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2018年06月21日

日本の近代化に明治維新は必要無かった その2


 明治維新は必要無かった その2


      8-28-113.jpg 孝明天皇


 「尊皇攘夷」の嘘と裏切り

 もし維新に理念が在ったとしたら幕末の志士達の合言葉「尊皇攘夷」がそれに当たるでしょう。この言葉に命を懸けて死んで行った人々が沢山居たのですが、この大義(スローガン)の実際を見てみると「維新の大義や理念」とは到底言えません。

 尊王思想・・・尊王思想はこの時代の常識であり、幕府側の人々にもこれを軽んじた人は居ません。そして、水戸徳川家の勤皇思想は日本一過激なもので、高い尊王の志を持った人と云えば、会津藩主松平容保候等が筆頭に上げられるでしょう。
 処が薩長側にそう云う人は見つかりません。彼等に取っては尊王は方便に過ぎ無かったからです。自分達に取っては都合の悪い天皇(孝明天皇)は暗殺してしまう様な醜い尊王であり、偽の密勅を出したりして天皇を道具として利用して居るに過ぎません。大政奉還に依って尊王政権の見込みが充分出来たにも関わらず、それで満足せず更に倒幕の戦争を起こした事からも、この尊王の大義が方便であった事が解ります。

 攘夷思想・・・攘夷と云う感情が始めは反幕派の大義で在った事は良く知られて居ますが、権力を取るや明治政府は極端な文明開化を行なう訳ですから、真面目に攘夷を信じた人間を決定的に裏切った事は明らかです。
 薩長側は、自分達はもうトックに信じて居なかった「攘夷」と云うスローガンを言い立てて民衆を騙して倒幕の起動力に利用したに過ぎません。長州の高杉晋作は上海へ行った時(1862年)に攘夷は無理と悟ったと言われて居ます。
 薩摩は薩英戦争(1863年)長州は馬関戦争(1864年)の敗北で、両藩共に攘夷は無理と悟りその場で英国と親密な交際を始めて居ります。(これが後の日英同盟に繋がります)攘夷思想等は日本の国策として在り得無い論でしたから、思想や理念と云うべきものではありません。赤子の泣き声程度のものとして扱うべきものでしょう。

 攘夷と文明開化は同根・・・攘夷と文明開化は正反対の気持と見えますが、実はこの二つは共通の心情から出て居ます。その共通の心情と云うのは「西洋に対する恐怖心」です。
西洋の軍事力に恐れを感じて自然に沸き上がった嫌悪感が攘夷論と為りますが、とても敵うものでは無いと冷静に為って止む無く開国論に転向するのです。
 「怖いから鎖国をする」と言う様な自閉的反応を諦めて「怖いから開国する」「怖いから強国に為らねば」「怖いから西洋に追い着く様に西洋を真似する」と変わっただけです。無理矢理開国させられた惨めな立場であり「今に見ておれ!」と云う気持ちでした。攘夷派も開国派も根は同じ西洋恐怖心でした。

 この日本人全体に共有された恐怖心が、日本を民族(ネーション)として一つにする役割を果たしました。だから開国した後の西洋との付き合い方にも恐怖心が付き纏います。そしてこの「西洋劣等感」がその後「西洋崇拝」に変化して現在に至って居ます。
 この日本人の恐怖心を取り除いて、西洋を冷静に見ようと云うのがこのレポート狙いです。尚反幕思想にも倒幕思想にも、大義は無い事は云う迄もありません。


 明治維新の野蛮さ

 無用な変革 
                         
 「中央集権国家(国民国家)」の建設も必要無かったと云う仮説を提案します。我々は何と無く明治政府の中央集権化政策によって日本の近代化が達成出来て今日の日本がある・・・と信じ切って居る事に疑問を持つからです。

 明治維新全体の倒幕と国民国家建設の過程を @大政奉還A倒幕B廃藩置県C徴兵制 と云う四つのステップに分けて考えます。この項ではその四つのステップは全て「不要」と云うよりは寧ろ「有害」で在った事を説明します。

