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2018年06月11日

父の残した「インパール作戦従軍記」 その12(最終回)


 父の残した「インパール作戦従軍記」 その12(最終回)

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 15.再びタイへ

  

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 タイ緬国境へ敗走

 サルウイン河を渡った所にも兵站部隊があり糧秣と兵器を渡して居た。私は割合元気だったので、これから向かう国境の山越えに備えて糧秣と手榴弾数発を貰った。
 小銃も持って行く様に勧められたが、タイへ行けば敵は居ないからと断った。始めの2、3日は平坦な道が続いたが愈々道も険しく為って来て、タイ緬国境のある「ドーナー山脈」は霧の為山頂をスッポリ被って我々を遮る様に聳え立って居る。
 私は何時の間にか長岡出身の金子五郎さんと直江津女学校の先生をして居たと言う軍曹等と行動を共にする様に為った。
 
 雨季特有の雨はシトシトと降り続く、何処かで拾った防雨外套は雨を通して肌まで濡れて来た。背中に悪寒が走る、又マラリヤが出た様だ。高熱の為足が「フラフラ」と夢遊病者の様に歩き続ける。
 暫く行くと小さな川に土橋が架かって居た。未だ時間は早いがこの橋の下で休む事にした。金子五郎さん達には先に行って貰い私一人でこの橋の下で一晩過ごす事にした。橋の下とは良く言ったもので、雨が当ら無いから大助かりだ。
 飯はあるのだが高熱の為食欲が全然無い。殆ど眠れ無いまま夜を明かしたが頭痛は止まら無い。体を起こして見ると目先の目標が定まら無い。しかしこんな橋の下に何時までも居る訳には行かず、心に鞭打って橋の下を出発した。

 幸い雨も止んで熱も少し下がった様だ。しかし元の元気も何処へやら何も考える気力も無い、唯々足を前に出すだけ倒れ無い様に踏ん張るのが精一杯だ。前線から遠のき敵に追われる心配は無いので幾分気持ちだけは明かるかった。

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 小便の流れ

 暫く行くと愈々急坂に為って来た。雨は止んだが山は霧で頂上は見え無い。這う様に露草を掴みながら登って行くと要約頂上が見えて来た。登り切って喜んで辺りを見回すと、目の前に今登って来たのと同じ様な山が待って居た。「なーんだ、頂上じゃ無かったのか」と思った途端全身の力が抜け露草の上に崩れる様に腰を降ろした。  
 頂上迄の途中に死んで居る兵隊も居り、休んで居る兵隊も大分居たが果たして何人登って来られるだろうか。その頂上には未だ第2第3の頂上があり、登り詰めた処はタイとビルマの国境で、四角い木の柱には「泰緬国境」と書いてあった。要約タイ国へ入れるのか、今度こそ本当に敵に追われる事が無く為った。
 しかし累々と続くジャングルの山中を果たして「チェンマイ」迄辿り着ける自信は無かった。しかし何と無く「ハシャギ」たい様な気持ちに為り、片足をビルマへもう一方をタイ国へ置き「さらばビルマよ」と小便をした。果たしてどちらへ多く流れたやら。

 三本のバナナ

 山を下り切った所に「トッペ」と云う部落があった。其処には、私がマラリヤで橋の下で一夜を過ごした時先に行って貰った金子さん達が居り、彼等もマラリヤに患り休養して居た。驚いた事に、私が発熱の時見向きもし無いで先行した「饅頭傘(まんじゅうがさ)の佐藤」と呼ばれて居た兵隊が病死したと言う。何と云う皮肉な事だろうか。

「トッペ」では家の中で眠れると思って居たが駄目だった。先に行った兵隊が悪い事をして行ったのであろうか中々民家へ泊めて呉れ無かった。仕方無く家の軒下に寝る事に為った。
 今朝は又霧雨で昨日越えて来た山々は頂上が見えるだけだ。今日の旅立ちも同じメンバーだ。長岡の金子さんは、表面物静かな商人タイプの人だが中々芯の強い人間だった。彼は又物資調達の名人で、一寸姿が見え無いと思うと米を3合ばかり持って現れ、農家で米搗きの手伝いをして貰って来たと言って笑って居る。彼のお陰で道中随分助かった。
 
 其の日の行程は短く「クーニャン」と云う町に泊まる事に為った。「姑娘」面白い地名だと思って居ると「クンニャム」だとの事だった。他所の国の地名は似た様な発音が多く分から無い事がある。
 ここでも糧秣補給所や兵站宿舎もあり久し振りに家の中で泊まる事が出来た。「クンニャム」からは「チェンマイ」に通ずる3本の兵站線があると云う。何処がどんな道かは分から無い、大分遠回りに為るが山が一番少ないと云う北兵站線を行く事にした。
 
