で今だに記憶が生々しい。

 I軍曹の死は考え様によっては未だ幸せであったかも知れぬ。I軍曹の死はガ島上陸より比較的初期の出来事であったからである。その後撤退する迄の筆舌を絶する辛苦苛烈非情を経験し無かったからである。彼は人間の醜さ戦斗の極限を経ず、未だ死体を埋葬し得る余裕があり軍も狂気染みて居ない時に死んだからである。彼の精神は荒廃して居なかったからである。  
 人間を人間として扱い得無い状態と為ると、人間であるが故に余計に悲惨である。死体の上で小休止し、死体を暴いて遺品を漁る姿はこの世の地獄と言わずして何をか云わん。噫々(ああ)人間も遂には幽鬼と化したもの為らん。

  

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  6.中隊長の死
 
 我々兵隊に取っては、敵状がどう為って居るのか、我が軍が如何なる戦斗配備にあるのか全然判らず、唯命ぜられるままに進み命ぜられるままに穴を堀り、戦場の発展と関係無き意識の下に生きそして死んで行ったのである。その生き、死ぬ事は極く身近かな所に起こる限りに於いて意識し、それが全戦斗の如何なる位置乃至価値があるのか全然判って居ないのである。この事は驚くべき事である。

 私はI軍曹が斃れC軍曹が死に、その後の命令受領者と為り、その為に若干乍ら戦斗の概要を把握する地位に為ってから、初めて自己のそしてその所属する中隊乃至部隊の戦斗態勢を認識した位である。それも極一部に於いてである。
 しかし私は中隊の戦斗詳報を纏めて居たり、給与係を担当したりして居た関係上比較的中隊の事情に通じて居た事は否定出来ない。

 我が中隊長は陸士53期(と記憶する)出身のK中尉である。典型的軍人である。心身共に鍛練された帝国軍人の権化の如き男である。年は22才位、色は稍々黒く背は余り高く無く威丈夫と云う風態では無い。
 部下には無理を強いる事無く、若き指揮官として十分尊敬し得る男である。勇猛にして果敢、責任観念強く、流石、陸軍の華と言われた陸士出身だけの事はある。幹候出身の将校とはその精神に於いて格段の差がある。

 或る日、K中隊長は敵状及び中隊の戦斗拠点を偵察すべく指揮班の下士官・兵6名を連れて境台土に前進した。折り柄降り注ぐ敵弾の中を勇敢にも先頭に立ち前進を続けた。1本の大きな樹陰に寄って双眼鏡を手に敵状を偵察して居た時耳を劈く轟音と共に落ちた迫撃砲の直撃弾を受け、K中隊長は全身破片創、一諸に居た部下は全員戦死、我が中隊に取っては一大痛棒であった。
 K中隊長は直ちに担架に運ばれて大隊本部の位置迄後退したが、全身破片創の為至る所から血が吹き、虫の息で意識不明のまま、手の施しようも無く絶命した。全く華々しき立派な戦死であった。
 
 我が中隊は不幸にも建制部隊である第三大隊より離れ、第一大隊では最右翼の前線を担当させられ、敵前に一番近く危険度の最も高い地点に在った。この事は配属中隊の悲劇でもあった。しかし若き指揮者は責任感旺盛にして好くその任務を完遂したのである。  
 中隊長を失った中隊が如何に悲惨であるかは経験の無い方には判ら無いだろうが、何かに付けて他中隊より軽視され、割の悪い任務に就かされる事が屡々(しばしば)ある。この事は後にも触れるであろう。中隊長を失った中隊は柱石の無い家の如く、火の消えた様なものである。意気の挙らざる事夥しい。代理の中隊長が着任しても以前の士気は盛り上ら無い。
 
 K中隊長は過って、南支に於いて将校斥候に赴き(私もこれに参加したが)暁闇を突いて敵陣に突入し、慌て蓋めいて逃げる敵兵を求めて抜刀した処、敵の銃身に当りその反動で軍刀を敵の壕の中へ落しこれを拾いに行った事がある。この時私は彼を掩護して居たが全く笑いの止まらぬ一齣(ひとこま)であった。
 しかし彼は敵を侮らず且つ恐れもせず、沈着果敢な行動により好く味方を引き絞め、年若き指揮官として立派な軍人であった事は否定し得ない。又一般人としても恐らく人の上に立つ人物であったであろうと云う事も疑わ無い。今でも惜しい中隊長を失ったものであると思って居る。