 大政奉還は間違い

 日本の政治体制は伝統的に権威(天皇)と権力(幕府)の二本立てで平和を守る知恵を持って来ました。尊王思想は天皇の「権威」を尊重すると云う意味で日本の伝統から見て尤もな思想ですがそれが行き過ぎて「権力」迄も天皇に集中したのが戦前の間違いでした。この間違いの始まりが大政奉還であったのです。
 明治維新の間違いの最大のものは権力を天皇に一元化した事です。これこそ日本の伝統を無視した暴挙でした。富国強兵を強行する為に止むを得無かったと云う論が横行して居ますが、天皇に権力を集中させる考えの方が不自然で無理がありました。

 倒幕は間違い

 大政を奉還して恭順を示して居る幕府に戦争を仕掛ける事に全く大義はありません。これは理由の無い暴力に過ぎません。こう云う不正な暴力が明治維新の本質ですから以後政治外交が侵略的に為る事の端緒(たんしょ)と為ったと云う意味で有害な間違いでした。

 廃藩置県は間違い・・・中央集権化の遣り過ぎ
 
 中央集権の必要は無かった

 戊辰戦争に勝って新政府を作った後、政府としての自信が出来て来て、廃藩置県・徴兵制等を考え始めました。その必要性は西洋の実際を既に見て来て国民国家とはどう云うものかを知って居た人々によって強く感じられたに違いありません。
 現在の常識では、この中央集権化によって日本は国民国家と為る事が出来、富国強兵策を実行し日本の近代化を達成する事が出来た。詰まりこれが明治維新の重要な成果と考えられて居ます。しかし私はその常識に抗して、この様な過激な集権化をし無くとも従来の地方勢力を温存したままで近代化は達成出来たに違い無い「富国強兵策の遣り過ぎだ」と云う独断的仮説を提案したいと思います。
 薩長勢力が慶喜の大政奉還の英断を踏みにじって、戊辰戦争を始めた時から明治政府の暴力主義が始まり、これが日本の戦争の世紀に繋がったのだと云う見方です。

 地方分権の可能性

 「日本全体の経済発展の為に中央集権化が絶対に必要だったか?」と云う歴史のイフに付いては、私は地方分権の方が望ましい発展が出来たと云う考えです。

 先ず、江戸時代に藩に分かれて夫々が藩政改革を実行し成功して居る藩も多い事が知られて居ます。長州の撫育方、薩摩の調所改革、肥前の均田制、土佐のおこぜ組等の改革が成功して藩財政を豊かなものにして居ました。
 時代は一寸違うが、米沢藩の上杉鷹山等の名君の存在も忘れてはなら無いものです。北前船の隆盛、綿花・菜種油・紅花・養蚕等々産業、商業は各地で想像以上に発展して居ました。幕末に開港した後の生糸の爆発的な輸出等を見ると日本全国の技術力は近代産業一歩手前迄来て居たのであって、開国と云う一押しで急速に近代化する事は目に見えて居ました。

 幕末には諸侯会議が頻繁に持たれ外国に対する国の一体性は保たれる様に為って居ました。諸外国は日本の統治責任者は幕府か天皇か?と云う事に戸惑ったと思われて居ますが、この混乱は反幕勢力側が作り出したものです。日本の伝統に従えば幕府の外交権に一本化すべきでした。
 少なくとも、坂本龍馬、勝海舟等の考えが採用されて大政奉還政権が出来れば、公家・諸侯会議が造られ、その運営によって日本は充分近代西洋に対抗出來る国(国民国家)に為れたに違い無いと考えます。又廃藩置県を行なわ無いで、旧藩勢力を温存させて諸侯会議による政治を行なえば、現在よりももっと地方分権的な日本に為ったであろうし、旧武士が地方軍として残れば不平士族の一連の反乱も起こらず、取り分け日清・日露以下の戦争もし無かった可能性があります。
 政府常備軍が無ければ侵略戦争等出来ないからです。この私の考えは、この時日本は連邦制を採用すれば良かったのに・・・と表現出来るかも知れません。