 先日来の発熱で食欲が全然無い。腹は減って居るのだが飯盒の蓋を開けた途端、飯の匂いが嫌に為ってしまう。色々考えて焼きオニギリにすると香ばしい香りに誘われて何とか食べられる。しかしそれも二日続けるとスッカリ胃を悪くしてしまった。そうこうして居る内に金子さんが或る部落でバナナを一房見付て来て呉れた。
 久し振りに食べるバナナが非常に美味しく夢中で3本食べてしまった。嫌不思議な事が起こった。今迄どうしても受け付け無かった飯がドンドン食べられる様に為って来た。食欲が出て来ると急に元気が出て体調も元通りに為って来た。

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 将校と兵隊

 相変わらず雨とも霧とも付かぬ雨が降り続く。泥道に足を取られ無理に抜くと靴の半張靴が取れそうに為る。要約少し平坦の道に出た。如何した事か道の両脇に点々と遺体が1キロ程に渉って転がって居る。同じ場所に多数カタマッテ居る所もある。人間死ぬ迄集団心理があるのだろうか。少し行くと将校が兵隊を叱って居る。
「貴様何処の兵隊だ!」
「はあ?」
「はあでは分からん!卑しくも日本の軍人が、同じ日本兵の遺体から物を取るとは何事だ!」
 と盛んに叱られて居る。見ると遺体の背嚢から米を取って居たらしい。既に死んで居るのだから米は必要無いかも知れ無い。しかし何とか生き延び様と食べたい飯も腹一杯食べず食い延ばして来たのだ。
 あのコヒマの悪戦苦闘から逃れ、今あの国境を越えやっと平坦地に来たと云うのにと思うと可愛想で為ら無い。だがこれから生き延びて行かねば為ら無い兵隊も大勢居るのだと思う心と気持ちは複雑だ。

 新しい飯盒

 今晩も又露営をし無ければ為ら無い。霧雨は飽きもしないで好くも降り続く。私は天幕は無し、どうすれば良いのか思案に呉れて居ると、直ぐ道端に新しい天幕を張って一人で寝て居る兵隊を見た。何とか頼んでみる事に決め「申し訳無いが一晩横に休ませて呉れませんか」と声を掛けると無言で寝返りをした。
 大分疲れて居るのだろうと思って其の人の端に寝かせて貰った。私も疲れて居るので朝まで何も知らずに眠ってしまった。

 翌朝は明るく為って目が覚め「有難う御座いました」と声を掛けたが返事が無い。「変だなー」と思って顏を覗き込んでみると既に呼吸が止まって居る。昨夜私がお願いした時は確かに寝返りをしたのだから、眠ったまま死んで行ったのであろうか。
 其の人の枕元に真新しい飯盒が置いてあり、軍服も全部新しいから最近部隊に配属に為ったばかりの兵隊に間違い無い。私は負傷の時全部捨てて来たので代用の飯盒しか持って居ない。
「一晩お世話に為って申し訳無いが、君はもう飯盒の必要が無く為ったのだから私に下さい」
 と言葉には為ら無いが頼んで貰って来た。その後飯盒は有効に使って復員の時内地迄持ち帰り、今でも我が家の家宝として大事に保存してある。

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 ざまー見ろ

 或るお寺に宿泊した時の事、本堂には15、6人程泊まって居た。翌朝出発する事に為ると、其の中の九州訛の将校が「今から俺が皆の指揮を取るから俺の命令に従う事」と言い出した。
 今まで誰の指揮と云うでも無く自分の体力に合わせて思い思いの行動を取って来たのに、今更直属上官でも無いこの将校に従う言われは無いと皆不満を漏らして居た。中に元気の好い軍曹が一人居り、俺は部隊行動はしない言い出して収まら無い。
 将校は駄目だと言い張る。軍曹も負けては居ない「誰に指揮を取れと云われた」と怒り出す。回りに居た兵隊は一斉に将校を取り巻き、将校が手を出したら袋叩きにして遣ろうと身構えた。この雰囲気に気付いた将校は、我に利非ずと悟ってか「そうだ其の意気だ」と、分かった様な分から無い様な言葉を残して何れかへ立ち去った。兵隊達は「ざまーみろ」と言って何時もの様に思い思いに行軍を始めた。
     
 敗残兵の標本

 毎日続く雨季の雨も時には晴れ間もある。しかし部落から部落へ通ずる道は殆ど泥田と同じである。インパール作戦の始まる時貰った編上靴は糸が切れ破損寸前だ。私は何処かで拾って来た銅線で補修し乍ら来たので何とか形だけは好いのだが、満足な靴を履いて居る兵隊は殆ど居ない。
 
