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2018年07月27日

ガダルカナル撤退 もう一つの手記 その1


 物事の真相を知りたいと望むなら、一つの情報源にのみ囚われず、出来るだけ多くの資料に目を通すことがその近道の一つであろう。人によって物事の捉え方が異なりその表現方法も区々(まちまち)なのが世の常である。その中から正解と思われるものを探すのが探究者に課せられた宿命だろう。
 ガダルカナル撤退の歴史の正確な記述は、数多く存在する資料の中に必ず埋もれて居るだろう。今回は、別の体験者の手記をご紹介したいと思います・・・
 

 参照 ガダルカナルからの撤退の手記 

 
 弁護士会報 昭和42年5月号より  毎月発行される当会の会報は、529号を数えて居ます。憲法記念日に因んで今回は、過去の記事の中からガダルカナルでの戦争体験を書かれた会員の記事をご紹介します。尚、昭和42年当時に書かれた原稿の原文をそのまま転載させて頂きますのでご了承下さい。

 

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 ガダルカナル(1)

 会員  山本正男


 はしがき
 
 日本が大東亜戦争に突入したのは昭和16年12月8日未明の事である。当時私は南支にあって香港作戦に参加し、その後アンボン、チモール、ジャワ、ガ島、ボ島と転戦し、敗戦をニューブリテン島で迎える日迄、青春の一切を犠牲にして祖国防衛の尖兵として日夜戦斗に明け暮れて居たのである。  
 大東亜戦争の是非は後世の史家が明らかにするであろうが、少くとも我々は只管祖国の加護と繁栄を信じて南浜の地に若き命を失った幾多の将兵に対し、その死を決して無駄にしては為ら無いし又この事を決して忘れる事があっては為ら無いと云う事である。
 
 第二次世界大戦と云う多大な犠牲を払って漸やく獲ち得た平和が今日果たして維持されて居るであろうか。戦後朝鮮動乱を始めとして、イスラエル紛争、印パ紛争、南阿の反乱等一日も晏如(あんじょ)たる日は無い程である。
 今尚ベトナムでは巨大な出血を強要されて居り住民の生活は全く破壊されて居ると聞く。人類の歴史は治乱興亡の歴史と言われる。破壊と建設それが人類に課せられた宿命と云うのであろうか。今こそ世界の雄国の指導者らにはこの地上に人類の永遠の平和と繁栄を築き上げる為にその卓越せる指導力を駆使して、その叡智と勇気を傾注すべき義務があると云うべきではないか。
 
 戦後22年。日本は敗戦の廃墟から立ち上り、世紀の驚異と迄云われる繁栄を示して居るが、その底辺に戦争の危険が絶無であると云う何等の保証は全然無いのである。  
 若き日大東亜戦争中最大の激戦地と言われた「ガ島」に一兵士として参加し、辛くも九死に一生を得て生還したが、今日ベトナムの戦争記事を見るに付け、ガ島を想起する心が頻りに高まりその頃の憶い出を書き記して置く事は苛烈無残な戦争を通して真の平和とは何かと云う事を理解する上に決して無意味では無いと思い敢えてこの小文の筆を採る事にした。

  

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  1.序章 

 大東亜戦争の緒戦に挙げた電撃的戦果は昭和17年の中頃より漸やく衰退を見せ始め、アッツ島の玉砕、ミッドウエーの敗北、ガ島の撤退、ニューギニヤの苦斗と打ち続く悲報は祖国日本を震撼し、次第に敗戦の色を濃くして行った。
 この頃の日本の戦域は、北は満州より支那全土に亘り、仏印からマレー半島、蘭領東印度諸島から太平洋諸島に及び、その戦域は史上最大と為って居たのである。