 強兵政策の弊害(軍国主義化)

 常備軍を作ったのは間違い

 日本には歴史を通じて常備軍と云うものは存在し無かったと書きましたが、明治の時にも日本の伝統に従って政府軍を作らず各地方大名傘下の武士達をそのまま地方軍として存続させるべきでした。そうすれば不平士族の反乱も起こら無かったでしょう。
 現代人は「それでは外国からの侵略を防げ無い」と考えるかも知れませんが、仮に侵略を受けたら蒙古来襲の時の様に政府が地方軍をまとめて指揮を取れば良いだけです。そうすればその地方軍は本当の意味の自衛軍に為った事でしょう。
 明治以後の日本を侵略しようと云う試み等何処にも無かったのですから、自衛軍が実際の役に立つ事も無かったとは思いますが・・・・政府軍が存在し無ければ日清・日露戦争等は考え付きもし無かったでしょう。地方軍を政府がワザワザ糾合して清と戦争を行なう等とは到底考えられ無いからです。しかし明治政府は日本史に例の無い政府軍を作りました。

     8-28-116.jpg

     8-28-117.jpg

 軍部の暴走

 欧米や中国の様に常備軍の統制に苦労をした国で発達して来たシビリアンコントロールの発想が日本には在りませんでした。これが近代日本の最大の弱点で結局横暴な軍部の暴走を生む事に為りました。詰まり私の持論である日本が平和民族であった故の弱点がここにあります。
 平和民族の歴史ではシビリアンコントロールと云うノウハウが発達する必要は無かったからです。そして勿論その様なノウハウは今に至る迄全く蓄積されて居ないと言う事を自覚して置く必要があります。日本がもう一度軍隊を持ったら又暴走するに違い無いと私は思って居ます。(もう一度軍隊を持ったらと云うのは、憲法改正をして正式な軍隊と為った後、と云う程の意味とご理解下さい)

(この小論では様々な歴史のイフを書いて居ますが、それは全て現在への連想を含んだものです。例えばここで常備軍は不要だったと云うイフを書いたのは、現在の自衛隊も不要と云う論を連想してのものです)

 幕末の日本には全国合計40万人の武士が居ました。(家族を含むと2百万人)西南戦争(1877年)の頃の政府軍の数は4万人、日清戦争の時に8万人の政府軍がありましたが、とても40万人は必要無かった事が解ります。だから一度全員を解雇する(秩禄処分)必要は在ったかも知れません。
 しかし40万の武士達は一時路頭に迷ったかも知れませんが、多くは警察官・官吏・教師そして軍人等に自ずと吸収されて明治の近代化に貢献しました。

 廃藩置県、武士の解体等の劇的な変化を避けて穏健に進めれば士族の反乱も無く平和な近代化が達成出来たと思います。しかし西洋を実際に見た明治の元勲達は、中央集権的国民国家を作る事に驀進し「これ以外に無い」と自信を持って居たに違い無い、それも無理も無いと云う思いも私にはあります。詰まり私の維新批判は「維新の元勲がけしからん!」と云う論では無いと云う事をご理解下さい。
 彼等の努力と誠意と能力は敬意に値します。しかし歴史の後に生まれた我々の特権として「結果的に間違って居た」と云う権利があると思ってこれを書いて居ます。あの当時にあの様に考えたのは仕方の無い事だったとしても、今から見ればやはりあの判断が間違って居たと云う歴史を書きたいと思って居ます。