  

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 7.蟻の巣を食う 

 上陸後1カ月以上経た頃に為ると戦況はやや膠着状態と為ったが、その間でも敵は間断無く執拗に銃弾を打ち込み毎日幾人かの戦死者を出して居たが、我々もガ島の戦場に慣れ余り恐怖も感じ無く為って居た。丁度我々がガ島に上陸直後敗残兵を見た時に感じた事が、今自らの身の上に同様の変化を生じて居たのである。

 相変らず空腹である事に変りは無く、軍から支給される米は1日僅か100瓦(グラム)、副食は無く唯少量の粉味噌が与えられるのみである。これで戦斗をせよと云う方が土台無理な話である。だから暇があれば食べられる物を求めて戦場を彷徨した。
 水源地に内地の蕗(ふき)に似た様な野生の茎があってその根元が小さな球根に為って居た。これをどれ程喰べたか知らぬ。只茹でて何も調味品が無いのでそのまま喰べるのであるが、それがどれだけ救いと為って居たかは想像を絶する処である。これも無く為ってしまった。
 又パパイヤの幹が喰べられる事もこの時初めて知った。丁度味の無い大根を喰べる様であった。これも無く為ってしまった。喰べられる物は皆喰べた。今から考えるとアンナ物が食物と為るとは到底想像も及ば無い。

 海岸へ行くと椰子の実やエビガニ等があったらしいが、我々前線部隊は海岸ヘ行く事は全然無かったのでその恩恵には浴さ無かった。しかしそれを採るにも命懸けであった様だ。海岸線は敵が始終爆撃したり、砲撃したりして居たからだ。
 2尺位(約60センチ)のトカゲを見掛けた事があるが、足が速くて遂に口中に入れる事は出来無かった。物の本にはその肉は美味である旨記されて居たが、惜しいかなその功徳には預かれ無かった。

 昼間は火煙が出せ無いので、夜に為って暗く為る頃、敵の銃音も止み漸やく身体が没する程度の深さの壕の中の炊事が始まる。飯盒の底に張り付く程の少量の食事を採るのである。
 それが済むと壕の外に出て枯草の上に1枚の天幕を敷き、樹々の間にもう一つの天幕を張って露を防ぎ一夜の寝に就くのである。仲々寝着かれぬ。そこで自然と話は内地に居た頃の食物の話と為る。クラブ亭のビフテキは美味かったとか、あそこの寿司は美味かったとか。語り合って空腹を癒やしつつ、何時とは無く眠ってしまう。朝敵弾の挨拶で目覚める。日中は命令受領に行き、これを中隊に伝達に行く。この様な日課を繰り返して居た。
 
 戦局は徐々に悪化して行った。戦況が好く為る条件は何一つ無い。制空権は完全に失い制海権も無く、潜水艦に拠って辛うじて物資を搬送して居るのみであるから凡そその状況は判る。我々は前線で敵陣と対峙した儘、一歩の前進も許され無かった。
 唯夜に入ると少数の兵力による夜襲を試みるのが精一杯の抵抗と云う所だ。後は敵の為すが儘の状態である。1発打つとお釣りが30発も来てはとてもお話に為らぬ。成るべく消耗を少くするに限る。
 
 この様な明け暮れをして居た時、野生の植物も喰べられるものは殆んど喰べ尽くした頃、蟻の巣が喰べられるとは一大発見であつた。これは丁度人間の頭位の大きさがあって蟻の巣と為って居るのである。
 これは樹幹の中間の処にあるので登って採って来て、厚さ2糎(センチメートル)位に細かく切って置くと蟻が出て行ってしまう。これを洗って茹でると内地のレンコンを思わす様な味がある。しかし調味品が無いのでその儘喰べるのだが空腹の足しには為る。
 何も無いガ島でも捜せば何かしかの喰物はあるものだと感心した。この様なものが栄養とは為ら無いので、徐々に肉体的に衰弱を加えて行った。唯気力のみは比較的旺盛であった。