 ガ島はその東南端の防衛線上にあり、日本に取ってはガ島を扼する事は対濠包囲戦上不可欠の要請であり、米国に取ってはガ島を失う事は米濠間の連絡を断絶すると云う作戦上の理由が太平洋上の一小島のガ島をして大東亜戦争中最大の激戦地たらしめたのである。  
 日米両国がこの一小島を太平洋戦争の天目山としてあらゆる戦力を投入し、米国は米海軍最強と言われる第七海兵隊を出動させ連日熾烈なる砲火を日本軍に浴びせたのである。為に、さしもの千古の密林も丸裸と為り山容俄かに改まると云う状況であった。
 
 ガ島に最初日本軍が上陸したのは昭和17年5月頃、400名の海軍陸戦隊と千数百名の工作隊であった。だが8月には米軍の猛攻の前に全滅してしまった。その後陸軍が続々と投入された。
 先づ8月 旭川師団の一木大佐の指揮する一個大隊と配属部隊が上陸したが間も無く全滅。連隊長は割腹自殺、軍旗を川中に埋めると云う悲運と為った。
 その次に9月 牟田口兵団の川口少将の指揮する一個連隊を基幹とする兵団が上陸したがこれも殆んど全滅。次いで10月 丸山師団が上陸したがこれ亦全滅。最後に第三八師団が投入されたのである。
 
 敵の優勢なる兵力に対しこの様な出し惜み的な戦力の投入に拠ってガ島を奪取出来ると考えた上層部はその作戦に於いて大なる過誤を犯して居たものと言うべきである。
 制空権も制海権も無いガ島の上陸部隊は、常に2・30倍以上の敵兵力と死闘を続け無ければなら無いと云う悪条件の上に、食糧弾薬の欠乏は更にこの戦斗を悲惨にした。栄養失調で死んだ者はその数を知らず。その凄惨さは筆舌に尽くし難し。

  

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  2.上陸 

 運命の日。忘れもし無い昭和17年11月5日 その未明、我々は初めてガダルカナル島に第一歩を印した。これ迄大東亜戦争勃発以来殆んど無傷に近い第三八師団がここで大半全滅し、生還した者は1割にも達し無かった苛烈なる戦斗の序幕と為ったのである。

 私は第三八師団歩兵第二二八連隊第一二中隊に所属してこのガ島に上陸したのである。ガダルカナル島は南緯9度に位し東西130粁(キロメートル)南北40粁(愛知県よりやや大きい)のソロモン群島の一小島であって海岸線に沿って椰子林が密生し、その奥地は昼なお暗きジャングルを形成し食物も無い全くの無人島である。  
 ガダルカナル島は赤道直下の太陽のギラギラ輝く明るい島である筈であるが、今脳裡に残って居るのは、凡そこの世のものとも思われ無い陰気な無気味な死の島と云う事である。ガダルカナル・・・何と云う薄気味の悪い語音を持つ言葉であろうか、当時我々は餓死のガ島と言って居た。これから3カ月この島での死闘が繰り展げられるのである。
 
 その日未だ明けやらぬ船上からガ島を眺めるとボンヤリと鬱蒼としたジャングルが海辺に迫って居た。風も無く波も静かで空には未だ星の光が明滅して居た。ガ島は死んだ様に静まり返って居た。しかし上陸地点には数隻の日本の船舶が擱坐(かくざ)して居て先日来の戦斗の苛烈さを物語って居た。
 上陸開始の指令で海中に飛込み、その儘上陸地点であるタサファロングに向って急いだ。未だ辺りは暗い。中隊全員が上陸を了えた処へ、先に上陸して居た某部隊の将校がジャングルより出て来て「こんな所でグズグズして居ると艦砲射撃に遣られるぞ」と云う第一声を聞いた。

 我々は支那事変以来艦砲射撃の洗礼を受けて居ないので、その恐ろしさをその時まで全然知ら無かったのである。しかし夜が明けてからそれが現実化されるとその恐ろしさを嫌と云う程知らされる事に為った。
 取るも取敢えずジャングル内に入り壕を掘る事に為った。しかし前日来一睡もして居無いので穴堀りも容易に進ま無かった。夜が明ける迄に漸やく膝の部分位の穴しか堀れて居ない。