   8-28-115.jpg 徴兵検査

 徴兵制導入は間違い

 日本人は集団主義で権威に弱いと思われて居ますので、黒船来航で日本も軍事力が必要な事態に為ったので国民は「徴兵制は当然」と納得したものと信じて居る人が多いかも知れません。徴兵制は日本人には受け入れられ易い制度だと思われて居ると推測します。
 だから1873年に徴兵令が布告された時に、日本全国で徴兵制反対の一揆が多数勃発した事を知って居る人は少ないと思います。徴兵と云う制度は日本で定着した事は無く、これは歴史上殆ど始めて実施されたものだと云う事も余り知られて居ません。
 日本の歴史の中で徴兵制が在ったのは、白村江の戦で大敗して唐の侵略の恐れを感じて律令国家を大急ぎで作り上げた時の一時期だけです(671年〜792年)が、その軍団制も上手く機能せず間も無く廃止されてしまい、以後この明治の時迄実施された事はありませんでした。

 日清・日露戦争は間違った戦争

 明治政府が進めた中央集権国家の建設=富国強兵策は、日本を軍国主義国家にしたと言う意味で行き過ぎだったと云う考えを説明します。
 その最大の間違いは、必要の無い戦争をし必要の無い植民地を抱えた事にあります。日清・日露・満州事変・日中・日米戦争全て必要の無い戦争でした。台湾・朝鮮・満州等の植民地は全て日本国家の為に必要の無いものでした。植民地経営は全て赤字で経済合理性から言っても否定さるべきものでした。

 注) 植民地経営の賛否は、当時の国会でも何度も議論された。植民地経営の為の資金とその権益を守る為の軍隊増強や警察派遣の経費は膨大なもので、その分を減税したり国民の福祉に使えと言うものでした・・戦争や植民地経営の賛否・・・これ等の戦争や植民地が必要無かった事情に付いては、この後夫々の項目で詳しく述べますが、ここでは全体として「それが必要だったと云う理由を誰も述べる事が出来無い」と云う事でご理解願います。
 何の為の戦争で何の為の植民地だったのかを説明出来る人は居ません。これ等は全て西洋を真似したに過ぎ無いと思って居る人が多いのですが、実はこれは西洋を誤解したものだと云事を後程説明します。西洋合理主義に基づけば、こんな割に合わ無い戦争、植民地拡大化は行なわ無かったでしょう。

 明治の農民の貧窮化

 明治維新によって日本の近代化が始まり経済は成長し封建性のくびきから開放され、国民は全員その恩恵を受けて豊かに為ったと云うイメージを持って居る人が多いと思います。しかし江戸時代は自作農中心だったのに、明治に為って小作農の方が多い農村社会に為りました。
 これは明治政府が日本の実力以上の富国強兵策を強行する為に農民からの搾取を強めたからです。その上徴兵制度迄強行されて明治初期の農民一揆は激増しました。維新政府は農民に対して江戸時代以上の抑圧搾取権力に為ったのでした。

 島崎藤村の「夜明け前」では、民衆は維新に大きな期待を寄せた事が書かれて居て、それが結局裏切られる歴史を描いて居ますが、私には農民に維新への期待が有ったとは実感出来ません。しかし江戸時代より更に悪く為った事は事実として認識して置くべきと思って居ます。国民は維新に裏切られたと云う藤村の見方は当たって居ると思います。
 幕末に長州藩の勤皇の志士達が活躍出来たのは藩財政が豊かだったお陰です。桂小五郎等が京都の遊郭で豪遊したのが有名ですが彼は藩のお金で遊んで居ました。その藩財政の豊かさは財政改革に成功して作った撫育方と云う特別会計に在りました。これは検地を遣り直して年貢収入を増やし、その分を別会計にしたものです。詰まり長州藩では既に農民搾取を強化して居たのです。
 同じく薩摩藩の調所広郷の藩政改革・肥前藩の均田制実施・土佐藩では「おこぜ組」も活躍して、西南四藩は夫々改革を成功させて維新の活動の財政基盤がありました。この農民搾取の成功が明治政府に引き継がれたものと思われます。(これも私の独断)逆に考えると幕末の頃の他の地方の農民は可なり余裕のある生活をして居たとも考えられます。

    8-28-114.jpg 富岡製糸場


 富国策に付いて(産業の近代化)