  

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 8.好漢 

 ここで私はU上等兵(一等兵であったかも知れぬ)の事を書忘れては為ら無い。彼は無事生還して目下豊田市で電気商を営んで居る。彼は15年兵で私の初年兵であるが、偶然ガ島では命令受領の伝令として私の指揮下に在ったので、ガ島では行動を共にし上陸より撤退迄1日として別々に居た事は無い。  
 しかし彼は無責任な奴で、支那に居た頃、私が分哨長で彼が哨兵として夜間の立哨をして居た時、居眠りをし高さ5メートルもある望楼より落下し、下顎を負傷して幾針か縫った事があり、今尚その傷痕がある筈である。
 又香港作戦後九竜で10日間位警備に就いて居た時、私は分哨長で彼が哨兵として服務した時も、彼が動哨として立哨して居た処、交替時刻に為っても交替地点に現われず、遂に他の哨兵をしてそのまま立哨させた。が、当時歩哨が敵兵に浚われると云う情報も流れて居たので、大いに心配しその付近を隈無く探したが仲々見付からず、夜明け時分にガレージの扉の蔭に隠れて毛布を被って寝て居た彼を発見し、思わずビンタを十数打与えた事がある。
 
 右の様な前歴があるので、私は彼に余り期待して居なかった。しかし作戦と為ると彼は見違える様な機敏な行動力を発揮し、且つ生活力旺盛な点があり他人に無い好い面を持って居た。彼は勇敢であり、冷静であり、好い判断力を身に着けて居た。戦場の兵としては好ましい男であったのだ。
 射撃も上手の方であったし、銃剣術もかなり遣れる方であった。唯惜しむらくはもう少し責任と自覚が欲しかった。だが支那に於ける私の彼に対する印象はガ島に於いては完全に払拭されて居た。

 私が今日生命を永らえて居るのも彼の献身的努力による処大いに大である。その点私は何時も彼に感謝して居るし、彼も亦私を大いに徳として居る。私と彼との間には強い戦友の絆によって固く結ばれて居り、時偶遭う時も徹宵痛飲し過っての物語りに時の経つのも忘れしむる程である。  
 私はガ島では全然炊事をした事は無い、それは凡て彼が遣って呉れたのである。又種々の野生の植物を採って来たのも彼である。敵弾の最も烈しく落ちる水源地へ毎日水筒をぶら下げて水汲みに行ったのも彼である。
しかしその反面私は彼に危険なる伝令には出さ無かった。その様な時には私自ら行ったのである。
 
 或る日、その日は丁度開戦記念日の12月8日の前日の事である。敵はラッキーセブンと称して平日とは異なり猛烈なる砲弾を黎明から薄暮に掛けて終日苛藉なく打ちまくった。
 大木がアチラコチラに倒れ戦死者は夥しい数字に上った。この朝8時頃に彼はそこ等に倒れて居る負傷兵の水筒十幾箇を持って水汲みに行った。普通なら1時間乃至2時間位で帰って来るのだが、その日に限って夕方4時に為っても帰って来無い。私はテッキリ彼も敵弾に当たって戦死したのではないかと云う予感に襲われた。

 処が真暗闇に為ってから肩に水筒をブラ下げて、ブラリブラリと幽霊の様な格好で戻って来たのには吃驚し、先ずはその無事を嬉んだものである。彼は一寸落着いてから、水筒に水を入れる時間が烈しく打つ敵弾の為に普通なら5分位で1箇が済むのに、一寸入れては隠れ、又弾の合間を見計って出て来て入れるので30分以上も掛かる。そんな状態であったのでこんなに遅く為ったと語って呉れた。  
 彼は何が何でも水筒に水を入れて帰ら無ければ十数名の負傷兵が死んでしまうと云う自覚と責任が、かくも沈着果敢な行動を取らしめたものと思う。私は彼の勇敢なその行動に対して心から敬服を感じたが、その時には口には出さず、後日その点に触れて彼の行動を賞した事があるが、彼は既に忘れたものの如く唯微笑したに過ぎ無かった。彼も亦好漢と云うべきか。

 つづく

  

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