 ガ島は日本より東に位置するので午前3時頃に夜が明ける。もう猶予は無い。既に艦砲の音がし始めて居る。敵は定期便の如く海岸線に沿って射込んで行く。至近弾が烈しく落ちるので更に奥地に入る。
 我々の目標はルンガ岬にある敵を攻撃する事にある。しかしそこに達するのは容易では無い。距離は精々40粁であろう。しかし敵機が縦横無尽に銃撃を加え到底昼間の部隊行動は執れ無い。夜間、しかも海岸線は進めず、真暗なジャングル内を進ま無ければなら無いので異常な時間が掛かる。
 
 上陸して間も無く異様な兵隊を見た。着衣はボロボロ、負傷した箇所に群がる銀蠅を追う気力も無く虚ろな眼で何処へ行くのか戦野を彷徨して居る姿である。
 これが勇猛を唄われた二師団の敗残の姿だ。我々より1カ月前に上陸し総攻撃に失敗した残党であったのである。この時我々は1カ月先きには同じ運命が待って居るとは少しも知らず、その無気力に寧ろ軽蔑の目で眺めて居たのである。
 
 上陸3日目、コカンボナを経て勇川に達す。ここからの前進は至難を極めた。耳底に響くのは烈しく射つ敵の弾丸の音だけだ。この3日間何処で寝て何処をどう行動したのかさっ張り判ら無い。兎も角勇川の畔の真暗なジャングルで野営した事を今でもハッキリ憶えて居ると云うのは、翌朝飛んでも無い事が起きたからだ。

  

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  3.餓狼
 
 我々が上陸する以前に上陸して居た部隊で岡部隊と云うのがある。この部隊は川口支隊の一個連隊であるが、敵陣に総攻撃をして全滅したが一部残党が指揮系統を勝手に離脱して戦野に彷徨して居たのである。既に2カ月に亘り軍の食糧から見放され野盗化して居たのである。
 この野盗は餓狼と化して新しく上陸する部隊を狙い携帯する食糧を掠奪し、時には殺害もすると云う手合である。日本軍の道義は既に地に堕ちて居た。尤も彼等を掛かる状態にした軍も悪い。最早や救いの無い状態が戦場に在った。敵は内にも居たのだ。
 
 私は上陸3日目の夜、連日の疲労で不覚にも昏睡して居たらしく、近づく人の気配すら感じ無かったのである。処が翌朝目が醒めると、前夜枕にして居た背嚢が失く為って居るのである。この中には食糧が10日分はゆうにあり、煙草その他身廻品が一杯入って居た。私が中隊で最初の餓狼の餌食と為ったのだ。
 私は限り無い憤りを覚えた。既に前線を脱走した野盗がこれから前線に向うべく休息して居る兵隊の食糧を奪うとは、何と云う非道の奴輩と烈しい怒りが込み上げた。幸いにも戦友より若干づつ食糧を貰い受け露命を繋いだ。
 
 彼等が暗躍するのは比較的後方地区に属する所である。彼等には軍人精神不在である。従って弾の烈しく落ちる処には居無い。この様な事件は前線では起こら無かったからである。しかし後方地区では糧秣輸送隊の落伍者が殺害され糧秣を強奪された事が屡々(しばしば)あった事を後で耳にして居る。  
 私の今までの経験では掛かる前線を脱走し野盗化した友軍に拠って脅される事例は無かったので、ガ島と云う異常な戦場、即ち戦力無き者への非情性が作り出した特有なものであったかも知れ無い。負傷しても手当されず病に倒れても薬すら無い。医療設備は皆無に等しく兵站病院は死体処理場と化して居たのである。衛生兵の仕事は毎朝死体を勘定してこれを一箇所に集める事であった。
 
 戦列を離れた彼等に食糧の配給は無く、従って野盗化せざるを得無かったであろうが断じて許すべきでは無い。速かに戦列に復帰すべきである。しかし彼等には戦意無く、唯一匹の餓狼に堕して居たのである。全く救いの無い戦場と云うべきである。

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 つづく


  

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