 明治政府の政策は普通、富国強兵策と言われて居ます。この内強兵策については後の軍国主義に繋がると云う意味で否定的に評価しましたが、それでは富国策の方はどうでしょうか?
 過つての社会主義国や独裁国の経済成長を見ると確かに国家統制経済の方が成長力が有る様に見えます。しかし日本の戦後の高度成長は民間の活力によって達成されたと思われます。日本の官僚の優秀さが成長を可能にした原因の一つである言は認められますが、それが中央集権的統制によるものか?と云う点には疑問があります。

 明治政府は成程様々な事業に手を出しましたが、その内の多くの部分を民間に払い下げる事に依ってその後事業は成功して居ます。これは政府の富国策の成功と云うよりは、民間にそのエネルギーが在ったからではないかと思われます。江戸時代に既に始まって居た産業化を詳しく見れば、中央集権的な富国策が無くとも日本経済はその底力によって充分に成長したに違い無いと思われます。
 明治以後今日に至る順調な経済成長を見ると、政府の富国政策に間違いがあったと迄は云う事は出来ませんが、必要は無かったと云う事は出来るかも知れません。(この部分は要勉強)もし富国政策が不可欠であったと言い張る人が居たとすると、その人は統制経済主義で現在の自由主義経済を肯定出来無い人と為ります。私は国家や官僚の統制的な役割が全く必要が無いとは言いませんが、経済成長の大部分は民間の活力によるものだと云う経済の見方をして居ます。

 大化の改新と明治維新とは何だか似て居ると気が付きました。これは私がフッと思い着いた「思い着き」で、未だ熟していない考えなのですが・・・おわり


  素敵な「自転車と家庭水族館」オナーのつぶやき
        
 この参照文を筆者に無断で使わせて頂いて居ります。後に為りましたがその点を改めてここでお詫びと感謝申し上げます。今迄には知る事も出来無かった素晴らしい仮説であり正確な結論を導き出した貴重なレポートだと思います。

 日本は太平洋戦争に完璧に敗北し、明治維新以来の戦前の悪弊はそこで一旦廃れたものと思い込んで居りました。軍隊が解散し徴兵制も廃止され、アメリカ指導により農地が地主から小作に解放され教育も自由に為り民主主義への道を歩んだのだと・・・
 しかし、日本の実際の戦後の政治は、戦前と同じ官庁・官僚であり新憲法発布迄は旧明治憲法の民法の下に在り、政治的にも続々と戦前の指導者が復帰しました。国旗もそのまま日の丸で国歌も君が代のままです。詰まり、戦後の日本も戦前と変わらず言わば明治維新以来の政治的指導者の系譜下に置かれて居た訳です。そしてそれは、平成の今でも続くものです。言い換えれば、日本は明治維新の亡霊に今でも怯える状態に在ると言える訳です。

 太平洋戦争を政治的に進める事を決断した東條内閣、満州を経営しその商工大臣と為った岸伸介。彼は戦後の追放を逃れて復帰しその後首相と為った。彼の新安保条約の強権導入には、彼の右翼主義的志向を嫌った大学生達が国会デモを仕掛け大騒動と為った。
 新安保条約は旧安保に比べると、日本が基地を提供する事でアメリカが日本を守る事を義務付けるもので、より好いものだったのだが、彼の強権的・全体主義的性格(言い換えれば明治的志向)が災いし暴動に近いものと為った。岸は、官邸に右翼・暴力団を結集して身を守ったのです。

 彼の主張は、アメリカに押し付けられた新憲法を廃止し、日本人の手で戦前の様な全体主義的国家体制を夢見るものだ・・・と学生達に悟られて仕舞って居たのだと考えられる。岸・・・明治維新の亡霊・・・明治維新後の日本を非道な国際的戦争国家に作り上げた元凶である亡霊・・・言葉を換えれば、長州の遺恨と悪霊が平成の今でも生き続け又や戦争を始めて国民の血を吸い上る様に為ら無い為に、私はこの様なブログを続けて居ます・・・


 

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