 爪先から足の指先を覗かせて居るのは未だ良い方で、靴も履かず裸足で歩き皮膚が破れ赤身を出して居る人もある。まるで敗残兵の標本の様だ。
「メーホンソン」の町の入口に将校と兵隊が待ち受けて居て「この町はメーホンソンの県庁のある町だ、日本軍の威厳に係わるから規律を正して行軍する事」と注意して居た。例えどんなに整然としても、最早日本軍の威厳を保つ事は不可能な事だ。将校達は半ば強制的に裸足の兵隊にボロを巻かせて通過させた。

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 16.そして終戦

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 チェンマイの町

 自分で選んだ此の北平坦線の退路は良かったのか悪かったのかは分から無いが、随分日にちが掛かった様だ。田圃の真ん中に温泉の湧き出て居る所もあった。親切な農民も居た不気味な部落もあった。餅米を常食にして居る地区もあり、ウルチ米を見つけるに西奔東走した事もあった。
 
 昨日親しく為った兵隊も明日は離れ離れに為る事もある。悪意がある訳では無いが兎に角自分だけが頼りである。自分に起きた事は自分で解決をし無ければ為ら無い。色々あったが何とかチェンマイの町に辿り着く事が出来、チェンマイ郊外の野戦病院に収容された。都会と言っても郊外の病院は竹の柱に椰子の葉で葺いた病舎が数十棟も林の中に整然として並んで居る。

 終戦を知る

 チェンマイに着いて何日か過ぎたある日、マラリヤの発熱で休んで居ると夜中の2時頃非常呼集が掛かり全員集まった。こんな夜中に何の話しがあるのだがろうかと思った。
 暫くして帰って来た兵隊に、何があったのかと聞くが誰も話しては呉れ無い。2、3人で寄ってはヒソヒソと話して居る、これは重大な事が起きたに違い無いと思ったが自分で起きて聞きに行く気力も無かった。
 
 朝に為って要約日本が無条件降伏した事を知らされ非常なショックを受けた。しかしガダルカナルの撤退やビルマ戦線の敗北、又内地の空襲等、こんな悪戦況の中で果たして日本が本当に勝てるだろうかとの疑問は絶対に口に出す事の出来無い心の秘密としてインパール作戦に従軍した兵隊達は皆持って居た事と思う。  
 朝の点呼時の若い将校達の嘆き振りは見るに忍び無い程だった。しかし、何か内地が近く為った様な気がして来た。又一方では捕虜としてどんな扱いを受けるかとの心配も出て来た。ドイツ軍は7年間も重労働をさせられて居るとか色々な噂が飛び交って来る。しかし戦争は終わって敵の弾で殺される事は無く為ったのだが、マダマダ今頃タイ緬国境を彷徨って居る兵隊も居るかも知れ無い。  
 タマビンで負傷の際別れ別れに為った井上源治、佐藤康二さん達や中隊の皆さんはどうして居るだろうか、サルウイン河をモチ鉱山方面へ撤退して行ったとの情報を最後にその後の様子は判らない。

  

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 バンコクへ集結

 英国軍の武装解除を受けた後バンコクへ集結すべくチェンマイを後にした。チェンマイからバンコク迄距離はどの位あったかは分から無いが、チェンマイに1ヶ月程の滞在後の行軍であるだけに何処迄頑張られるか自信は無かった。
 最初の1週間は足に豆を作り乍ら何とか頑張り通した。それ以後は何日歩いても今日の疲れは明日に残ら無かった。
 
 2日歩いて1日休養を取り、又2日歩くと藺生行程だったが、明日の宿営地はどんな所だろうかとの希望が湧いて宿へ着くのが楽しみだった。
 しかし全然疲れが無い訳では無い、宿へ着いてから明日1日分の飯の支度をせねば為ら無い。行程によっては暗く為ってから宿営地に着く事もある。タイ名物の強盗団に襲われた事もあった。敗戦を哀れんでか、それとも日本軍の勇敢さを称えてか部落民総出で果物を振舞って迎えて呉れた所もあった。チェンマイを出発以来45日目にバンコク近くのナコンナヨークへ到着したのが12月頃だった。
       
 そこには方々の部隊が集結して居り軍の町とも言った処だった。行動中行を供にした事のある金子五郎さん達も既に来て居た。
 翌昭和21年のお正月も過ぎて、更にバンコクの郊外に移動しその年の5月に迎えの船、航空母艦葛城が沖へ待って居る。小さな船から葛城に乗り移って船のエンジンの音が一段と高く為り、ユックリ船が動き始めた時、今度こそ本当に内地に帰れるのだ、との実感が湧くと同時に大勢の亡き戦友を、あのインド、ビルマの地に残して来た無念さと交々入り混じった思いが止めど無く溢れて来る。

 さようーなら亡き戦友よ、さようーならインド、さようーならビルマよ・・・ありがとうタイ国よ、タイ国よさよう・・・なら・・・

 採録:1999年7月24日
 
 父の残した「インパール作戦従軍記」おわります。ありがとうございました・・・次回は、インパール作戦とは何だったのか?を検証したいと思います・・・

  

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